小菊のおかげで危機から脱しはしたが、生きていることを綺羅羅たちに気が付かれる前に逃げなければいけない。ここにいたら、何度も命を狙われてしまう。
 白花が悩んでいると、遠くから足音が響いてくる。
「白花! すまない、戻るのが遅くなった」
「白牙様……」
「一緒にこい、今すぐに白牡丹宮へ戻るぞ」
 白牙の腕に抱かれたことで安堵した。今までこらえていたのか、涙がはらはらとこぼれ落ちる。
「……お腹の子は無事です」
「おまえも大丈夫か」
「はい、小菊が助けてくれました」
「小菊? あの恋敵の猫か……とにかく生きていてくれてよかった。おまえの危機を感じ取って、気が気ではなくてな。皇太妃と綺羅羅のやつ、俺のいない間にとんでもないことをしてくれたものだ」
「橋が崩落したと聞きました。白牙様はしばらく戻られないものかと……お戻りになるのを、ずっと待っておりました……」
「不安にさせてすまなかった。川を渡ることなど造作もない。俺には白虎の加護がある。朱雀も手を貸してくれた。やっと準備が出来た。もう待つ必要はない、皇太妃と綺羅羅を処罰する」
「ですが、白牙様、綺羅羅のお腹の中には……」
「腹の子については罪は問わない。たとえ、誰の子であってもな」
「ありがとうございます白牙様」
「いますぐにでもやつらを断罪してやりたいが、おまえの体が第一だ。まずはゆっくりと休め、早く回復してくれ」
 白牙は、自分が西国に戻ってきていることを伏せ、白花の回復を待って白牙は皇太妃と綺羅羅を白牡丹宮に連れてくるよう指示をだした。

 しんしんと降り続いていた雪が止んだ。春はまだ遠いが気候が安定してきている。白虎の恵みが国に満ちてきている。火の焚かれた部屋の中は暖かく、外では椿の花がつぼみを開き始めている。見事な花をつける椿は、皇太妃が嫁いできたときに、先帝が植えさせたものだ。皇太妃の生家、朱雀の色を讃えて。
「呼びつけるとはどういうつもりかしら白花妃。妃と呼ぶのはおかしいかしら。陛下の温情で牢から出られたようですね、まだお戻りになっていないというのに、陛下も律儀なことです。皇妃の話によると、ずいぶんと錯乱していたようですが、お加減いかがかしら? 己の罪を恥じて自害する気になりましたか?」
 白牡丹宮の中に入ってきた皇太妃は、白牙の姿を見て目を見開いた。橋を落としたはずなのにとつぶやく声がする。
「陛下……どうして……! こ、公務、お疲れ様でございました。橋が落ちたと聞きましたので、お戻りになるまでにもう少しかかるものかと……」
「陛下、お帰りを心待ちにしておりました」
 綺羅羅が猫撫で声を出す。
「皇太妃、俺のいない間にずいぶんと好き勝手にやってくれたものだな。ここには白花以外に皇妃がいるのか、不思議なことだ。俺は白花以外を娶ったつもりはないというのに」
「私は王宮の安寧を一番に考えただけでございます」
「俺の妃は白花しかいない。そこの女が俺の妃を騙っていたのはどう説明するのだ」
「綺羅羅は陛下の子を身籠っておりますから当たり前のことでございます。いい加減お認めになって、綺羅羅と褥を共にしたご自分の責任を取ってくださいませ。記憶がないですまされることではありません」
 ピシャリと言い切る皇太妃に、白牙は口を開いた。
「皇太妃、おまえは知らないのだろうな。知る術がなかったのだから仕方のないことだが」
 白牙は憐れむような目で皇太妃を見た。
「白虎の妃には、あざが出る。閨を共にしたときに皇帝の持つ白虎の力が混ざり合うからだ。白花には全身にあざが出ている。だが、その女にはどころ探してもあざなど出ていないだろう」
「白花のあざだって、陛下と出会う前からあったものですわ! 白花はずっと傷ものでしたもの!」
 綺羅羅が金切り声を上げる。白牙は汚いものを見るような目で綺羅羅を見た。
「それは、俺が白花を妃に選んでいたからだ。妃として迎える遥か昔から、俺は白花を選び、印をつけた」
 綺羅羅は悔しさからか唇をかむ。
「おまえが俺と関係を持ったというのならば、あざを見せてみろ。どこにあるというのだ。そもそも、その腹の中には何がいる(・・・・)というのだ。まさか、衣の下に入れている布切れが俺の子だとは言うまい」
「それは……皇太妃様!」
 綺羅羅は恥ずかしさで顔を赤くしながら皇太妃に助けを求める。
「陛下、綺羅羅を騙すのはやめてください。あざなど、方便です」
「皇太妃、おまえにもあざはないだろう。前皇帝は、父上は、母しか愛さなかった」
 白牙の言葉に、皇太妃は顔色を変えた。冷静さを失い、目が血走る。
「おだまりなさい! 私をこのように扱って、朱雀の迦楼羅が黙っておりませんよ!」
「迦楼羅は俺に叔母上の処罰を任せると言っていた」
「う、嘘をおっしゃい!」
 白牙が懐から契約書を取り出してみせると、皇太妃の顔色が変わった。
「迦楼羅を、訪ねていたのですか……? 朱雀が、私を捨てた……と。朱雀のために尽くした私を……」
「皇太妃、おまえは和平のための人質だった。朱雀の小国が白虎の後ろ盾を得るためのな。父はおまえを丁重に扱ったはず。それは知っているだろう? 父は、おまえのことを客人として大切にしていた」
「私は……白爪を生みました! 陛下の子を」
「白虎の子は、皇帝が愛した女の腹にしか宿らない。おまえが生んだ俺の弟は、父の子ではない」
「欺瞞ですわ!」
「欺瞞ではない。それが太古に祖先が白虎と交わした契約だ。そのおかげで西国は何度も跡継ぎに悩まされた。歴代の皇帝には妃が幾人もいたが、跡継ぎを生んだ妃は多くはない。あとの妃は同盟のために人質や、政治色の強い婚姻だったのだから。白爪が父の子でないことは、おまえが一番よくわかっているはずだ。白爪を皇子として認めたのは、父なりのおまえへの配慮だったのだろう。愛してやれない代わりの優しさだ。白爪は、おまえを重荷に感じ、おまえから離れるために朱雀の国へ戻ったがな」
 白牙の言葉に、皇太妃はついに膝をついて崩れた。
「私も愛されたかった。陛下に……皇妃に微笑まれるように、微笑みかけてほしかった……。強く、美しいあのお方の妻になれることが、とても嬉しかったのに。陛下が愛したのは、私ではなかった。私は、虚しかった! 白虎の血など簡単に絶やせると、思い知らせてやるつもりだったのに……」
「おまえは綺羅羅を利用して白花を廃し、白虎の子を絶やそうとした。大罪だ。綺羅羅、おまえも俺の子を身籠ったと偽ったな。許されるものではない」
 綺羅羅は自分に話が向けられると、必死の形相で皇太妃を指さした。
「皇太妃様にそうしろって言われたのです! 私は悪くありません。白花を亡き者にしてから陛下の子を孕めば良いとおっしゃった! 私の陛下への恋心を利用されたのです。私、陛下と添い遂げたい一心でした。全部皇太妃様が悪いのです! 私を哀れにお思いならならどうか妃に……」
 嘘泣きをしながら無実を訴える綺羅羅から白牙は目を背けた。
「見苦しい。だが、白花に免じて命だけは助けてやらないこともない、白花に許しを乞え」
「嫌よ! どうして白花なんかに! 私の方が、綺麗なのに、お妃にふさわしいのに! 私のほうがお役に立つ力も持っているのに! どうしてなのですか、陛下!」
「なんと醜いことか……見ていられない。おまえにはこの未来が見えなかったのか? 連れていけ」
 白牙は綺羅羅から目を背けた。綺羅羅と皇太妃は衛兵に取り押さえられた。皇太妃は観念したようにうつろな瞳で、綺羅羅は最後まで自分の無実を訴えながら連れていかれた。
「白牙様、どうか命までは取らないであげてください。亡くなれば悲しむ人がいるはずです」
「わかっている」
 白牙の言葉に白花は安堵した。
「綺羅羅の懐妊は嘘だったのですね」
「そうだ、俺には命の気配がわかる。綺羅羅の腹の中には、いつまで経っても気配を感じられなかった。大方弟の白爪を父親にしようとしたが、断られたのだろう。白爪も馬鹿ではない。薄々虚言だと感づいていたが、皇太妃がついていたので暴くのが遅くなった、すまない」
「そうなのですね、あの、綺羅羅と皇太妃様は……」
「命まではとらないが、性根をたたき直す必要はありそうだ」
「配慮いただきありがとうございます」
「俺も甘くなったものだ、おまえおかげだ」
「す、すみません」
「謝るな、よいことだ。白花、俺の白花……おまえを失わずにすんで本当によかった」
 白牙に抱きしめられた途端、腹部に強い痛みを感じた。
「は、はく、が様……御子様が……」
「どうした白花! 腹の子に何があった」
「お生まれに、なる、かもしれません」
 白花の言葉を聞いた白牙は、今まで見たこともないほどおろおろとしはじめ、やっとの思いで医者を呼んだ。

 産声が聞こえたのは、陣痛が始まってから丸一日が経った頃だった。
「安産でございます、よく頑張られました」
 生まれたばかりの我が子を抱いた白花は、溢れでる愛しさに涙をこぼした。
「よくやった、白花。元気な皇子だ。俺の子を産んでくれて、本当にありがとう、心から礼を言う。今は休め」
「白牙様、私、嬉しくて……」
「俺もだ」
「大切に育てていきます、私の命に代えましても」
「意気込むな一緒に育てていくのだ。おまえの命に代えられたら困る、俺は気が触れてしまう」
「すみません」
「今は休め。昨夜は寝ていないだろう」
「目が覚めたら、教えていただきたいことがあります」
「なんだ?」
「私を、ずっと昔から妃に選んでくださっていたと……」
「あぁ、なるほど。話したことがなかったか。わかった、教えてやる」
 白花は顔をほころばせると、白牙の腕に抱かれ、深い眠りに落ちていった。

 一時は罪を着せられ投獄された白花であったが、白牙が白花の腹の子は自分の子で間違いないと再び宣言したことによって、王宮内で白花の罪は消され、陰口をたたくものはいなくなった。綺羅羅と皇太妃は追放され、仔巴をはじめとした侍女たちが少しずつ白牡丹宮に戻ってきた。
 皇子の誕生は、国中を喜びの色で包むことになった。