黒の花嫁/白の花嫁


「っ……」

 紫龍は、息を呑んだ。衝撃のあまり、声が出せずに喉だけが鳴った。

 彼女が持っているのは、白龍の(ほこら)の祭壇に(まつ)られている、『白龍の宝玉』だったのだ。

「……なっ」

 ややあって、彼はやっと言葉を吐き出す。

「なぜ……お前が、それをここに……?」

 宝玉は長い年月をかけて龍神の神力(しんりょく)が蓄積されたものだ。
 これを通じて、人間界に宿る自然に、神の気を与える。その莫大な力を前にしては、紫流程度(・・・・)の龍族の妖力は無力に等しい。

 文字通り龍神の宝である宝玉は、決して祠から動かしてはならないし、動かせるのはそれを守護する龍神のみだった。

「光河様はわたしにくださったの。好きに使っていいんですって」

「まさか! あり得ない! 宝玉は、天変地異を起こし、世界を崩壊させる力を持つ。このような危険なものを貴様が扱うなど、光河様がお許しになるはずがない……!」

「でも、実際に彼に譲り受けたから、こうしてわたしの手元にあるのよ」

「馬鹿な!」

「じゃあ、光河様に尋ねてみる?」

 春菜が艶めかしい声音で白龍の名を呼ぶと、奥の部屋の襖が静かに開いた。
 少しの隙間から漏れる腐った魚のような悪臭に、紫流は顔をしかめる。中は邪の気で充満しており、夜よりも暗い黒煙と、生々しい血の匂いで満ちていた。

 その奥から、ゆっくりと人影が近付いてくる。
 その様子を見て紫流は全てを察し、全身の毛が逆立った。

「春、菜……?」

 それは、白龍だった。

 彼の周囲には黒い(もや)が漂っていた。瞳は閉じているものの、瞼の奥からは禍々しい気が漂っている。

 光河の声音は、普段と同じく柔らかいままだ。穏やかな、人の心を落ち着かせる声。
 だが紫流には、感情がごそりと抜け落ちているような、不気味な違和感を覚えたのだった。

(我が主は……この女の手に堕ちたのか……?)

 信じられなかった。
 白龍の力は神の中でも強い。唯一対抗できるのは、あの黒龍くらいだ。
 こんな人間の小娘などに我が主が敗北を喫するなんて……。