……同じ日の午後、校内実施の模擬試験が終わると。

「ねぇ美也(みや)、一緒に帰らない?」
 珍しい子が、わたしに声をかけてきた。

「ごめんね。きょうは……」
「あ、きょう『も』か。でもきょうって、日曜日だよ?」


 ……その言葉の響きには、(とげ)がある。

 そう感じたわたしは。
「ちょ、ちょっとね……」
 あいまいな返事で、その場を離れようとする。

「……後悔したよね?」 
「えっ?」
 いわれた意味がわからず、聞き返すと。
「……なんでもない。さようなら」
 今度はそういって。
 その子のほうがわたしから、離れようとしたものの。

「あぁ、都木(とき)。それと……」
 わたしたちの担任が。
 わたしに放送室に寄るようにと、声をかけてから。
「君は……ついてきなさい」
 その子には、少し厳しめの口調で告げていた。


 中央廊下を、ひとりで歩く。
 何度か途中で、振り返ってみるけれど。
 にぎやかな声も、やさしい声も。
 わたしが聞きたいみんなの声は。
 当たり前だが、聞こえてこない。

 誰もいないはずの放送室に着くと、人の気配がする。
 ただ、いつもとは違う気がしてわたしは。
 やや几帳面に、扉をノックした。


「……やぁ、勝手に邪魔しとるよ」
 窓を開いて、カエデの木々を眺めながら。
 鶴岡(つるおか)宗次郎(そうじろう)が、やさしい声を出す。
「いや、校長には許可はとったか」
 そういいながら、理事長はわたしを見ると。
「ワシが腰掛けてもよさそうな席は、どれかな?」
 少し笑いながら、問いかける。

「……勝手に座ったら、もめそうですか?」
「ジジイじゃからな。この部屋の『作法』を知らん」
 わたしが勧めた、その席の前で。
海原(うなはら)君、ちょいと失礼するぞ」
 理事長はそう椅子に話しかけてから、ゆっくりと腰をおろす。

「わかりましたか?」
「そりゃぁ、まぁな」
 鶴岡先生は、楽しそうに答えると。
「それで、都木さんの指定席は、どこなんだい?」
 知りたくてたまらないという顔で、聞いてきた。


「……もしかして。『生徒会』の件ですか?」 
 決していいにくくは、なさそうだけれど。
 わたしが切り出したほうが、よい気がした。

「あぁ」
 短く返答した理事長は、一度目をつぶると。
「……お伝えしてもよろしいかな?」
 礼儀正しく、わたしに聞いてくれてから。
「実は、ワシの孫がな……」
 そういって、話しだした。





「ちょっと、おじいちゃん!」
夏緑(なつみ)? なんじゃいきなり?」

 ……『あの晩』。
 自宅の居間に、いきなり夏緑が飛び込んできての。

 学校では、保健室。
 自宅では、自室。
 基本そうやってこもっていた子じゃから。
 たいそう驚いた。

 ワシには、いまいち仕組みがようわからんが。
 いつのまにか。
 孫はやたらとパソコンに、詳しくなっていてな……。

「ネットに書きこんだ人だよ!」
「それが誰か、わかるのか?」
「ここでは途中までだけど。学校にいけば『全部』見つけてみせる!」


 ……夏緑はな、怒っておった。

「この人、わざわざ学校で書き込んでるよ!」
 自分が、ようやく好きになりはじめた場所じゃから。
 余計に、怒っておった。

 学校にいくと、特に複雑なことをせんでもな。
 あの子はすぐに、どの子なのかを特定した。
 いや、夏緑はその生徒の名前までは知らん。
 特定の、記号というか番号みたいなものを、教えてくれてな。

「……この先は、わたしの『領分』じゃないから」
 手前味噌じゃがな、あの子はしっかりと。
 そのあたりを、わきまえた。
 立派な子になっとったんじゃ……。





 ……鶴岡夏緑。

 海原君と出会った、その子が。
 わたしたちの『生徒会』を潰した『黒幕』を。

 ……見つけてくれた。


「三年生、なんですね?」
「都木さんは、聡明じゃのう……」
「だから、わたしに教えてくださったんですね?」
 重ねた、わたしの質問に。
 理事長は小さくうなずくと。

 それから、いくつかの話しをして。
 わたしたちは、放送室をあとにした。


「……都木さんの判断は、立派じゃな」
「いいえ、違います」
 せっかく、ほめてもらえたけれど。

「海原君ならどうするか、考えただけです」
 わたしは、『いまは』正直に。
 彼のように進みたいと、思っただけだ。



 ……玄関ホールから、並木道に出ると。
 わたしはちょうど、『その子』と出会う。

「えっ……美也……?」
「わたしがね、同じタイミングになるようにお願いしたの」

 理事長にお願いして、わたしの担任に。
 その子を帰らすよう、伝えてもらった。


 わたしは、その子をじっと見る。
「あ、あのね……」
「……『昔は』一緒に、仲良く話せたのにね」
「えっ……?」
「はっきりいうね。長岡(ながおか)君は、彼氏じゃない」
「え……」
「詳しく話すことはしないけど、最初から彼氏じゃない」


 ……この子は高一のときから、長岡君が好きだった。

 この子だけじゃない。いろんな子が、長岡君を好きだった。
 でも長岡君は、困っていた。
 だって中学の頃からずっと。陽子(ようこ)だけを、好きだから。

 ただ陽子は特に意識していなかった上。
 幼馴染のわたしばかりを、追いかけていた。
 だから高校に入った陽子には。
 同級生の親友が必要だと思って、月子(つきこ)と仲良くなってもらうために……。

「『わたしが』恋人のフリをした報いって、まだ続いていたんだね……」

 この子は、長岡君とわたしが。
 卒業前に『一緒になって』、生徒会を最後に作ろうとしたのが。
 きっと、許せなかったのだろう。

 でも長岡君と、わたしが『一緒になって』目指したのは。
 わたしたちが大好きな、あの『彼』のためなのに……。


「あのね……美也。本当にご、ごめ……」
「……それ以上、いわないで」

 その子の、謝罪の申し出を。
 わたしはピシャリと、拒絶する。
 わたしは、わたし自身がとても嫌いだ。
 わたしが動くと、大切な人を傷つける。

 ……大好きな人を、悲しませる。


「わたしに謝られても、困るの」
「じゃぁせめて、放送部のみなさんに……」

「それは、もっとダメだよ……」
 思わず、わたしは。
 その子を力一杯、抱きしめる。

「お願いだから。この先も、ずっと胸の中にしまっておいて」

 わたしに、謝られても。
 わたしが、許しても。

 みんなは、なにも救われない。


 だから。誰が、なぜそんなことをしたのか。
 その真実を知って、悲しむのは。

 ……わたしだけで、十分だ。



 でもね、卒業が近づく中でわたしは。
 悲しむだけでは、終われないの。

 もう二度と。みんなと、海原君との時間を。


 ……悲しむだけでは、終わらせたくないの。



「ごめんね。きょうも、一緒には帰れない」

 わたしは、正直に告げていく。

「……わたし、恋しててね」
「うん……」
「どうしても、きょうも。その人に会いたいの」


 ……わたしは、それから。

 その子の、手を引くと。
「だからこれ以上、遅れたくない!」
「えっ?」
「走って」
「ちょ、ちょっと……」
「一緒に、走って!」
「うそぉ〜!」

 わたしたちは、残りの並木道を。
 ふたりで全力で、走りきると。
 ギリギリのところで、一緒のバスに乗り込んだ。

 それから、高校生活ではじめて。
 同級生と、恋バナをすると。

 駅からはもう一度。


 ……ひとりで、駆け出した。