自転車置き場の、迷惑にならない所へ自転車を寝かせ、残りの脚力でターミナルまで走る。走る。とにかく走る。
階段を下りた先、列をなしているところがあって、目を凝らすと、バスの後ろには、東京、と行き先が電光で表示されていた。既に到着していたバスへ、乗客が順番に乗り込んでいく様子が見えた。
「櫻楽!」
 階段の中ほどで叫ぶ。
「櫻楽!」
 懸命に叫んだ。けれど誰も振り返ってはくれない。バス数台の停車している音に掻き消され、俺のか弱い声は届かないらしい。
 一段ずつ、下りて行く。乗客は荷物を預け、バスの中へ乗り込んでいく。
「櫻楽、櫻楽、櫻楽……」
 近づいているはずなのに、遠ざかっていく人々。
「待って、待ってよ……、櫻楽!」
 最後の一段を下りたとき、こちらに視線を向けている男の姿が目に映った。
「皇叶……?」
 声をかけてきた人物。目を疑った。僕が知る櫻楽は、もっと幼くて、風雅先生に似てきている感じだった。それなのに……。
「さく、ら……?」
「そうだよ、皇叶」
「なんか、成長してる。別人みたい」
「それは、皇叶もだよ。大きくなったじゃん」
「そんなことないし」
 頬が熱くなる。ついでに、目頭も。
「あのー、そろそろ出発しますよ」バスの運転手が、櫻楽の背後から声を掛けた。窓側の乗客は、僕らのことを物珍しそうに見ていた。多分、抱き着かれていたから。
「あぁ、すいません。今乗ります」
 すっと体が離される。ぎゅっとされたときの感覚が、背中に残り続ける。
「次は、いつ?」
「八年後の二月、東京駅で会おう」
「は? 八年後って、ふざけてんのか」
「本気だ。俺は、皇叶の全てを優秀な兄に任せる。夢を叶えた俺に、会いに来てくれ」
「夢? 叶えるのに八年もかかるのかよ」
「そうだよ。皇叶に出会って見つけた夢を、今から叶えに行くんだ。だから皇叶も、夢を叶えて。八年後、大人になった皇叶と再会できるのを、今から楽しみにしてるから」
 今度は頭を撫でられた。身体までも熱くなる。
「それじゃあ、またね、皇叶」
 そう言って、櫻楽はバスに乗り込んだ。僕は、去っていくバスを、ただ茫然と眺めていた。目から頬を伝う涙も、そのままに。

「ただいま。遅くなって、ごめん」
 ドアを開けると、夕食を作る姉の姿があった。
「おかえり。どう、会えた?」
「駄目だった。急いだんだけど、道間違えちゃってさ、間に合わなくて」
「えー、うそでしょ」
 自転車の鍵をケースに入れる。姉の車の鍵には、見覚えのない猫のキーホルダーが付いている。
「ね、これ、どうしたの?」
「あー、猫の? それね、樹理にもらったの。ガチャガチャで出たからって」
「ふーん」
 ガチャガチャ、か。
「今日会えなかったってことは、次に会う機会があるってことだと思うから、気を落とし過ぎないようにね」
「汗かいたから、先にシャワー、浴びてくる」
 夕食を食べ終えたあと、特にやることもないから、今話題のアニメを一話だけ観て、二時間ほど早く、布団に潜り込んだ。けれど、脳が冴えているのか、全然眠れないまま、気が付けば、朝を知らせる鳥が鳴いていた。
「皇叶、仕事行ってくるね」
「ん~」
「帰り、買い物してくるから、少し遅くなる」
「んン」
「それじゃ」