細谷に抱えられたまま、俺は保健室のグランドに面した出入り口から中へ運び込まれ、そしてベッドに寝かされた。
「あれ? アオバ先生は?」
「宮崎先生は身重だから、この暑さで具合が悪くなられたらいけないから、救護は主に僕をはじめとする保健委員が請け負っている」
「あ、そうなん……いってぇ!」
不意に触れられた腕が痛くて悲鳴をあげたら、細谷はバタバタとどこかへ駆けて行き、そしてすぐに戻って来た。手には保冷材の大きなものが握られている。
保冷材はすぐさま俺がさっき触られて悲鳴を上げた場所に宛がわれ、じんわりと患部を冷やしていく。熱を持っていたのか、じんわりと冷たさが心地いい。
あまりの心地よさにほっと息をはくと、向かい合っておれの腕に保冷剤を宛がってくれている細谷と眼が合った。何か言いたげな目は、怒っているようにすら見える。
「……何でにらむんだよ。そんなに俺がケガしたのが迷惑ってわけ?」
「そうじゃない。ただ……君があの場にいるなんて思ってもいなくて……悪い事をしたな、と」
「悪いこと? もしかして、俺がケガしたから?」
にらんでいるくせに、まるで自分に非があるみたいな言い方をしてくる、細谷の裏腹な態度に眉をひそめて問うてみたけれど、細谷はふいっと顔を反らしてしまう。まるでさっきの騎馬戦で俺から逃げていったみたいに。何が言いたいんだこいつは。
「それしかないだろう。君にあんなことを言ったから、怒ってて、保健室にも来なかったんだろう?」
「それは……」
「保健室に入りびたっていた君が、あの日を境にぱったりと来なくなって……それはもう僕のせいでしかない、非があるのも僕だ」
細谷はそう言いながらぎゅっと俺の腕を保冷剤ごと握りしめうつむく。その伏せた目を縁取る長い睫毛は悲しみに震えているようにも見えて、俺の胸は音を立てて締め付けられる。
本当に、非があるのは細谷なんだろうか。それで言えば俺の方がもっと悪者じゃないだろうか。アオバ先生からの冗談を真に受けて、細谷とのことを浮かれてヘンに期待してしまったんだから。
(でもそれを、ただ単に、“ごめん”だけで済ませていいのか、わからない。だって絶対すごく傷つけてるから)
ごめん、あの時は言いすぎた――そう、素直に言うだけで済むのであれば、出来るのであれば、きっとあの時俺はあんなことを言いはしなかっただろうし、細谷が罪悪感をこんなに覚えることはない。
それだけじゃなくて、何かがもっと違っていた気さえする。例えば、俺と細谷の出会い方とかだって。
(だけどそれはきっと、俺がいま細谷に対していだいているような気持ちには、ならなかったかもしれないよね)
サボり魔とクソ真面目保健委員の最悪な出会い方をして、いがみ合いつつもお互いに保健室という場所が必要なことをなんとなく察して、距離を段々縮めていって、そしてまたぶつかって。そうしてやっとまた向き合って気付くような、そんなめんどくさい手順を踏まないと気付かないような気持ちは、きっとこういう展開をしないと生まれなかったのだろう。
これをひっくるめて混ぜこぜにして、細谷にわかるように伝えるにはどうしたらいいんだろう。どうすれば一番間違いなく届くのか。それはもう答えがわかりきっている気がする。
俺が彼を好きだと自覚してしまった時から、それはもうわかりきっていたんだ。わかりきっているけれど、伝えるのが死ぬほど恥ずかしい気持ちばかりが先に立って、事態がややこしくなった。
でももうこれ以上混ぜたり絡めたりする必要はない。そんな事したって、余計に事態はややこしくなるだけだから。
「……あんたは、べつに悪かないよ」
「そうは言っても、僕は君をやっぱり何か傷つけるような事をしたんじゃないかって気が気じゃなくて……。どう謝ろう、どう声をかけようと悩んでいる内に今日になっていて……そうしたら君が、目の前でケガをした。これで冷静になれなんて無理に決まってる」
「細谷……なんで? って聞いてもいい?」
保冷剤が、じんわりと細谷の手のひらの熱を吸ってやわらかくなっていく。まるでじんわりと心ごと細谷に溶かされているようで、あんなに張り詰めながら沈んでいた心がゆるゆるとほぐれていく。
雪解けのように凝り固まっていた何かが解けて、頬を伝っていく。それを細谷がもう片方の手の指で掬い、答えた。
「どうやら僕は……君に、小野田律に恋をしているらしい」
「え……」
「僕は君が好きだ。冷静さも公正さも投げ捨ててしまいたくなるくらいに」
俺も、あんたが好きだ――と返すより先に、その言葉ごと細谷に吸い上げられていくように唇が重なっていた。ここが学校の保健室で、カーテンはしてあるけれどその向こうにはみんながいて、体育祭が行われている最中だ。
それなのに、そのすべての音が一瞬消えた。俺らを囲うようにあったはずの音も、景色もすべてが白く消し飛んでしまった――気がするくらい、細谷とのキスは衝撃的だった。
熱く乾いた唇は、思っていたよりもやわらかで、触れていると溶けてしまいそうだった。触れている時間はきっと数秒程度だったはずなのに、永遠に感じられたほどだ。
そっと細谷が数センチ離れて見つめ合った途端に、するりと保冷剤が滑り落ち、落ちた音と共にごうっとなだれ込むように首位の音も戻ってきた。それで我に返ったら、心臓がいつになく暴れまくっている。
思わず胸元を抑えていると、また細谷が近づいてきてそっと俺の唇に触れた。
「君は?」
「……え?」
「君は、僕をどう思っているか聞いていいか、小野田律」
「俺は……」
心臓が割れそうに痛いし暴れている。呼吸が、キスのせいで尋常でなく速くて、言葉が出てくるかわからないほどドキドキしている。
でも、想いのボールはいま細谷からちゃんと受け取ったのだから、今度は俺が返す番だ。今度こそ照れなんて捨てて、ちゃんと真っ直ぐに、彼と向き合うんだ。
「俺は……俺は、あんたが……細谷湊人が、好きだ。大好きな保健室でずっと一緒にいたいくらい、大事で、大好きだ」
「小野田……」
またしてもフルネームで俺を呼ぼうとしかけた唇を、今度は俺が重ねて塞ぐ。「りつ」の形になりかけていた唇は半開きで、なんだか可愛らしい。
そっと離れて見つめ合うと、瞬く間に赤く染まっていく細谷の顔があり、その切れ長の目の奥には、同じようにぎこちない顔で固まっている俺が映し出されて笑っている。
「……律、って呼んでよ、湊人」
やっと、正面から見つめ合えた。やっとまっすぐに想いを伝えられた――その喜びで胸がいっぱいになっていき、感情が目からあふれだしてしまう。嬉しくて泣いてしまうことがこんなに心地よいなんて知らなかった。想いがあふれて目の前の相手を強く抱きしめてしまうなんてことも。
そんな制御不能になっている俺の背にそっと細谷の腕が絡まり、強く抱き返された。
「好きだ、律」
「好きだよ、湊人」
「保健室でも、どこでも、一緒にいよう」
うなずく代わりに口付けで返す方が早いから、俺はすぐさままたキスをする。細谷は困ったように顔をしかめていたけれど、苦笑しながら受け止めて抱きしめ続けてくれる。
白く小さな保健室のベッドの上で、俺は誰よりも安心できる人と想いを告げ合えた。外から聞こえる歓声はまるで俺たちまでも祝福してくれているようで、二人見つめ合って何度でもキスをしていた。
***
体育祭の出来事を機に、俺はかなりクラスメイトに心配をされていたらしく、教室に戻るとみんなが駆け寄ってきて俺の体の調子を尋ねてきたほどだ。
結果として、腕を強く打ってちょっと腫れたのと、かすり傷がいくつかという程度で、そのすべてを細谷に手当てしてもらった。
その報告を(細谷の件は伏せるとして)すると、みんなはあからさまにホッとし、女子の中には涙目の子もいたほどだ。
「よかったー! 本当に大きなケガじゃなくて!」
そう言って半泣きで喜んでくれたのは、騎馬戦に出ると決めた時に話をした女子だった。どうやら自分が説明したことで俺が出ると決めてしまい、それが落下事故の原因になったとまで考えてしまったらしく、かなり責任を感じていたようだ。
「ごめん、心配かけて。でもだいじょうぶだから」
「ううん、私こそ無責任なこと言っちゃって……」
うな垂れてしょ気る彼女は気の毒なくらい落ち込んでいたけれど、俺が「もう本当に大丈夫だから」と、ケガをしていない方の腕で力こぶを作るようなポーズをすると、ようやく笑ってくれた。
怪我の功名、というわけじゃないけれど、文字通りこのケガをきっかけに俺はクラスメイトと話す機会が増え、体育祭の後も少しずつ言葉を交わすようになっている。
だからなのか、保健室にサボりに行く、というのはかなり、いや、もうほとんどない。
じゃあもう保健室には行かなくなったのかというと――――
「ごめーん、遅くなった! 掃除が終わらなくってさぁ」
「遅い。約束の3分遅刻だ」
「3分くらい、いいじゃん! 誤差の範囲だよ!」
駆け込むようにして保健室の引き戸を開けると、相変わらずクソ真面目な保健委員の細谷と、見慣れないやさしげな雰囲気の女の人が立っていた。俺と細谷のやり取りを、その人はくすくすと微笑みながら見つめている。
「熊谷先生にお時間を取ってもらってるんだ。遅刻は厳禁だろう、律」
「……わかってるよぉ」
「すみません、熊谷先生。いま来たのが、僕の手伝いをしてくれている準保健委員の小野田律です」
よろしくお願いします、と俺が姿勢を正して礼をすると、熊谷先生はにっこりと微笑んで、「よろしくね、小野田くん」と言ってくれた。
体育祭から数週間後、アオバ先生が産休に入り、明日から熊谷先生が代理でやってくることになっている。今日はその顔合わせで、その場に俺も「準保健委員」なんて肩書きをもらって同席させてもらっているのだ。
先生との顔合わせは10分ぐらいで終わり、先生を玄関まで見送りに行って顔合わせは終わった。
保健室の鍵を職員室に返し、細谷と学年玄関に向かいながら、俺は気になっていたことを聞いてみる。
「ねえ、なんでわざわざ俺を“準保健委員”なんて言って同席させたの? べつに、休み時間とかに顔合わせた時に紹介でよくない?」
すると細谷はついっとメガネを指先で上げ、そしてふいっと顔を背けて独り言のように呟いた。
「そんな、もののついでのように僕のパートナーを紹介したくないからな。律にはいまだけでなく、この先もずっと僕の隣にいてもらいたいから」
言いながら細谷の身もの端が真っ赤になっていく。でもそれを聞きながら、見つめながら、俺の頬も耳も同じように赤く染まっていくのがわかる。
え、何これ……なんか、プロポーズみたいじゃんか……!! そう、叫んで細谷の肩をバーンと叩きたくなるほど嬉しかったんだけれど、ここは学校だ。
だから俺はそっと細谷の手を握りしめて尋ねてみる。
「俺にとっての湊人も、同じって思っててもいい?」
つないだ手が真っ赤に熱くなっていく。それがもう答えなようなものだけれど、クソ真面目な保健委員はきちっとこちらを向いて答えてくれた。
「もちろん、そのつもりでいて欲しい」
まっすぐに見つめ合ってかわす言葉に込められた熱は本物で、かつていつわりの微熱で居場所を求めていた頃よりもうんと熱い。
ありがとうや嬉しいよりもまっすぐに、俺と細谷は見つめ合い、西日の射し込む学年玄関の前でそっと見つめ合い笑い合う。
いつか細谷も俺も、学校も保健室も卒業していく。居場所は永遠に同じ場所であり続けるとは限らないから。
でも――
「俺の居場所は、湊人の隣だよ」
「僕の居場所も、律の隣だ」
永遠に、そうでありますように。願うように、誓うように、俺らは誰もいない玄関の陰で口付けを交わし、指先を絡めた。
(終わり)
「あれ? アオバ先生は?」
「宮崎先生は身重だから、この暑さで具合が悪くなられたらいけないから、救護は主に僕をはじめとする保健委員が請け負っている」
「あ、そうなん……いってぇ!」
不意に触れられた腕が痛くて悲鳴をあげたら、細谷はバタバタとどこかへ駆けて行き、そしてすぐに戻って来た。手には保冷材の大きなものが握られている。
保冷材はすぐさま俺がさっき触られて悲鳴を上げた場所に宛がわれ、じんわりと患部を冷やしていく。熱を持っていたのか、じんわりと冷たさが心地いい。
あまりの心地よさにほっと息をはくと、向かい合っておれの腕に保冷剤を宛がってくれている細谷と眼が合った。何か言いたげな目は、怒っているようにすら見える。
「……何でにらむんだよ。そんなに俺がケガしたのが迷惑ってわけ?」
「そうじゃない。ただ……君があの場にいるなんて思ってもいなくて……悪い事をしたな、と」
「悪いこと? もしかして、俺がケガしたから?」
にらんでいるくせに、まるで自分に非があるみたいな言い方をしてくる、細谷の裏腹な態度に眉をひそめて問うてみたけれど、細谷はふいっと顔を反らしてしまう。まるでさっきの騎馬戦で俺から逃げていったみたいに。何が言いたいんだこいつは。
「それしかないだろう。君にあんなことを言ったから、怒ってて、保健室にも来なかったんだろう?」
「それは……」
「保健室に入りびたっていた君が、あの日を境にぱったりと来なくなって……それはもう僕のせいでしかない、非があるのも僕だ」
細谷はそう言いながらぎゅっと俺の腕を保冷剤ごと握りしめうつむく。その伏せた目を縁取る長い睫毛は悲しみに震えているようにも見えて、俺の胸は音を立てて締め付けられる。
本当に、非があるのは細谷なんだろうか。それで言えば俺の方がもっと悪者じゃないだろうか。アオバ先生からの冗談を真に受けて、細谷とのことを浮かれてヘンに期待してしまったんだから。
(でもそれを、ただ単に、“ごめん”だけで済ませていいのか、わからない。だって絶対すごく傷つけてるから)
ごめん、あの時は言いすぎた――そう、素直に言うだけで済むのであれば、出来るのであれば、きっとあの時俺はあんなことを言いはしなかっただろうし、細谷が罪悪感をこんなに覚えることはない。
それだけじゃなくて、何かがもっと違っていた気さえする。例えば、俺と細谷の出会い方とかだって。
(だけどそれはきっと、俺がいま細谷に対していだいているような気持ちには、ならなかったかもしれないよね)
サボり魔とクソ真面目保健委員の最悪な出会い方をして、いがみ合いつつもお互いに保健室という場所が必要なことをなんとなく察して、距離を段々縮めていって、そしてまたぶつかって。そうしてやっとまた向き合って気付くような、そんなめんどくさい手順を踏まないと気付かないような気持ちは、きっとこういう展開をしないと生まれなかったのだろう。
これをひっくるめて混ぜこぜにして、細谷にわかるように伝えるにはどうしたらいいんだろう。どうすれば一番間違いなく届くのか。それはもう答えがわかりきっている気がする。
俺が彼を好きだと自覚してしまった時から、それはもうわかりきっていたんだ。わかりきっているけれど、伝えるのが死ぬほど恥ずかしい気持ちばかりが先に立って、事態がややこしくなった。
でももうこれ以上混ぜたり絡めたりする必要はない。そんな事したって、余計に事態はややこしくなるだけだから。
「……あんたは、べつに悪かないよ」
「そうは言っても、僕は君をやっぱり何か傷つけるような事をしたんじゃないかって気が気じゃなくて……。どう謝ろう、どう声をかけようと悩んでいる内に今日になっていて……そうしたら君が、目の前でケガをした。これで冷静になれなんて無理に決まってる」
「細谷……なんで? って聞いてもいい?」
保冷剤が、じんわりと細谷の手のひらの熱を吸ってやわらかくなっていく。まるでじんわりと心ごと細谷に溶かされているようで、あんなに張り詰めながら沈んでいた心がゆるゆるとほぐれていく。
雪解けのように凝り固まっていた何かが解けて、頬を伝っていく。それを細谷がもう片方の手の指で掬い、答えた。
「どうやら僕は……君に、小野田律に恋をしているらしい」
「え……」
「僕は君が好きだ。冷静さも公正さも投げ捨ててしまいたくなるくらいに」
俺も、あんたが好きだ――と返すより先に、その言葉ごと細谷に吸い上げられていくように唇が重なっていた。ここが学校の保健室で、カーテンはしてあるけれどその向こうにはみんながいて、体育祭が行われている最中だ。
それなのに、そのすべての音が一瞬消えた。俺らを囲うようにあったはずの音も、景色もすべてが白く消し飛んでしまった――気がするくらい、細谷とのキスは衝撃的だった。
熱く乾いた唇は、思っていたよりもやわらかで、触れていると溶けてしまいそうだった。触れている時間はきっと数秒程度だったはずなのに、永遠に感じられたほどだ。
そっと細谷が数センチ離れて見つめ合った途端に、するりと保冷剤が滑り落ち、落ちた音と共にごうっとなだれ込むように首位の音も戻ってきた。それで我に返ったら、心臓がいつになく暴れまくっている。
思わず胸元を抑えていると、また細谷が近づいてきてそっと俺の唇に触れた。
「君は?」
「……え?」
「君は、僕をどう思っているか聞いていいか、小野田律」
「俺は……」
心臓が割れそうに痛いし暴れている。呼吸が、キスのせいで尋常でなく速くて、言葉が出てくるかわからないほどドキドキしている。
でも、想いのボールはいま細谷からちゃんと受け取ったのだから、今度は俺が返す番だ。今度こそ照れなんて捨てて、ちゃんと真っ直ぐに、彼と向き合うんだ。
「俺は……俺は、あんたが……細谷湊人が、好きだ。大好きな保健室でずっと一緒にいたいくらい、大事で、大好きだ」
「小野田……」
またしてもフルネームで俺を呼ぼうとしかけた唇を、今度は俺が重ねて塞ぐ。「りつ」の形になりかけていた唇は半開きで、なんだか可愛らしい。
そっと離れて見つめ合うと、瞬く間に赤く染まっていく細谷の顔があり、その切れ長の目の奥には、同じようにぎこちない顔で固まっている俺が映し出されて笑っている。
「……律、って呼んでよ、湊人」
やっと、正面から見つめ合えた。やっとまっすぐに想いを伝えられた――その喜びで胸がいっぱいになっていき、感情が目からあふれだしてしまう。嬉しくて泣いてしまうことがこんなに心地よいなんて知らなかった。想いがあふれて目の前の相手を強く抱きしめてしまうなんてことも。
そんな制御不能になっている俺の背にそっと細谷の腕が絡まり、強く抱き返された。
「好きだ、律」
「好きだよ、湊人」
「保健室でも、どこでも、一緒にいよう」
うなずく代わりに口付けで返す方が早いから、俺はすぐさままたキスをする。細谷は困ったように顔をしかめていたけれど、苦笑しながら受け止めて抱きしめ続けてくれる。
白く小さな保健室のベッドの上で、俺は誰よりも安心できる人と想いを告げ合えた。外から聞こえる歓声はまるで俺たちまでも祝福してくれているようで、二人見つめ合って何度でもキスをしていた。
***
体育祭の出来事を機に、俺はかなりクラスメイトに心配をされていたらしく、教室に戻るとみんなが駆け寄ってきて俺の体の調子を尋ねてきたほどだ。
結果として、腕を強く打ってちょっと腫れたのと、かすり傷がいくつかという程度で、そのすべてを細谷に手当てしてもらった。
その報告を(細谷の件は伏せるとして)すると、みんなはあからさまにホッとし、女子の中には涙目の子もいたほどだ。
「よかったー! 本当に大きなケガじゃなくて!」
そう言って半泣きで喜んでくれたのは、騎馬戦に出ると決めた時に話をした女子だった。どうやら自分が説明したことで俺が出ると決めてしまい、それが落下事故の原因になったとまで考えてしまったらしく、かなり責任を感じていたようだ。
「ごめん、心配かけて。でもだいじょうぶだから」
「ううん、私こそ無責任なこと言っちゃって……」
うな垂れてしょ気る彼女は気の毒なくらい落ち込んでいたけれど、俺が「もう本当に大丈夫だから」と、ケガをしていない方の腕で力こぶを作るようなポーズをすると、ようやく笑ってくれた。
怪我の功名、というわけじゃないけれど、文字通りこのケガをきっかけに俺はクラスメイトと話す機会が増え、体育祭の後も少しずつ言葉を交わすようになっている。
だからなのか、保健室にサボりに行く、というのはかなり、いや、もうほとんどない。
じゃあもう保健室には行かなくなったのかというと――――
「ごめーん、遅くなった! 掃除が終わらなくってさぁ」
「遅い。約束の3分遅刻だ」
「3分くらい、いいじゃん! 誤差の範囲だよ!」
駆け込むようにして保健室の引き戸を開けると、相変わらずクソ真面目な保健委員の細谷と、見慣れないやさしげな雰囲気の女の人が立っていた。俺と細谷のやり取りを、その人はくすくすと微笑みながら見つめている。
「熊谷先生にお時間を取ってもらってるんだ。遅刻は厳禁だろう、律」
「……わかってるよぉ」
「すみません、熊谷先生。いま来たのが、僕の手伝いをしてくれている準保健委員の小野田律です」
よろしくお願いします、と俺が姿勢を正して礼をすると、熊谷先生はにっこりと微笑んで、「よろしくね、小野田くん」と言ってくれた。
体育祭から数週間後、アオバ先生が産休に入り、明日から熊谷先生が代理でやってくることになっている。今日はその顔合わせで、その場に俺も「準保健委員」なんて肩書きをもらって同席させてもらっているのだ。
先生との顔合わせは10分ぐらいで終わり、先生を玄関まで見送りに行って顔合わせは終わった。
保健室の鍵を職員室に返し、細谷と学年玄関に向かいながら、俺は気になっていたことを聞いてみる。
「ねえ、なんでわざわざ俺を“準保健委員”なんて言って同席させたの? べつに、休み時間とかに顔合わせた時に紹介でよくない?」
すると細谷はついっとメガネを指先で上げ、そしてふいっと顔を背けて独り言のように呟いた。
「そんな、もののついでのように僕のパートナーを紹介したくないからな。律にはいまだけでなく、この先もずっと僕の隣にいてもらいたいから」
言いながら細谷の身もの端が真っ赤になっていく。でもそれを聞きながら、見つめながら、俺の頬も耳も同じように赤く染まっていくのがわかる。
え、何これ……なんか、プロポーズみたいじゃんか……!! そう、叫んで細谷の肩をバーンと叩きたくなるほど嬉しかったんだけれど、ここは学校だ。
だから俺はそっと細谷の手を握りしめて尋ねてみる。
「俺にとっての湊人も、同じって思っててもいい?」
つないだ手が真っ赤に熱くなっていく。それがもう答えなようなものだけれど、クソ真面目な保健委員はきちっとこちらを向いて答えてくれた。
「もちろん、そのつもりでいて欲しい」
まっすぐに見つめ合ってかわす言葉に込められた熱は本物で、かつていつわりの微熱で居場所を求めていた頃よりもうんと熱い。
ありがとうや嬉しいよりもまっすぐに、俺と細谷は見つめ合い、西日の射し込む学年玄関の前でそっと見つめ合い笑い合う。
いつか細谷も俺も、学校も保健室も卒業していく。居場所は永遠に同じ場所であり続けるとは限らないから。
でも――
「俺の居場所は、湊人の隣だよ」
「僕の居場所も、律の隣だ」
永遠に、そうでありますように。願うように、誓うように、俺らは誰もいない玄関の陰で口付けを交わし、指先を絡めた。
(終わり)



