突然、見知らぬ女性に話しかけられた姉。戸惑っていた。するとその女性はにこやかに笑って、喋り出した。
「あ、ごめんなさいね、急に話し掛けちゃって。私、奈於さんと同じ職場で働いていた、宮崎です。覚えてないかしら」
「……あ、宮崎さん。はい、覚えてます、何となくで申し訳ないですけど」
「あら、嬉しい。いいのよ、全然気にしなくて。まだ小さかったものね。久しぶりに会えて嬉しいわ」
女性の顔がぱっと明るくなる。僕は恐る恐る、姉の背後に近づく。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ぼちぼちよ。奈於さんはお元気?」
「えぇ、まあ」
「そう。お仕事辞めちゃってから、全然会えていないから、心配していたのよ。あんなことになっちゃったから」
 俯き加減で歩いていたが、姉の後ろで立ち止まり、すっと顔を上げると、その女性と目が合った。顔にはいくつもの皺が刻まれていた。
「あら、もしかしてその子、弟さん?」
「あ、はい」
「お名前は?」
視線が姉から僕に移る。柔和な顔をしているが、何となく嫌悪感を覚える。
「皇叶です」
「かっこいいお名前ね」
「奈於さんが付けたのかしら」
「いえ。私が付けたんです。私に姫の字が入っているので」
「そう。素敵な意味が込められているのね」
「えぇ、まあ」
 女性は、なぜか僕の顔をじっくりと見てきた。老眼鏡を外してまで。
「それにしても、弟さん、木島さんにそっくりね」
 瞬間、姉の肩が跳ね上がるのを、隣で見た。数回早い瞬きをした姉は、「そ、そうなんですよ」と鼻先を掻きながら言って、軽く動揺しているように見えた。
「だから将来、もっとイケメンになるんじゃないかって、今から心配で」
「そうねえ。この先が楽しみね」
「はい」
「お姉ちゃん、肉見て来る」
「わかった」
 振り返ったとき、姉が小声で「もう終わるから」と言ってきた。姉から数歩分離れたところで、カゴを持ったまま興味のない(知らない)スパイスが並ぶ棚を眺めていた。
「買い物の途中にごめんなさいね」
「いえ。こちらこそ」
「それじゃあね」
「はい」
 姉が歩いてきた。ケチャップを持っている。
「もうそろそろ終わりそうだからね」
「あ、そっか」
「お待たせ。お肉見に行こうか」
 姉の手が、カートを押す僕の手の上にそっと乗った。小刻みに震えているように感じた。
 お菓子コーナーへと駆けて行く子供数人。それを追いかける親たち。賑やかな声が辺り一帯を包み込む。
「お姉ちゃん、あの人が言ってた木島さんって、誰? 知り合い?」
「お母さんが前に働いていた会社にいた人。お母さんより七つぐらい下だったかな。ついでに言うと、宮崎さんはお母さんの先輩社員なの。ああ見えて、もう七十歳越えていたはず」
「へー。で、その男の人さ、僕にそっくりな顔してんの?」
 姉は僕の顔を見て、首を振った。
「多分、宮崎さんが言いたいのは、若い時のうちのお父さんに、木島さんがそっくりだったってことだと思うのよ。今は木島さんも歳だから、どんな感じか知らないけどね」
「え、怖っ。似てるって、見間違いするレベル?」
「そのときだけの話よ。でも、よく言うじゃない。世界には自分に似た人が三人いるって。ドッペルゲンガーって言うんだけど、知らないか」
「なにそれ、知らない」
そう言うと、姉は「だよね」と言って少し笑う。
「まあ、そういう現象もあるのよ。それで、お父さんのことを見た会社の人たちは、みんな木島さんとお父さんが兄弟なんじゃないかって、騒ぎ出しちゃってね。馬鹿々々しいけど」
「フンッ、聞いてて呆れる」
「でしょ? でも、それだけみんな当時は若かったのよ」
 精肉コーナーが、目前に迫ってきた。ポップを見るなり、「あ、今日お肉も安いんだ。ラッキー」と姉は軽やかな足取りで早歩き。僕は「待ってよ」と言って、少しだけ走った。