八月八日、夏休みの課題をやっている途中、いきなり櫻楽から連絡が入った。
「なに? なんか用?」
「デート行こ」
「は、いつだよ」
「十四日とかはどう? 逆に言うと、その日しか予定空いてないんだけど」
「風雅先生、来る?」
「呼んでる。付き添いで来て欲しいって。皇叶だって、七月の受診のときに伝えてるんだろ?」
「……行く」
待ち合わせの時間、少し前に櫻楽たちはやって来た。既に姉は仕事に行っていたため、戸締りを確認後、階段を下りる。自宅前、ハザードランプを付けて停車している風雅先生の車。
「よっ」と言って手を振る。後部座席には、櫻楽の姿も見えた。
「風雅先生、おはよ」
「おはよう」
「皇叶、おはよう。久しぶり」
「……はよ」
「アッハハハハ、相変わらず櫻楽に対しては冷徹だな」
「そういうの、今いいから。出発しよ」
「はいよ」
風雅先生が運転する車は、校外に向かって山沿いの道を走っていた。
「やっぱ、学校行ってないのか」
「なんか文句でも?」
「ないよ。それで、高校受験は、するつもりある?」
「ある。だから独学で勉強してんだよ。本当なら今日だって、勉強漬けの一日になるはずだった。お気楽な櫻楽と違ってな」
「……ハハハ、そうだよな、うん」
急なカーブを曲がった瞬間、櫻楽が足元に置いたバックの中に、数学の参考書が入っているのが見えた。シャーペンもあって、ここに来る道中、勉強していたのだろうと思う。お気楽なのは、僕のほうだ。
カーラジオの音声が、段々と途切れ始め、雑音が多くなる。辺りを見渡せば雑木林しかなく、すれ違う車の数も、店らしい建物も、減っていた。
「どこ行くんだよ」
「自然豊かなとこ」
「何だよ、それ」
やっと大きな建物が見えてきた。蔦が絡まった看板には、食事処と書かれてあって、数台の車が停まっていた。
「ここで休憩にしよう。というか、ここを逃すと飲食店はない」
「え、どんだけ山奥に連れてきたんだよ」
「人も多い市街地行くよりはマシかなって思って、嫌いだった?」
「別に」
「なら良かった。自然が嫌いじゃなければ、楽しめると思うから」
隣で櫻楽は微笑んだ。
車を降りたタイミングで、風雅先生のスマホに着信が入った。画面を見て、小さな吐息を漏らす。そして、怪訝な顔を浮かべた。
「はい、日下部です」
電話している風雅先生に、先に入るというジェスチャーをして、店内の引き戸を開けた。
「らっしゃいませー」
厨房から顔を出した、丸刈りの男性。その横で洗い物をしていた女性も「いらっしゃい」と優しく言い、会釈した。
「お二人さん?」
「いえ、もう一人連れが」
「そうですか。ボックス席のお好きな所へどうぞ」
出入口とは反対の席に腰を下ろした。大きな窓からは、建物の下を見下ろせるようになっていて、細い川が流れていることに気付いた。久しぶりに夏を感じる。
「お冷です。ご注文は、後でよろしいですか?」
「はい」
「かしこまりました」
天井に付けられたファンは、開いた窓から吹き込む、山間の涼やかな風を室内全体に回す。
「あ、来た」
歩いてきた風雅先生は、既に、謝罪したそうな雰囲気を漂わせていた。
「悪い。担当患者が急変して、病院に戻らなければならなくなった」
「え、じゃあ僕たちどうすれば」
「タクシーを呼んだ。ここまで来るように言ってある」
「兄ちゃん」
「櫻楽、皇叶のこと任せた。何かあったら、すぐに電話しろ。繋がるようにはしておくから」
「わかった。気を付けて」
「ありがとう。ごめんな、皇叶。また今度」
「うん」
風雅先生はお冷を一気に飲み干して、「ご馳走様でした」とカウンターで声を掛け、帰って行った。テーブルの上に残された千円札。僕と櫻楽は、ちょうど千円になる定食を注文した。
タクシーに乗り、到着した場所は、キャンプ場だった。そこへ行くまでの道は整備されてあって歩きやすく、また、調理場やトイレといった水回りも完備。それなのに僕ら以外は一組の男女客がいるだけで、ほとんど貸し切りの状態だった。
「ごめんな、こんな何もないところで」
「相変わらずだな」
太くて長い丸太のベンチに、少し距離を空けて座る。横を見る。成長した櫻楽の姿があって、
「皇叶、ごめんな」
「は、何が」
「今日だって、勉強したかったんだろ? それなのに呼び出したから」
「別に、今日一日ぐらい、やらなくていいし」
「そっか」
蝉の声。川のせせらぎ。風の音。微かに聞こえる車の走行音。自然の音に耳を傾ける。
「高校を卒業するまで、俺、皇叶には会わないようにするから」
「は、なんで」
「だって、来年は受験生の年。その翌年には、俺が受験生。会えるタイミングは、俺の受験が終わって、寮を出る三月頭」
「本当に、帰ってくんのかよ」
「一旦は家に帰るよ。パッキングの必要があるから、そのまま東京に出て行ったりはしないよ」
「……東京?」
「そう。俺さ、東京にある医学部、受験するから。そのために、兄ちゃんと同じ高校に入学した。意外と寮生活も悪くない」
二タッと笑い、頷く。足元を見ると小さなカニが歩いていた。
「俺が入ってる寮は、文武両道が保てる程度の恋愛なら、許されているんだけど、外出するのは結構厳しくてさ。その分、年末年始は帰省できるから、いいんだけど」
「お盆は?」
「言えば帰省させてくれる。今年ぐらいしか、ゆっくりできないから」
そのカニは、今度は櫻楽の所にいて、ゆっくりと水辺へ近づいていく。
「だからさ、次の約束は、再来年の三月。皇叶が、高校一年生の三月だ」
「……った」
「今度もまた、迎えに行くから。リハビリと治療、大変だろうけど、頑張って」
キャンプ場近隣の駅まではバスを使い、そこからは電車を使って帰ってきた。終始、隣には櫻楽がいたが、言葉を交わした数はゼロに近く、櫻楽は数学の問題を解き、僕はたまたまポケットに入れてきた単語帳と睨めっこし続けていた。
駅での別れも、すんなりとしていた。帰っていく櫻楽の姿は、寂しいけど意を決している感じが伝わった。逆に、俺が帰るところを櫻楽は見ていたのだろうか。そして、どんなことを思ったのだろうか。二年後、再び元気な姿で会えるように。願いを込めながら家路を急いだ。
「なに? なんか用?」
「デート行こ」
「は、いつだよ」
「十四日とかはどう? 逆に言うと、その日しか予定空いてないんだけど」
「風雅先生、来る?」
「呼んでる。付き添いで来て欲しいって。皇叶だって、七月の受診のときに伝えてるんだろ?」
「……行く」
待ち合わせの時間、少し前に櫻楽たちはやって来た。既に姉は仕事に行っていたため、戸締りを確認後、階段を下りる。自宅前、ハザードランプを付けて停車している風雅先生の車。
「よっ」と言って手を振る。後部座席には、櫻楽の姿も見えた。
「風雅先生、おはよ」
「おはよう」
「皇叶、おはよう。久しぶり」
「……はよ」
「アッハハハハ、相変わらず櫻楽に対しては冷徹だな」
「そういうの、今いいから。出発しよ」
「はいよ」
風雅先生が運転する車は、校外に向かって山沿いの道を走っていた。
「やっぱ、学校行ってないのか」
「なんか文句でも?」
「ないよ。それで、高校受験は、するつもりある?」
「ある。だから独学で勉強してんだよ。本当なら今日だって、勉強漬けの一日になるはずだった。お気楽な櫻楽と違ってな」
「……ハハハ、そうだよな、うん」
急なカーブを曲がった瞬間、櫻楽が足元に置いたバックの中に、数学の参考書が入っているのが見えた。シャーペンもあって、ここに来る道中、勉強していたのだろうと思う。お気楽なのは、僕のほうだ。
カーラジオの音声が、段々と途切れ始め、雑音が多くなる。辺りを見渡せば雑木林しかなく、すれ違う車の数も、店らしい建物も、減っていた。
「どこ行くんだよ」
「自然豊かなとこ」
「何だよ、それ」
やっと大きな建物が見えてきた。蔦が絡まった看板には、食事処と書かれてあって、数台の車が停まっていた。
「ここで休憩にしよう。というか、ここを逃すと飲食店はない」
「え、どんだけ山奥に連れてきたんだよ」
「人も多い市街地行くよりはマシかなって思って、嫌いだった?」
「別に」
「なら良かった。自然が嫌いじゃなければ、楽しめると思うから」
隣で櫻楽は微笑んだ。
車を降りたタイミングで、風雅先生のスマホに着信が入った。画面を見て、小さな吐息を漏らす。そして、怪訝な顔を浮かべた。
「はい、日下部です」
電話している風雅先生に、先に入るというジェスチャーをして、店内の引き戸を開けた。
「らっしゃいませー」
厨房から顔を出した、丸刈りの男性。その横で洗い物をしていた女性も「いらっしゃい」と優しく言い、会釈した。
「お二人さん?」
「いえ、もう一人連れが」
「そうですか。ボックス席のお好きな所へどうぞ」
出入口とは反対の席に腰を下ろした。大きな窓からは、建物の下を見下ろせるようになっていて、細い川が流れていることに気付いた。久しぶりに夏を感じる。
「お冷です。ご注文は、後でよろしいですか?」
「はい」
「かしこまりました」
天井に付けられたファンは、開いた窓から吹き込む、山間の涼やかな風を室内全体に回す。
「あ、来た」
歩いてきた風雅先生は、既に、謝罪したそうな雰囲気を漂わせていた。
「悪い。担当患者が急変して、病院に戻らなければならなくなった」
「え、じゃあ僕たちどうすれば」
「タクシーを呼んだ。ここまで来るように言ってある」
「兄ちゃん」
「櫻楽、皇叶のこと任せた。何かあったら、すぐに電話しろ。繋がるようにはしておくから」
「わかった。気を付けて」
「ありがとう。ごめんな、皇叶。また今度」
「うん」
風雅先生はお冷を一気に飲み干して、「ご馳走様でした」とカウンターで声を掛け、帰って行った。テーブルの上に残された千円札。僕と櫻楽は、ちょうど千円になる定食を注文した。
タクシーに乗り、到着した場所は、キャンプ場だった。そこへ行くまでの道は整備されてあって歩きやすく、また、調理場やトイレといった水回りも完備。それなのに僕ら以外は一組の男女客がいるだけで、ほとんど貸し切りの状態だった。
「ごめんな、こんな何もないところで」
「相変わらずだな」
太くて長い丸太のベンチに、少し距離を空けて座る。横を見る。成長した櫻楽の姿があって、
「皇叶、ごめんな」
「は、何が」
「今日だって、勉強したかったんだろ? それなのに呼び出したから」
「別に、今日一日ぐらい、やらなくていいし」
「そっか」
蝉の声。川のせせらぎ。風の音。微かに聞こえる車の走行音。自然の音に耳を傾ける。
「高校を卒業するまで、俺、皇叶には会わないようにするから」
「は、なんで」
「だって、来年は受験生の年。その翌年には、俺が受験生。会えるタイミングは、俺の受験が終わって、寮を出る三月頭」
「本当に、帰ってくんのかよ」
「一旦は家に帰るよ。パッキングの必要があるから、そのまま東京に出て行ったりはしないよ」
「……東京?」
「そう。俺さ、東京にある医学部、受験するから。そのために、兄ちゃんと同じ高校に入学した。意外と寮生活も悪くない」
二タッと笑い、頷く。足元を見ると小さなカニが歩いていた。
「俺が入ってる寮は、文武両道が保てる程度の恋愛なら、許されているんだけど、外出するのは結構厳しくてさ。その分、年末年始は帰省できるから、いいんだけど」
「お盆は?」
「言えば帰省させてくれる。今年ぐらいしか、ゆっくりできないから」
そのカニは、今度は櫻楽の所にいて、ゆっくりと水辺へ近づいていく。
「だからさ、次の約束は、再来年の三月。皇叶が、高校一年生の三月だ」
「……った」
「今度もまた、迎えに行くから。リハビリと治療、大変だろうけど、頑張って」
キャンプ場近隣の駅まではバスを使い、そこからは電車を使って帰ってきた。終始、隣には櫻楽がいたが、言葉を交わした数はゼロに近く、櫻楽は数学の問題を解き、僕はたまたまポケットに入れてきた単語帳と睨めっこし続けていた。
駅での別れも、すんなりとしていた。帰っていく櫻楽の姿は、寂しいけど意を決している感じが伝わった。逆に、俺が帰るところを櫻楽は見ていたのだろうか。そして、どんなことを思ったのだろうか。二年後、再び元気な姿で会えるように。願いを込めながら家路を急いだ。



