夜が訪れると白牙は白花の宮を訪れた。美しく着飾った白花を見て目を細める。
「今夜は疲れているだろう。手は出さん」
「手を……?」
「ゆっくり休めという意味だ。俺もここで寝る」
「あ、あの、白牙様」
「ようやく手に入れることが出来た。白花、俺の花嫁」
「どうして私の名を……」
不思議でたまらなかった。なぜ、白花の名を知っているのかを。白花は実家では隠されて暮らしてきた。それなのに、初めて会うはずの白牙は、白花のことをいとおしそうな目で見る。遥か昔から恋人同士であったかのように。
「おまえのことは何でも知っている。生き物が好きなことも、高揚すると体に美しい花が咲くことも」
「こ、答えになっておりません」
「強いていうならば、ずっとおまえに恋焦がれてきたからだ。今宵はゆっくりと休め」
大きな手が頭を撫でてくる。温かく、大きな手は心地よい眠りを誘った。体も心も、疲弊していたことに初めて気が付く。次第に瞼が重くなり、白花は感じたことのない温もりに抱かれて、深い眠りに落ちた。
翌朝、目を覚ますとすでに日が昇っていた。白花は慌てて飛び起きる。水を汲みにいかなければいけない。立ち上がったところで、様子がいつもと違うことに気が付く。
「おはようございます皇妃様」
「あ……あなたは……」
「仔巴でございます」
そうだ。自分は昨日、西の国を治める皇帝、白牙の妃になったのだった。次第に記憶がはっきりとしてくる。夢ではないかと疑ってしまう。
「よいお天気ですよ、よければ朝餉の後、王宮内を案内いたしましょうか。牛車を呼びましょう」
「牛車だなんて、自分の足で歩きますよ」
「そうおっしゃらないでください。私が陛下からお叱りを受けます」
「そうですか……」
食卓の上にはあたたかな料理が並んでいる。身支度は自分でできると断ろうとしたが、仔巴が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。身の回りの世話をされるのはなんだか落ち着かない。
「毒見は済ませてあります。銀の食器も変色していません、正真正銘安全な食事です! 安心して召し上がってください」
「あの、どうしてこのように慎重になるのでしょうか」
「あたりまえです。大事な皇妃様にもしものことがあってはいけません」
白花は困惑しながらもひとさじ粥を掬った。香ばしい香りがしてとても美味しい。温かな食事をとること自体初めてだった。
「美味しいです、とても」
「お口に合って安心いたしました」
朝餉が終わると、仔巴に連れられて牛車に乗る。話を聞いただけでも、王宮内はとても広かった。一日では回り切れないかもしれない。
「陛下も一緒に案内したいと仰られていたのですが、大変忙しいものですから。一週間後には婚礼の儀も控えておりますし。皇妃様にも学んでいただくことがたくさんありますので、講師を用意しております」
「よろしくお願いします。私、世間知らずで……」
家庭教師がついていた綺羅羅とは違い、白花にはものを学ぶ機会も時間もなかった。
「私、陛下の伴侶として、ふさわしい人間になりたいと思います」
「そこはご安心ください。陛下が選んだ時点で、皇妃様よりも皇妃様にふさわしい方はいらっしゃいません。それに、陛下は後宮を持たず、妃はおひとりと宣言されております」
「そうなのですか」
驚いた。晶を治める四つの国の王は、各々多くの妃を抱えているものだと思っていた。白牙の決定に、胸が熱くなる。
「はい、これまでも幾人か後宮を持たない皇帝がいらっしゃったようです。先帝は他国との外交のために隣国からお妃を受け入れていらっしゃいましたが、陛下は皇妃様ただおひとりを愛するおつもりです」
政を行う真珠殿、皇帝の住まいである白虎殿、多くの官僚が務める風晶宮に軍を取りまとめる翡翠宮など。牛車の窓を流れていく景色は、小さな村で暮らしていた白花が見たことのないものばかりである。
昼餉を終えると、初老の文官が白牡丹宮を訪れ、西国の成り立ちや皇帝が代々引きつぐ白虎の力について学んだ。白牙の力は、歴代の皇帝の中でも一際強いらしい。
夜の帳が下りると白牙が白牡丹宮を訪れた。
「入り口で猫に威嚇されたぞ。いい度胸をしたやつだ」
「私が王宮に来た日に居着いた猫です。小菊と名付けました。可愛いですよ」
「ずいぶんとおまえに懐いているようだな。……雄に違いない。つまみ出してやろうか」
「わかりません、気にかけたことがなくて」
「まったく、猫にまで嫉妬せねばならないとはな。どうしてくれる? それもこれも、おまえがこんなにいとしいせいだ」
白牙は寝台に腰掛けると、白花の髪に触れる。白花は目を潤ませ、頬を赤く染めた。
「ようやくおまえに会えた。一日が長すぎるな、会えない時間が永遠に感じる」
「一日お疲れ様でございました」
白牙は白花を抱き寄せる。
「甘い香りがするな」
「それは……仔巴が湯あみの時に花を浮かべてくれたのです」
「花の香りだけではない。甘いのはおまえの香りだ」
白牙は白花の体を寝台の上に横たわらせ、上に覆いかぶさる。
「怖いか」
「少しだけ……」
「案ずるな、俺に全て任せろ」
「私なんかで、よろしいのですか?」
醜い自分の身体が恥ずかしくなる。
「おまえがいいんだ」
白牙に触れられ、心臓がはねる。鼓動が大きくなり、あたりに響くようだった。衣擦れの音、近くに白牙の息遣いを感じる。嵐にのまれるような感覚がした。体が熱くなる。花のようなあざが赤く染まり、白い肌に浮かび上がる。
「牡丹の花だ」
「え……」
「おまえの体に、花が咲いている」
「あまり、見ないでください……醜いあざだと言われてきましたから……」
「醜くなどあるものか、美しい花だ」
白牙は白花の肌に口づけを落とす。
「白牙様……」
「白花、力を抜け」
「……は、はい」
次第に痛みは快楽に変わる。白花の白い肌に、牡丹の花が赤く浮かび上がる。
「幸せだ」
「私もです」
目を開けると月明かりに照らされた白牙の端正な顔が見える。
「白牙様……」
「白花、俺の花嫁」
再び嵐にのまれるように、白花は意識を手放した。
白牙は毎晩白花の宮を訪れ、朝が来るまで褥を共にした。庭の桜の花が散り、緑の葉が太陽の光に輝く頃、白花は体の不調を感じ始めた。心配した仔巴が医師を呼ぶと、医師は白い眉を下げてほほ笑んだ。
「おめでとうございます」
「え……」
「ご懐妊です」
「ほ、本当ですか! 皇妃様、おめでとうございます!」
仔巴は驚きと、喜びでその場にへたり込み、泣き始めた。白花は自分の腹に手を当てる。
「ここに、白牙様の御子が」
「大事になさいませ、皇妃様。私は定期的に診察に参ります」
医師と入れ替わるように白牙が部屋を訪れた。
「白花が懐妊したのは本当か!」
「本当でございます」
「そうか、これほどめでたいことはない。白花、体を大事にしろ」
白牙はいつくしむように白花を優しく抱いた。
「これからも毎晩おまえに会いに来る」
「陛下、恐れながら、皇妃様の容態が安定されるまでは……」
「白花に無理をさせるわけがないだろう。一緒に眠るだけだ」
「それは……し、失礼いたしました」
白花の身を心配する仔巴を白牙は少し睨んだ。それから優しい視線を白花に向ける。
「ありがとう白花」
「私の方こそ、御子を授けてくださってありがとうございます白牙様」
「おまえの容態が安定するまでは懐妊したことを伏せておいた方がいい。医師にも念のためそう告げておけ、仔巴、行ってこい」
「わかりました、行ってまいります」
仔巴がいなくなると、白牙はもう一度白花を優しく抱きしめる。
「喜ばしいことだが、しばらくおまえを抱けなくなるのが残念だ」
「私は白牙様と一緒にいられるなら幸せです」
「そうだな、俺もそう思うことにしよう。また夜に訪れる。体を大事にしろ、腹の子も大事だが、まずはおまえの健康が第一だ」
「はい」
今まで生きてきた中で、これほど満たされた日はなかったと、白花は目に涙を浮かべた。
「なぜ泣く」
「満たされ過ぎていて……幸せなのです」
「そうか。俺もだ」
白牙の唇が額に触れる。公務に戻る白牙を、白花は満たされた気持ちで見送った。
「今夜は疲れているだろう。手は出さん」
「手を……?」
「ゆっくり休めという意味だ。俺もここで寝る」
「あ、あの、白牙様」
「ようやく手に入れることが出来た。白花、俺の花嫁」
「どうして私の名を……」
不思議でたまらなかった。なぜ、白花の名を知っているのかを。白花は実家では隠されて暮らしてきた。それなのに、初めて会うはずの白牙は、白花のことをいとおしそうな目で見る。遥か昔から恋人同士であったかのように。
「おまえのことは何でも知っている。生き物が好きなことも、高揚すると体に美しい花が咲くことも」
「こ、答えになっておりません」
「強いていうならば、ずっとおまえに恋焦がれてきたからだ。今宵はゆっくりと休め」
大きな手が頭を撫でてくる。温かく、大きな手は心地よい眠りを誘った。体も心も、疲弊していたことに初めて気が付く。次第に瞼が重くなり、白花は感じたことのない温もりに抱かれて、深い眠りに落ちた。
翌朝、目を覚ますとすでに日が昇っていた。白花は慌てて飛び起きる。水を汲みにいかなければいけない。立ち上がったところで、様子がいつもと違うことに気が付く。
「おはようございます皇妃様」
「あ……あなたは……」
「仔巴でございます」
そうだ。自分は昨日、西の国を治める皇帝、白牙の妃になったのだった。次第に記憶がはっきりとしてくる。夢ではないかと疑ってしまう。
「よいお天気ですよ、よければ朝餉の後、王宮内を案内いたしましょうか。牛車を呼びましょう」
「牛車だなんて、自分の足で歩きますよ」
「そうおっしゃらないでください。私が陛下からお叱りを受けます」
「そうですか……」
食卓の上にはあたたかな料理が並んでいる。身支度は自分でできると断ろうとしたが、仔巴が甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。身の回りの世話をされるのはなんだか落ち着かない。
「毒見は済ませてあります。銀の食器も変色していません、正真正銘安全な食事です! 安心して召し上がってください」
「あの、どうしてこのように慎重になるのでしょうか」
「あたりまえです。大事な皇妃様にもしものことがあってはいけません」
白花は困惑しながらもひとさじ粥を掬った。香ばしい香りがしてとても美味しい。温かな食事をとること自体初めてだった。
「美味しいです、とても」
「お口に合って安心いたしました」
朝餉が終わると、仔巴に連れられて牛車に乗る。話を聞いただけでも、王宮内はとても広かった。一日では回り切れないかもしれない。
「陛下も一緒に案内したいと仰られていたのですが、大変忙しいものですから。一週間後には婚礼の儀も控えておりますし。皇妃様にも学んでいただくことがたくさんありますので、講師を用意しております」
「よろしくお願いします。私、世間知らずで……」
家庭教師がついていた綺羅羅とは違い、白花にはものを学ぶ機会も時間もなかった。
「私、陛下の伴侶として、ふさわしい人間になりたいと思います」
「そこはご安心ください。陛下が選んだ時点で、皇妃様よりも皇妃様にふさわしい方はいらっしゃいません。それに、陛下は後宮を持たず、妃はおひとりと宣言されております」
「そうなのですか」
驚いた。晶を治める四つの国の王は、各々多くの妃を抱えているものだと思っていた。白牙の決定に、胸が熱くなる。
「はい、これまでも幾人か後宮を持たない皇帝がいらっしゃったようです。先帝は他国との外交のために隣国からお妃を受け入れていらっしゃいましたが、陛下は皇妃様ただおひとりを愛するおつもりです」
政を行う真珠殿、皇帝の住まいである白虎殿、多くの官僚が務める風晶宮に軍を取りまとめる翡翠宮など。牛車の窓を流れていく景色は、小さな村で暮らしていた白花が見たことのないものばかりである。
昼餉を終えると、初老の文官が白牡丹宮を訪れ、西国の成り立ちや皇帝が代々引きつぐ白虎の力について学んだ。白牙の力は、歴代の皇帝の中でも一際強いらしい。
夜の帳が下りると白牙が白牡丹宮を訪れた。
「入り口で猫に威嚇されたぞ。いい度胸をしたやつだ」
「私が王宮に来た日に居着いた猫です。小菊と名付けました。可愛いですよ」
「ずいぶんとおまえに懐いているようだな。……雄に違いない。つまみ出してやろうか」
「わかりません、気にかけたことがなくて」
「まったく、猫にまで嫉妬せねばならないとはな。どうしてくれる? それもこれも、おまえがこんなにいとしいせいだ」
白牙は寝台に腰掛けると、白花の髪に触れる。白花は目を潤ませ、頬を赤く染めた。
「ようやくおまえに会えた。一日が長すぎるな、会えない時間が永遠に感じる」
「一日お疲れ様でございました」
白牙は白花を抱き寄せる。
「甘い香りがするな」
「それは……仔巴が湯あみの時に花を浮かべてくれたのです」
「花の香りだけではない。甘いのはおまえの香りだ」
白牙は白花の体を寝台の上に横たわらせ、上に覆いかぶさる。
「怖いか」
「少しだけ……」
「案ずるな、俺に全て任せろ」
「私なんかで、よろしいのですか?」
醜い自分の身体が恥ずかしくなる。
「おまえがいいんだ」
白牙に触れられ、心臓がはねる。鼓動が大きくなり、あたりに響くようだった。衣擦れの音、近くに白牙の息遣いを感じる。嵐にのまれるような感覚がした。体が熱くなる。花のようなあざが赤く染まり、白い肌に浮かび上がる。
「牡丹の花だ」
「え……」
「おまえの体に、花が咲いている」
「あまり、見ないでください……醜いあざだと言われてきましたから……」
「醜くなどあるものか、美しい花だ」
白牙は白花の肌に口づけを落とす。
「白牙様……」
「白花、力を抜け」
「……は、はい」
次第に痛みは快楽に変わる。白花の白い肌に、牡丹の花が赤く浮かび上がる。
「幸せだ」
「私もです」
目を開けると月明かりに照らされた白牙の端正な顔が見える。
「白牙様……」
「白花、俺の花嫁」
再び嵐にのまれるように、白花は意識を手放した。
白牙は毎晩白花の宮を訪れ、朝が来るまで褥を共にした。庭の桜の花が散り、緑の葉が太陽の光に輝く頃、白花は体の不調を感じ始めた。心配した仔巴が医師を呼ぶと、医師は白い眉を下げてほほ笑んだ。
「おめでとうございます」
「え……」
「ご懐妊です」
「ほ、本当ですか! 皇妃様、おめでとうございます!」
仔巴は驚きと、喜びでその場にへたり込み、泣き始めた。白花は自分の腹に手を当てる。
「ここに、白牙様の御子が」
「大事になさいませ、皇妃様。私は定期的に診察に参ります」
医師と入れ替わるように白牙が部屋を訪れた。
「白花が懐妊したのは本当か!」
「本当でございます」
「そうか、これほどめでたいことはない。白花、体を大事にしろ」
白牙はいつくしむように白花を優しく抱いた。
「これからも毎晩おまえに会いに来る」
「陛下、恐れながら、皇妃様の容態が安定されるまでは……」
「白花に無理をさせるわけがないだろう。一緒に眠るだけだ」
「それは……し、失礼いたしました」
白花の身を心配する仔巴を白牙は少し睨んだ。それから優しい視線を白花に向ける。
「ありがとう白花」
「私の方こそ、御子を授けてくださってありがとうございます白牙様」
「おまえの容態が安定するまでは懐妊したことを伏せておいた方がいい。医師にも念のためそう告げておけ、仔巴、行ってこい」
「わかりました、行ってまいります」
仔巴がいなくなると、白牙はもう一度白花を優しく抱きしめる。
「喜ばしいことだが、しばらくおまえを抱けなくなるのが残念だ」
「私は白牙様と一緒にいられるなら幸せです」
「そうだな、俺もそう思うことにしよう。また夜に訪れる。体を大事にしろ、腹の子も大事だが、まずはおまえの健康が第一だ」
「はい」
今まで生きてきた中で、これほど満たされた日はなかったと、白花は目に涙を浮かべた。
「なぜ泣く」
「満たされ過ぎていて……幸せなのです」
「そうか。俺もだ」
白牙の唇が額に触れる。公務に戻る白牙を、白花は満たされた気持ちで見送った。



