アパートから徒歩五分。昔ながらの喫茶店のドアベルを鳴らす。
「いらっしゃいませ」如何にも美味しそうなコーヒーを入れそうな店長が、こちらに会釈する。
「マスター、久しぶり」手を挙げる櫻楽。相手も気さくな笑みを浮かべる。
「お久しぶりですね、櫻楽様」
「櫻楽……様?」
「人前だと恥ずかしいな、その呼び方」
「そうでしょうけど、ご幼小の頃から、その呼び方をしておりますので。今さら変えるわけには」
マスターと呼ばれるその男性は、にこりと微笑んだ。
「わかったよ。呼びやすいように呼んで」
「はい! ありがとうございます。ご注文は、どうされます?」
「俺は、アメリカンコーヒーで」
「かしこまりました。お連れの方は、いかがいたしましょう?」
「皇叶は、何飲む?」
「え、あ……、えっと」
慌ててメニュー表を目で追う。その中で、コーヒーではなさそうな、ただ、それが何かもしらないのに、口にした。「サンシャインオレンジ、で」と。
「かしこまりました。では、お好きな座席へどうぞ」
「うん、ありがとう」
店内はがらんとしていて、向かい合って優雅にティータイムを楽しむ婦人二人がいるだけ。選び放題の中で、櫻楽はカウンター席を選んだ。
「家族で来ると、テーブル席に座るんだけど、父親と二人とか、そういうときはカウンター選ぶんだよね」
テーブルを優しく撫でながら感慨深そうに言って、目尻を垂らす。豆が焙煎されていく、音と匂いがする。
「皇叶は、普段って何飲んでるの? コーヒーは飲む?」
「飲まない。カフェオレなら飲む」
「そっか。いつか、一緒にコーヒーを飲めたらいいな」
目が合う。純粋な、悪気の無い目をしている。
「だから、僕の前で未来の話しするなって、言ってるだろ。やめろよ」
「……」
「あ、なに、何か文句でもあんの?」
「あのさ、どうしてそこまで否定的なの? 死ぬのが怖いのか?」
「わからないくせに言うな」
お冷を飲み干す。氷がぶつかりあって、少し砕けた。
「俺だって、死ぬのは怖いよ」
「でも、病気があるやつとないやつじゃ、絶対、体感が違う」
「それは、そうだけど……、でもさ――」
「なに、まだ突っかかる気?」
「だって、皇叶と話したいんだもん。だから今日連れてきたんじゃん」
「だったら一人で勝手にベラベラと喋ってりゃいいだろ。僕を巻き込むな」
「独り言喋ってるみたいで、恥ずかしいじゃん」
「櫻楽にも恥ずかしいって感情あるんだ。へー」
「何だよ、その言い方は。失礼だよ、流石に」
「うるせー。口出しすんな」
「ホント、ずっと機嫌悪いね」
「お前が勝手に、お姉ちゃんに話したからだろ。ずっと黙ってたのに」
「それは、本当にごめん。皇叶のプライバシーを傷付けた」
怒り以外の感情が沸々と煮え始めていた。
「……」
「でもさ、どうして、姫乃ちゃんに隠してたわけ? 心配かけたくなかった?」
「そうだけど、なんか悪い?」
「そっか。弟なりの気遣いだったのか」
「……お姉ちゃん、昔、精神的に病んでたけど、今は楽しそうに仕事してるから、僕のことで余計な心配させたくなかった」
「そっか。優しいんだな、皇叶は」
「優しくなんかない。本当に優しい人なら、最初の段階で伝えるから」
「じゃあさ、今からでも遅くないんじゃない?」
「なにが」
「姫乃ちゃんに、今まで隠してた理由、伝えてあげたら?」
「でも、また不安定になるかもしれないし」
「皇叶のお母さんが、いまどんな生活してるのか、俺は詳しくは知らないけど、姉弟で協力しながら今日までやってきたことだけは、ちゃんとわかる。関係性を悪くしたくないなら、はっきり伝えなよ。自分のためにも、お姉ちゃんのためにも」
「……」
注文の品が、カウンター越しで手渡された。サンシャインオレンジの正体は、円形のバニラアイスとミントがトッピングされた、オレンジジュースだった。このお店でしか味わえない一品だと説明を受ける。
「アイスは溶かしながら、ゆっくりとお飲みください」
「サンシャインオレンジ、俺も好きだったな、そういえば」
「そうですね。いつからか大人な味覚になられて」
「コーヒー好きな父の影響だよ。好き嫌いでは判断できないから」
「そうなのですか。ちょっと意外でした」
「うん。でも、今日も美味しくいただくよ、マスター」
「はい。お二人とも、ごゆっくり」
スプーンでアイスを溶かしていく。氷がグラスに当たり、カラカラと涼しげな音色を奏でる。
「皇叶、ごめんな」
「は、なに急に。怖いんだけど」
「怖がるなよ。あのさ、俺、ひとつだけ、皇叶と未来の約束を、したくてさ」
「ひとつ? さっきコーヒーを一緒にとか言ってたけど?」
「ごめん、それは嘘……、というか叶えたい夢だけど、それよりももっと大事な、大事な約束をしたいんだ」
「今までの軽率な、未来の約束話を撤回するなら、聞いてあげなくもないけど」
「……わかった。撤回する。だから、ひとつだけ、お願いを聞いてくれ」
「いいよ。で、なに?」
櫻楽は、真っ直ぐな視線を僕に向け続け、話し続けた。酸味しか感じなかったオレンジジュースは、バニラアイスが全て溶け、甘酸っぱくなっていた。
「いらっしゃいませ」如何にも美味しそうなコーヒーを入れそうな店長が、こちらに会釈する。
「マスター、久しぶり」手を挙げる櫻楽。相手も気さくな笑みを浮かべる。
「お久しぶりですね、櫻楽様」
「櫻楽……様?」
「人前だと恥ずかしいな、その呼び方」
「そうでしょうけど、ご幼小の頃から、その呼び方をしておりますので。今さら変えるわけには」
マスターと呼ばれるその男性は、にこりと微笑んだ。
「わかったよ。呼びやすいように呼んで」
「はい! ありがとうございます。ご注文は、どうされます?」
「俺は、アメリカンコーヒーで」
「かしこまりました。お連れの方は、いかがいたしましょう?」
「皇叶は、何飲む?」
「え、あ……、えっと」
慌ててメニュー表を目で追う。その中で、コーヒーではなさそうな、ただ、それが何かもしらないのに、口にした。「サンシャインオレンジ、で」と。
「かしこまりました。では、お好きな座席へどうぞ」
「うん、ありがとう」
店内はがらんとしていて、向かい合って優雅にティータイムを楽しむ婦人二人がいるだけ。選び放題の中で、櫻楽はカウンター席を選んだ。
「家族で来ると、テーブル席に座るんだけど、父親と二人とか、そういうときはカウンター選ぶんだよね」
テーブルを優しく撫でながら感慨深そうに言って、目尻を垂らす。豆が焙煎されていく、音と匂いがする。
「皇叶は、普段って何飲んでるの? コーヒーは飲む?」
「飲まない。カフェオレなら飲む」
「そっか。いつか、一緒にコーヒーを飲めたらいいな」
目が合う。純粋な、悪気の無い目をしている。
「だから、僕の前で未来の話しするなって、言ってるだろ。やめろよ」
「……」
「あ、なに、何か文句でもあんの?」
「あのさ、どうしてそこまで否定的なの? 死ぬのが怖いのか?」
「わからないくせに言うな」
お冷を飲み干す。氷がぶつかりあって、少し砕けた。
「俺だって、死ぬのは怖いよ」
「でも、病気があるやつとないやつじゃ、絶対、体感が違う」
「それは、そうだけど……、でもさ――」
「なに、まだ突っかかる気?」
「だって、皇叶と話したいんだもん。だから今日連れてきたんじゃん」
「だったら一人で勝手にベラベラと喋ってりゃいいだろ。僕を巻き込むな」
「独り言喋ってるみたいで、恥ずかしいじゃん」
「櫻楽にも恥ずかしいって感情あるんだ。へー」
「何だよ、その言い方は。失礼だよ、流石に」
「うるせー。口出しすんな」
「ホント、ずっと機嫌悪いね」
「お前が勝手に、お姉ちゃんに話したからだろ。ずっと黙ってたのに」
「それは、本当にごめん。皇叶のプライバシーを傷付けた」
怒り以外の感情が沸々と煮え始めていた。
「……」
「でもさ、どうして、姫乃ちゃんに隠してたわけ? 心配かけたくなかった?」
「そうだけど、なんか悪い?」
「そっか。弟なりの気遣いだったのか」
「……お姉ちゃん、昔、精神的に病んでたけど、今は楽しそうに仕事してるから、僕のことで余計な心配させたくなかった」
「そっか。優しいんだな、皇叶は」
「優しくなんかない。本当に優しい人なら、最初の段階で伝えるから」
「じゃあさ、今からでも遅くないんじゃない?」
「なにが」
「姫乃ちゃんに、今まで隠してた理由、伝えてあげたら?」
「でも、また不安定になるかもしれないし」
「皇叶のお母さんが、いまどんな生活してるのか、俺は詳しくは知らないけど、姉弟で協力しながら今日までやってきたことだけは、ちゃんとわかる。関係性を悪くしたくないなら、はっきり伝えなよ。自分のためにも、お姉ちゃんのためにも」
「……」
注文の品が、カウンター越しで手渡された。サンシャインオレンジの正体は、円形のバニラアイスとミントがトッピングされた、オレンジジュースだった。このお店でしか味わえない一品だと説明を受ける。
「アイスは溶かしながら、ゆっくりとお飲みください」
「サンシャインオレンジ、俺も好きだったな、そういえば」
「そうですね。いつからか大人な味覚になられて」
「コーヒー好きな父の影響だよ。好き嫌いでは判断できないから」
「そうなのですか。ちょっと意外でした」
「うん。でも、今日も美味しくいただくよ、マスター」
「はい。お二人とも、ごゆっくり」
スプーンでアイスを溶かしていく。氷がグラスに当たり、カラカラと涼しげな音色を奏でる。
「皇叶、ごめんな」
「は、なに急に。怖いんだけど」
「怖がるなよ。あのさ、俺、ひとつだけ、皇叶と未来の約束を、したくてさ」
「ひとつ? さっきコーヒーを一緒にとか言ってたけど?」
「ごめん、それは嘘……、というか叶えたい夢だけど、それよりももっと大事な、大事な約束をしたいんだ」
「今までの軽率な、未来の約束話を撤回するなら、聞いてあげなくもないけど」
「……わかった。撤回する。だから、ひとつだけ、お願いを聞いてくれ」
「いいよ。で、なに?」
櫻楽は、真っ直ぐな視線を僕に向け続け、話し続けた。酸味しか感じなかったオレンジジュースは、バニラアイスが全て溶け、甘酸っぱくなっていた。



