春休みが終わりを告げ、高校2年生の新学期がはじまった。

 ぼくは羽田くんと久坂部くんと同じクラスになった。

 補聴器は相変わらず着けていない。

 完全にタイミングを逸した形だ。

 でも、1年生のときとは違い、ぼくには頼りになる存在がいた。

 その存在である久坂部くんは、やはり一番後ろの席で、退屈そうに窓の外を眺めて授業中を過ごしている。

 あれで授業の内容を丸暗記しているというのだから驚きだ。

 生徒会のメンバーの噂は、新入生にも有名で、千葉くんたちは男子からも女子からも絶大なる信頼と人気を誇っている。

 教師にも評判が良い千葉くんが率いる生徒会メンバーは、この人気ぶりだと、3年生までその座は安泰だろう。

 余計な混乱を生まないため、シェアハウスのことは誰にも話さないようにと、千葉くんから事前にお達しが出ている。

 生徒会メンバーが共同生活を送っていることが他の生徒に知れたら、入居希望者が殺到するに決まっている。

 考えれば考えるほど、ぼくは非日常に置かれているのだと実感させられた。

 朝、みんなで朝食を摂って、同じ家から学校へ通って、学校では何食わぬ顔で過ごし、同じ家へ帰って夕食を摂る。

 1年生のときは、会話すら交わすことをおこがましいと思っていた生徒会のメンバーとこんなに近い距離で暮らすことになるなんて、今年のお正月のぼくに言ったって信じなかっただろう。

 ぼくは、変わらず周りに笑顔を振りまいた。

 読唇術を駆使して会話に加わり、発音に気をつけながら相づちを打つ。

 当然のことながら授業の中身についていけない。

 それでも、家に帰れば久坂部くんが、その日受けた授業の内容を全て教えてくれる。

 それに加えて、羽田くんが授業中、さりげなくぼくをサポートしてくれるようになったので、科学の実験だったり体育の授業だったり、読唇術ではカバーしきれないところを気づいてケアしてくれる。

 本当に、ありがたいことだと思うと同時に、羽田くんから寄せられた好意に甘えているだけで、ぼくから差し出せるものがないことが歯がゆい。

 羽田くんが抱いてくれている好意に、ぼくはなにを返せばいいのだろう。

『付き合う』──そんな言葉が浮かんだけれど、ぼくはまだ羽田くんに恋をしている状態とはいえず、あやふやな気持ちのまま羽田くんと付き合うことは、羽田くんに対して不誠実な気がしてしまい、ぼくはずっと悶々としていた。


 羽田くんは演劇部の活動、戸隠くんはバンドの練習に忙しく、帰宅は遅いほうだった。

 千葉くんも生徒会長として山積みの仕事を抱えており、帰る時間はまちまちだ。

 必然、ぼくは家で久坂部くんとふたりきりで過ごす時間が長かった。

 用心のため、勉強を教えてもらうのはぼくの自室。

 その日受けた全ての教科を教えてもらうから、時間はいくらあっても足りなかった。

 そして、短気な久坂部くんは、ぼくが間違えたり理解が及ばなかったりすると、キレる。

 力任せにぼくを床に押し倒して、わざわざよく聴こえるように、耳元に口を寄せて、馬鹿だの阿保だの罵倒してくる。

 はじめのうちは萎縮していたぼくだが、慣らされたのか、毎日そうされないと物足りなくなってきた。

 なんだか、久坂部くんを独占している気になるし、ぼくしか知らない久坂部くんの隠された顔を知っているという優越感すら感じるようになった。

 別に、罵倒されたいとか、そんな(へき)は間違ってもぼくにはないけれど。

 ただ、耳元でささやかれる久坂部くんの声が、あまりに甘いので、心臓がばくばくうるさく存在を主張してくるのも事実だ。

 お互いの鼓動が聴こえそうなほどの距離で見つめ合っていると、ぼくは顔が火照ってしまう。

 これまで感じたことのない気持ちを、久坂部くんに抱いている──ぼくはもうそれを認めなければいけない、いつの間にかそんなところまできていた。


 新しい環境に慣れはじめたころ、千葉くんがぼくの部屋で泣いていた。

 夕食後、自室にいると、ドアがノックされたので久坂部くんかと思ってドアを開けると、そこにいたのは千葉くんだった。

 部屋に入ってきた千葉くんは、ぼくの顔を見るなり、「月影くん……」と呟いたかと思うと、わんわん泣き出したのだ。

 理由はよくわからないが、どうやら生徒会の仕事でなんらかのミスを犯して凹んでいるようだ。

 ラグの上に正座するぼくの膝の上に突っ伏し、眼鏡とクールな仮面を脱ぎ捨てた千葉くんは、嗚咽を抑えられないでいる。

「やっちゃった……もう終わりだ……。
 どうして僕はこうも馬鹿なんだ……。
 ねえ、月影くんもそう思うだろう?」

「い、いやっ、千葉くんが馬鹿なんて、そんなこと絶対ないよ。
 大事には至らなかったんだろう?
 千葉くんのフォローが正しかったからじゃないのかな」

「……本当?
 本当に、月影くんは、僕を馬鹿だと思わない?」

 切れ長の目に、涙をいっぱいに溜めて、千葉くんがすがりつくように、救いを求めるような眼差しでぼくを見上げる。

──可愛い。

 あの千葉くんが泣き喚く、こんな姿を見せるのは、ぼくだけだというのがなんともむずがゆい。

「思わないよ、だって、千葉くんはみんなが尊敬する完全無欠の生徒会長なんだから」

「うう、月影くんは優しいね。
 こんな姿見せても、落胆のひとつもしない月影くんに、僕がどれだけ救われているか……月影くんにはわからないだろうな」

 ぼくだって、完璧で欠点なんてないと思っていた千葉くんが、ぼくにだけ誰にも見せない顔を見せてくれるのは、正直に嬉しい。

 他人に必要とされるなんて、経験したことがないし、誰かの特別になることが、こんなに誇らしいのだと、千葉くんと出会ってはじめて知らされた感情だ。

 ぼくは千葉くんのさらさらの黒髪に手を伸ばし、おっかなびっくり無防備な頭をそっと撫でる。

 すると、ふふ、と突っ伏しながら千葉くんが笑った。

「くすぐったいけど、気持ち良いよ」

 受け入れてもらえて、ぼくもほっとする。

「ねえ、月影くん、もう少し、こうしていていいかな?」

「うん、大丈夫だよ、好きなだけどうぞ」

 ぼくは絹のような千葉くんの髪を優しく撫で続けた。

「月影くん、好きだ」

「え……?」

 千葉くんが顔を動かして、上目遣いにぼくを窺う。

「好きだったんだ、ずっと、1年生のときから、月影くんだけを見てきた。
 いつもにこにこして、人当たりがよくて、可愛くて……。
 ずっと一緒にいたいって、そう思ってた。
 月影くんの家がシェアハウスになるって聞いて、月影くんと仲良くなれるチャンスだって思ったんだ。
 それまで、ほとんど話したことがなかったから、月影くんに僕の存在を知ってもらう必要があると思った」

「千葉くんのこと知らないうちの学校の生徒なんていないと思うけど……」

「一緒に暮らしはじめて、僕は月影くんのことがもっと好きになった。
 誰の前でも泣くなんて有り得なかったのに、どうしてか月影くんの顔を見ると泣いてしまう。
 泣き顔を見せても幻滅しなかった月影くんが、本当に好きで、僕が勝手にイメージしてた月影くんと違わないのが、嬉しかった。
 優しくて穏やかで、きっと人の痛みをわかる人なんだって、それがわかっただけで充分だったはずなのに、人間は贅沢だね。
 もっと月影くんのことが知りたいし、僕のことを知ってほしいって、わがままな思いが膨らんで、もう破裂しそうなんだ」

 千葉くんが起き上がり、僕の正面に座り直す。

「好きだ、月影くん。
 僕の恋人になってほしい」

 真っ直ぐな千葉くんの想いに、ぼくは狼狽えた。

「え、いや、でも、風紀が乱れるって……」

 千葉くんは、ぶんぶんと頭を振ってぼくの手を握った。

「風紀なんて、もうどうでもいい。
 僕は月影くんが欲しい、君の一番大切な人になりたい」 

 ぼくも、千葉くんに少なからず心を動かされていることは否定できない。

 正直なところ、羽田くんより恋愛に近い感情を、千葉くんに抱いている。

 だからこそ、余計にぼくは戸惑った。

「返事は、いつまでも待つからさ」

 返答に窮するぼくに、まだ頬を涙で濡らした千葉くんが身を乗り出して、顔を近づけ、そして──ぼくの頬に口づけをした。

 その刹那。

 なんの前触れもなく部屋のドアが開き、久坂部くんがぼくと千葉くんを見て、凍りついた。

 千葉くんの泣き声が漏れていたようだ。

 どうしたのかと、きっと気になったのだろう。

 そしてドアを開けてみたら千葉くんがぼくに──。

 ドアに背を向けている千葉くんは、久坂部くんに気づいていない。

 ぼくは誤解だと口を開こうとするが、それより先にドアが閉められ久坂部くんは姿を消した。

「好きだ、月影くん……」

 ドアを凝視したまま動けないぼくの膝に再び頭を乗せると、千葉くんは瞳を閉じた。

 そして、そのまま寝息を立てはじめた。

 泣き疲れて眠ってしまったようだ。

──どうしよう、久坂部くんに誤解されてしまった。

 早く誤解を解かなくては、取り返しのつかないことになるのではないか。

 心は焦るのに、千葉くんを起こすわけにもいかず、ぼくは身動きが取れないまま、時間が過ぎていった。 

 やがて目を覚ました千葉くんは、顔を真っ赤にしながらぼくに平謝りして、自分の部屋へと戻っていった。

 久坂部くんがやってきてくれることを願ったが、その日の夜、久坂部くんがぼくの部屋にやってくることはなかった。



「全く、お前は脇が甘いんだよ。
 だから好きでもない男に言い寄られるんだ。
 そろそろ自覚しろ」

 翌日、いつもと同じ顔で夕食後、ぼくの部屋を訪れた久坂部くんは、滔々(とうとう)とぼくに説教した。

「う、うん、そうだね……」

 好きでもない、というのは語弊がある気もする。

 羽田くんのことも、千葉くんのことも、まだ恋愛感情とまではいかないが、好きではない、ということはない。

 むしろ好ましいと思っている。

 だから、自分の気持ちとしっかり向き合って、誠実に応えないといけない、そう思っていた。

 まさか、ぼくが恋愛のことで頭を悩ませることになるなど、誰が想像しただろう。

 母親に知られたら、さぞかし腹を抱えて笑われるに違いない。

 けれど、それ以上に今、ぼくは心の底からほっとしていた。

 久坂部くんが、いつもとなんら変わらない態度で接してくれたことが、なにより嬉しかったのだ。

 昨日のことで、久坂部くんから変な誤解をされることが、実は一番怖かった。

 だから、今日も日課の授業をするためやってきてくれたことに安堵していた。

「で、ファーストキスはどうだった?」

「はっ?」

 ぼくは隣に座る久坂部くんの顔を振り向いた。

「はじめてだったんだろ、違うのか?」

「ち、違わないけど、いや、そうじゃなくて、昨日のあれは……頬にキスされただけで」

「ふうん、でも嫌な気はしなかったんだろ」

「それは……しなかったけど」

 なんだか、やけに刺々しい久坂部くんの物言いに、ぼくは困惑する。

「久坂部くん……なんか怒ってる?」

「これが普通だ。
 いいから勉強続けるぞ」

「うん、わかった」

 教科書を開きつつも、ぼくはなんだか久坂部くんの顔を真っ直ぐ見られないでいた。



「僕はデートしたいって言ったはずなんだけどなあ?」

 羽田くんが唇を尖らせながら、不満を露わにした。

 大型連休初日、ぼくは羽田くんに誘われ、『デート』に出かけていた。

 目的地は、繁華街の地下にある小さなライブハウス。

 戸隠くんから、ドラムをつとめるバンドのライブを観にきてほしいと誘われたのは数日前のことだった。

「耳が聴こえなくても、身体で音楽は浴びられるだろ。
 出遅れちゃったけど、月影に俺の格好いいところ見せたくてさ」

 出遅れた、という言葉の意味はよくわからなかったが、大人びた雰囲気を持つミステリアスな戸隠くんが、ライブでどんな表情を見せてくれるのか興味津々だったので、ぼくはライブに行く約束をした。

 すると、「僕も行く!」と羽田くんが挙手した。

「慧くん、ふたりで行こう。
 ようやくデートができる!」

 羽田くんや千葉くんから向けられた好意には、まだこれといった答えを出してはいない。

 宙ぶらりんな格好となったままで、告白してくれたふたりとは曖昧な関係のままだった。 

 そんななか戸隠くんからの誘いに、羽田くんが乗らないわけがなかった。

 ぼくも、約束したので、羽田くんとデートするつもりでいたのだが──。

「なんで雄也もきてるのさっ!
 おまけに久坂部くんまで!」

 ライブがはじまるまで羽田くんとショッピングモールをうろつく予定だったのだが、そこへ千葉くんと久坂部くんまでもが現れたのだ。

 結局男子高校生4人でショッピングモールで時間を潰すこととなり、デートが叶わなかった羽田くんがお(かんむり)、というわけだ。

 夕方になり、バンドと戸隠くんのファンでごった返すライブハウスへと足を向ける。

 ぼくは補聴器を着けていた。

 戸隠くんのファンのあまりの多さに、ぼくは純粋に驚いていた。

「すごいね、戸隠くん。
 大人気なんだ」

 戸隠くんが所属するのは高校の軽音部のメンバーで結成されたバンドで、戸隠くんは両親の影響で小学生のときからドラムを練習しているという。

 メジャーを目指して練習に励んでいることは、ぼくも知っている。

 ぼくには夢らしいものがないので、羨ましくも眩しくも見えた。

 開場時間がやってきて、ライブハウスを取り巻いていた行列がライブハウス内へと入っていく。

 キャパ200人程度のライブハウス内は、お客さんでいっぱいで、人々の熱気に満ちていた。

 ぎゅうぎゅう詰めで自由に身動きすら取れないほどだ。

 ライブ開始を前にして、観客の熱狂はピークを迎え、手拍子があちこちから鳴り響く。

 暗転ののちに、悲鳴のような絶叫が上がり、バンドメンバーがステージに現れたことがわかった。

 地面が揺れるほどの歓声に迎えられ、ライトがステージ上を照らし出す。

 ステージの一番奥、要塞のようなドラムセットから、かろうじて戸隠くんの顔が覗いて見えた。

 ライトが戸隠くんを照らすと、黄色い歓声が木霊する。

「女子人気は晴雅が一番だからな」

 隣で羽田くんが、にやりとしながらぼくの耳元にささやいた。

 少し長めの前髪、そこから覗く蠱惑的(こわくてき)な瞳に魅了される女性ファンが多いのも、うなずける話だった。

 やがて、キーンとハウリングの音がしたあと、戸隠くんのカウントから演奏がはじまる。

 曲は全てオリジナルらしい。

 ぼくは補聴器に手を当てて、聴こえる限りの音を吸収しようとつとめた。

 音を浴びる──戸隠くんが言った通り、ドラムとベースの重低音が、お腹の底に、どすどすと響く。

 これが、『音』。

 いつだったか、ぼくは今と同じように『音』を浴びた経験がある。

 それは密接にぼくが犯した罪の記憶と結びついていて──。

 いや、今は止めよう、このことを思い出すのは。

 溢れ出しそうな記憶の奔流を堰き止めて、ぼくは繰り広げられる音の洪水に耳を澄ませる。

 学校でも家でも見たことがない、戸隠くんの気迫とちらちらと浮かぶ極上の笑顔に、ぼくの視線は釘付けになる。

 本当に、楽しそうだ。

 音楽を、心から愛していることが、そのプレイからひしひしと感じることができた。
 
 ライブが盛り上げるにつれ、ヒートアップする観客の渦で、背の低いぼくは押し潰されそうになっていた。

 満員電車に乗り合わせたように窒息しそうになっていると、不意に久坂部くんがぼくの前に立ち、他の観客を掻き分けてスペースを作ってくれたので、ぼくはそこに生まれた酸素を貪った。

 久坂部くんに押し退けられた観客は、不満そうな顔をしたが、押し合いには慣れているのかすぐにライブに没頭しているようだった。

 ぼくは久坂部くんの大きくて頼もしい背中から目が離せないでいた。

 ステージは見えなくなってしまったけれど、このまま久坂部くんの背中を見続けているのも悪くないな、とぼくは周囲の熱狂も忘れて、思わず微笑んでいた。

 みんなの視線がステージに集中していることを確認すると、目の前の久坂部くんの肩に両手をついて力を込めて背伸びすると、その耳元に口を寄せてささやいた。

「ありがとう、久坂部くん」

 久坂部くんは振り向きもせず、かすかに首を動かしてうなずいただけだった。

 音の洪水に身を委ねながらも、ぼくは久坂部くんのTシャツの裾を掴んだ手を離さなかった。

 その後、久坂部くんと位置を変えて、ぼくは背後を久坂部くんに守られながら最後までステージを観終えた。

 魂を揺さぶられるような素晴らしいステージだった。

 ステージから放たれる圧倒的な熱量が伝わって、呼吸を止めて魅入ってしまった瞬間もあるほどだ。

 バンドのメンバーは、眩いライトよりもきらきらと輝いてみえた。

 ライブが終わり、ぼくたちはぞろぞろと程よい疲れを感じながら外へと向かう。

 身体を揺らして、煽られるがまま飛び跳ねて、汗をかいたので外気に触れてクールダウンしていると、裏口から戸隠くんが晴れやかな笑顔を浮かべてやってきた。

 2時間、あれだけ激しくドラムをプレイしていたというのに、息のひとつも乱れていない戸隠くんは、涼しい顔をしてやってきて、ぼくたちを打ち上げに誘ってくれた。

「デートなのにぃ……」

 と、羽田くんはぶつぶつと文句を並べていたが、誰も彼には取り合わず、バンドのメンバーも合流すると、歩いて駅前のファミレスへと向かった。

 その道中、一番後ろを歩いていたぼくを、戸隠くんが呼び止めた。

「今日はきてくれて、ありがとう、嬉しかった」

 戸隠くんは落ち着いた話し方をするので、ドラムを叩いているときとの落差に驚かされる。

 ステージ上ではあんなに荒々しいのに、と。

「こちらこそ、誘ってくれてありがとう、楽しかった。
 戸隠くん、すごく格好よかったよ」

 ぼくは、ライブ後の興奮も手伝ってそんなことを恥ずかしげもなく言ってしまう。

「楽しんでくれたならよかった。
 耳が悪いのに音楽のライブに誘うのは、非常識かなって心配してたから」

「そんなことないよ!
 初めての体験だし、すごく楽しかった。
 楽器を演奏するって、すごいことなんだなって純粋に思ったよ。
 尊敬する」

「そうか、ありがとう。
 褒めてくれるとやりがいがあるよ。
 俺、影薄いから、いいアピールになったかな?」

「え?」

 すると、戸隠くんが立ち止まって、ぼくの手をそっと握った。

 立ち止まるぼくたちに気づかず、みんなは大通りの信号を渡って行ってしまう。

 残されたぼくに、戸隠くんが目を伏せながら言った。

「雄也と健大から告白されて、迷ってるんだろ?」

「え、い、いや、それは……」

 ぼくはしどろもどろになる。

「そのなかに、俺も加えてくれないか」

「……は?」

「月影の頭の中に、俺もいたい。
 俺に好きだって告白されて、どう答えようかって、悩んでほしい」

「戸隠くん……?」

 戸隠くんは居住まいを正してぼくの目を覗き込んだ。

「好きです、俺と付き合ってください」

 夜の繁華街。

 ぼくは戸隠くんと向かい合ったまま、予測外の言葉に身体を硬直させた。