目を覚ました白花は、辺りの景色が違うことに気がついた。格子が見える。
「皇妃様、よかった! お目覚めになられました……」
 格子の向こうで仔巴がポロポロと涙を流す。
「申し訳ありません、申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりにこんなことに……」
「お腹の子は! 無事!」
 腹部に手をあてる。白花に応えるようにお腹がわずかに動いた。
「倒れられてすぐに医者に診察させましたが、御子様はご無事です。てすが、皇妃様がお目覚めにならなくて、私……」
 安堵する。
「不安にさせてごめんなさい。仔巴、ここは……座敷牢……」 
「皇妃様が倒れられてからのことをお話いたします」
 綺羅羅のもとで薬を盛られた白花はそのまま意識を失っていたそうだ。その間に、王宮では事件が起こっていた。
「綺羅羅と皇太妃様が、皇妃様の御腹にいるのは陛下の子ではないとおっしゃったのです」
「そ、そんな! 真っ赤な嘘です!」
「もちろんでございます! ですが、皇妃様が自ら自白したとおっしゃっているのです。綺羅羅が確かに聞いたと。罪の意識から皇妃が自ら毒をあおったと言うのです。信じられません! 陛下のいないうちにこんな横暴を……」
「どうしてそんな嘘を……! 白牙様は!」
「未だお戻りになっていません。白花様が目覚めたことを綺羅羅や皇太妃様に知られてはいけません、今度こそ何をされるか……!」
 仔巴の提案も虚しく、石畳を踏む音がした。誰かが衛兵と話す声がする。
「綺羅羅……いえ、失礼しました皇妃様、このようなところに」
「白花の様子を見に来たのです」
 綺羅羅の足音が近づく。
「皇妃様! 綺羅羅が皇妃を名乗っているのです! おこがましい!」
「落ち着いてください仔巴」
 綺羅羅は白花の牢の前で立ち止まると、目を見開いた。
「本当にしぶとい女。可哀想に、あのまま永遠に眠っていたら傷つくこともなかったでしょうに」
「綺羅羅、私のお腹の子は間違いなく白牙様の子です」
「まだ嘘を吐くのね、罪に耐えかねおまえは白状したじゃない。腹の子は陛下の子ではないと」
「そんなことはあり得ません、白状したのはあなたの方よ! お腹の子が……」
「黙りなさい! 強がっていられるのも今のうちよ。陛下が戻られない今、王宮を動かしているのは皇太妃様なの。陛下が戻られる前におまえのことを処分するわ。そこのおまえも、実家からもどってくるように言われて皇太妃から暇を出されたでしょう。こんな汚らしいところで長居せず早く荷物をまとめて実家に帰りなさい」
 綺羅羅は仔巴に冷たい視線を向ける。
「邪魔なのよ、侍女風情が私の命令がきけないの! 早くいきなさい!」
「仔巴、ありがとう、私は大丈夫ですから、行ってください」
 仔巴は震えながら白花を見ると、逃げるように牢を後にした。
「あの侍女、最後まで残っていたのよ、健気よね。罪人のおまえについたところで何の得にもならないのに」
「陛下はすぐにお戻りになります。私は罪を犯していません、白牙様はこのような横暴を許しません」
「あら、知らないの? 南方と西国をつなぐ橋が落ちたのよ。老朽化ね、復旧にはかなりかかるそうよ。あの川は流れが速くて船で渡るもの難しいそうなの」
 白花は綺羅羅をまっすぐに見つめる。かつて親友だと思っていた綺羅羅は、はじめからどこにも存在しないのだということを、目に焼き付けるために。
「私は陛下が、白牙様が戻られまで絶対に屈しません」
「あら、そんなに頑張らなくたって大丈夫よ、おまえはここで自害するの。今すぐ、腹の子と一緒にね。真実は誰も知る由がないわ、私は名実ともに皇妃なるの。だって、私のお腹にいるのは陛下の子なんだから」
「綺羅羅!」
「私のものを奪おうとしたおまえが悪いのよ、白花。ほら、香炉を持ってきてあげたわ。ここは何もなくて殺風景ですもの。少しでも慰みになるように。さあ、ゆっくり息を引き取りなさい」
 綺羅羅は口元に布を当てると香炉に火をつけた。甘い香りが漂う。
 白花は息を止めた。檻の外で焚かれる香炉の火をどうにかして消さなければいけない。綺羅羅の足元にある香炉を睨む。あの香炉を、倒すことでも出来たら……。
「さようなら、愚かな白花。おまえのことが、死ぬほど憎かったわ。死んでくれて清々する」
 綺羅羅の足音が聞こえなくなると、どこから入ってきたのか、白い猫が姿を見せた。白牡丹宮に居着いている猫である。白花が小菊と名付けた猫だ。
「おまえ、ここは危険よ、早く逃げなさい」
 猫は白花の注意も聞かず、ぴょんと駆けわまり、そうしているうちに香炉を倒した。
「火傷をするわよ! 早く逃げて、小菊!」
 転がった香炉から灰が落ち、小さな火を消した。辺りを漂う香りが消えていく。
「助けに来てくれたの……? 小菊、火を止めてくれてありがとう。私はもう大丈夫。あなたも早く逃げなさい」
 猫は今度は白花の指示を聞いて、ぴょんと高いところに有る窓に飛び乗り出ていった。