閉店間際のアイスクリーム屋で、京くんはアイスクリーム……ではなく、クレープを食べていた。
「初めて食べましたけど、うまいですね、これ」
俺は満足げに「でしょ」とつぶやいて、京くんのスタンプカードにハンコを押した。熱々のクレープ生地とツナとピザチーズの組み合わせは最高だ。
毎日甘いアイスクリームを食べているから味変したいという京くんのリクエストに応え、今日は軽食系のクレープをおすすめした。
スタンプカードに押されたハンコは、とうとう15個になった。京くんが俺に会いに来た数であり、それに加え……。
――バイトがない日も、涼介さんに会いたいです。
なんて、男の俺でも真っ赤になってしまいそうなことを言い、京くんは放課後の校門で俺を待っているようになった。遠目からでもエリート校であるS高のブレザー姿は大変目立つ。
さすがイケメンな京くんだ。『放課後の校門に超絶イケメンがいる』とか『あのイケメンの美人な彼女が、実はN高にいるらしい』とか、あっという間に噂になって、流行に疎い俺のところにもその噂が届くようになった。残念ながら美人な彼女なんてものは存在しないのだけれど……。
校門で待つ京くんは、俺を見つけるとにこにこと手を振って近づいてくる。そして当然のように俺の隣を歩き始める。
一昨日は、京くんが自販機でジュースを二本買って、一本俺に差し出してくれた。
だから昨日は、お礼にコンビニで唐揚げ棒を買ってあげたのだ。すると、京くんは「半分こしたいです」と、とてもうれしそうな顔で俺に唐揚げをふたつくれた。
正直……京くんはかわいい。渉さんに感じるような直接的な感情の高ぶりとは違う。じわじわと心が温まるような、むずがゆくなるような……そんな感じ。
京くんは俺の家が近づくと、いつもだんだん歩調がゆっくりになる。まるで、帰り道を惜しんでいるように。「亀のほうが速いよ」と京くんに言うと、「俺の前世、かたつむりだって言ってませんでしたっけ?」とすっとぼけていた。それは初耳だ。
「俺と、また一緒に出かけませんか、涼介さん」
京くんがクレープを半分ほど食べ終えた頃、京くんが言った。
「おー、お前ら、デートすんの? なら、俺が運転してやるよ」
近くを通った渉さんが急に会話に割り込んできて、俺は心臓が跳ね上がる。
「えっ!」
「……だから、わかりやすくときめいてんじゃねぇよ」
「と、ときめいてないし」
京くんが不機嫌そうにつぶやき、俺はぶつぶつと言い訳をこぼした。
「変だなぁ……そうは見えませんでしたけど?」
「あ、カスハラですね。お客様のポイントカードは没収させていただ――」
「それはだめです」
拗ねてる京くんは、やっぱりちょっとかわいい。京くんは不機嫌そうに渉さんを睨みつけると、淡々と言葉を続けた。
「だいたい、兄貴が運転してるとこなんて見たら、格好いい~とかなんとか言って、涼介さんメロつくだろ。俺はぜったいに嫌です」
「実際、俺って格好いいし、しょうがないじゃんなぁ、涼介」
渉さんの言葉に、俺は曖昧に笑うしかできなかった。
「……あははは」
たしかに渉さんが運転している姿はきっと格好いいに違いない。
でも、それよりも今は京くんがそんなふうに嫉妬めいたことを言うことに、なんだかドキドキしてしまっていた。最近の俺は京くんの猛攻撃に押されぎみだ。
なんて思っていたその時、京くんがふいに真剣な表情になった。
「近場ですけど……うちの犬、見に来ませんか?」
「あ! もしかして、黒柴のあんこちゃん!? 会いたい!」
思わず声が弾んだ。犬は大好きだし、以前渉さんに黒柴の写真を見せてもらって以来、ずっと会ってみたいと思っていた。
「あんこは、どっか涼介に似てんだよぁ……。な、京」
京くんが真顔でこくりとうなずく。
「えっ、……そうなんですか?」
「そうそう、なんか放っておけねぇっていうか、かわいいっていうか。せっかくだから、遊びきたらいいじゃん、涼介」
「……あ、え、……そ、そうですね。じゃあ、お邪魔させてください!」
初めて渉さんに「かわいい」と言われた。思わずびっくりして固まっていると、京くんがすごい勢いで俺を睨んでいた。
「涼介さん。今、余計なこと考えてません?」
「……かっ、考えてない、全然」
「ならいいんですけど……」
京くんの勘は怖いくらい鋭い。
***
京くんの家は、想像を遥かに超える、格式高い和風の豪邸だった。重厚な門構えと瓦屋根の母屋、手入れの行き届いた日本庭園を見て、俺は自分の家との格差に少し気後れしてしまう。
そわそわと玄関の前で京くんを待っていると、私服姿の京くんが現れた。
「わざわざ来てくれてありがとうございます」
今日も京くんはまぶしいくらいのイケメンだ。
それから京くんに案内され、広々とした居間に通された。高い天井と立派な床の間。なんだか高そうな掛け軸が飾られている。
家の中はシンとしていた。渉さんもいないし、あんこちゃんも、ご両親の姿も見えない。
「あ、あれ……? あんこちゃんは?」
「実は……すみません。今日いないんです、あんこ」
「え……」
とうとうやりやがったな、桐生京。
「……う、嘘ついた!」
「待ってください。怒んないで、涼介さん」
京くんは苦笑いをこぼしながら、言葉を続けた。
「あんこは今、うちの兄貴と動物病院に行ってます。予防接種の予定が急に入っちゃって……。ちゃんと戻ってくるので許してください」
なるほど、予防接種ならしょうがない。納得してこくりとうなずくと、京くんが俺の目をじっと見つめてきた。
「ど、どうしたの?」
「……あの人を想って、泣いてないですか?」
心臓がドクッと鳴る。
「あ、……うん。泣いてないよ」
「よかった」
最近はもう渉さんを想って泣くことはない。自分でも渉さんを好きだった気持ちを、少しずつ整理できているのだと感じる。
だけど、新たな悩みごとが増えた。京くんせいだ。
京くんのことを考えると、胸が締めつけられるみたいに苦しくなることが多くなってしまった。
京くんが振られてしまった相手のこと。俺に似てるという、本当に好きな人のこと。
「あんこの写真、見ますか?」
京くんがスマホを取り出し、俺は笑顔でうなずく。
横に並んで座って、あんこの写真を見た。スマホ画面には愛らしい黒柴の写真がたくさん入っている。
「うわぁ……、ほんとかわいい!」
ぺろりと舌を出してカメラを見つめているあんこ、ふわふわの毛玉のようにまん丸く眠っているあんこ、おもちゃを咥えて真剣な表情のあんこ。どの写真も本当にかわいくて、思わず頬が緩んでしまう。
「似てるだろ、涼介さんに」
「……お、俺には、似てないと思うけど」
「似てますよ。特に、この表情とか」
京くんが画面を指差したのは、あんこが散歩中に枝を咥えている写真だった。自分の体より長い枝を得意げに咥えたあんこは、まるで「見て見て!」と言わんばかりの誇らしげな表情をしている。
あんこはかわいいけれど、俺はどこがどう似ているのか、よくわからなかった。
「クレープが上手く焼けたときの涼介さんの顔、そっくり」
「なんだよ、それ」
思わず笑ってしまった。
「俺、こんな顔してた?」
「してましたね、この前も」
「……あ、もしかして、渉さんからなんか聞いてた?」
「はい。あの人おしゃべりなんで」
実はバイトを始めた当初はクレープに穴を開けまくって、あわやクビになるかと思うくらい上手く焼けなかったのだ。けれど、渉さんとの特訓のおかげで、いつしか誰よりも上手に焼けるようになった。
クレープを焼くたびにそんな特訓の日々が思い出され、今でもちょっとドヤ顔をしてしまう。
「なんか、恥ずかしくなってきた……」
京くんは赤い顔をしている俺を見ておかしそうに笑い、次の写真にスワイプする。
「これは風呂上がりのあんこです。嫌がって逃げ回るんですけど、乾かさないと風邪ひくから」
「ははっ、あんこちゃん、すごく嫌そうな顔してる」
「そうなんですよ。でも最後は諦めて大人しくなるんです」
あんこの話をしている京くんの表情は、いつもよりずっと柔らかい。
「このあんこの顔は、俺に『付き合って』って言われて困っている涼介さんにそっくりじゃないですか?」
「……自分で言わないでよ」
「涼介さんも、最後は諦めて俺と付き合ってくれるといいんですけど」
「…………」
「そうそう、その顔」
「……もう、京くん! ほんとにポイントカード没収するからね!」
けらけらと笑った京くんと目が合った。ふとお互い黙り込んでしまって、なんだかドキドキしてしまう。
笑うのをやめた京くんの瞳にとらわれる。
「……え、えっと」
「……あの」
お互いに何か言いかけて、でも言葉が続かない。妙に息が苦しくて、心臓がうるさく音を立てていた。
「涼介さん、先にどうぞ」
京くんに促されて、素直に言葉を続けた。
「あ、あのさ、京くん……聞きたかったこと、聞いていい?」
「なんですか?」
「京くんの好きな人の話なんだけど……お、俺も教えてもらいたいなって」
「……楽しい話じゃないです」
「でも、俺だけ好きだった人バレてるし、不公平じゃん……!」
「……まぁ、たしかに」
京くんはどこか気まずそうだ。そんなに俺に言うのが嫌なのだろうか。
「い、言いたくないなら……それでもいいんだけど」
「あー、違くて……俺の場合、ちょっと特殊っていうか、好きになった経緯が、微妙で」
京くんは膝の上で手を組んで、俯き加減になった。普段の堂々とした彼らしくない、弱々しい横顔。
「その人とは喋ったことがなかったんです」
「そうだったんだ……」
「はい。喋ったこともないのに好きになるなんて、変だと思うでしょう、……さすがの涼介さんも」
京くんの声は小さくて、まるで自分を責めているようだった。俺は大きく首を横に振った。
「……お、思わないよ! 好意を持つきっかけなんて、教科書があるわけじゃないし……」
恋愛に疎い俺だって、人を好きになる理由は千差万別だと思う。一目惚れもあれば、じわじわと惹かれていくことだってあるだろう。
京くんが自分を責める必要なんて、どこにもない。
「……あなたならそう言ってくれるかもって、ちょっと期待してました」
京くんの瞳に、安堵のような光が宿った。俺もほっとして小さく微笑んだ。
「それで、……京くん好きな人は何歳で、どこの誰なの」
京くんは、困ったように片眉を上げる。
「……年齢は秘密で、名前も……秘密です」
「……じゃあ、どこに住んでる人?」
「秘密です」
「しゃ、写真は……!? 顔が見たいんだけど!」
「……それも秘密です」
俺はむっとして眉間にしわを寄せる。京くんはかなりの秘密主義だ。
そんなに俺が信用できないのだろうか。
言いたいことが山ほどあってじっと睨みつけると、京くんは珍しく俺から視線を逸らしてしまう。
ちくちくと心臓が痛んだ。京くんがそこまで隠したがるということは、よほど大切な人なんだと思う。きっとすごく素敵な人で、京くんにとって特別な存在なのだ。
それに比べて俺は……。代わりでしかない自分が急に惨めに思えてきて、なんだか居心地が悪くなってしまう。
「……」
「……」
重い沈黙が流れる中、京くんの携帯が突然鳴った。
画面を確認した京くんは、ため息をついてスマホを台の上に置く。
「で、出ていいよ」
「ただのダチです。どうせくだんないことですから」
「俺のことは気にしないで、出ていいから!」
余計なお節介かなと思いつつ、気を利かせて席を立った。「お手洗い借りるね」そう小声で言って廊下に出ると、京くんが電話に出る声が聞こえた。
しばらくしてトイレから戻ると、まだ京くんは電話を続けているようだった。居間のほうから声が聞こえてくる。
「――だから行かねぇって。今、忙しいんだよ……」
友達と話すときはちょっと乱暴な口調になるんだな、と思う。年相応の高校生らしい話し方がなんだか新鮮だった。
京くんと友達の会話は続いている。俺は戻るタイミングを逃し、つい聞き耳を立ててしまった。
「とにかく合コンとかはいいって」
ドキン、と心臓が鳴った。友人からの合コンのお誘いがあったようだ。
「今も好きに決まってんだろうが……あの人が、どうやったって俺のいちばんの人だから」
息が止まる。
「……っ!」
胸に鋭い痛みが走った。
――あの人が、どうやったって俺のいちばんの人だから。
京くんの本当に好きな人。
やはり自分は二番目なのだと、改めて思い知らされた気がした。
京くんにとって、俺は代わりでしかない。さびしさを紛らわすための、ただの代用品。それはわかっていたつもりだったのに、実際に聞いてしまうと、こんなにも胸が苦しい。
気がつくと、頬に熱いものが伝っていて、ひどく動揺した。廊下でひとり、情けなく涙を流している自分が嫌になる。
このまま京くんには会えない。俺は、そっと玄関のほうへ足を向けた。
「涼介さん?」
振り返ると、電話を終えた京くんが廊下に出てきて、愕然とした表情をしていた。
「なんで……泣いて……。ど、どうしたんですか、涼介さん」
「ご、ごめん、俺帰る……」
俺は慌てて涙を拭いながら、玄関へ向かった。
「待って! 待ってください!」
京くんが慌てて俺の腕を掴む。
「離して……もう、やだ……!」
振り回されるのはこりごりだ。こんなに胸が痛いのも。
「な、何が嫌なんですか?」
「京くんのいちばんの人の代わりなんて……やだよ、俺……!」
なんでこんなことで泣いているんだろう。ぽろぽろと涙が頬を伝って、止められない。また京くんの前でみっともなく泣いてしまっている。
京くんはひどく驚いたような顔をしていた。
「もしかして、……さっきの話、聞いてたんですか」
無言でうつむいた。
俺の両肩を掴むと、京くんが真剣な表情で見つめてくる。
「お、俺のことで泣いてくれてるんですか……? 兄貴じゃなくて、俺のことで……?」
俺は慌てて涙を拭いた。京くんの声が少しだけうれしそうなのは、気のせいだろうか。
「……な、泣いてない」
京くんが深く息を吸って、俺の目をまっすぐに見つめてくる。
「……すみません、涼介さん。いい加減、腹をくくって、本当のことを言います。……代わりじゃないです。俺が好きなのはずっと涼介さんだけです」
「え?」
頭が真っ白になった。何を言われているのか理解できない。
「言えるわけないじゃないですか……兄貴の目を通してあなたを好きになったなんて」
渉さんの目を通して……?
「……ど、どういうこと?」
「初めてあなたがバイトを始めた日から……、俺は兄貴からあなたの話を聞いていました」
京くんはどこか苦しそうな笑顔で言葉を続けた。
「兄貴が写真を見せてくれたんです。『あんこみてぇなかわいい奴がいた』って。その日から、俺はあなたのことが気になって仕方なかった」
写真を見て気になった? 俺の写真を?
頭の中が混乱するけれど、でも京くんが嘘をついているようには見えない。
「クレープ生地を上手に焼けるようになった話、スクープでアイスを取る練習を一生懸命してる話、お客さんに褒められて嬉しそうにしてた話……。兄貴は涼介さんのことばかり話してくれました」
渉さんが俺のことを話していた。そんな細かいことまで覚えていてくれたなんて。京くんはそれを聞いて、俺のことを知ってくれていたのか。
「涼介さんがバイトで失敗して落ち込んだ日も、成功して喜んでいた日も、お年寄りと笑って話をしていた日も、小さい子に親切にしてあげていた日も、ぜんぶ兄貴から聞いていました。『今日は涼介がこんなことしてさ』って、本当に楽しそうに話すんです。だから、俺もあなたと一緒にいるような気持ちになって、一生懸命で素直で、かわいいあなたのことがどんどん好きになっていった。ばかですよね……ほんとに。でも、本当のことです。兄貴からあなたの話を聞くのが、楽しみでしょうがなかった」
京くんの声が優しい。俺の何気ない日常を、こんなに大切に思ってくれていたなんて。
「我慢できなくて、兄に会いに行くフリをして、あなたに気づかれないように会いに行ったことだって何度もありました。遠くから見てるだけでも幸せで……男の俺があなたとどうこうなれるなんて思っていなかった。でも、そんなの言い訳です。本当は話しかける勇気がなかったんです。だから、あなたは……俺じゃなくて兄貴を好きになった」
京くんがバイト先に顔を出すことがあったのは、渉さんに会いに来ていたわけじゃなくて……俺に? 俺を会いに?
どうしようもなく混乱していた。
「じゃあ、さっき電話で言ってた……い、いちばんの人って」
「涼介さんのことです。友達に『まだ諦めてねぇのか』って言われて、つい……。涼介さんが俺のいちばんの人だから」
俺の心臓が大きく跳ねた。
京くんの好きな人は……俺だった?
代わりじゃなくて、本当に俺を見てくれていたのだろうか。
「……け、京くん、……好きな人は俺に似てるって」
――……似てます。そっくりですよ、中村さんは。
「はい、似てます。ていうか、本人なので当たり前ですよね」
「……そんな」
俺は口元を手で押さえ、小さく声をこぼした。
今までの京くんの言葉が、まったく違う意味を持って俺の胸に響いてくる。
――……情けない話ですけど、告白もできなかったんです、俺。
――……男でよかったんなら、……なんで、俺じゃねぇんだよって。だから、もう待ってるだけは嫌なんです。
――俺は、あなたと付き合いたい。兄貴に振られて、ずっと泣いてたあなたと。
好きな人に似ているから、代わりになってほしい。
そんな思いで俺に告白しているのだと思っていた。
勝手に傷ついていた自分が、急に恥ずかしくなった。
京くんは最初から俺のことを言っていたのに、俺は盛大な勘違いをして、ひとりで落ち込んでいたのだ。
でも、京くんだって遠回りすぎる。もっと早く本当のことを言ってくれれば――。
「嘘をついて、すみませんでした。……でも、それだけ必死だったんです。しゃべったこともない俺が好きだって言っても、信じてもらえないと思って」
濡れた俺の目尻を、京くんが親指で拭ってくれた。
「好きです、涼介さん。兄貴なんかよりも、ずっとずっとあなたが大好きです……。どうか……俺と、付き合ってくれませんか?」
その瞬間、うれしいと思ってしまった自分を隠せなかった。
京くんの好きな人が、俺だった。代わりじゃなくて、本物の俺を見てくれていた。
「だめ、ですよね」
京くんが、苦笑いをこぼす。
俺が何も言えなかったから、諦めモードに入ってしまったらしい。慌てて首を振る。
「え……?」
「……い、いいよ」
俺がそう言うと、京くんの目が大きく見開かれた。
「そ、それって」
京くんの声が震えている。まるで夢を見ているような、信じられないような表情で俺を見つめていた。
「ほ、本当にですか……? 俺と付き合ってくれるんですか?」
俺はゆっくりとうなずいた。
「だ、だけど……」
京くんの表情が少し曇る。俺は慌てて言葉を続けた。
「俺、まだ渉さんのこと、完全に整理できてるわけじゃないし……京くんのことも、その、好きかどうかはっきりとは言えなくて……。それでも、京くんといる時間は本当に楽しくて、一緒にいたいって思うから……だから、その……お試し、でもいい?」
京くんは一瞬きょとんとした後、優しく微笑んだ。
「もちろんです。涼介さんのペースでいいんです。俺にチャンスをもらえただけで十分です」
とんでもないことをしているような気がするけれど、でも……一歩踏み出すことを決めたから。
京くんが一歩近づいて、そっと俺の手を取った。
「涼介さん」
名前を呼ばれて顔を上げると、京くんの瞳がすごく近くにあった。
京くんのもう片方の手が俺の頬にそっと触れる。親指で涙の跡をなぞるように優しく撫でてきた。
「……京、くん?」
京くんがぎこちなく微笑む。きっと彼も、俺と同じぐらい緊張しているのだ。
「さっき十分って言ったばかりなんですが……涼介さんのこと、抱きしめても、いいですか?」
真っ直ぐな問いかけに、心臓が跳ね上がった。
戸惑いながらも小さくうなずこうとした時――。
「ういー、ただいまー! お待ちかねのあんこの登場~~! ――って、何お前ら……」
渉さんの賑やかな声と共に、玄関の扉が開かれた。京くんは俺から手を離し、慌てて距離をとる。でも、まだお互いの頬は赤く、何かが起こっていたであろうことは一目瞭然だった。
「お、なんか進展あった感じ……? やるじゃん京!」
抱っこされながら愛らしく「へっ、へっ」と息をしている黒柴のあんこ。そしてにやにやしながら笑っている渉さんが、真っ赤な顔をして固まっている俺と京くんを見つめていた。
「初めて食べましたけど、うまいですね、これ」
俺は満足げに「でしょ」とつぶやいて、京くんのスタンプカードにハンコを押した。熱々のクレープ生地とツナとピザチーズの組み合わせは最高だ。
毎日甘いアイスクリームを食べているから味変したいという京くんのリクエストに応え、今日は軽食系のクレープをおすすめした。
スタンプカードに押されたハンコは、とうとう15個になった。京くんが俺に会いに来た数であり、それに加え……。
――バイトがない日も、涼介さんに会いたいです。
なんて、男の俺でも真っ赤になってしまいそうなことを言い、京くんは放課後の校門で俺を待っているようになった。遠目からでもエリート校であるS高のブレザー姿は大変目立つ。
さすがイケメンな京くんだ。『放課後の校門に超絶イケメンがいる』とか『あのイケメンの美人な彼女が、実はN高にいるらしい』とか、あっという間に噂になって、流行に疎い俺のところにもその噂が届くようになった。残念ながら美人な彼女なんてものは存在しないのだけれど……。
校門で待つ京くんは、俺を見つけるとにこにこと手を振って近づいてくる。そして当然のように俺の隣を歩き始める。
一昨日は、京くんが自販機でジュースを二本買って、一本俺に差し出してくれた。
だから昨日は、お礼にコンビニで唐揚げ棒を買ってあげたのだ。すると、京くんは「半分こしたいです」と、とてもうれしそうな顔で俺に唐揚げをふたつくれた。
正直……京くんはかわいい。渉さんに感じるような直接的な感情の高ぶりとは違う。じわじわと心が温まるような、むずがゆくなるような……そんな感じ。
京くんは俺の家が近づくと、いつもだんだん歩調がゆっくりになる。まるで、帰り道を惜しんでいるように。「亀のほうが速いよ」と京くんに言うと、「俺の前世、かたつむりだって言ってませんでしたっけ?」とすっとぼけていた。それは初耳だ。
「俺と、また一緒に出かけませんか、涼介さん」
京くんがクレープを半分ほど食べ終えた頃、京くんが言った。
「おー、お前ら、デートすんの? なら、俺が運転してやるよ」
近くを通った渉さんが急に会話に割り込んできて、俺は心臓が跳ね上がる。
「えっ!」
「……だから、わかりやすくときめいてんじゃねぇよ」
「と、ときめいてないし」
京くんが不機嫌そうにつぶやき、俺はぶつぶつと言い訳をこぼした。
「変だなぁ……そうは見えませんでしたけど?」
「あ、カスハラですね。お客様のポイントカードは没収させていただ――」
「それはだめです」
拗ねてる京くんは、やっぱりちょっとかわいい。京くんは不機嫌そうに渉さんを睨みつけると、淡々と言葉を続けた。
「だいたい、兄貴が運転してるとこなんて見たら、格好いい~とかなんとか言って、涼介さんメロつくだろ。俺はぜったいに嫌です」
「実際、俺って格好いいし、しょうがないじゃんなぁ、涼介」
渉さんの言葉に、俺は曖昧に笑うしかできなかった。
「……あははは」
たしかに渉さんが運転している姿はきっと格好いいに違いない。
でも、それよりも今は京くんがそんなふうに嫉妬めいたことを言うことに、なんだかドキドキしてしまっていた。最近の俺は京くんの猛攻撃に押されぎみだ。
なんて思っていたその時、京くんがふいに真剣な表情になった。
「近場ですけど……うちの犬、見に来ませんか?」
「あ! もしかして、黒柴のあんこちゃん!? 会いたい!」
思わず声が弾んだ。犬は大好きだし、以前渉さんに黒柴の写真を見せてもらって以来、ずっと会ってみたいと思っていた。
「あんこは、どっか涼介に似てんだよぁ……。な、京」
京くんが真顔でこくりとうなずく。
「えっ、……そうなんですか?」
「そうそう、なんか放っておけねぇっていうか、かわいいっていうか。せっかくだから、遊びきたらいいじゃん、涼介」
「……あ、え、……そ、そうですね。じゃあ、お邪魔させてください!」
初めて渉さんに「かわいい」と言われた。思わずびっくりして固まっていると、京くんがすごい勢いで俺を睨んでいた。
「涼介さん。今、余計なこと考えてません?」
「……かっ、考えてない、全然」
「ならいいんですけど……」
京くんの勘は怖いくらい鋭い。
***
京くんの家は、想像を遥かに超える、格式高い和風の豪邸だった。重厚な門構えと瓦屋根の母屋、手入れの行き届いた日本庭園を見て、俺は自分の家との格差に少し気後れしてしまう。
そわそわと玄関の前で京くんを待っていると、私服姿の京くんが現れた。
「わざわざ来てくれてありがとうございます」
今日も京くんはまぶしいくらいのイケメンだ。
それから京くんに案内され、広々とした居間に通された。高い天井と立派な床の間。なんだか高そうな掛け軸が飾られている。
家の中はシンとしていた。渉さんもいないし、あんこちゃんも、ご両親の姿も見えない。
「あ、あれ……? あんこちゃんは?」
「実は……すみません。今日いないんです、あんこ」
「え……」
とうとうやりやがったな、桐生京。
「……う、嘘ついた!」
「待ってください。怒んないで、涼介さん」
京くんは苦笑いをこぼしながら、言葉を続けた。
「あんこは今、うちの兄貴と動物病院に行ってます。予防接種の予定が急に入っちゃって……。ちゃんと戻ってくるので許してください」
なるほど、予防接種ならしょうがない。納得してこくりとうなずくと、京くんが俺の目をじっと見つめてきた。
「ど、どうしたの?」
「……あの人を想って、泣いてないですか?」
心臓がドクッと鳴る。
「あ、……うん。泣いてないよ」
「よかった」
最近はもう渉さんを想って泣くことはない。自分でも渉さんを好きだった気持ちを、少しずつ整理できているのだと感じる。
だけど、新たな悩みごとが増えた。京くんせいだ。
京くんのことを考えると、胸が締めつけられるみたいに苦しくなることが多くなってしまった。
京くんが振られてしまった相手のこと。俺に似てるという、本当に好きな人のこと。
「あんこの写真、見ますか?」
京くんがスマホを取り出し、俺は笑顔でうなずく。
横に並んで座って、あんこの写真を見た。スマホ画面には愛らしい黒柴の写真がたくさん入っている。
「うわぁ……、ほんとかわいい!」
ぺろりと舌を出してカメラを見つめているあんこ、ふわふわの毛玉のようにまん丸く眠っているあんこ、おもちゃを咥えて真剣な表情のあんこ。どの写真も本当にかわいくて、思わず頬が緩んでしまう。
「似てるだろ、涼介さんに」
「……お、俺には、似てないと思うけど」
「似てますよ。特に、この表情とか」
京くんが画面を指差したのは、あんこが散歩中に枝を咥えている写真だった。自分の体より長い枝を得意げに咥えたあんこは、まるで「見て見て!」と言わんばかりの誇らしげな表情をしている。
あんこはかわいいけれど、俺はどこがどう似ているのか、よくわからなかった。
「クレープが上手く焼けたときの涼介さんの顔、そっくり」
「なんだよ、それ」
思わず笑ってしまった。
「俺、こんな顔してた?」
「してましたね、この前も」
「……あ、もしかして、渉さんからなんか聞いてた?」
「はい。あの人おしゃべりなんで」
実はバイトを始めた当初はクレープに穴を開けまくって、あわやクビになるかと思うくらい上手く焼けなかったのだ。けれど、渉さんとの特訓のおかげで、いつしか誰よりも上手に焼けるようになった。
クレープを焼くたびにそんな特訓の日々が思い出され、今でもちょっとドヤ顔をしてしまう。
「なんか、恥ずかしくなってきた……」
京くんは赤い顔をしている俺を見ておかしそうに笑い、次の写真にスワイプする。
「これは風呂上がりのあんこです。嫌がって逃げ回るんですけど、乾かさないと風邪ひくから」
「ははっ、あんこちゃん、すごく嫌そうな顔してる」
「そうなんですよ。でも最後は諦めて大人しくなるんです」
あんこの話をしている京くんの表情は、いつもよりずっと柔らかい。
「このあんこの顔は、俺に『付き合って』って言われて困っている涼介さんにそっくりじゃないですか?」
「……自分で言わないでよ」
「涼介さんも、最後は諦めて俺と付き合ってくれるといいんですけど」
「…………」
「そうそう、その顔」
「……もう、京くん! ほんとにポイントカード没収するからね!」
けらけらと笑った京くんと目が合った。ふとお互い黙り込んでしまって、なんだかドキドキしてしまう。
笑うのをやめた京くんの瞳にとらわれる。
「……え、えっと」
「……あの」
お互いに何か言いかけて、でも言葉が続かない。妙に息が苦しくて、心臓がうるさく音を立てていた。
「涼介さん、先にどうぞ」
京くんに促されて、素直に言葉を続けた。
「あ、あのさ、京くん……聞きたかったこと、聞いていい?」
「なんですか?」
「京くんの好きな人の話なんだけど……お、俺も教えてもらいたいなって」
「……楽しい話じゃないです」
「でも、俺だけ好きだった人バレてるし、不公平じゃん……!」
「……まぁ、たしかに」
京くんはどこか気まずそうだ。そんなに俺に言うのが嫌なのだろうか。
「い、言いたくないなら……それでもいいんだけど」
「あー、違くて……俺の場合、ちょっと特殊っていうか、好きになった経緯が、微妙で」
京くんは膝の上で手を組んで、俯き加減になった。普段の堂々とした彼らしくない、弱々しい横顔。
「その人とは喋ったことがなかったんです」
「そうだったんだ……」
「はい。喋ったこともないのに好きになるなんて、変だと思うでしょう、……さすがの涼介さんも」
京くんの声は小さくて、まるで自分を責めているようだった。俺は大きく首を横に振った。
「……お、思わないよ! 好意を持つきっかけなんて、教科書があるわけじゃないし……」
恋愛に疎い俺だって、人を好きになる理由は千差万別だと思う。一目惚れもあれば、じわじわと惹かれていくことだってあるだろう。
京くんが自分を責める必要なんて、どこにもない。
「……あなたならそう言ってくれるかもって、ちょっと期待してました」
京くんの瞳に、安堵のような光が宿った。俺もほっとして小さく微笑んだ。
「それで、……京くん好きな人は何歳で、どこの誰なの」
京くんは、困ったように片眉を上げる。
「……年齢は秘密で、名前も……秘密です」
「……じゃあ、どこに住んでる人?」
「秘密です」
「しゃ、写真は……!? 顔が見たいんだけど!」
「……それも秘密です」
俺はむっとして眉間にしわを寄せる。京くんはかなりの秘密主義だ。
そんなに俺が信用できないのだろうか。
言いたいことが山ほどあってじっと睨みつけると、京くんは珍しく俺から視線を逸らしてしまう。
ちくちくと心臓が痛んだ。京くんがそこまで隠したがるということは、よほど大切な人なんだと思う。きっとすごく素敵な人で、京くんにとって特別な存在なのだ。
それに比べて俺は……。代わりでしかない自分が急に惨めに思えてきて、なんだか居心地が悪くなってしまう。
「……」
「……」
重い沈黙が流れる中、京くんの携帯が突然鳴った。
画面を確認した京くんは、ため息をついてスマホを台の上に置く。
「で、出ていいよ」
「ただのダチです。どうせくだんないことですから」
「俺のことは気にしないで、出ていいから!」
余計なお節介かなと思いつつ、気を利かせて席を立った。「お手洗い借りるね」そう小声で言って廊下に出ると、京くんが電話に出る声が聞こえた。
しばらくしてトイレから戻ると、まだ京くんは電話を続けているようだった。居間のほうから声が聞こえてくる。
「――だから行かねぇって。今、忙しいんだよ……」
友達と話すときはちょっと乱暴な口調になるんだな、と思う。年相応の高校生らしい話し方がなんだか新鮮だった。
京くんと友達の会話は続いている。俺は戻るタイミングを逃し、つい聞き耳を立ててしまった。
「とにかく合コンとかはいいって」
ドキン、と心臓が鳴った。友人からの合コンのお誘いがあったようだ。
「今も好きに決まってんだろうが……あの人が、どうやったって俺のいちばんの人だから」
息が止まる。
「……っ!」
胸に鋭い痛みが走った。
――あの人が、どうやったって俺のいちばんの人だから。
京くんの本当に好きな人。
やはり自分は二番目なのだと、改めて思い知らされた気がした。
京くんにとって、俺は代わりでしかない。さびしさを紛らわすための、ただの代用品。それはわかっていたつもりだったのに、実際に聞いてしまうと、こんなにも胸が苦しい。
気がつくと、頬に熱いものが伝っていて、ひどく動揺した。廊下でひとり、情けなく涙を流している自分が嫌になる。
このまま京くんには会えない。俺は、そっと玄関のほうへ足を向けた。
「涼介さん?」
振り返ると、電話を終えた京くんが廊下に出てきて、愕然とした表情をしていた。
「なんで……泣いて……。ど、どうしたんですか、涼介さん」
「ご、ごめん、俺帰る……」
俺は慌てて涙を拭いながら、玄関へ向かった。
「待って! 待ってください!」
京くんが慌てて俺の腕を掴む。
「離して……もう、やだ……!」
振り回されるのはこりごりだ。こんなに胸が痛いのも。
「な、何が嫌なんですか?」
「京くんのいちばんの人の代わりなんて……やだよ、俺……!」
なんでこんなことで泣いているんだろう。ぽろぽろと涙が頬を伝って、止められない。また京くんの前でみっともなく泣いてしまっている。
京くんはひどく驚いたような顔をしていた。
「もしかして、……さっきの話、聞いてたんですか」
無言でうつむいた。
俺の両肩を掴むと、京くんが真剣な表情で見つめてくる。
「お、俺のことで泣いてくれてるんですか……? 兄貴じゃなくて、俺のことで……?」
俺は慌てて涙を拭いた。京くんの声が少しだけうれしそうなのは、気のせいだろうか。
「……な、泣いてない」
京くんが深く息を吸って、俺の目をまっすぐに見つめてくる。
「……すみません、涼介さん。いい加減、腹をくくって、本当のことを言います。……代わりじゃないです。俺が好きなのはずっと涼介さんだけです」
「え?」
頭が真っ白になった。何を言われているのか理解できない。
「言えるわけないじゃないですか……兄貴の目を通してあなたを好きになったなんて」
渉さんの目を通して……?
「……ど、どういうこと?」
「初めてあなたがバイトを始めた日から……、俺は兄貴からあなたの話を聞いていました」
京くんはどこか苦しそうな笑顔で言葉を続けた。
「兄貴が写真を見せてくれたんです。『あんこみてぇなかわいい奴がいた』って。その日から、俺はあなたのことが気になって仕方なかった」
写真を見て気になった? 俺の写真を?
頭の中が混乱するけれど、でも京くんが嘘をついているようには見えない。
「クレープ生地を上手に焼けるようになった話、スクープでアイスを取る練習を一生懸命してる話、お客さんに褒められて嬉しそうにしてた話……。兄貴は涼介さんのことばかり話してくれました」
渉さんが俺のことを話していた。そんな細かいことまで覚えていてくれたなんて。京くんはそれを聞いて、俺のことを知ってくれていたのか。
「涼介さんがバイトで失敗して落ち込んだ日も、成功して喜んでいた日も、お年寄りと笑って話をしていた日も、小さい子に親切にしてあげていた日も、ぜんぶ兄貴から聞いていました。『今日は涼介がこんなことしてさ』って、本当に楽しそうに話すんです。だから、俺もあなたと一緒にいるような気持ちになって、一生懸命で素直で、かわいいあなたのことがどんどん好きになっていった。ばかですよね……ほんとに。でも、本当のことです。兄貴からあなたの話を聞くのが、楽しみでしょうがなかった」
京くんの声が優しい。俺の何気ない日常を、こんなに大切に思ってくれていたなんて。
「我慢できなくて、兄に会いに行くフリをして、あなたに気づかれないように会いに行ったことだって何度もありました。遠くから見てるだけでも幸せで……男の俺があなたとどうこうなれるなんて思っていなかった。でも、そんなの言い訳です。本当は話しかける勇気がなかったんです。だから、あなたは……俺じゃなくて兄貴を好きになった」
京くんがバイト先に顔を出すことがあったのは、渉さんに会いに来ていたわけじゃなくて……俺に? 俺を会いに?
どうしようもなく混乱していた。
「じゃあ、さっき電話で言ってた……い、いちばんの人って」
「涼介さんのことです。友達に『まだ諦めてねぇのか』って言われて、つい……。涼介さんが俺のいちばんの人だから」
俺の心臓が大きく跳ねた。
京くんの好きな人は……俺だった?
代わりじゃなくて、本当に俺を見てくれていたのだろうか。
「……け、京くん、……好きな人は俺に似てるって」
――……似てます。そっくりですよ、中村さんは。
「はい、似てます。ていうか、本人なので当たり前ですよね」
「……そんな」
俺は口元を手で押さえ、小さく声をこぼした。
今までの京くんの言葉が、まったく違う意味を持って俺の胸に響いてくる。
――……情けない話ですけど、告白もできなかったんです、俺。
――……男でよかったんなら、……なんで、俺じゃねぇんだよって。だから、もう待ってるだけは嫌なんです。
――俺は、あなたと付き合いたい。兄貴に振られて、ずっと泣いてたあなたと。
好きな人に似ているから、代わりになってほしい。
そんな思いで俺に告白しているのだと思っていた。
勝手に傷ついていた自分が、急に恥ずかしくなった。
京くんは最初から俺のことを言っていたのに、俺は盛大な勘違いをして、ひとりで落ち込んでいたのだ。
でも、京くんだって遠回りすぎる。もっと早く本当のことを言ってくれれば――。
「嘘をついて、すみませんでした。……でも、それだけ必死だったんです。しゃべったこともない俺が好きだって言っても、信じてもらえないと思って」
濡れた俺の目尻を、京くんが親指で拭ってくれた。
「好きです、涼介さん。兄貴なんかよりも、ずっとずっとあなたが大好きです……。どうか……俺と、付き合ってくれませんか?」
その瞬間、うれしいと思ってしまった自分を隠せなかった。
京くんの好きな人が、俺だった。代わりじゃなくて、本物の俺を見てくれていた。
「だめ、ですよね」
京くんが、苦笑いをこぼす。
俺が何も言えなかったから、諦めモードに入ってしまったらしい。慌てて首を振る。
「え……?」
「……い、いいよ」
俺がそう言うと、京くんの目が大きく見開かれた。
「そ、それって」
京くんの声が震えている。まるで夢を見ているような、信じられないような表情で俺を見つめていた。
「ほ、本当にですか……? 俺と付き合ってくれるんですか?」
俺はゆっくりとうなずいた。
「だ、だけど……」
京くんの表情が少し曇る。俺は慌てて言葉を続けた。
「俺、まだ渉さんのこと、完全に整理できてるわけじゃないし……京くんのことも、その、好きかどうかはっきりとは言えなくて……。それでも、京くんといる時間は本当に楽しくて、一緒にいたいって思うから……だから、その……お試し、でもいい?」
京くんは一瞬きょとんとした後、優しく微笑んだ。
「もちろんです。涼介さんのペースでいいんです。俺にチャンスをもらえただけで十分です」
とんでもないことをしているような気がするけれど、でも……一歩踏み出すことを決めたから。
京くんが一歩近づいて、そっと俺の手を取った。
「涼介さん」
名前を呼ばれて顔を上げると、京くんの瞳がすごく近くにあった。
京くんのもう片方の手が俺の頬にそっと触れる。親指で涙の跡をなぞるように優しく撫でてきた。
「……京、くん?」
京くんがぎこちなく微笑む。きっと彼も、俺と同じぐらい緊張しているのだ。
「さっき十分って言ったばかりなんですが……涼介さんのこと、抱きしめても、いいですか?」
真っ直ぐな問いかけに、心臓が跳ね上がった。
戸惑いながらも小さくうなずこうとした時――。
「ういー、ただいまー! お待ちかねのあんこの登場~~! ――って、何お前ら……」
渉さんの賑やかな声と共に、玄関の扉が開かれた。京くんは俺から手を離し、慌てて距離をとる。でも、まだお互いの頬は赤く、何かが起こっていたであろうことは一目瞭然だった。
「お、なんか進展あった感じ……? やるじゃん京!」
抱っこされながら愛らしく「へっ、へっ」と息をしている黒柴のあんこ。そしてにやにやしながら笑っている渉さんが、真っ赤な顔をして固まっている俺と京くんを見つめていた。



