「えーっと……、なかっ、中村(なかむら)涼介(りょうすけ)って言います。高校三年生です。アイス屋でバイトしてっ、ます」

 途中で声が何度も裏返った。最悪だ。

「こういう会は初めてで、何か失礼があったらすみません」
「待って、なんで敬語なの」
「硬すぎて、ちょっとキュンとした」

 女の子たちがくすくすと笑う。頬がかぁっと燃えるように熱くなった。
 カラオケボックスの薄暗い部屋。オレンジジュースの入ったグラスを握りしめながら、俺は場違いな自分を痛いくらい感じていた。
 女子メンバーはK高の三年生の女子がふたりと、R高の三年生の女子がふたり。みんなとてもかわいらしくて、なんだか目を開けていられないくらいキラキラしている。
 こっちの男子メンバーは、平凡で何ひとつ取り柄がない俺。そして中学からの親友であり、俺と同じN高のクラスでも人気者な賢太(けんた)(まこと)
 ふたりは俺を見て、少しだけ心配そうに口角を上げている。

「実はこいつ、先週振られたんだよ」
「そー、マジの大失恋。な? 涼介」
「……お前らっ、余計なことを!」
「いいじゃん、ほんとのことなんだから。こういうのは言っちゃったほうが楽になるんだって」

 俺は慌ててふたりの口を塞ごうとしたが、もう遅い。テーブルの向こうの女の子たちが興味深そうに身を乗り出している。

「えっ、振られちゃったの?」

 きれいに髪を巻いた茶髪の女の子が、同情的な視線を向けてくる。たしか、みゆきちゃんだったか。

「……あ、うん」

 からかうでもなく、本気で心配してくれている女の子たちの反応に、俺は素直な言葉を漏らした。
 先週、一生分の勇気を出して電話で告白をしたら、木っ端微塵に振られてしまった。それは紛れもない事実だ。
 俺の好きな人は、俺を振るときも優しかった。何度も何度も「涼介、ほんとごめん」と何も悪くないのに、謝ってくれていたっけ。
 ふいに涙がじわりと浮かびそうになり、慌てて瞬きを繰り返した。消えない心臓の痛みを感じるたび、あの人が本当に好きだったんだなと、ばかみたいに再確認している。
 完全に高望みだったのはわかっていたし、振られる以外の選択肢がないこともわかっていた。だけど、やっぱり、さびしいもんはさびしいんだよ。

「大丈夫大丈夫。女は星の数ほどいるからさ」
「そうそう、ここにもいい女いるし」
「ねー!」
「そうだぞ、涼介元気出せー!」

 笑った俺の頬が引きつっていたのは、彼らに嘘をついていることへの罪悪感だ。ついにこの瞬間まで、初めて好きになった相手が男性だったと、賢太と誠には言えなかった。ふたりに伝えた本当のことはたったふたつだけ。『同じバイト先』で『年上の大学生』。

「マジで、涼介には元気になってほしくてさー」
「そうそう。ほんといっつものんびりしてんだけどさ、いい奴なんだよ、こいつ」

 一週間前に振られてからずっと暗い顔をしていた俺を見かねて、ふたりが気を遣ってくれたのは分かっている。でも今の俺には、正直、誰かと新しい関係を築く気力なんてまったく残っていなかった。
 完全な抜け殻だ。
 一生分の勇気はもう使い切った。あの人と交わらない人生なんて、マジで生きていく意味あんのかな……なんて思ったりして。なんか俺ってけっこう健気な男だったんだな……なんて思ったりして。

「あ、LINEきた……。近藤が来られなくなったから、代わりに呼んだ男子がもうひとり来る予定なんだけど、もう店の前着いたってさ」

 スマホにきた近藤からのメッセージを見ながら、賢太がつぶやく。同じ中学出身だった近藤はエリート校であるS高に進学した。久しぶりだったし、近藤には会いたかったから、もうひとりの男子には悪いけれど、ちょっとだけ残念に思ってしまった。

「誠くんたちの知り合い?」
「んーん、俺も知らねぇわ。賢太、どんなやつだって?」

 誠も賢太も知らないということは、その二年生は誰も知り合いがいないのに今日の合コンに来るということだ。完全アウェイの場、しかも三年生の中に飛び込む二年。なんてすごい勇気だろう。俺とは違い、よっぽどコミュニケーション能力が高い人間に違いない。思わず俺は、まだ見ぬ二年生に感心してしまった。

「近藤情報によりますと……『後輩なんだけど、マジで超が付くイケメン』だって。『性格もいいし、頭もいいし、運動神経もいいし、学校でもモテてないとこ見たことない』らしい。ちなみに『ミスターS高』に選ばれてる」
「ほへー!」
「ハードル上げるねー」

 きゃあきゃあと女子が盛り上がったその時。ガチャッと扉が開く音がして、みんなの視線が一斉にそちらに向いた。

「遅れてすみません。近藤さんが来る予定だった合コン、ここで合ってます?」
 
 一瞬、渉さんの声かと思って、心臓が止まりかける。ぎょっとして振り返った瞬間、大きな声が出そうになり、慌てて口を押さえた。

 ……え、ガチ?

 いや、他人の空似だ。きっと……ぜったいそうに決まってる。

「S高、二年。桐生(きりゅう)(けい)です。今日はよろしくお願いします」

 ――なんでだよ。

「うっわ、本物のイケメン来たわ!」
「来てくれて、ほんとありがとなー! 桐生ー!」

 賢太と誠の陽気な声が、脳内に他人事のように響く。
 顔を伏せながら、ちらりと今来たばかりの二年生を盗み見た。

 や、やっぱりそうだ。声も見た目も渉さんにそっくりな桐生京くん。猫のように少し吊り上がった目が印象的な、美形の男子高校生。渉さんとの違いが唯一はっきりとわかるのが、渉さんは茶髪に染めていて、桐生くんは黒髪のままだった。
 彼はすぐさま女子メンバーの注目のまとになり、「座って座って!」と真ん中に座らされていた。
 こんな偶然があっていいものか。いや、ぜったいにあってはならないだろう。
 女の子の発案で、もう一度順番に自己紹介が始まった。女の子たちは皆、かわいらしい笑顔で自分のことを話している。賢太も誠も、持ち前の人懐こさとユーモアで場を和ませていた。
 俺は彼から見えないように顔を背け、ゆっくりと扉に向かう。

「ごめっ、トイレ……」

 急いで部屋から出て、ダッシュで男子トイレに駆け込んだ。
 な、なんで……桐生京じゃん。どうしよう、桐生京だ。
 あれは、渉さんの弟、桐生京だよばか!!!!

「おえっ……」

 吐き気とめまいと胃の痛みが一気に体を襲う。気まずい。気まずいなんてもんじゃない。最高に気まずい、死んだ。

 合コン行ったら振られた相手の弟が来るとか、そんなんどんな状況だよ……。

 俺が渉さんに振られたこと、知ってんのかな。いや、知らないか。
 渉さんはプライベートな告白を誰彼構わず言いふらす人じゃない。チャラいけど、みんなに優しくて、時折ふっとこの世にたったひとりきりみたいな顔をする人。

 トイレの鏡には顔面蒼白になった俺の顔が写っていた。自分の顔をじっと見つめながら浅い呼吸を繰り返していると、だんだんと冷静になってくる。

 だいたい、相手はどこにでもいるような凡人の俺のことなんて、存在も知らないんじゃないだろうか。

 桐生くんはバイト先に何度か遊びに来たこともあるけれど、渉さんから「あれ、弟の京」と一度だけ耳打ちされたくらいで、彼自身と目が合ったことも、面と向かって紹介されたことも、話したことも一度もない。もしあっちが俺を覚えていたとして、一瞬で部屋を出てきたし、顔を見られた可能性は限りなく低い。

「そうだよな。な、なぁんだ、よかった。……よし、このまま帰ろう!」

 賢太と誠には悪いが、体調が悪いと言えばきっとわかってくれるだろう。
 ほっとして笑顔が浮かんだところで、後ろのドアが開く音がした。恐る恐る振り返ると、なぜか、今一番会いたくなかった人物がじっとこちらを見て立っていた。……まさか今のひとりごと、聞かれて、ない……よな……?

「…………」
「…………」

 気まずい沈黙が流れる。逃げ出したい。今すぐおうちに帰りたい。

「中村さん、ですよね?」

 ひゅっと喉が鳴る。
 違います、と言ってしまおうかと思った自分を心の中で殴り、観念して「……はい」と小さくつぶやいた。

「俺、桐生渉の弟です。わかりますか?」

 わかりません、と言ってしまおうかと思った自分をもう一度心の中で殴り、観念して「……はい」と小さくつぶやいた。

「よかった。……知り合いがいなくて、内心どうしようかと思ってたんです」
「そう、だったんだ。……き、桐生くんは、近藤と仲良かったの?」
「はい、すごくお世話になってる先輩で、今日も断れなくて」

 大人びた顔でそう言った彼が一歩近づいてきて、ふと思った。180センチだと言っていた渉さんと、おんなじくらいの身長だと。

「中村さん、合コンとかするタイプなんですね」
「えっ……、ちがっ、あっ、きょ、今日初めてだから……!」

 まるで渉さんにそう言われたような気がして、余計な言い訳をしてしまった。何を考えているのかわからない桐生くんは、きれいな瞳で俺をじっと見下ろしてくる。

「帰らないでくださいよ、中村さん」
「……えっ」
「ひとりじゃ心細いんで。俺、ずっと中村さんの隣にいてもいいですか?」

 苦笑いを浮かべた桐生くんが、一瞬、困っている渉さんみたいに見えて、ばかな俺は無意識のうちに「いいよ」と口に出していた。


***


 桐生くんが俺の隣に座ってから、すでに一時間が経っていた。わけのわからない緊張で、オレンジジュースの味ももうよくわからない。

「失恋した涼介くーん、ほら失恋ソング歌って、ずっと引きずってる失恋をぶっ飛ばせよ」

 誠がマイクを片手に持ちながら、俺の肩を掴む。俺は慌てて誠の耳もとに唇を寄せた。
 
「し、失恋したことは言うなよ、もう~~」
「なんで?」

 なんでって……。失恋した相手の弟がこの合コンに来てるからだよ、と涙目になりながら思ったけれど、とてもじゃないが言葉にはならなかった。誠は人好きのするきれいに整った顔を、ぐいっと俺に近づけてくる。思った以上に心配してくれているらしく、眉が八の字に下がっていた。

「ほら、また泣いてんじゃん。いい加減、元気出せって」

 誠の手がゆっくりと俺に向かってきた時、

「中村さん、失恋したんですか?」

 そうはっきりと桐生くんの声が聞こえた。ぱっと振り向くと、まっすぐに桐生くんは俺を見つめていた。最悪だ。

「……あー、うん、ちょっとね」

 俺は曖昧に答えた。まさか、あなたのお兄さんに振られましたなんて言えるわけがない。

「ちょっとじゃねぇだろ」
「一週間、ずっと目が赤かったもんな」
「……そんなに、ですか」
「ああ、たしかバイト先の年上だっけ?」

 賢太と誠が容赦なく追い打ちをかけてくる。やめてくれ。これ以上詳しく問い詰められたら、ボロが出そうだ。

「お、俺、なんか歌っちゃおうかな!?」

 ヤケになってデンモクで曲を探し始める。賢太たちはにこにこしながら「いいじゃん」「歌え歌えー」と陽キャらしくタンバリンをシャンシャンさせていた。
 なんとか話題が変わってほっとしていると、桐生くんの指先が俺の目尻に触れた。

「……え」
「今もちょっと、目尻が赤いですね。痛くないですか?」

 その瞬間、時間が止まったような気がした。渉さんと同じような優しさを感じて、胸がきゅっと締め付けられる。

 渉さんが高校生だった時は、こんな感じだったのかも……。

 メッロ――って、何考えてんだよ、俺は。
 慌てて我に返る。これは渉さんじゃない。渉さんの弟だ。

「だ、大丈夫……ありがとな、桐生くん」

 俺が少しだけ背もたれに後ずさると、桐生くんは手を引いた。でも、その視線は俺から離れない。

「中村さんって、普段はどんなことしてるんですか?」

 桐生くんはさっきから女の子たちが話したそうにこちらを見ているというのに、俺にばかり質問していた。彼女たちの狙いは完全に桐生くんだ。けれど、ずっと隣に座るという約束をした手前、無下にはできなかった。

「えーと、特に何も……本読んだり、サブスク見たり」
「どんなジャンルが好きですか?」
「ミステリーとかホラーとか」
「俺も好きです。最近、読んだ本でおすすめとかありますか?」

 桐生くんは本当に興味深そうに聞いてくる。俺なんかの話を聞いて面白いのだろうか。

「そろそろお開きにしますかー」
「めちゃくちゃ楽しかったね」

 時計を見ると、もう八時を回っていた。桐生くんは驚くほど聞き上手で、気がつくと俺だけがいっぱいしゃべってしまっていた。アイス屋のバイトの話、好きな本の話、高校生活のこと。普段は人見知りな俺が、なぜかこんなに話してしまうなんて。さすがコミュ力の高い渉さんの弟だ。
 というか、桐生くんはひとりじゃ心細いなんて言っていたけれど、こんなに気が利くんなら、俺の隣にいなくてもよかったんじゃないだろうか。

 最後はみんなでLINEのIDを交換することになった。たぶん、女の子たちは俺以外の連絡先を知りたかったんだろうけれど。

「どっか二次会に行く~?」

 そんな話になっているみんなを見て、俺は愛想笑いを浮かべながら手を上げた。これ以上この場にいたら、心臓がいくつあっても足りない。

「あ、あの、俺、明日もバイトだから、地下鉄で帰るわ……」
「俺も帰りそっちなんで。中村さんと一緒に帰ります」
「えっ!?」

 桐生くんの突然の申し出に、俺は目を見開いた。

「じゃあ、今日はありがとうございました」

 桐生くんは女の子たちに軽やかに手を振ると、さも当然のように俺の隣に並んだ。

「おー、気をつけてなー。涼介、気をつけて!」
「また今度遊ぼうね~、桐生くーん!」

 賢太たちの声に見送られながら、俺は訳も分からず地下鉄への道を歩き始めた。隣を歩く桐生くんの存在が、妙にリアルで、心臓がばくばくと音を立てている。
 なんで一緒に帰ることになったんだろう。そもそも、本当に同じ方向なのだろうか。
 聞きたいのに、聞けない。
 もやもやしながら人のいない地下鉄の階段を下りている最中、ふいに桐生くんが立ち止まった。

「もしかして、中村さんが振られた相手って、俺の兄貴じゃないですか?」

 息ができない。
 足を止め、ゆっくりと振り返る。
 
 桐生くんの整った顔立ちには、怖いくらいの集中が宿っていた。切れ長の瞳が俺をまっすぐに見据えていて、まるで心の奥底まで見透かされそうだった。
 カラオケ屋さんで俺の隣にいた時よりも、ずっと大人びて見える。
 
 なんと答えるのが正解だろう。どうして桐生くんはわかってしまったのだろう。
 気まずい。とにかく気まずい。

 何も言えないでいると、桐生くんが口火を切った。

「すみません。実は一週間前に、家の廊下通るとき、ちょうど兄貴の部屋から声が聞こえてきたんです」

 桐生くんの表情が少しだけ申し訳なさそうになる。そして――。

「『涼介、ほんとごめんな。俺、お前とは付き合えない』――って」

 渉さんの声をまねた桐生くんの声が、あの時の記憶を鮮明に蘇らせた。全身から音を立てるみたいに、一気に血の気が引いていく。

 気づけば、頬にぽろぽろと熱いものが伝っていた。
 泣きたくなんてなかったのに、涙が止まらない。必死に袖で拭っても、次から次へと溢れてくる。情けない。こんな人前で、しかも渉さんの弟の前で泣くなんて。でも、もうどうしようもなかった。

 俺は下を向いて、肩を小刻みに震わせながら泣いた。声を出さないように、歯を食いしばって。でも、きっと桐生くんには全部バレている。

「……す、すみません。泣かせるつもりはなくて」

 桐生くんの慌てた声が聞こえる。

「いや、いい! いい! 俺も泣くとか思わなかった、……ご、ごめん!」

 俺は慌てて手をひらひらと振った。桐生くんは何も悪くない。彼はただ事実を確認しただけなのに、勝手に泣き出した俺がおかしいのだ。

「なんか、……渉さんのこと、まだ好きで」

 へたくそな笑顔で、ぐすっと鼻を鳴らす。バイト先でも渉さんは、相変わらず俺に優しくしてくれる。それがすごく救いで、だけどすごく苦しかった。

「ふ、振られたのにキモいよな。……で、でも、桐生くんにも渉さんにも、ぜったい迷惑かけないか――!」

 言葉の途中で、強く手首を掴まれた。驚いて顔を上げると、思いのほか桐生くんの顔が近くてドキッとする。

「中村さん、俺と付き合いませんか?」
「……んへっ!?」

 突然の言葉に、俺は変な声を出してしまった。

「ちょ、ちょっと、待って……ごめん、何?」

 掴まれた手首が熱い。

「俺と、恋愛的な意味で、お付き合いしてくれませんか?」

 桐生くんは未だ真顔でそう言った。言葉の意味がわからない。

 恋愛的な意味で、お付き合い。

 もしかして俺、合コン行ったら振られた相手の弟がいて、さらにその弟からお付き合いしてくれって言われてる?
 なんか今日の俺、一生分の気まずさを使い果たしてるんじゃ……。

「ふはっ、……あははははっ」

 突然、おもしろくなってきてしまった。緊張が限界に達して、頭がくらくらしてくる。
 だって、桐生くんが俺と本気で付き合いたいなんて思うわけがない。こんなにかっこよくて、頭も良くて、何でもできる、そんな渉さんにそっくりな桐生くんが、なんでわざわざ俺みたいな平凡な男を選ぶのか。

 これはきっと、桐生くんなりの気遣いとか、冗談に違いない。もしくは兄に振られた哀れな男をからかっているのかも。
 完全にブラックジョークだ。
 そう思うと、逆に気が楽になった。気を使って遠ざけられるよりも、いじってもらったほうがよっぽどいい。

「あー笑った……ありがと、桐生くん。久しぶりにめちゃくちゃ面白かった」

 涙を拭いながら、俺は心から笑った。渉さんに振られてから、初めてのことだ。

「笑ってもらえてよかったです」

 桐生くんは真剣な顔で言った。もしかしたら、桐生くんは冗談を真顔で言う人間なのかも。

「で?」
「……え?」
「中村さんの答えは?」

 不安になってくるくらい、桐生くんの表情は真剣だった。冗談にしては、あまりにも真顔すぎるし、手首は掴まれたままだ。

「昔からあの人によく似てるって言われてたんですよ、顔と体と声が」
「……あ、……うん」

 たしかに、桐生くんは渉さんによく似ている。

「付き合いましょうよ、俺たち」

 階段の途中で、後ずさることもできない。手首は痛いくらいがっちりと掴まれ、桐生くんの熱いまなざしに射抜かれていた。

「もしかして……マ、マジで言ってる?」
「もしかしなくても、マジで言ってます」

 まったく意味がわからない。だって、桐生くんとは今日初めて話したし、たった数時間程度の関係性だ。

「な、なんで……俺、なの……」
「さびしいから」
「えっ!?」

 桐生くんの答えは、あまりにも率直だった。

「実は俺も……つい最近、好きだった相手に振られたばっかりなんです。……だから、さびしくて」

 そうだったのか。桐生くんの気持ちが、少しだけ理解できたような気がした。俺と同じように、心に穴が空いたような痛みを抱えているのだ。

 賢太たちに誘われて、合コンに参加したのはさびしかったからだ。
 もうあの人を好きでいちゃいけないんだと分かっていても、心の隙間は簡単には埋まらない。
 ひとりでいると、どうしてもあの人のことを考えてしまう。誰かと話していれば、少しでもその痛みが和らぐかもしれない――そんな淡い期待を抱いて、今日という日にすがりついた。

 でも、どうして俺なんだろう。桐生くんみたいにかっこよくて、モテる人間が。

「あのさ、その桐生くんの好きな人に……お、俺って似てるの……?」

 口にした瞬間、自分で自分の言葉に赤面した。

「いや、ごめん。めっちゃ自意識過剰だった。殺して」

 桐生くんはふっと優しい顔をする。

「殺さねぇって」

 あ、タメ口だ……と、俺は場違いなことを一瞬思う。
 それから、桐生くんは何かを考えるように、少しだけ目を伏せた。

「そうッスね……似てます。そっくりですよ、中村さんは」

 桐生くんの指先が、俺の手首をそっと撫でる。ぞくっと背中が粟立った。

「だから、俺と中村さんは同じなんです。……俺たち、心の隙間を埋め合いませんか?」

 なんて殺し文句だろう。

「涼介」

 耳元で桐生くんが俺の名前を呼ぶ。その声は、また泣きたくなってしまうくらい、渉さんとそっくりだった。

「どうですか、笑えるくらい似てたでしょ?」
「……似てた、っていうか、本人かと思った」

 力ない俺の笑顔に、桐生くんがゆっくりと口角を上げる。彼の口元は笑っているのに、なぜかそのまま泣いてしまいそうで。

「俺、代わりできますよ。あの人の」
「か、代わりって」
「どちらかのさびしさがなくなるまで、付き合いませんか? 仮で、いいんで。もし中村さんが別れたいって言ったときは、後腐れなく、あなたから離れていきますから」

 桐生くんの提案は、あまりにも非現実的で、ある意味、すごく現実的だった。

「ほ、本気……?」

 俺の問いに、桐生くんは深くうなずいた。桐生くんの目には、俺だけが映っている。