馬車は陸を滑るように進んだ。白花は自分を抱き寄せる皇帝の横顔を見上げる。
「どうした?」
「いえ、信じられなくて……綺羅羅ではなく、私が陛下のお妃だなんて……」
「不安そうな顔をするな。間違いない。おまえは俺のただひとりの妃だ、白花」
「あ、あの、陛下……」
「白牙」
「はい?」
「俺の名は白牙だ。名前で呼べ」
「そんな、恐れ多いことです」
「俺が呼べと言っているのに?」
 白牙が優しい視線を向けてくる。白花は自分の頬が熱くなるのを感じた。
「まあよい、急ぎはしない。だが、閨では名前で呼んでもらいたいものだな」
「え!」
 白花か慌てると、白牙は可笑しそうに笑った。
「あ、あの、へ、陛下……」
「白牙」
「は、白牙様」
「なんだ?」
「どうして私なんかをお妃に?」
「白花、俺の妃に向かって『私なんか』と言うな」
「す、すみません信じられなくて……」
「おまえは俺のことを信じられないというのか?」
「そ、そういうわけでは!」
「まあよい、おまえはただただ俺に愛されていればいい」
 馬車は山を越え、平原を走っていく。
「あのような家にいたとは。もっと早く迎えに来るべきだった」
 白花が傷だらけで納屋に押し込められていたところを見た白牙は苦い顔をした。
「大丈夫です、傷は治るので。私、治癒の力を持っていて、早く傷が治るんです」
「それでも痛いだろう」
「え……」
「痛みはあるのだろう? 傷は治るのだろうが、傷つくときは痛みを伴う」
 白花は胸が熱くなるのを感じた。今まで、誰にも気にされたことがなかったことだ。治るのだから、傷つけてもいいと思われてきた。
「体の傷だけではない。心の傷は、きっと治ることなく残る。これ以上、おまえを傷つけるものを俺は許さない」
「白牙、様……」
 はらはらと涙が落ちる。両手で顔を隠していると、白牙は優しく白花を抱きしめた。

 馬に揺られていると、心が落ち着いてくる。白牙の心臓の音が、心地よく響く。白花は自分の心が癒されていくのを感じた。町のそばでは賑やかな声が聞こえてきた。その声は道を進むにつれ、賑やかになる。都が近づいてきている証だ。
「もうじきにおまえの都に着く。一番日当たりの良い宮がおまえの住まいだ。白牡丹宮という。おまえのために新しく建てた宮だ。俺は毎晩おまえのもとを訪れる」
 驚くことばかりで頭がついていかない。白花が困惑した視線を白牙に向けると、白牙は優しくほほ笑んだ。
「おまえはただただ俺のそばにいたらいい。ようやく手に入れたのだ、やっとこの手に抱くことができる。これほど嬉しいことがあるか。愛しい俺の花嫁」
 そっと、額に唇が触れる。柔らかな感触に驚いて、白花は両手で顔を覆った。
「初心なものだな。俺の心をあまり乱してくれるな」
「も、もちろんでございます!」
「その様子だとあまりあてにならないな。こい、宮まで案内する、今日はゆっくり休め」
 白牙は自ら白花を案内した。城の中では多くの人々が白牙に向かって頭を下げ、その姿を迎える。
「ここだ」
 白牙が立ち止まった場所に驚いた。今まで住んでいた家よりも何倍も大きな建物である。建物の前では幾人かの女が膝をついていた。
「信頼のおけるものばかりを集めた。口にするものは必ず毒見をさせろ」
「え……」
「案ずるな、念の為にだ」
 白花が白牙に連れられて宮の中に入ろうとすると、「あら」と声がした。周りの女たちが深々と頭を下げるので白花もそれに倣う。
「可愛いひとだこと。陛下、私にもお妃を紹介してくださいませ」
 綺羅びやかな衣を纏った女性が立っている。豊かな髪を結い上げ、椿の花を模した真っ赤な歩瑶が挿してある。
「今日は長旅で疲れたであろうから明日紹介するつもりでいた。わざわざ足を運んでもらって申し訳なかった皇太妃」
「陛下が初めての妃を迎えたのですからね、どのような女性を選んだのか気にもなります」
「白花、前皇帝の妃だ」
「は、始めまして皇太妃様、し、白花と申します」
「あら可愛らしい。緊張しているのね。安心して、陛下の御子を宿すお妃を大切に扱わないものなんてここにはいないわ。仲良くしてくださいね」
 皇太妃は扇で口元を隠したまま目を細めると、すっと身を翻した。姿が見えなくなってから白牙が小声で囁いてくる。
「皇太妃には気をつけろ。油断ならない女だ。俺はおまえを全力で守る。だが、決して二人きりになるな」
「皇太妃様は、白牙様のお母様ですよね?」
「いや、俺の母は第二妃ですでに亡くなっている。皇太妃は前王の一番目の妃だ」
「それは……お寂しかったですよね」
 白花は白牙の頬に触れる。
「ずいぶんと前の話だ。もうなんでもない。それに、母は早くに亡くなったが、父は俺を可愛がってくれた」
 白牙はそう言ったが、白花は労るように白牙の頬を撫でた。
「悲しんでくれるのか。おまえは本当に優しい女だ。俺は少し仕事に戻る。おまえはゆっくり休め」
 白牙は白花の頬に口づけを落とすと白牡丹宮をあとにした。
「皇妃様、こちらへ。どうぞ中へお入りください。陛下が心を砕いて用意されたんですよ」
「は、はい」
「私は仔巴(しは)と申します。皇妃様のお世話ができて光栄です!」
「どうぞよろしくお願いします。仔巴様」
「お、おやめください! 私どものことは呼び捨ててくださいませ。陛下に叱られます」
「そうですか……では仔巴、よろしくお願いします」
「はい! こちらこそです皇妃様!」
 ふと、足元に何か柔らかなものが触れ、視線を下げる。見れば真っ白な猫がゴロゴロと喉を鳴らして白花にすり寄っていた。
「可愛い!」
 白花は屈んで猫を撫でてやる。
「どこの子かしら」
「王宮内では猫を放し飼いにしているのです。この白虎の国では、猫は神聖な生き物ですので。猫と、虎は種類が似通っているそうですよ、信じられませんよね。あぁ、おまえ、陛下に叱られてしまいますよ。そんなに皇妃様に懐いてしまって」
「こんなことで叱られませんよ」
「いえいえ、陛下の眼差しをご覧になりましたでしょう? 白花様を心から愛されている証です」
 仔巴の言葉に白花は頬を赤く染めた。猫はそのまま白牡丹宮に居着いた。