あれから二週間後、僕は久しぶりに学校に来ていた。制服ではなく、私服で。別室が用意され、テストの時間を伸ばすという措置を取ってくれていた。
「赤点取ったら、補習あるんだから、ギリギリでも回避するんだよ、梅沢」、そう言ってきた教員。僕が屋上から飛び降りようとしたとき、駆け付けたうちの一人だった。印象が薄くなった気がする。
 試験はトータル四日間の日程で、スタートは同じ時間なのだが、終わりが三十分だけ延長される。その制度を利用した僕だが、どの教科でも、延長の必要性はあまり感じられないまま、試験を終えた。中には空欄もあるが、比較的埋められたほうだと思う。不登校の入院生徒にしては。
「結果は、まとめてお姉さんにお渡しするから」
「ありがとうございました」
 鞄を背負って、ドアを開く。その先、人の顔があって、びっくりした。
「よっ、皇叶」
「お、え、蓮我!?」
「そうだよ。いやいや、そんな驚かなくても」
「顔付き、なんか変わった? 気のせい?」
「あー、いや、まぁー、それは、なー」
 頭を掻いたり、鼻先を掻いたり、あたふたとしている蓮我。隣に立っていた康平が、びしっと、ぶった切る。
「蓮我は、人生初の彼女ができて、舞い上がっているんだよ」
「え、彼女できたって、マジか」
「ついでに言うと、和久にも」
 この場に、和久はいなかった。話を聞くと、どうやら一時間も前に、彼女と一緒に帰ったらしい。手を繋ぎながら。
「え、じゃあ、康平にも彼女できた?」
「生憎。まだ皇叶の仲間だ」
「よかった。僕だけ置いて行かれたのかと」
 胸を撫で下ろす僕を見て、蓮我は、そっとした声で、「ごめんな。俺ら彼女つくって」と申し訳なさそうにした。
「それは全然。それより蓮我、彼女と帰らなくてよかったわけ?」
「俺の彼女、意外とサバサバしてて、人前でイチャイチャすんの、苦手らしい。だから、全然問題ない」
「そうだったんだ」
「皇叶、途中まで一緒に帰ろう」
「でも僕、そこの玄関までだけど」
「わかってる。お姉さんが迎えに来るんだろ? 挨拶したいし」
 階段を降りるスピードは、二人が見てもわかるほどに、遅くなっていた。手すりがないとダメだし、慎重に一歩ずつ、足を踏み出さなければならない。
「な、見ての通り。学校、ムズイだろ、こんな状態じゃ」
「確かに。この学校、全然バリアフリーじゃないもんな」
「リフォームした南棟にも、結局多少の段差は残ってるからね」
 最後の一段を降り切ると、蓮我と康平は、僕の手を握り、歩き出した。
「なんの真似だよ」
「いいだろ、こういうのも」
「彼女見たら嫉妬するんじゃないのか」
「全然。そういうの、気にしないタイプだし」
 蓮我は、僕より一歩早く歩き、康平は僕に揃えて歩くぐらいで、出会った頃みたいに、急に走り出したり、早歩きを進めてくることもない。病気のことを話して正解だった。
 玄関先には、姉の車が停まっていた。周りに生徒はおらず、僕らだけ。
「あれがお姉ちゃん」
「横顔、似てるんだな」
「そう? 初めて言われたからわかんない」
 やり取りに気付いたのか、姉はこちらに視線を向け、微笑む。それに応じるように、蓮我も康平も、深くお辞儀をする。
「じゃあ、また」
「今度、和久も連れてお見舞い行くから」
「ありがとう。ま、和久には熱々の恋を楽しんでって、そう伝えて」
「了解」
「って、俺には?」
「じゃ、また今度」
 助手席に乗り込んで、ドアを閉める。蓮我は「俺はー?」「おーい、皇叶?」などと言って、動き回る。一方の康平は、落ち着いた様子で笑い、手を振る。
 車が校門を出るまで、二人は手を振ってくれていた。病院までの道、僕は初めて友達を紹介した。一人いないけど。

「で、いつもノートの写真送ってくれるのが、眼鏡かけてた、康平。めっちゃ賢くて、クラスでもトップの成績取ってる」
「賢そうに見えたもん。じゃあ、ノートも分かりやすく書かれてるんでしょ?」
「うん。要点もまとめてあるしね。で、その隣にいたのが、蓮我で。ノリがいいけど、何気に僕のこと、一番に心配してくれてる奴でさ。頼りがいがあるんだよね」
「そう。いいお友達に恵まれて、よかったね」
「だと思う」
 友達と呼べる人は、僕の中で三人しかいない。風雅先生は、主治医であり、相談に乗ってくれる先輩。櫻楽は、……気になる人。
 病院での生活に戻った僕は、二か月後、退院の許可が下りた。けど、リハビリに通い、月に一度の通院はそのまま継続の約束で。
 リハビリ以外でも、体を動かす機会を少しでも増やしたいと思って、僕は近所の小さなカプセルホテルで、清掃のアルバイトを始めた。元々は姉がバイトしていたところであり、風雅先生の知り合いが、現在アルバイト従業員の管理をしているということで、配慮をしてもらったうえで、働けることになったのだ。
 学校には通わず、日中から夕方にかけて、三時間のアルバイト。時給はそれほど高くないけど、今後の治療費のことを考えると、助かる額だった。
 週三日のアルバイト。楽しく仕事をしている間に、一度も学校に行けないまま、退学の日を迎えた。退学届けは、姉とともに学校へ渡しに行った。
「今まで、ありがとうございました」
「お世話になりました」
 頭を下げて、学校を出るとき、清々しい気持ちだった。授業中だったから、三人には合えなかったけど、やり取りでは繋がっている。暇な時に、一度連絡してみよう。