昼下がり、古びた校舎を背に正門から飛び出す。一気に解放感で満ち溢れる。
目的地の道中にある小さな公園。そのトイレの戸を閉める。制服の上下とも脱ぎ、ひっかけたリュックの中からトップスとボトムスを取り出し、着替える。脱いだ制服を無理やり押し込んで、チャックを締め、トイレを出る。ちょうど清掃の時間だったらしく、「こんにちは」と、清掃員のおばさんが声をかけてきた。その場から早歩きで立ち去った。
リュックのショルダーハーネス部分、しかも下のほうを引く。ナイロン製の上着とメッシュ生地が擦れる音。横を通り過ぎていく自転車。新緑の葉っぱが頭上で風に揺られる。平日昼過ぎ、月に一度の、ちょっとした非日常を味わえる、この瞬間が僕にとってのお気に入りの時間だ。
自動ドアをくぐった先、全体的に白を基調とした空間が広がる。窓際に置かれた観葉植物。誰が描いたか知らない数種類の絵画。案内掲示版。色んなジャンルの雑誌が入る書棚。行き交う人々。俺は受付に行って、声を掛ける。
「こんにちは」
「こんちわー、はいこれ」
「はい、お預かりします。掛けてお待ちくださいね」
顔見知りの女性が、にこやかに言った。隣に座る女性は、初見だった。会釈だけして、言われた通り、淡いグリーンのソファに腰かける。リュックから携帯を取り出し、電源を入れる。しばらくすると、姉の姫乃から送られてきたメッセージが表示された。内容は、買い物リストのみ。それ以外のメッセージは、送られてきていない。
「了解」小さく呟き、送信マークを押す。今度はポケットに携帯を入れ込み、呼ばれるのを待った。
時間よりも数分早く、「梅沢さーん」と呼ばれた。リュックを手に持って、引き戸で仕切られたその先へ入った。
「風雅先生、やっほ」
「おう」
「座っていい?」
「もちろん」
回転できる椅子に座って、その横にあるカゴにリュックを入れ込む。
「ここ一カ月、どんな感じだった?」
「変わんない。学校もつまらんし。まzでクズしかいない」
「そっか。まあ、入学して一か月なんて、特に面白いこともないか」
「うん。今度体育祭あるけど、行ったってすることないし、というか、行くだけでも面倒だから休むし。その分、テスト勉強するけど。ちゃんと勉強しないとやばそうだから」
そうは言ったものの、勉強する気はさらさらない。けど、僕の言葉を真に受けた風雅先生は、軽く笑って、「ある意味、それは賢い判断だな」と言った。思っていたのと違う反応だったが、気にせず話を続ける。
「だろ? だってさ、テストがどんな感じかって、イマイチわかんないし。そういう情報貰えるような、知り合いの先輩もいないしさ」
「確かに。でも、皇叶君なら余裕そうだけどな」
「え、風雅先生には、そう見える?」
「見える。今みたいに、学校でも敬語使わないせいで、先輩や先生から注意されるけど、こう見えて意外と素直だし、授業はしっかり受けて、テストでも高得点取るっていう、そんな感じ。だから、見かけで判断しちゃ痛い目見る、っていう。ハハッ」
言い終わるのと同時に、風雅先生は微笑んだ。右頬のえくぼがチャーミングだ。
「えっ、嘘。やっぱりそう見える?」
「そんな驚かなくても良いと思うけど」
「いや、あのさ、一昨日、先輩から似たようなこと言われたからさ」
「じゃあ先生の見解は間違ってないな」
「断言するんだ。へー」
いじけた僕に、「ごめんごめん」と、何気に軽い感じで平謝りする。僕の頬はゆるんでしまう。
「来月来たとき、点数教える。高得点じゃなかったら、先生、僕の相談にのって」
「別にいいけど、相談なら、今言ってくれてもいいんだけどな?」
「駄目。でも、質問したいことはある……かも」
「今聞こうか?」
「い、いい。また今度にする」
「遠慮しなくても、まだ時間あるよ?」
「ううん。いい」
「ふーん。そっか」
風雅先生は残念そうに言ったが、これは口癖のような相槌で、毎月必ず一回は口にしている。
「来月は、十三日でいい?」
「いつでもいい。みんなより少しだけ早く学校抜け出す感覚、未だに楽しいし」
「そ。わかった。時間も一緒にしてるから」
「ん、おけ」
カゴのリュック、その持ち手に手を伸ばした。が、キーボードを打つ風雅先生の横顔を見た瞬間に、僕は口を開き、言葉を発した。
「先生、やっぱ質問」
「ん、どうした?」
こちらに振り替える。重めの前髪が揺れ動く。
「先生ってさ、今年何歳?」
「え、俺? 六月に三十になるけど、それが何?」
「い、いや、何でもない。ただ気になっただけ」
「ふーん。そっか」
「じゃあ、僕、そろそろ帰る」
「ん、じゃあ、また来月」
椅子から腰を上げ、リュックを背負う。姉からもらったお守りの鈴が、チリン、と高貴な音を鳴らす。
「お大事に」
目的地の道中にある小さな公園。そのトイレの戸を閉める。制服の上下とも脱ぎ、ひっかけたリュックの中からトップスとボトムスを取り出し、着替える。脱いだ制服を無理やり押し込んで、チャックを締め、トイレを出る。ちょうど清掃の時間だったらしく、「こんにちは」と、清掃員のおばさんが声をかけてきた。その場から早歩きで立ち去った。
リュックのショルダーハーネス部分、しかも下のほうを引く。ナイロン製の上着とメッシュ生地が擦れる音。横を通り過ぎていく自転車。新緑の葉っぱが頭上で風に揺られる。平日昼過ぎ、月に一度の、ちょっとした非日常を味わえる、この瞬間が僕にとってのお気に入りの時間だ。
自動ドアをくぐった先、全体的に白を基調とした空間が広がる。窓際に置かれた観葉植物。誰が描いたか知らない数種類の絵画。案内掲示版。色んなジャンルの雑誌が入る書棚。行き交う人々。俺は受付に行って、声を掛ける。
「こんにちは」
「こんちわー、はいこれ」
「はい、お預かりします。掛けてお待ちくださいね」
顔見知りの女性が、にこやかに言った。隣に座る女性は、初見だった。会釈だけして、言われた通り、淡いグリーンのソファに腰かける。リュックから携帯を取り出し、電源を入れる。しばらくすると、姉の姫乃から送られてきたメッセージが表示された。内容は、買い物リストのみ。それ以外のメッセージは、送られてきていない。
「了解」小さく呟き、送信マークを押す。今度はポケットに携帯を入れ込み、呼ばれるのを待った。
時間よりも数分早く、「梅沢さーん」と呼ばれた。リュックを手に持って、引き戸で仕切られたその先へ入った。
「風雅先生、やっほ」
「おう」
「座っていい?」
「もちろん」
回転できる椅子に座って、その横にあるカゴにリュックを入れ込む。
「ここ一カ月、どんな感じだった?」
「変わんない。学校もつまらんし。まzでクズしかいない」
「そっか。まあ、入学して一か月なんて、特に面白いこともないか」
「うん。今度体育祭あるけど、行ったってすることないし、というか、行くだけでも面倒だから休むし。その分、テスト勉強するけど。ちゃんと勉強しないとやばそうだから」
そうは言ったものの、勉強する気はさらさらない。けど、僕の言葉を真に受けた風雅先生は、軽く笑って、「ある意味、それは賢い判断だな」と言った。思っていたのと違う反応だったが、気にせず話を続ける。
「だろ? だってさ、テストがどんな感じかって、イマイチわかんないし。そういう情報貰えるような、知り合いの先輩もいないしさ」
「確かに。でも、皇叶君なら余裕そうだけどな」
「え、風雅先生には、そう見える?」
「見える。今みたいに、学校でも敬語使わないせいで、先輩や先生から注意されるけど、こう見えて意外と素直だし、授業はしっかり受けて、テストでも高得点取るっていう、そんな感じ。だから、見かけで判断しちゃ痛い目見る、っていう。ハハッ」
言い終わるのと同時に、風雅先生は微笑んだ。右頬のえくぼがチャーミングだ。
「えっ、嘘。やっぱりそう見える?」
「そんな驚かなくても良いと思うけど」
「いや、あのさ、一昨日、先輩から似たようなこと言われたからさ」
「じゃあ先生の見解は間違ってないな」
「断言するんだ。へー」
いじけた僕に、「ごめんごめん」と、何気に軽い感じで平謝りする。僕の頬はゆるんでしまう。
「来月来たとき、点数教える。高得点じゃなかったら、先生、僕の相談にのって」
「別にいいけど、相談なら、今言ってくれてもいいんだけどな?」
「駄目。でも、質問したいことはある……かも」
「今聞こうか?」
「い、いい。また今度にする」
「遠慮しなくても、まだ時間あるよ?」
「ううん。いい」
「ふーん。そっか」
風雅先生は残念そうに言ったが、これは口癖のような相槌で、毎月必ず一回は口にしている。
「来月は、十三日でいい?」
「いつでもいい。みんなより少しだけ早く学校抜け出す感覚、未だに楽しいし」
「そ。わかった。時間も一緒にしてるから」
「ん、おけ」
カゴのリュック、その持ち手に手を伸ばした。が、キーボードを打つ風雅先生の横顔を見た瞬間に、僕は口を開き、言葉を発した。
「先生、やっぱ質問」
「ん、どうした?」
こちらに振り替える。重めの前髪が揺れ動く。
「先生ってさ、今年何歳?」
「え、俺? 六月に三十になるけど、それが何?」
「い、いや、何でもない。ただ気になっただけ」
「ふーん。そっか」
「じゃあ、僕、そろそろ帰る」
「ん、じゃあ、また来月」
椅子から腰を上げ、リュックを背負う。姉からもらったお守りの鈴が、チリン、と高貴な音を鳴らす。
「お大事に」



