南方の視察に来ていた白牙はひとり、とある屋敷を訪れていた。華美ではないが、丁寧な造りの家である。白虎の国の南には、朱雀連邦がある。白牙が訪れたのはそのうちのひとつの国だ。
「白虎の王がわざわざこんなところまで出向いてくれるとはな」
 屋敷の主は燃えるような赤毛の男である。年のほどは白牙よりも十ほど上の男だ。この国の王、名を迦楼羅(かるら)という。白牙が幼いころから懇意にしている朱雀の男だ。訪問相手が白牙だとわかると、親しげに眉尻を下げた。
「帝位を継ぎ、妃を取ったそうだな。先日の四神会合のあと、わが君から朱雀各国に知らせがあった。白虎の婚姻は面倒だろう?」
「大変なことはない。俺はただただ幸せだ」
 白牙が答えると迦楼羅は面白くなさそうにふんと鼻を鳴らした。
「なるほどな、四神会合で妃への祝福を乞うたそうだな。図々しいやつだとわが君も笑っておられた。そんなに大切か、代わりはいくらでもいるだろう?」
「大切だ。白花の代わりなど、いるはずがない。俺の命に代えても守りたいと思う女だ」
「惚気か。それで、わざわざ辺境を治める私に会いに来たということは、なにかあるのだろう? その、命に代えても守りたい妃の件か?」
「話が早くて助かる。我が国の皇太妃について、相談があるのだ」
「叔母上か、私はあのひとが苦手だ。若い頃はふわふわとした、夢でも見ているような女だった。それが今となっては、自分を差し出したこの国を大層恨んでおられる。それで、叔母上がどうした?」
「実はな」
 皇太妃は先代の時にいざこざがあったこの国から和平のために嫁いできた。西国の後ろ盾を得るためのいわば人質のようなものだ。その皇太妃が自分の妃に対してどんな行いをしたかを詳らかにする。
 退屈そうに聞いていた迦楼羅は、最後には険しい顔つきになった。
「皇太妃を廃位すると。わざわざそれを伝えに来たのか? なぜ? 勝手にすればよかろう。難しいことではない、そなたは皇帝だろう」
「妃を守るためだ。私の妃に、いらぬ敵を作りたくない。そのためにあなたの許可がほしい。皇太妃がこちらに泣きついてこられぬよう、皇太妃の措置を俺に一任してほしい」
「面倒くさいことをするものだ。力で押し付ければいいものを。今までもそうしてきただろう? おまえの暴君ぷりは、ここまで轟いていたぞ。伴侶を得ていくらか落ち着いたようだがな」
「力で抑えつけるのは、きっと白花が嫌がる」
「皇妃の影響か、それほどまでに惚れているのか、理解に苦しむ」
「惚れた女との間にしか、白虎の子は宿らないからな」
「そうだったな、実に面倒な盟約だ。叔母上は白虎の国に嫁いだ身、処分は任せる。異論はない」
「契約書を用意してほしい」
「いいだろう」
 迦楼羅は皇太妃の処分を白牙に一任するとの念書を書いた。
白爪(はくそう)は元気か?」
「会っていくか?」
「いや、色々と迷惑をかけてすまない」
「いや、あれはあれでよく働く。白虎の国よりも、朱雀の気風のほうが合うようだ。まぁ、血だろうな」
 白爪。白虎の王族から縁あって朱雀の国の養子になった白牙の異母弟である。迦楼羅のもとで文官をしている。繊細で気が弱い弟と白牙は、ほとんど顔を合わせたことがない。
「白爪といえば、数ヶ月前に西国を訪れただろう? 暇が欲しいと言われたぞ」
「白爪が……知らなかった」
「大方皇太妃にでも呼びつけられたのだろう。珍しいこともあると見送ったのだが、半月ほどで帰ってきた。ひどく疲れた様子だったな」
「そうか……」
 白牙は考えを巡らせた。皇太后は、なぜ息子を呼びつけたのか。綺羅羅が懐妊した時期が過ぎる。
 まさか、な。
「白爪を、よろしく頼む」
「任せろ」
 白牙は迦楼羅に対して頭を下げた。
「やめろ、そんなことをされたら気色が悪い」
「こちらが礼を尽くしているというのにそんなことを言うな」
「おまえに頭を下げさせるとはな、驚いただけだ。皇妃を大事にしろ」
「言われるまでもない」
「叔母上は哀れなひとだ」
 別れ際、迦楼羅はそう言って白牙を見送った。
 南方と西国をつなぐ橋が崩落したのは、白牙が、まだ西国へと帰る前のことである。