その日の夜、僕は夢を見た。初めて見る夢だった。
僕は暗闇の廊下みたいなところを歩いていた。角を曲がると、遠くに、電気が灯る空間があることに気が付いて、走り出した。近づいてくると、女の人の言い争うような声が聞こえて、さらに近づくと、その声が姉と母に似ていると思うようになった。そっと耳を傾ける。
「あの子に、お父さんのこと、言ったほうがいいんじゃないの」
「何で今さらそうなるのよ。言わなくてもいいじゃない」
「実はね、昨日、スーパーでお母さんの元同僚の方に会ったの。そのとき、あの子の顔を見て、あの人にそっくりって言われたのよ」
「それで」
「その方と別れたあと、あの人って誰って聞かれたから、あの人は、若い時のお父さんとそっくりな人って誤魔化したんだけど」
「何それ、もっとマシな誤魔化し方はなかったわけ? 直接のきょうだいじゃないって、ばれちゃったらどうするのよ。責任取れるの?」
「そのときは、話すしかないじゃない」
「なら、あんたが責任持って話しなさいよ」
「どうして私なの」
「名前付けたの、あんたじゃない」
「そりゃ、そうだよ。お父さんは違っても、きょうだいだよ、って伝えたかったからね。でも、あの子を生んだのはお母さんでしょ。会社の飲み会で破目外して、その場の勢いでホテルに行って、強引に後輩の男と性行為してつくったのが、あの子じゃないの」
「どうしてあんたに責められなきゃならないのよ。おかしいじゃない」
「おかしいのはそっちでしょ。生れたばっかのあの子残して、精神障害になった私に世話全部任せて、バイトに出かけてたじゃない。でも、バイトの給料、全然私たちに使ってくれなかったよね? どっからお金出てたと思う?」
「知らないわよ、そんなの」
「おばあちゃんの年金、だったの」
「だから何よ」
「稼いだ給料をパチンコに費やすから、おばあちゃんが少ない年金の中から、私とあの子の食費の一部、助けてくれてたんじゃない。私の給料のほとんどが、生活費と養育費に消えてたのに、だから何って、そういう言い方はないでしょ」
「たまに息抜きぐらいしたっていいじゃないの。何が悪いのよ。それに、あんたのほうが給料よかったんだから、ちょっとぐらいいいじゃない。破産しない程度に調整していたんだから」
「よくそう言えるわね。確かにそっちは破産しなかったかもしれないけどね、私は破産寸前まで何度も追い込まれた。借金しなきゃだめかもしれないって何回も思った。私一人の少ない給料で、おばあちゃんと、あの子にご飯を食べさせなきゃならなかったのよ」
「あんたも我慢せずに食べれば、病気もマシになってたんじゃないの? 新しい病気にもならなくて済んだかもしれないのに」
「そうね。その通りだと思う。でも、あのときは、そうするしかなかったの。私が我慢すれば、お金も多少は浮くし、痩せればその分、捨てられなかった服も着れるからいいと思っていたのよ」
「フンッ、情けない話ね。あんたは私みたいにもっと豪遊して生きるべきなのよ。そういう精神持ってたら、おかしくならなかったのにね。嗚呼、なんて可哀想なのかしらね」
「こうなったのは、私の責任じゃない。全部そっちのせいだから」
「なによ今さら。バカね」
「自分ファーストの精神でしかないお前に、あの子のことを世話する権利なんてどこにもないから。指一本触れさせないから」
「あの子を返せ! この、泥棒娘!」
こちらに近づいてくる足音。僕は慌ててその場から走って逃げた。
そして、目が覚めた。額にはじんわりと汗が滲んでいる。部屋を分けるカーテンの向こう、姉の寝息は聞こえてこなかぅた。そうかといって、リビングから声がするわけでもない。僕は再び重たい瞼を閉じた。その夢の続きを見ることはなかった。
僕は暗闇の廊下みたいなところを歩いていた。角を曲がると、遠くに、電気が灯る空間があることに気が付いて、走り出した。近づいてくると、女の人の言い争うような声が聞こえて、さらに近づくと、その声が姉と母に似ていると思うようになった。そっと耳を傾ける。
「あの子に、お父さんのこと、言ったほうがいいんじゃないの」
「何で今さらそうなるのよ。言わなくてもいいじゃない」
「実はね、昨日、スーパーでお母さんの元同僚の方に会ったの。そのとき、あの子の顔を見て、あの人にそっくりって言われたのよ」
「それで」
「その方と別れたあと、あの人って誰って聞かれたから、あの人は、若い時のお父さんとそっくりな人って誤魔化したんだけど」
「何それ、もっとマシな誤魔化し方はなかったわけ? 直接のきょうだいじゃないって、ばれちゃったらどうするのよ。責任取れるの?」
「そのときは、話すしかないじゃない」
「なら、あんたが責任持って話しなさいよ」
「どうして私なの」
「名前付けたの、あんたじゃない」
「そりゃ、そうだよ。お父さんは違っても、きょうだいだよ、って伝えたかったからね。でも、あの子を生んだのはお母さんでしょ。会社の飲み会で破目外して、その場の勢いでホテルに行って、強引に後輩の男と性行為してつくったのが、あの子じゃないの」
「どうしてあんたに責められなきゃならないのよ。おかしいじゃない」
「おかしいのはそっちでしょ。生れたばっかのあの子残して、精神障害になった私に世話全部任せて、バイトに出かけてたじゃない。でも、バイトの給料、全然私たちに使ってくれなかったよね? どっからお金出てたと思う?」
「知らないわよ、そんなの」
「おばあちゃんの年金、だったの」
「だから何よ」
「稼いだ給料をパチンコに費やすから、おばあちゃんが少ない年金の中から、私とあの子の食費の一部、助けてくれてたんじゃない。私の給料のほとんどが、生活費と養育費に消えてたのに、だから何って、そういう言い方はないでしょ」
「たまに息抜きぐらいしたっていいじゃないの。何が悪いのよ。それに、あんたのほうが給料よかったんだから、ちょっとぐらいいいじゃない。破産しない程度に調整していたんだから」
「よくそう言えるわね。確かにそっちは破産しなかったかもしれないけどね、私は破産寸前まで何度も追い込まれた。借金しなきゃだめかもしれないって何回も思った。私一人の少ない給料で、おばあちゃんと、あの子にご飯を食べさせなきゃならなかったのよ」
「あんたも我慢せずに食べれば、病気もマシになってたんじゃないの? 新しい病気にもならなくて済んだかもしれないのに」
「そうね。その通りだと思う。でも、あのときは、そうするしかなかったの。私が我慢すれば、お金も多少は浮くし、痩せればその分、捨てられなかった服も着れるからいいと思っていたのよ」
「フンッ、情けない話ね。あんたは私みたいにもっと豪遊して生きるべきなのよ。そういう精神持ってたら、おかしくならなかったのにね。嗚呼、なんて可哀想なのかしらね」
「こうなったのは、私の責任じゃない。全部そっちのせいだから」
「なによ今さら。バカね」
「自分ファーストの精神でしかないお前に、あの子のことを世話する権利なんてどこにもないから。指一本触れさせないから」
「あの子を返せ! この、泥棒娘!」
こちらに近づいてくる足音。僕は慌ててその場から走って逃げた。
そして、目が覚めた。額にはじんわりと汗が滲んでいる。部屋を分けるカーテンの向こう、姉の寝息は聞こえてこなかぅた。そうかといって、リビングから声がするわけでもない。僕は再び重たい瞼を閉じた。その夢の続きを見ることはなかった。



