果ての島、晶には四神を司る四つの国があった。
 晶の西、白虎の国の海沿いにある蘭和の村に、一本の矢が飛んできたのは、まだ雪の解け切らない初春のことだった。

「また怪我をしたの? やんちゃな子ね」
 さわさわと風が吹き抜ける木陰に、ウサギを抱いた娘がいた。今年17になる娘は名を白花(しらはな)という。
 白花がウサギの擦り傷に触れると、瞬く間に傷が消えた。
 晶に住む人々にはそれぞれの四神の加護があり、それぞれ異なる力を持っていた。未来を見通すもの、炎を操るもの。嘘を見抜くもの。その強さはけっして大きなものではなく、日常に大きな影響を与えるようなものではない。だが、時折強い力をもって生まれてくるものがいる。
「今度は気をつけてね」
 心地よさそうに目を細めるウサギに注意を促すと、白花は立ち上がった。
「ごめんね、仕事に戻らなきゃ」
 白花はそう告げると来た道を戻っていく。
 蘭和の町で医院を営む医者が、白花の父であった。生みの母は白花が七つの年に病で亡くなり、白花は父親に引き取られることになったのである。父は結婚しており、妻と連れ子の娘、綺羅羅(きらら)がいた。美しい白花は義母にひどく憎まれていた。
 売られることになった白花だが、白花の体には全体に花のようなあざがあり、買い手がつかず、結局父親のもとで暮らすことになった。家族とは名ばかり、家の中では白花は奴隷であった。白花の体は、どんなに深い傷がついてもたちどころに治ってしまう。その力は他者にも使うことが出来た。だから、父親の代わりに治療を請け負うことになっているのである。
「もどりましたご主人様、奥様」
 父をご主人様と呼ぶ。医院に戻ると父は眉をしかめ、義母は声を荒げた。
「まったく、どこをほっつき歩いていたの。患者が待っているのですよ、本当に図愚だわ」
 ピシャリの鞭が飛んでくる。義母の振るう鞭は白花の顔に傷をつけた。頬を赤い血が伝う。流れ落ちた血は、床を赤く染める。
「ああ、汚らわしい、はやく汚れた床を掃除しなさい! それから早く仕事に戻るのよ、この愚図!」
「すみません、わかりました」
 朝から晩まで家事をこなし、仕事を手伝う白花には、一息ついて座る時間すらなかった。父親が腕の良い医者だと評判になり、隣町や山を越えた向こうの町からも患者が集まってくる。実際には、白花が力を使い、傷や病を治している。おかげで白花の家は裕福だったが、その富が白花に与えられることはなかった。
 それだけではない、夜になると義母は毎晩のように白花の背に鞭を振るった。義母は、白花の母のことを憎んでいた。その憎しみは白花に向けられる。
「本当に醜い体だこと、このあざは母親譲りかしら」
 鞭を振るう音がする。父は義母を恐れているのか見て見ぬふりをする。そもそも白花に対して無関心だった。
「おまえのその顔、見ているだけで虫唾が走る。許しを乞うような姿を見せれば可愛げがあるものを、涙の一つも見せないなんて気味が悪い!」
 ピシャリと、鞭がしなる。体に大きな傷ができる。それでも一晩経てば治ってしまう。治りはするが、傷を負うたびに痛みはある。白花は必死に痛みに耐えた。
 白花の背が血だらけになったころ、娘の綺羅羅が姿を見せた。白花と同じ、17になる娘である。
「お母様、もうそのくらいにしてあげて」
「綺羅羅、いつも助けてやらなくたっていいんですよ、白花は親の罪を償う必要があるんだからね。本当に優しい子」
 義母がふんと鼻を鳴らして出て行ってしまうと、綺羅羅は白花に駆け寄った。
「可哀そうに、痛いでしょう?」
「大丈夫、慣れているから」
「助けてあげられなくてごめんなさい」
 この家で唯一白花に優しく接してくれるのが綺羅羅だった。食事を抜かれた白花に、自分の食べ物を分けたり、新しい着物を贈ってくれたりもした。いつも義母に見つかり、白花は余計に叱られることになったが、それでも綺羅羅の好意は嬉しかった。
「そうだ白花、私ね、少し未来が見えたのよ。あなたにだけ教えてあげる」
 綺羅羅には未来予知の力があった。それは弱いもので、ぼんやりとした未来が見えるだけ、はっきりとした内容まではわからないのである。
「私、白虎様のお妃に選ばれるみたいなの」
「本当! おめでとう綺羅羅」
「ありがとう。私がいなくなったらお母様もお父様も寂しがると思うけれど、ふたりをよろしくね」
「うん、幸せになって」
 嬉しそうに笑う綺羅羅を、白花は心から祝福した。

 ある朝目を覚ますと家の中がバタバタしていることに気がついた。普段ならこんな時間から義母が起きているのは珍しい。
 居間から聞こえてくる会話を聞くと、どうやら綺羅羅の見た未来がやってきたようである。
「白虎様の花嫁に綺羅羅が選ばれましたよあなた!」
「落ち着きなさい、迎えが来るまでに、綺羅羅を美しく着飾ってやろう」
「もちろんですとも! これでわが家は確固たる地位を得ましたね。今まで貴族のご婦人から村医者の妻と馬鹿にされてきましたけれど、娘が皇帝の妃になったとわかれば鼻を明かすことができますわ」
 今朝方、白花が暮らす家の屋根に白い羽のついた矢が刺さっていたそうだ。西を治める白虎の紋章入りのその矢は、新しく即位した白虎の国の皇帝が花嫁を選ぶ際に放たれる。この国の妃選びは貴賤に関係なく平等に選ばれる。矢には白虎の力が込められており、花嫁にふさわしい娘のいる家の屋根に刺さるのである。
「綺羅羅を起こしてまいりましょう! 白花! 早く綺羅羅を呼んできなさい!」
 義母が呼びに来ると、白花は朝食を作る手を止めた。
「おまえは本当に愚図ね、まだ食事の用意が出来ていないの! 明日からはもっと早く起きなさい、おまえには綺羅羅の世話をするために今まで以上に働いてもらわないといけないんだから! それに、新しい着物や髪飾りも買うお金必要だわ、あぁ忙しい! 白花に新しい仕事をやらせようと思っていたのよ、急いで話をつけてこないといけないわね」
 その日のうちに、白花には新しい仕事が与えられた。
「宝石商の木島様が珍しい猿を飼っているの。子猿の時は可愛らしかったのに、大人になると乱暴になって手が付けられないらしいわ。すぐにかみついたりひっかいたりしてきて困っているらしいの。その世話をしてくれる人を探していたのよ。四六時中面倒を見ないといけないって話だけれど、うちに連れてきて白花に面倒を見させたらいいわ。あの子はどんなに傷を負っても治ってしまうんだから適任よ。お礼も弾んでくれると言われたわ。綺羅羅にもお金が必要だし、この家も建て替えたいと思っていたの」
 義母の意に反して猿は白花に懐いた。猿は可愛いが他にもあれこれ言いつけられる。仕事が増え、夜に寝られる時間も減った。満身創痍だ。ふっと気を抜くと気を失いそうになる。
「白花、少しは休んでちょうだい。お母様にはどうにかしてうまくいっておくから」
 綺羅羅はこれまでも何度も義母に白花の待遇をよくするように言ってくれたらしい。だが、義母はそのたびに白花により一層つらく当たった。綺羅羅は逆効果になってごめんなさいといつも謝ってくれた。
「ありがとう、綺羅羅。私は大丈夫。綺羅羅は自分のことだけを考えて。綺羅羅は白虎様の花嫁に選ばれたんだもの。今まで以上に綺麗にならなくちゃ」
「ありがとう白花」

 ある夜、白花が部屋に戻ると檻の中に入っていたはずの猿がいなくなっていた。しっかりと閉めたはずの鍵が開けられている。廊下から「きゃあ」と悲鳴が聞こえた。慌てて出て行くと、綺羅羅が青い顔をして手を押さえている。
「猿が逃げたわ……私、止めようとしてひっかかれて……」
 騒ぎを聞きつけて義母と白花が綺羅羅に駆け寄る。
「痛いわ、すごく痛い」
 綺羅羅が涙ぐむと義母は白花を睨み、怒鳴りつけた。
「白花! おまえ、大事な大事な木島様の猿を逃がしたのね! その上綺羅羅に傷が……白虎様のお妃になる綺羅羅に怪我なんかさせて、絶対に許しませんよ! 早く綺羅羅の治療をして、猿を探しておいで! 見つかるまで帰ってくるんじゃありませんよ!」
 白花は綺羅羅の治療を終えてから、明かりを片手に夜の闇に駆けだした。すばしっこい猿が見つかるはずもなく、白花が戻れずにいると、綺羅羅が迎えに来てくれた。帰ってきた白花を見た義母は、白花の顔を水の張られたたらいに押し込んだ。
「おまえはなんてことをしてくれたのかしら! 木島様は酷く腹を立てられて、おまえに賠償金を請求してきたわ。とても大きな金額だから、もう体を売らないと返すに返せる金額じゃないわよ」
「お母様、そのくらいにしてあげて、死んでしまうわ。白花には私がちゃんと仕事を見つけて来たじゃない」
「そうね、白花、綺羅羅に感謝するんですよ。綺羅羅がおまえが賠償金を支払えるよう仕事を探してきてくれたの」
「私は白花のためにできることをしただけよ」
「綺羅羅の手を煩わせて、おまえという子は本当に愚図だね。綺羅羅の話だと、色街ではおまえのようなあざものでも、好事家の間では値段がつくそうよ。力のおかげで傷が治るといったら、需要があると言われたわ。体を張ってしっかり稼いできなさいね」
「お願いします、体を売ることだけはご容赦ください!」
「おまえ、自分が仕事を選べる立場だと思っているの? つべこべ言わずに働くんですよ。すでに傷物、何も惜しくないでしょう」
「そんな、どうか……!」
 猿を逃がしたことで白花は酷く責められ、夜は色街に働きに行くことが決まった。働きに行く日は綺羅羅の迎えが来るのと同じ日。綺羅羅はどこか楽しそうに目を細めていた。
 
 七日の後、綺羅羅が見たように迎えがやってきた。従者ではなく、皇帝自ら花嫁を迎えに来るという。義両親は落ち着きなく家の中をウロウロしていた。
「白花、おまえは絶対に出てくるんじゃありませんよ! おまえのような傷物を皇帝に見せるわけにはいきませんからね。おとなしく納屋に籠っておいで!」
「わかりました」
 扉が叩かれたのは昼を過ぎた頃だ。綺羅羅はすっかり着飾り、皇帝が手を引くのを待っていた。
「綺羅羅! 迎えの馬車がきましたよ!」
 王都からの迎えである白銀の馬が引く馬車の姿が見えると、義母は甲高い声で綺羅羅を呼んだ。
「綺羅羅、おめでとう。どうか、幸せになってね。私は見送ることが出来ないけれど」
 白花が祝辞を伝えると綺羅羅は微笑んだ。
「あなたを残していくのは忍びないけれど、どうかお父様、お母様をよろしくね、白花」
 馬車の扉が開かれる。白花は急いで納屋に駆け込んだ。
 姿を見せたのは、凛々しい面持ちの美しい青年だった。まだ若い。翡翠色の瞳には強い光が宿っている。若き皇帝は熱い眼差しを向けたが、綺羅羅の姿を見て首を傾げた。
「俺の花嫁はどこだ」
 言葉を失う綺羅羅の隣で、義母が口を開く。
「恐れながら陛下、綺羅羅でしたらこちらにおります」
「その娘ではない。ここには他にも娘がいるだろう」
「おりません、うちに娘は綺羅羅だけにございます」
 父もそう言ったが、皇帝は迷わず納屋の方へ向かった。固く閉じられた扉を力任せに開けると、白花に向かってほほ笑んだ。
「迎えに来たぞ、俺の花嫁」
 すっと差し伸べられた手は、綺羅羅の手ではなく、納屋の中にいた白花の手を取る。父も義母も慌てた。
「お、恐れながら、陛下。そちらはわが家の使用人でございます」
「何も間違ってはいない。俺はこの娘を、白花を迎えに来た」
「ご、ご冗談はよしてください。そんなみすぼらしい娘が陛下の妃だなんて……そもそもその子は傷ものなのです。体中に気味の悪いあざがあります。もう花街に働きに行く算段になっております。ほらこちらにおりますのが陛下のお妃です。名は綺羅羅と……」
 義母の言葉に皇帝は鋭い視線を向けた。
「おまえは、俺が自分の花嫁を間違えているというのか」
「め、滅相もございません!」
「白花にあるのはどのようなあざだ」
「ぼ、牡丹の花のような大きなあざでございます。それが、背中にびっしりと……気持ちが悪くて見るに耐えられません」
「なるほど、ならば間違いない。間違いなく俺の花嫁だ。長居は無用、相応の対価は与える。花街に売るなどとんでもない。花街と契約した倍以上の金を出してやる。かわりに白花は連れて行くぞ。白花、俺と一緒にこい」
「え……」
 白花が戸惑っていると、皇帝は白花の手を強く引き抱き寄せた。そのまま抱えて家を出る。
 唖然とする父と義母の横で、着飾った綺羅羅は鬼の形相で白花の後ろ姿を見ていた。