祖母が死んだ。祖父が死んだ
四十九日を過ぎていないのに立て続けに人が死ぬとは
死者に連れ去られたと迷信めいたことを言う参列者も
私は喪主の父の隣で静かに正座をした
2回目の葬式は慣れてしまって、僧侶の唱える念仏もBGMのように心地良く聴こえる
亡くなったのは母方の祖父母だ
祖父母は二十年以上前に交通事故に遭った。仲良く夫婦で旅行に行ったらしい。崖沿いの道を走る最中、落石で車がペチャンコになったのだ
落石注意の看板はたまに見掛けるが本当に落ちてくるのだ
幸いにして、いや不幸にして、二人は命だけは助かった
全身が崩れ、顔がひしゃげ、まるでモールス信号のような息を吐く二人を私は人として思えなかった
初めは心配する人も多かったのだが、もはや快復する見込みのない人に掛けられる言葉は
「早く死ねばいいのに」だ
私も両親が介護する都合で引っ越しすることになってからそう思った
忘れもしない小学六年生の夏休み
そこそこ裕福な家の娘のアミちゃん
彼女が小一から続く親友であった
アミちゃんは学年の中心的な人物だ
なのでアミちゃんの親友である私は自然と格上げされ、この年頃にしては珍しく、男女共に仲良くしていた
私は放課後になるとアミちゃんの家へ遊びに行った
二人で遊ぶだけ(時には四、五人)であったが、いつも母親はケーキを出してくれた
ただ、私も罪悪感がある
休みの日は児童館へ、アミちゃんの家へ行かないよう心掛けていた
その日は児童館が閉館していた
「空調設備故障のため閉館」
と張り紙が貼られ、およそ一ヶ月は使えなくなった
私とアミちゃんは顔を見合わせ、途方に暮れた
仕方がない
私はアミちゃんの家へお邪魔することした
家へ着くと玄関には女物のお洒落な靴が並んでいた
「お邪魔しまーす」
私はアミちゃんに続いて入った
リビングで談笑する大人達の声
「そうそうこないだの奉仕会で北谷さん送ったんだけど」
「旦那さん?」
「奥さんの方
家ね凄い臭いがしたの
ほらキャンプ場のトイレみたいな」
「仕方ないでしょ
寝たきりの両親を介護しているのだから」
「でもさそれにしては図々しいわよね
私思ったの
奥さん精神病んでいて車が運転できないのは分かるけどさ
毎回毎回、旦那さんじゃなくて私にお願いしてさ」
「そうね」
「田辺さんも家によく来るんでしょ
北谷さんの娘さん」
「アミちゃんと仲良くしているからね」
「違うわよ
集りに来たのよ
親子揃って図々しいわよね」
「そんなことないわよ」
私は足が止まった
アミちゃんは振り返り、首を傾げた
「どうしたの?」
「ごめん急用思い出した」
私はドタドタと廊下を駆け抜け、玄関から外へ飛び出した
靴が上手く履けなかった。盛大に転んだ
靴を履き直し、全速力で走った
これじゃあ私は図々しい女だと告白しているようなものだ
私は後悔した
後悔、先に立たず
あの一件以来、私はアミちゃんと話をしていない
話そうとも話せない
なぜか緊張してしまう
お互い同じ気持だったのだろう
アミちゃんは中学生になっても陽の中で、私は孤立して影の中に閉じ籠もった
もしも祖父母が芋虫にならなければ、私はアミちゃんの親友でいられたでしょう
葬式はいつの間にか終わった
祖父母の財産は介護に溶けて遺産もなにもない
会食があるのに、参列者の殆どは待たずして帰る
人がいなくなると、寂しいものだ
およそ50人しか入らない部屋はより窮屈に感じる
◇
両親が介護で忙しくなると、家族の時間は少なくなるものだ
私は毎月1日、五万円の入った封筒を受け取る
これで生活しろということだ
だが、1日の大半を学校で過ごす者としては余裕で、それなりのお小遣いになる
朝夕をレトルトカレーと冷凍食品のおかずにすればそれなりに貯まる
私は暇を持て余していた
休日は特にそうだ
そこでエレキギターを購入した
まだ祖父母が存命の頃で、静かに楽しめる楽器として、キーボードとエレキギターを候補にした
ベースは候補になかったのか?
と思うかもしれないが、当時の私の知識ではベースはリズム楽器、ギターはメロディを奏でる楽器と思っていた
曲を弾く達成感を得られるのなら、キーボードとエレキギターだ
結果としてエレキギターを選んだのは、数字でどこで押さえればいいのか分かるからだ。五線譜の記号を読解できる自信はない
アマゾンで二万円のエレキギターを買って届いた時はそれはとても嬉しかった
しかし、値段相応である
ネックは数学教師が持っているものさしのようで、ピックガードは毛羽立っていてなぜかフサフサしている
早くも二本目のギターが欲しいと願った
だが、音は素人ながら良いものだと思った
中学二年生になって、放課後はギターを弾く日常が始まった
◇
ギターを練習する以外は、ギターの試奏動画を眺める
それが日常になっていた
次はこれにしようかと物思いに耽るのが楽しい
初心者セットを購入して最初の冬
どことなくセミアコが気になっていた
セミアコとは、エレキギターのボディの一部が空洞なものだ。全てが空洞なのがセミアコ。アコギをアンプに繋げられるエレアコなど。仲間は多く、興味がなければ見分けが難しい。メーカーによってはセミアコなのにセミアコではない名称を付けているものがある
私はセミアコの音の柔らかさ、温かさに惹かれていた
特にディアンジェリコというメーカーは格別だ
だが、価格は20万円以上
買えないことはないが、1年過ぎたらエフェクターを組みたい
購入資金を減らすのは避けたいところだ
悩みに悩み、一週間が経った
終業式になり、課題が配られ、半ば寒さのせいで憂鬱な私は家に帰るとベットに倒れた
そして、スマホを開く
いつも見る楽器販売のサイトに
「クリスマスセール」
の文字が輝いている
まぁどうせ大したものはないのだろうと思い、特集ページを開いた
すると、ディアンジェリコのセミアコが何点か出品されていた
「送料無料で八万八千円!!!」
私は思わず声に出した
セール対象品の違いがよく分からず、私はなんとなく柄が好きなものを買った
くすんだ青色に錆のようなペイントが施されている
まるで何年も使い、捨てられたようなデザインがかっこよかった
クリスマスセールといいつつも、届いたのは冬休み明けで。玄関にぽつりと置かれていた
自室に担ぎ込み、早速段ボールを開く
中には薄っぺらいギグバッグが。ここで少しショックを感じた
鍵付きのハードケースを期待していた
よほど高いものではないとハードケースではないようだ
中を開けると綺麗なセミアコがお見えになった
優しく表面に触れる
「あれ?」
保護用のシートを剥がすのが気持ちがいいと。ユーチューブで見た動画でギタリストが語っていたが。これは付いていないのか
後で調べてわかったことだが、これは店頭展示品を売ったらしい
御茶ノ水、神戸、札幌、そして私の住む由布市にやって来た
◇
祖父の葬儀の後
忌引で5日も休みをもらえた
そのうちの3日は忙しかったが、残りの2日は予定もなかった
私はギターを持ち海へ向かった
3月の大分の海水浴場は「遊泳禁止」の看板も意味もなく、水浴びをする人が何人かいた
私は砂浜に腰を下ろし、ギターを用意した
最近よく聴くニルヴァーナの「Lithium」を弾く
「僕は幸せさ」と歌う歌詞に、退廃的で気怠げな曲調が相まって、ラリっているかのようだ
私はどうも日常を描いたワンルームミュージックは苦手だ
彼氏と連絡が付かない。好きな人に送ったメッセージが既読にならない。仕事は辛いけど明日はきっといい日になる
社会の上澄みだけを飲んで生きている人間の作った曲に、淀みの中に生きる私は理解はできても共感ができない
曲が終わるとアンプに繋げたスマホを操作する
MIYAVI、ニッキー・ロメロ、セツナブルースター
購入しダウンロードした曲を眺めるが、いまいち今の気分と噛み合わない
そろそろ小腹も空いたところだし、一旦、食事にでもするか
私は片付けをし、ギグバッグを背負うと、カフェテリアに向かった
「いらっしゃいませ
空いている席にどうぞ」
私が入店すると、中からチェロの音色が聴こえてくる
「映画インセプションのMombasa」
私は曲名を呟いた
かなり印象的な劇伴曲だ
チェロとカホンの編成のため、原曲とは異なった雰囲気を醸し出している
より緊張感が際立ってよい
私はカウンター席に座ると、カプチーノとマルゲリータピザを頼んだ
「ノーラン監督好きなの?」
一つ席を飛ばして右隣に座る女性が話し掛けてくる
「えぇ。作品のアイディは秀逸ですが
押井守監督の「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」で実現されていて
ノーラン監督はご存知ないかもしれませんが
日本人がハリウッドよりも先に前衛的なアイディアを出したことはもっと称えられるべきではないでしょうか」
「なるほどデジャヴを感じた理由はそれか」
「ちなみに劇伴ならTENETの「SATOR」が好きです」
「面白い子だ」
女性は手を差し出す
「東雲鶴美(しののめつるみ)
上野ヶ丘音楽高等学校1年」
「はじめまして北谷八子(キタタニヨウコ)
大分大学附属中学の二年生です」
私は鶴美さんと握手を交わした
「ここは音楽喫茶なんですか」
「まさか
海開きまでの期間、地元の有志がライブハウスの代わりに使っているだけだよ」
「そうなんですね」
よく見ると鶴美の隣にハードケースが置いてあった。これからどこか旅行に行くのだろうか。キャリーケースにリュックとかなりの大荷物だ
演奏が終わり、拍手が起こる
女性店員は鶴美に声を掛ける
「鶴美ちゃん
次なにか弾いてくれる?」
「私はすいません
成り行きで演奏をするのは嫌いで」
「そうよね
ごめんなさい」
「隣の彼女なら弾いてくれそうですよ」
鶴美さんは私にウィンクをする
弾けと言われても人前で演奏するのは初めてだ
「やったことないです・・・」
「別に下手でも構わない」
「じゃあ」
私は周囲の視線に怖気づきながらステージに立った
とりあえずギターをアンプに繋いでチューニングをする
カホンを叩く男性は言う
「基本的なリズムで叩くから
大縄跳びのイメージで
飛べるタイミングで弾いて」
「分かりました」
「君が自由に弾いて
飛べそうなところでソロを」
カホンのカウントが始まる
メトロノームとは違う生音だ
緊張が虫のように全身を駆け抜ける
私は頭の中にあった教則本の練習曲を弾く
F# - B - C#-D#m
こんな感じでいいのだろうか
繰り返すとチェロが加わった
3人の視線が私の背中を押す
私はネックの付け根あたりを押さえ、高音をピロピロと鳴らす
これもネットで観た動画の真似事だ
それなのに客席から感嘆の声が上がる
ソロってこんな感じなのか?
ソロを終え、再び単純なコードを弾く
次はチェロのソロだ
左右で違う音が出るように、主役が交代していくような演奏は言葉にしがたい
互いを罵るかのように、激しく、そして滑らかに音が突き抜ける
スイッチの切り替えのように何のためらいもなく変化していく
そして最後にカホンのソロ
指先から手の平まで。変幻自在な音の礫が散っていく
もっと交わりたいのに。私にはこれ以上の引き出しがなかった
チェロの二人がしっかりと盛り上がりを作り、綺麗に終わった
私達は立ち上がり客席にお辞儀をし、互いに握手を交わした
客席の拍手の渦の中、私は席へと戻った
「よかったじゃん」
鶴美さんの隣に二人の女性がいた
演奏中に来店したのだろう
「こいつは夏海(ナツミ)」
ボーイッシュな髪型をした女性は頷く
「どうも」
「で、その隣が明魅(アケミ)」
背が低く可愛げのある顔の女性だ
「今日は子守ありがとうね」
「誰が子守だ」
「違うの?
すぐどっかに行っちゃうのに」
「それは二人でしょ」
「私は日陰探しているだけ
目立ちたくないし」
「私もSNS用に撮影しているけだだからね」
「なら戻って来い」
「「道が覚えられない」」
「馬鹿かこいつら」
鶴美は荷物を持つ
「今日はありがとう
久し振りに面白かった」
「あの、皆さんはバンドやっているのですか」
「そうだけど」
「へぇ凄い」
「せっかくならライブに来てほしいけど
東京だからね」
「これから東京なんですか!」
「そうだよー
下北沢来る?自腹だけど」
「私東京なんか数えるくらいしか行ったことない」
「まぁ私達も月に1回か2回くらいしか行かないけど」
「飛行機代馬鹿にならないじゃないですか」
「それは大丈夫。事務所が持っているから」
三人は揃って出口に向かう
「じゃあまたどこかで」
「さようなら」
「あ、そうだ
潮風はギターに悪いから気を付けたほうがいいよ」
私は急に自分のギターが心配になった
「大丈夫だよね」
もう二度と海の前では弾かないと心に誓った
その後、30分くらいはお店の中にいた
会計はギャラの代わりだと言って、支払うことなくご馳走になった
海開きまでに来よう
私はギグバッグを背負い、家へ帰った
◇
鶴美は東京行きの飛行機の中でこれからの予定を振り返った
午後4時に羽田空港に到着
午後6時から下北沢でライブ
ホテルで一泊して、明日の朝8時からレコーディング
昼から事務所に移動してツアーの打ち合わせ
そのままミュージックビデオの撮影
夕方の飛行機に乗って大分に戻り、明後日は学校に行く
隣に座る二人は呑気に眠っているが、タイトなスケジュールで立ち止まることも許されない。プレッシャーに押し潰されそうになる
それにしても今日出会ったあの子は筋が良かった
少し意地悪をしてしまったが、これで音楽の道に進んでくれたら嬉しい
考え事をしていたら眠くなってきた
私は静かに目を閉じた
◇
八子は帰る途中、電車の中でスマホを見る
上野ヶ丘音楽高等学校のホームページだ
やはり受験には、高度な知識が必要なようだ
今の中学はエレベーター方式で大学まで繋がっている
落ちて路頭に迷う心配がないのならここで冒険してもいいのではないだろうか
とりあえずパンフレットを取り寄せた
四十九日を過ぎていないのに立て続けに人が死ぬとは
死者に連れ去られたと迷信めいたことを言う参列者も
私は喪主の父の隣で静かに正座をした
2回目の葬式は慣れてしまって、僧侶の唱える念仏もBGMのように心地良く聴こえる
亡くなったのは母方の祖父母だ
祖父母は二十年以上前に交通事故に遭った。仲良く夫婦で旅行に行ったらしい。崖沿いの道を走る最中、落石で車がペチャンコになったのだ
落石注意の看板はたまに見掛けるが本当に落ちてくるのだ
幸いにして、いや不幸にして、二人は命だけは助かった
全身が崩れ、顔がひしゃげ、まるでモールス信号のような息を吐く二人を私は人として思えなかった
初めは心配する人も多かったのだが、もはや快復する見込みのない人に掛けられる言葉は
「早く死ねばいいのに」だ
私も両親が介護する都合で引っ越しすることになってからそう思った
忘れもしない小学六年生の夏休み
そこそこ裕福な家の娘のアミちゃん
彼女が小一から続く親友であった
アミちゃんは学年の中心的な人物だ
なのでアミちゃんの親友である私は自然と格上げされ、この年頃にしては珍しく、男女共に仲良くしていた
私は放課後になるとアミちゃんの家へ遊びに行った
二人で遊ぶだけ(時には四、五人)であったが、いつも母親はケーキを出してくれた
ただ、私も罪悪感がある
休みの日は児童館へ、アミちゃんの家へ行かないよう心掛けていた
その日は児童館が閉館していた
「空調設備故障のため閉館」
と張り紙が貼られ、およそ一ヶ月は使えなくなった
私とアミちゃんは顔を見合わせ、途方に暮れた
仕方がない
私はアミちゃんの家へお邪魔することした
家へ着くと玄関には女物のお洒落な靴が並んでいた
「お邪魔しまーす」
私はアミちゃんに続いて入った
リビングで談笑する大人達の声
「そうそうこないだの奉仕会で北谷さん送ったんだけど」
「旦那さん?」
「奥さんの方
家ね凄い臭いがしたの
ほらキャンプ場のトイレみたいな」
「仕方ないでしょ
寝たきりの両親を介護しているのだから」
「でもさそれにしては図々しいわよね
私思ったの
奥さん精神病んでいて車が運転できないのは分かるけどさ
毎回毎回、旦那さんじゃなくて私にお願いしてさ」
「そうね」
「田辺さんも家によく来るんでしょ
北谷さんの娘さん」
「アミちゃんと仲良くしているからね」
「違うわよ
集りに来たのよ
親子揃って図々しいわよね」
「そんなことないわよ」
私は足が止まった
アミちゃんは振り返り、首を傾げた
「どうしたの?」
「ごめん急用思い出した」
私はドタドタと廊下を駆け抜け、玄関から外へ飛び出した
靴が上手く履けなかった。盛大に転んだ
靴を履き直し、全速力で走った
これじゃあ私は図々しい女だと告白しているようなものだ
私は後悔した
後悔、先に立たず
あの一件以来、私はアミちゃんと話をしていない
話そうとも話せない
なぜか緊張してしまう
お互い同じ気持だったのだろう
アミちゃんは中学生になっても陽の中で、私は孤立して影の中に閉じ籠もった
もしも祖父母が芋虫にならなければ、私はアミちゃんの親友でいられたでしょう
葬式はいつの間にか終わった
祖父母の財産は介護に溶けて遺産もなにもない
会食があるのに、参列者の殆どは待たずして帰る
人がいなくなると、寂しいものだ
およそ50人しか入らない部屋はより窮屈に感じる
◇
両親が介護で忙しくなると、家族の時間は少なくなるものだ
私は毎月1日、五万円の入った封筒を受け取る
これで生活しろということだ
だが、1日の大半を学校で過ごす者としては余裕で、それなりのお小遣いになる
朝夕をレトルトカレーと冷凍食品のおかずにすればそれなりに貯まる
私は暇を持て余していた
休日は特にそうだ
そこでエレキギターを購入した
まだ祖父母が存命の頃で、静かに楽しめる楽器として、キーボードとエレキギターを候補にした
ベースは候補になかったのか?
と思うかもしれないが、当時の私の知識ではベースはリズム楽器、ギターはメロディを奏でる楽器と思っていた
曲を弾く達成感を得られるのなら、キーボードとエレキギターだ
結果としてエレキギターを選んだのは、数字でどこで押さえればいいのか分かるからだ。五線譜の記号を読解できる自信はない
アマゾンで二万円のエレキギターを買って届いた時はそれはとても嬉しかった
しかし、値段相応である
ネックは数学教師が持っているものさしのようで、ピックガードは毛羽立っていてなぜかフサフサしている
早くも二本目のギターが欲しいと願った
だが、音は素人ながら良いものだと思った
中学二年生になって、放課後はギターを弾く日常が始まった
◇
ギターを練習する以外は、ギターの試奏動画を眺める
それが日常になっていた
次はこれにしようかと物思いに耽るのが楽しい
初心者セットを購入して最初の冬
どことなくセミアコが気になっていた
セミアコとは、エレキギターのボディの一部が空洞なものだ。全てが空洞なのがセミアコ。アコギをアンプに繋げられるエレアコなど。仲間は多く、興味がなければ見分けが難しい。メーカーによってはセミアコなのにセミアコではない名称を付けているものがある
私はセミアコの音の柔らかさ、温かさに惹かれていた
特にディアンジェリコというメーカーは格別だ
だが、価格は20万円以上
買えないことはないが、1年過ぎたらエフェクターを組みたい
購入資金を減らすのは避けたいところだ
悩みに悩み、一週間が経った
終業式になり、課題が配られ、半ば寒さのせいで憂鬱な私は家に帰るとベットに倒れた
そして、スマホを開く
いつも見る楽器販売のサイトに
「クリスマスセール」
の文字が輝いている
まぁどうせ大したものはないのだろうと思い、特集ページを開いた
すると、ディアンジェリコのセミアコが何点か出品されていた
「送料無料で八万八千円!!!」
私は思わず声に出した
セール対象品の違いがよく分からず、私はなんとなく柄が好きなものを買った
くすんだ青色に錆のようなペイントが施されている
まるで何年も使い、捨てられたようなデザインがかっこよかった
クリスマスセールといいつつも、届いたのは冬休み明けで。玄関にぽつりと置かれていた
自室に担ぎ込み、早速段ボールを開く
中には薄っぺらいギグバッグが。ここで少しショックを感じた
鍵付きのハードケースを期待していた
よほど高いものではないとハードケースではないようだ
中を開けると綺麗なセミアコがお見えになった
優しく表面に触れる
「あれ?」
保護用のシートを剥がすのが気持ちがいいと。ユーチューブで見た動画でギタリストが語っていたが。これは付いていないのか
後で調べてわかったことだが、これは店頭展示品を売ったらしい
御茶ノ水、神戸、札幌、そして私の住む由布市にやって来た
◇
祖父の葬儀の後
忌引で5日も休みをもらえた
そのうちの3日は忙しかったが、残りの2日は予定もなかった
私はギターを持ち海へ向かった
3月の大分の海水浴場は「遊泳禁止」の看板も意味もなく、水浴びをする人が何人かいた
私は砂浜に腰を下ろし、ギターを用意した
最近よく聴くニルヴァーナの「Lithium」を弾く
「僕は幸せさ」と歌う歌詞に、退廃的で気怠げな曲調が相まって、ラリっているかのようだ
私はどうも日常を描いたワンルームミュージックは苦手だ
彼氏と連絡が付かない。好きな人に送ったメッセージが既読にならない。仕事は辛いけど明日はきっといい日になる
社会の上澄みだけを飲んで生きている人間の作った曲に、淀みの中に生きる私は理解はできても共感ができない
曲が終わるとアンプに繋げたスマホを操作する
MIYAVI、ニッキー・ロメロ、セツナブルースター
購入しダウンロードした曲を眺めるが、いまいち今の気分と噛み合わない
そろそろ小腹も空いたところだし、一旦、食事にでもするか
私は片付けをし、ギグバッグを背負うと、カフェテリアに向かった
「いらっしゃいませ
空いている席にどうぞ」
私が入店すると、中からチェロの音色が聴こえてくる
「映画インセプションのMombasa」
私は曲名を呟いた
かなり印象的な劇伴曲だ
チェロとカホンの編成のため、原曲とは異なった雰囲気を醸し出している
より緊張感が際立ってよい
私はカウンター席に座ると、カプチーノとマルゲリータピザを頼んだ
「ノーラン監督好きなの?」
一つ席を飛ばして右隣に座る女性が話し掛けてくる
「えぇ。作品のアイディは秀逸ですが
押井守監督の「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」で実現されていて
ノーラン監督はご存知ないかもしれませんが
日本人がハリウッドよりも先に前衛的なアイディアを出したことはもっと称えられるべきではないでしょうか」
「なるほどデジャヴを感じた理由はそれか」
「ちなみに劇伴ならTENETの「SATOR」が好きです」
「面白い子だ」
女性は手を差し出す
「東雲鶴美(しののめつるみ)
上野ヶ丘音楽高等学校1年」
「はじめまして北谷八子(キタタニヨウコ)
大分大学附属中学の二年生です」
私は鶴美さんと握手を交わした
「ここは音楽喫茶なんですか」
「まさか
海開きまでの期間、地元の有志がライブハウスの代わりに使っているだけだよ」
「そうなんですね」
よく見ると鶴美の隣にハードケースが置いてあった。これからどこか旅行に行くのだろうか。キャリーケースにリュックとかなりの大荷物だ
演奏が終わり、拍手が起こる
女性店員は鶴美に声を掛ける
「鶴美ちゃん
次なにか弾いてくれる?」
「私はすいません
成り行きで演奏をするのは嫌いで」
「そうよね
ごめんなさい」
「隣の彼女なら弾いてくれそうですよ」
鶴美さんは私にウィンクをする
弾けと言われても人前で演奏するのは初めてだ
「やったことないです・・・」
「別に下手でも構わない」
「じゃあ」
私は周囲の視線に怖気づきながらステージに立った
とりあえずギターをアンプに繋いでチューニングをする
カホンを叩く男性は言う
「基本的なリズムで叩くから
大縄跳びのイメージで
飛べるタイミングで弾いて」
「分かりました」
「君が自由に弾いて
飛べそうなところでソロを」
カホンのカウントが始まる
メトロノームとは違う生音だ
緊張が虫のように全身を駆け抜ける
私は頭の中にあった教則本の練習曲を弾く
F# - B - C#-D#m
こんな感じでいいのだろうか
繰り返すとチェロが加わった
3人の視線が私の背中を押す
私はネックの付け根あたりを押さえ、高音をピロピロと鳴らす
これもネットで観た動画の真似事だ
それなのに客席から感嘆の声が上がる
ソロってこんな感じなのか?
ソロを終え、再び単純なコードを弾く
次はチェロのソロだ
左右で違う音が出るように、主役が交代していくような演奏は言葉にしがたい
互いを罵るかのように、激しく、そして滑らかに音が突き抜ける
スイッチの切り替えのように何のためらいもなく変化していく
そして最後にカホンのソロ
指先から手の平まで。変幻自在な音の礫が散っていく
もっと交わりたいのに。私にはこれ以上の引き出しがなかった
チェロの二人がしっかりと盛り上がりを作り、綺麗に終わった
私達は立ち上がり客席にお辞儀をし、互いに握手を交わした
客席の拍手の渦の中、私は席へと戻った
「よかったじゃん」
鶴美さんの隣に二人の女性がいた
演奏中に来店したのだろう
「こいつは夏海(ナツミ)」
ボーイッシュな髪型をした女性は頷く
「どうも」
「で、その隣が明魅(アケミ)」
背が低く可愛げのある顔の女性だ
「今日は子守ありがとうね」
「誰が子守だ」
「違うの?
すぐどっかに行っちゃうのに」
「それは二人でしょ」
「私は日陰探しているだけ
目立ちたくないし」
「私もSNS用に撮影しているけだだからね」
「なら戻って来い」
「「道が覚えられない」」
「馬鹿かこいつら」
鶴美は荷物を持つ
「今日はありがとう
久し振りに面白かった」
「あの、皆さんはバンドやっているのですか」
「そうだけど」
「へぇ凄い」
「せっかくならライブに来てほしいけど
東京だからね」
「これから東京なんですか!」
「そうだよー
下北沢来る?自腹だけど」
「私東京なんか数えるくらいしか行ったことない」
「まぁ私達も月に1回か2回くらいしか行かないけど」
「飛行機代馬鹿にならないじゃないですか」
「それは大丈夫。事務所が持っているから」
三人は揃って出口に向かう
「じゃあまたどこかで」
「さようなら」
「あ、そうだ
潮風はギターに悪いから気を付けたほうがいいよ」
私は急に自分のギターが心配になった
「大丈夫だよね」
もう二度と海の前では弾かないと心に誓った
その後、30分くらいはお店の中にいた
会計はギャラの代わりだと言って、支払うことなくご馳走になった
海開きまでに来よう
私はギグバッグを背負い、家へ帰った
◇
鶴美は東京行きの飛行機の中でこれからの予定を振り返った
午後4時に羽田空港に到着
午後6時から下北沢でライブ
ホテルで一泊して、明日の朝8時からレコーディング
昼から事務所に移動してツアーの打ち合わせ
そのままミュージックビデオの撮影
夕方の飛行機に乗って大分に戻り、明後日は学校に行く
隣に座る二人は呑気に眠っているが、タイトなスケジュールで立ち止まることも許されない。プレッシャーに押し潰されそうになる
それにしても今日出会ったあの子は筋が良かった
少し意地悪をしてしまったが、これで音楽の道に進んでくれたら嬉しい
考え事をしていたら眠くなってきた
私は静かに目を閉じた
◇
八子は帰る途中、電車の中でスマホを見る
上野ヶ丘音楽高等学校のホームページだ
やはり受験には、高度な知識が必要なようだ
今の中学はエレベーター方式で大学まで繋がっている
落ちて路頭に迷う心配がないのならここで冒険してもいいのではないだろうか
とりあえずパンフレットを取り寄せた


