入学式が金曜日に催されたため、2日の休みを置いて、授業が始まった
放課後になり、八子はしほりと共に事務室に行った
気の良いおじいさんが証明書類の申請書を持って来る

「学生割引証明書ね
この2枚の紙に書いてね」

八子としほりは手早く申請書に必要事項を書いた
おじいさんは紙を受け取る

「金曜日の放課後にまた来てください」

しほりは鞄の中から茶封筒を取り出し八子に見せる

「ねぇ私が言い出して悪いんだけど 
二人分の切符買って来てくれない」
「気にしないで」
「朝の8時の特急ね」
「わかった」

八子はしほりから茶封筒を受け取る

「部活大変なんだね」
「それもあるけどサックスのコンクールに出るから」

八子は大袈裟に口元を隠し驚く

「えぇ本当に」
「日本の吹奏楽コンクールで結果を残しても、日本で評価されるための指標にしか過ぎない
プロになりたいなら世界に見てもらわないと」
「そうなんだ偉いね」
「別に吹奏楽部はおまけじゃない
どちらも一番は取りたいし」
「うん」
「まぁスケジュール的に厳しくなると選ばざるえないかもしれないけど」
「そうだね」
「じゃあお互い練習頑張ろう」
「頑張ろう」

しほりは楽器ケースを背負い音楽室へと向かった
八子は茶封筒を鞄にしまい、1枚のプリントを取り出した
「軽音楽部新入生説明会・見学会」と書かれた紙に、「場所・レクリエーション室」と記されている
八子は記憶の地図を頼りに、レクリエーション室へと向かった



数分後、八子は校舎を彷徨うことになる
誰か人に聞けばいいのだが、実習棟に足を踏み入れてしまい、一切生徒がいなくなってしまった
仕方がないと足を本校舎に向けた時、微かにエレキギターの音が聴こえた
八子は音楽室の前で立ち止まる
この学校には、実習棟と部活棟の2つに音楽室がある。前者は中規模の教室で、音楽の授業や吹奏楽部のパート練習で使われる部屋だ。後者は吹奏楽部が使う教室で、しほりが向かったのはこちらの音楽室だ
八子は音楽室の扉を開く
一人の女子生徒がレスポールを弾いている
流れるような指使い、1音1音はっきりとした音、そしてなにより安定したリズム感
飛び跳ねながら弾いているのにもかかわらず、音はブレずに丁寧に聴こえる
時折、姿勢を低くして、床近くで弾くのは迫力がある
八子は演奏が一段落するのを待って声を掛ける

「あのうすいません」

少女は声を掛けられたのにもかかわらず、スマホを操作する。八子は一際大きな声を出す

「す・い・ま・せ・ん」

少女はやっと気が付いたのか八子の方を見る

「あのう軽音楽部の方ですか?
レクリエーション室ってどこにありますか」

不自然なほどの間が開く
少女は耳を触り、腕でバツ印を作る
八子は少女が耳が聴こえないことに気が付く

「ごめんなさい」

少女は八子の唇を読んでか、首を左右に振る
八子は戸惑いから大きな声を出す

「すいませんでした!!!」

少女は八子を知っているようだ
目を見開き嬉しそうに言う

「ひゃちこ、ひゃちこ」

八子は怒られたと勘違いする
くるりと背を向けると一目散に教室を飛び出した
取り残された少女は寂しそうな顔をするのであった



レクリエーション室では空席がなく、かなりの生徒が集まっている
八子は30分遅れて教室に入る
黒板の前には部長と副部長が立って説明をし、顧問は窓際で静かに見守っている
八子は静かに教室の扉を開く

「すいません、失礼します」

八子はゆっくりと扉を閉め、扉近くに立つ
八子は顧問の顔を見て小さく驚いた
顧問が入学式で指揮を振っていた人であったからだ
説明が止まる
すぐに副部長の諫早奏(イサハヤカナデ)が近付き、八子に「軽音楽部のしおり」と書かれた小冊子を渡す

「はいこれ
ライブ映像を観てもらってこれから説明するところ」

八子は小冊子を受け取る

「ありがとうございます」

奏は黒板の前に戻る
部長の東雲鶴実(シノノメツルミ)は説明を再開する

「部のライブは6月、9月、11月、3月とあります
そのうち、6月と3月はホールを借りて行い、あとの2公演はライブハウスで行います」

八子は目次のページを見て、ライブに関するページを開く

「ライブハウスとホールの違いについて説明します」

鶴実は黒板に表を書きながら説明する

「ライブハウスにはチケットノルマがあります
1枚3,500円のチケットを部員1名に対し4枚負担してもらいます
もちろん追加で購入するのもありです」

教室の空気がにわかに重くなる

「ホール公演はチケットノルマがありません
生徒や保護者、学校関係者は無料です
一般販売を行いますので、5,500円のチケットを約700枚販売します」

鶴実は手を止めて振り返る

「ちなみに出演が決まったバンドは公演費用として1バンド15,000円掛かります
これはホールでもライブハウスでも同じです」

鶴実は教卓の上にバンと両手を置く

「はっきりいいますが、高校の軽音楽部のライブにお金を払って観に行きたいと思うのは少数です
誰かが結果を残してくれるから
それでお客さんが入るから
他人に甘えてばかりでは、部の存続自体が危ぶまれます
思い出作りでもいいです。受験のためでもいいです
ですが、ライブに行きたくなる、誰かを振り向かせたくなる、そういう音楽を作ってください」

鶴実は小冊子のページを捲る

「そのための第一歩としてバンドの結成
顧問の審査を受け合格すると本格的に活動が始まります
ライブの出演を賭けたオーディションに参加することができます」

生徒達に不安が伝播する

「軽音楽部の方針としてコピーは禁止しております
楽曲制作の経験がない皆さんに酷なことを言うつもりはありません
毎年6月末までは特別にコピーを許可します
このチャンス逃さないようにお願い致します」

鶴実は声を高くし、優しく語り掛ける

「顧問の審査をパスしてバンドを結成し、ライブ前に出演を掛けたオーディションを行う
おまけに、チケットの事もあります
難しいこと、分からないことあると思いますが、どうぞ先輩方を頼って下さい
私からは以上です」

顧問は手を叩く

「ありがとうね部長」

新入生は拍手をする
部長と顧問は場所を変える

「えーと改めまして、顧問の社会科教諭・楽市円(らくいちまどか)と申します
まぁ端的に申しますと、コピーには価値がないということです」

教室中にいる人達が微かにざわつく

「オリジナルが死んでいればコピーにも価値がでてくるでしょうが
オリジナルとコピーバンドが同じ日に同じ場所でライブをしていたら、オリジナルを観に行くでしょう
つまり――」

円は胸を張り意気揚々と声を張り上げる

「自分と他人の違いを歌にしない
マイノリティに悩む子羊たちに刺さる曲を作りなさい」

円はゆっくりと笑みを浮かべる

「これが私がコピーを禁止している理由です」

顧問の話が終わると、見学の話に移った
普段はバンドごとで練習しているが、今日は担当楽器ごとに集まっているらしい
30分の練習に15分の休憩を挟み、それを3回繰り返す
新入生が見学しやすいように上手くローテーションを組んでいるようだ
八子は入部の意を固めていたが、先輩達の顔を覚えるために一通り見学しようと決めた 



八子が教室を出ようとした時、一人の女子生徒が声を掛ける

「あれハチコじゃん」

名は泉州響(せんしゅうひびき)。中学が同じである

「キョウじゃん」
「おっす」

二人は場所を変え、昇降口の前でたむろする
自販機がガコンと音を立て、炭酸ジュースを吐き出す
二人は缶を開け、ジュースを飲む
響は中学時代吹奏楽部でパーカッションを担当していた
定期演奏会ではいつも複数の楽器を演奏し、それを録音し1つの曲にするという芸当を披露していた
仕込みを疑う客を呼んで楽器の場所を変えてもらい、違う順番で演奏しまた曲を作るという流れだ
緊張感がいっきにほぐれる、いわばムードメーカー的な存在であった

「キョウは吹奏楽やめたの?」
「いやぁ体育会系のノリは合わなくてさ」

八子は響の逞しい二の腕を見る

「(嘘付け)」

響は八子を意外そうな目で見る

「八子が楽器に夢中だとは意外や意外
もう顔合わせないと思ってた」
「ギターが弾けたから選んだだけ
それに私実技の点数低かったから」
「入学したってことは音楽やりたいんでしょ」
「かもね」

八子自身、この学校を選んだ理由が分からなかった
大学受験の為に狭い教室で机を並べ勉強するよりも、少しでも長く音楽に触れていたかったから
面接ではそう答えていた

「キョウはドラム?」
「モチのロンよ」
「誰とバンド組むの?」
「ハチコとでしょ」
「私っ!?」

八子は驚き、自分を指差す
響はなにを驚いているのかと顔に出す

「とりあえず知っている人と組むのが妥当でしょ」
「私は何も言ってないけど」
「駄目なの?」
「唐突過ぎて床が抜けた」

響ほどの実力者なら組みたい人なら沢山いるはずだ
自分のような半端者ではなく、本気でバンドをやりたい者が組むべきだ

「いやぁそんなもんよ
吹奏楽部なんて実力だけで組ませるから
お互い初めましてで喧嘩するのは当たり前
知っている人と組めるなんてマジのラッキーよ」
「そうなんだね」
「合わせるのには慣れているから安心して」
「分かった」

響は人差し指を立てる

「あと一人か」

スリーピースならベースが必要だ。ギターやキーボードなどを加えてもっと大人数にしてもいい

「気になっている子はいるんだけどね」
「マジっ!!!」

響はキラキラとした顔を向ける

「うん。さっき音楽室でギター弾いていたの」
「吹奏楽部?」
「違う・・・と思う
個人練習にしては自由に弾いていたから」
「じゃあ軽音楽部の先輩かな?」
「ちなみに耳が聴こえないらしい」
「!?」

響は静止する

「私慌ててたからちゃんと話してなかったんだけど
でも確かに耳は聞こえてなかった」
「じゃあどうやって弾いているの?」
「どうって普通に」
「音源流してるだけじゃない」

アンプから流れる音と音源は違う。そもそも弾いている振りをするためにレスポールを持つのは違和感がある
八子は首を横に振る

「違うちゃんと弾いてた」
「でもそんな人いたら噂になるよ
私聞いたことないや」

八子と響は考え込む
響は思い付いた顔で言う

「カート・コバーンの生まれ変わりとか」
「なんで日本の女子高生になってるの」
「あ、女の子なんだ
でも、転生系ならよくある話じゃない」
「今時、カクヨムでも読まないよ」

そもそもカートは耳が聴こえる
八子は野暮な突っ込みを置いて、話題を見学の話に移した

「じゃあ今日は私と見て回る?」
「耳の聴こえないギタリストって面白そうじゃん
 会えたら声掛けてみようよさ」
「だよね」

響と八子は並んで軽音楽部の練習場所へと向かった



1年4組副担任の跡見ミナカ(アトミミナカ)は靴音を鳴らし音楽室に向かっている
音楽室の扉を開くと、南火花(ミナミヒバナ)がギターを弾いていた
ミナカは拳でコツコツと黒板を叩く
数秒の間の後、火花はゆっくり顔を上げる

「ちゃんと課題はやったの」

火花はピーンと背筋を伸ばし、慌ててギターを壁に立て掛ける。そして、机の上に置いてある紙の束をミナカに渡す
ミナカは紙の束を受け取り、パラパラとめくる

「どうやらやっているようね」

火花は大げさに首を縦に振る
ミナカはたどたどしい手話をする

「じゃあ今日は帰りましょう」

火花は慣れたように手話を返す

「分かりました」

火花は帰る準備を始めた
火花は耳が聞こえないため、教室を授業で受けることはない
登校すると普通教科の課題が手渡され、放課後までに取り組み提出をする。翌日、採点されたものが返却され、添えられた解説文を元に復習をする。そして、今日一日分の課題に取り組むのだ
通例であれば養護学校に進学するはずだ
しかし、親戚の家の子が同い年だと知り、両親は仲良くできるかもしれないとこの学校に通うよう決めた
火花はギターケースを背負い、肩にリュックを掛ける
また2人は手話で会話をする

「昇降口へ行きましょう」
「はい」

廊下を歩く途中、火花は窓の外に八子を見つける
火花は声を出そうとするが止める
耳が聴こえないとどうしても素っ頓狂な声になる
さっきは思わず声を出してしまったが、彼女にとってそれがコンプレックスであった



昇降口に着くと、白髪の男性が待っていた
ジャック・シモーネは火花に手を振る
彼は火花の両親が勤める会社の研究員だ
フランスのとある企業の跡取り息子であったが、両親が死亡し、南家に引き取られた
会社の買収があった矢先の事故であり、まこと南家には黒い噂が絶えない

「ではまた明日もよろしくお願いします」
「ありがとうございます」

火花とシモーネはすぐ傍に停められたスカイラインに乗り込む
赤い艶のあるボディに傷一つなく、まるで新車同様のようだ
車は優しく走り出し、潮風の香る国道10号線へ走り出した



車内、火花はチョーカーを付ける
ジャックも同じ物を身に着けている

「入学して初めての授業はどうでしたか」

火花は頭の中で言葉を紡ぐ

「どうってことはないわ
私一人だから」
「お友達が出来るといいですね」
「そうね」

火花の頭の中には特殊なチップが埋め込まれている
チョーカーから拾った音を脳内に伝えているのだ
チョーカーを付けている人同士、通信を行うこともできる
心の中が透けて見えてしまうというデメリットはあるものの、健常者と変わらず、音を感じ伝えることができるのだ
これも両親の研究の賜物だ

「ねぇ私カスタードプディングが食べたいの」
「分かりました
食後に用意しましょう」
「食前に用意して」
「それが今日の夕飯は麻婆豆腐なのです」
「関係ないわ
辛さが引き立つじゃない」
「ごもっともです」
「もちろんサクランボと生クリームもね
天井まで届くくらいのモコモコ雲」
「分かりました」

車は赤信号で停まる
ジャックはスマホを操作しシェフに伝える
「今日の娘様は上機嫌」と
この一言で豪勢なデザートプレートが作られる



八子と響は部活の見学が終わり帰路に就く
結局、耳の聴こえない少女とは会うことはできず
軽音楽部の部員は首を横に振り、彼女を知らないと言った
二人は鬼瀬駅からタクシーに乗る

「キョウは将来の事考えている」
「会社員じゃない」
「そっか」
「世間体的には軽音楽部でプロ目指しています
ってことにしておこうかな」
「もし私がプロを目指していると言ったら」
「上書きします
本当の夢としてプロを目指します」
「まぁプロになるなんて気さらさらにないんだけどね」
「な~んだ」

車は駅を南下し山あいを走る
ぽつりぽつりと対向車とすれ違う

「ハチコもどうせ会社員なんだろう」
「母親のことがあるから
ずっとこの町にいると思う」

響は八子の手を握る
八子はゆっくりと目を動かし響を見る
響は八子の耳元に顔を近付ける

「私と逃げればいいじゃん」

八子はマグマが噴き出すように赤面する
響はきゃっきゃっと笑い声を上げる

「ねぇ今凄い恋愛ドラマみたいだよね」
「バカ」

響は八子にぐいぐい身を寄せる

「でもハチコとなら、一緒に住んでもいいかな」
「ルームシェア」
「同棲だね」

八子は頭を抱える

「もぉすぐに変なこと言う」

八子は響の肩を叩く

「私はね
人は簡単に変われると思うんだよ」
「うん」
「1日1個新しいことを始めればいい
例えば、明日の朝からコンビニで駄菓子を買うとか
明後日からは教科書を置いて帰らないとか」
「うん」
「そしたら1年後は去年の自分とは違う人になっているじゃん」
「そうだね」

タクシーは道の駅の前で停まる
響は車を降りる

「じゃあ」
「また」

響はタクシーが見えなくなるまで手を振った
八子は自分の家が見える頃になって、響に励まされたと気付いた



タクシーは八子の家の前に着く
八子は玄関ドアを開く
母親は今日も変わらず、リビングでテレビを見ている

「ただいま」
「おかえりなさい」
「お母さん明日から部活で遅くなる」
「何部に入部するの?」
「軽音楽部」
「ギター好きだものね」
「あと、部費、銀行から降ろしていい」
「いいわよ
 払う前に明細をちょうだい」
「わかった」

八子は慌しく階段を駆け上がり、自室に荷物を置き、階下へ戻った
洗面所に立ち手洗いを済ませると、夕飯の支度を始めた
夕飯はレトルトカレーにコンビニで買ったフライドチキンを添えた