中間試験の、最終日。
 本来は絶好の『部活日和』、なのだけれど。

 ……珍しくこの日は、オフになった。


「……まぁ別に、基本集まってるだけなのでいいですけど?」
 その、前々日。
「部長と副部長、ちょっといいかな?」
 非常に珍しい、呼びかけと共に。
 藤峰(ふじみね)先生と高尾(たかお)先生が、どうしても放送室を使わせてくれと。
 少し真剣に、僕たちに頼み込んできた。

「もしかして。パンでも食べながら、採点したいとかですか?」
海原(うなはら)君は、教師をなんだと思ってるのよ?」
「ほかに理由が。思いつきません」
「もう、月子(つきこ)。あなたまでそんなことを……」

 そういわれても。
 常日頃の、先生たちのおこないからしたら。
 それくらいしか、理由が思いつかないんですけれど……。


「あのね、実は……」
 どうやら、予想外に今回は真面目な話しで。
 生徒個別の入試対策に、集中して臨みたいらしく。

「……あのふたり、本来は英語教師でしたもんね」
「たまには、仕事をしているとわかって。少し安心したわね」
 先生たちが退出したのを、確認してから。
 僕は三藤(みふじ)先輩と、素直な感想を語り合った。


「熱心な生徒が、いるんですね」
「そうね。きっと本気で入りたい大学が、あるのよね」
 対象の生徒が誰かなのかは、特に聞かなかったけれど。
 その人が、合格するといいなと。
 僕は、そんなことをふと考えた。

「……ねぇ、海原くん」
 三藤先輩は、僕を呼ぶと。
「来年は、わたしが受験生よ?」
 突然、そんなことを口にする。

「そ、そうですよね」
「はい、そうです」
 ほかに誰もいない、中央廊下を並んで歩きながら。
「……本当に、わかっているのかしら?」
 先輩は、ボソリとつぶやいてから。

「応援するときは、きちんと本人に伝えたほうが。いいんじゃない?」
 今度は、はっきりと。
 階段の前で僕に告げると。
「それでは……ご武運を」
 妙な、激励の言葉を僕に残して。
 二年生の教室へと、あがっていった。



 前日になり、みんなに明日は休みだと発表すると。
「まぁどうせ、パンでも食べながら採点したいんでしょ?」
「えっ……」
 僕の知的レベルって、高嶺(たかね)と同じなのか……。

「それは昨日、海原くんが聞いて否定されたたわよ」
「ゲッ。コイツと同じ脳みそなんて、嫌なんですけど……」
「それもいま、海原くんが考えているわ」
 三藤先輩が、サラリと答えて。
「うわっ、最悪……」
 高嶺が明らかに嫌そうな顔で、こちらを見る。

 ……さて。
 結局、理由について。
 どう説明しようか決めていなかったことに。
 僕はいまさらながら、気がついたのだけれど。

「なーんか、微妙そうだから聞かなーい」
 波野(なみの)先輩が、興味なさそうにいうと。
「ま。ふたりが認めたなら、それでいいよ」
 玲香(れいか)ちゃんも、呼応する。
「え、えっと……」
「部活に関しては、内緒事はナシにしなよ! これは、英語の先生たちの話しだから、深く聞かないだけだからね!」
 そやって高嶺が、わざわざ口にするから。
 なにかいわないとと思った、そのとき。


「わかっているわ。ゆ、由衣(ゆい)……」
「へ?」
 い、いまのは。三藤先輩だけど。
 なんだか、非常にいいにくそうな顔をしているじゃないか。
「そこ、もう一度!」
「えっ?」
「いやだからさぁ。月子。名前呼び、もう一回!」
 春香(はるか)先輩がわざわざ三藤先輩に、『由衣』といい直せと迫っている。

 ……あぁ、そうか。
 都木(とき)先輩からの『引退祝い』とかいう、申し出で。
 これからは『先輩』とは呼ばずに、『ちゃん』づけになって。
 逆に、先輩が後輩を呼ぶときは……。

「ゆ、由衣……」
 三藤先輩が、『高嶺さん』から『由衣さん』。
 そしてついには、『由衣ちゃん』とも呼べなくなって。
 耳を赤くしながら、頑張っている。

「いきなりじゃ、まだ呼びにくそうだねぇ〜」
 玲香ちゃんは、そういうと。
「じゃぁ今度は由衣の番だよ、はい!」
「えっ?」
 アイツにも口にしろと、仕向けている。


「ほらほら〜」
「え、ええっ……」
 今度は、高嶺が耳を赤くして。
「つ、月子ちゃん……」
 似つかわしくないくらい、ボソリと口にする。

「う〜ん。いつもと違って、声が小さいなぁ〜」
「よ、呼びにくいですっ!」
 すでに以前、混乱の中で呼んだことがあるクセに。
 アイツは、例外の許可を訴えて。
「わ、わたしも……以前のままでは、ダメかしら?」
「それは、ダ・メ・ー!」
 先輩の希望も、却下されている。

 まったく、このふたりは毎度のことながら。
 お互いを意識すると、どうもギクシャクするよなぁ……。
 ただまぁ、慣れてくればひょっとしたら。
 この部活の『日常』も。
 もう少し、平和になるのかもしれない。


 ただ、それと同時に。
 試験時間の関係で、放送室にたった『ひと席』だけ。
 いまもあいたままの、空間があるのが。
 また別の『日常』に、なりつつある気がして……。

 僕は心の中の、どこかが。


 ……少しだけ、チクリと痛んだ気がした。



「……はい、みんなお疲れさま! これで解散!」
 部活オフの、当日。

 担任の高尾先生の声が。
 試験終了と同時に、帰りのホームルームも終わりだと告げる。


「じゃ、女子会いってくる! 男子禁制だからね!」
「はいはい、楽しんでこい」
「アンタの分も楽しんであげるからね〜」
 隣の席から高嶺が、鼻歌をふんふんいわせながら教室を出る。

 なんだか、高尾先生の目が。
 部活なしにしてゴメン! みたいにやっているけれど。
 そんなに気にしてないですよ、僕。

 とはいえ、冷たいリアクションも悪いので。
 親指だけさりげなく立てて、メッセージを返して席を立ったところ。
「……なぁなぁ? 師匠、先生となにかあるのか?」
 山川(やまかわ)(しゅん)が、まるでアイツの代わりみたいに。
 そこそこ大きな声で、無遠慮なことを聞いてくる。

「おい、聞こえるぞ!」
 まぁ、とっくに聞こえているだろうけれど。
 一応そう答えてから僕は。
「担任兼副顧問なんだ。合図くらいするだろ?」
 山川に、同意を求める。

「なるほど。さすが放送部だ」
 わ、わかったのらいいのだけれど。
「で、なんて合図だそれ?」
 結局、わかっとらんのかい……。

「いいから、さっさと部活にいけよ。バレー部の新人戦、あるんだろ?」
「えっ? もしかして放送部、応援にきてくれるのか!」
「いや、忙しいから無理だ」
「な、なんでだよぉ〜! 女子力無敵なのに〜」
「どうしてもというなら……自分で聞いてくれ」
「そんなぁ! 俺なんかじゃ、絶対無理っスよぉ〜!」

 いいから、ここから出よう。
 僕は、先生に小さくお辞儀をしてから。
 山川の背中を押しながら、教室をあとにした。





 ……もう、海原君。
 そこまで山川君に。
 迷惑そうな顔を、しないでもいいのにねぇ。

 君が女子会に混ぜてもらえないのは、気の毒だけれど。
 まぁ『君の』先輩のためだから。
 たまには、仕方がないよね?

響子(きょうこ)、お願いっ!」
 佳織(かおり)が、真剣な顔で頼んでくるから。
 最初はなにごとなのかと、驚いた。

 教師がえこひいきするのは、ダメだってっていうけれど。
 熱意のある生徒に、同じだけの熱意で応えるのは。
 わたしはそれほど、悪いことではないとも思う。

 さてさて。
 まずはクロワッサンを、食べてから。
 わたしも真剣に、『あの子』に向き合おっか。
 色々ありがとね、海原君。
 あと。

 ……いつも、お疲れさま。





 ……同じ時刻の、教室棟三階。
 二年一組の教室では、わたしの前で。
 いつもの子たちが、にぎやかに話している。

「ねぇ佳織先生、月子いかないんだって!」
姫妃(きき)、はやっ! 別のクラスなのにもうきたの?」
「ねぇ先生、月子に女子会いけっていってもらえません?」
陽子(ようこ)、わたしがそれいうの?」
「買う物なんてないからパスだって。ほんと、つれないんですよ〜」
 もう、玲香まで……。
 仮に、わたしが伝えたとしても。
 あの子がそんなこと、聞くわけないじゃない……。

「なんだか、女子高生みたいですね」
 クラスのプリントをまとめた月子が。
 わたしに渡しながら、まるで他人ごとのようにつぶやいている。

 『みたい』もなにも。
 あなたもまだ、女子高生でしょうに……。


 この子は、みんなとしっかり混じっているのに。
 一方できっちり、線もひいている。
 別に、責めてるわけではない。
 あなたを認められる仲間を増やしたのは、月子自身の努力だと。
 わたしだって、それは。
 よく、わかっているからね。

「次は、絶対一緒だよ!」
「また、あ・し・た!」
 そういって、騒々しく手を振りながら出発する子たちを。
 わたしは、大きく。
 そしてこの子は控えめに、手を振って見送っている。

「……ねぇ。月子には、出かけられない理由があるの?」
 わたしの問いに、ひと呼吸置いてから。
 藤色の瞳が印象的な、その女の子は。


「……考えるべきことが、あるんです」


 はっきりと意志を添えて、いいきった。


 ……そっか。

 きっと美也と、話しあったんだね。


 どこまでを聞いたのかは、わからない。
 どのように考えたのかも、まだわからない。

 ただ、この子はきっと。
 考えて、何度も考えて。
 それから決断して、進むのだろう。


「わかった、ありがとう」
 まっすぐな視線に、そう礼を伝えてから。
「また明日ねっ!」
 明るい声で、教室を出る。

「こちらこそ、ありがとうございます。ではまた明日」
 美しくお辞儀する、女子高生に見送られて。

 わたしは少し、気合を入れ直すと。


 ……大好きな放送室へと、歩き出した。