僕に青春を教えてくれた恋人  (僕にアオハルを教えてくれたヒト)

 夏が終わり、やがて季節は秋、冬へと移り変わる。クリスマス、冬休み、年末年始、冬休み明け……。寒さが厳しさを増す中でも、姉は平日は毎日働いて、お金をため続けている。一方の僕は、不登校日数が、段々と今までの登校日数に迫りつつあった。学校でも近所でもすれ違わなくなった櫻楽と、連絡を取らなくなってから今日で四カ月。多分このまま、連絡を取らないのだろうと思うと、心がぎゅっと痛くなって、辛かった。それだけ、僕は櫻楽に依存していた、ということ。でも、決してこれは恋なんかじゃない。何せ僕は、好きだと思っても、恋人を作る気なんてさらさらないのだから。
「じゃあ、お姉ちゃん、今日も仕事行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
「帰ってきたら、一緒に買い物行くからね」
「ん」
 目の前には、中学二年生用の数学の参考資料が広げられている。中退するリスクを背負ってでも、高校に進学したいと姉に話して数日、姉はあらゆる参考書を買ってくれた。集団よりも一人で勉強するほうが捗って、一か月もしないうちに中学一年生の範囲を全て終わらしてしまった。学校では味わえない快感に、一人で酔いしれていた。
「これがこうだから、この式に当てはめて……」
 僕はどうやら数学が得意なようだ。理科と社会もまあまあ。国語と英語はもう少し頑張らなければ、不合格になるかもしれないというラインに立っている。実際、不登校の生徒がどれぐらい高校受験をするのか、そのデータを知らない。けれど、努力した証が欲しくて、誰かに認めてもらいたくて。それだけで頑張っているようなものだ。
 不登校になってから、僕は料理もするようになった。平日は昼のみ一人で作るが、土日は昼と夜、作るようにしている。前よりもレパートリーは増え、姉の誕生日には、初めてマフィンを焼いた。壊れかけの状態を五年ほど維持していたオーブンは、先月末ついに故障し、中古で購入したオーブンで最初につくったのも、マフィンだった。高校を卒業できなくても、料理の道に進んでみたいとも思えたし、このことが誰かの助けになるのかもしれないとも思えた。初めて、自信というものを身に付けた気分だった。

 三月中旬。卒業式が行われたらしい。先生から声がかかることはなく、後日、姉から話を聞いた。
「先生が言ってたよ、保健室登校でもいいから、二年生になったら来ないか、って」
「行くわけないだろ。一人のほうが楽だし」
「皇叶の生き方をすればいいよ。先生には適当言えばいいし」
「うん」
 姉が微笑んだ。そのとき、机の上で充電中の、僕の携帯が振動した。
「誰だ……」
 恐る恐る画面を見ると、櫻楽と表示され、思わず画面を伏せて置いてしまう。
「電話、でなくていいの?」
「い、いい。いらない」
「えー、代わりに出てあげようか?」
姉の手が携帯へと伸びる。阻止しようとしたが、一歩、遅かった。
「あ、もしもーし、櫻楽君? あ、ごめんね、ちょっと皇叶、いま手が離せなくってね。どうしたの? うん、うん、え、本当。おめでとう、よかったね」
 櫻楽と電話している姉は、なんだかうれしそうだった。本当は声を聴きたい。でも、つよがった以上、電話しないという道を突き進む。
「そっかそっか。うん、電話してくれてありがとうね。皇叶からも直接話させるようにするから。うん、はーい。じゃあね」
 姉は電話を切った。携帯を突き返す。
「櫻楽君、高校に合格したんだって」
「へー、それで?」
「直接会って、話がしたいんだって」
「……っそ」
「素っ気ない返事」
「いいだろ、別に。もう、あいつに興味ない――」
「櫻楽君、寮生活するみたいよ」
 思いがけない反応。口はだらしなく開く。
「皇叶はよく知らないかもしれないけど、寮によっては、帰省できるタイミングも限られているし、携帯を使用できる時間にも制限があったりする。それが何を意味するかぐらい、わかるでしょ」
「……」
 姉は無言で、僕の手に無理やり携帯を握らせた。
「電話、早くしなさいよ。お姉ちゃん、コンビニ行ってくるから」
「……」
 ドアが閉まる。なんとなくソファに腰かけて、画面を付ける。
 電話の画面。トップに櫻楽の名前。そっと耳元に近づける。
「――もしもし」
「……あ、あの……」
「久しぶりだな、皇叶。元気してたか?」
「相変わらず……」
 電話越しに聞けば、櫻楽の声は風雅先生にそっくりだった。
「電話、してくれてありがとな」
「なんか話、あるんだろ?」
「うん。でも、できれば直接会って話がしたい。また、あの喫茶店で」