「……なぁ高嶺(たかね)、まだ時間かかりそうなら。先に三組寄っとくぞ?」
「あ、助かる! ありがと海原(うなはら)!」

 ……響子(きょうこ)先生の、お使いで。
 プリントの束を手にしたアイツが教室を出ると。
 わたしは慌ただしく、カバンに中身を詰めていく。

「じゃ、またね!」
 教室の前扉で、残っていたクラスの女子たちに手を振ると。
由衣(ゆい)、またあした!」
「お疲れ〜」

 みんながわたしに、返事をしてくれて。
 そこまでなら、なんだか仲良しみたいな感じだったから。
 せめてもう少し、教室を離れるまで。
 待ってくれたら、よかったのになぁ……。


「ねぇねぇ? あのふたりって。やっぱ付き合ってるの?」
「え? でも海原君って……二年の、あの美人の先輩とじゃないの?」
「おでこに包帯の、女優さんじゃなくて?」
「じゃなくて、転入生のかわいい先輩でしょ?」
「え〜。でもうちの部のじゃさぁ、みんな三年の都木(とき)先輩だっていってるよ〜」
 あのさ……わたし。
 まだロッカーに荷物入れてるんだけど……。

 噂話しの中に、微妙に陽子(ようこ)ちゃんが抜けているのが、また少しリアルで。
 おまけに……ウゲッ。
 みんな、ちょっとは遠慮してよね!

「え……じゃぁ由衣は……?」
「そうそう、由衣は?」
「うーん……教室にいる限り。あのふたり、お似合いなんだけどねぇ〜」
 しゃがんでいるから、見えないんだろうけれど。
 寒い中、無駄に空いている廊下側の窓から。
 みんなの声が、全部筒抜けで……。

 でもアイツがたまたま、先にいってくれてよかった。
 いつもみたいに、隣で待たせていたらと思うと……。


 ……えっ?

 思うと、なんなの?


 ……アイツはずっと、わたしのそばにいる。

 朝昼放課後の部室はもちろん。
 教室では、席がずっと隣だし。
 授業中に寝そうになったときとか、指されてどこかわからないときとか。
 ……あとなに?
 ホームルームの暇つぶしとか?

 ……とにかくアイツは、わたしのそばにいる。

 でもそれは。
 別に『ふたりきり』という意味ではなくて。
 常にわたし以外の誰かも、アイツのそばにいるんだよね?


 ……どうしてそんなことを、考えたのだろう?


 いまいちわからないまま。
 わたしはアイツと、三組の前で合流する。

「……ねぇ?」
「ん? どうした?」
「今朝、わたし髪型変えたんだけど?」
 試しに、そんなことを聞いてみたって。

「……どこが?」
「え、わかんないの?」
「うーん……」
 そう、それでいいよ。
 だって本当は、変えてなんかいない。

 ……というより。
 実は、変えていたとしても。
 アンタが気づくことなんて。きっと、ないんだよね?


「わかった!」
「えっ?」
「いやぁ。ここが微妙にはねてるのって、髪型だったんだな〜」
 あぁ、このバカ……それは寝癖だし。
 しかも、すっごく念入りにヘアアイロンしたのに。
 なんで、そんなとこだけ見つけるのよ!

「いいから、いくよ!」
「な、なんで当てたのに怒るんだ?」
 ただ、そんな超鈍感男と歩きながら。
 そういえば、一年生の廊下を歩くあいだ『だけ』は。
 わたしはコイツと『ふたりきり』なのだと、気がついた。

 ま、まぁでも……。
 だからって別に、うれしくなんてないからさ、わたし。


「そ、そうだった!」
「え? 海原なに? もしかしてわたしなにかいった?」
「きょう先輩たち、もう一限授業あるんだった〜!」
 ちょっと、驚かせないでよ!
 それにさぁ……それって。
 アンタにとって、そんなに大事なことなわけ?

 いつものように、文句をいおうとしたけれど。
 ふとこれも、同級生の特権だと思ったわたしは。

「じゃ、じゃあ。たまにはさぁ……」
 珍しく、アイツにわがままをいってみた。



「……なんで、わざわざ?」
 ……ったく。
 ほんと、風情のないヤツ!

 放送室にカバンを置いて。
「いいから、いくよ!」
 そういって、アイツを連れ出したそのあとは。
 わたしはずっと、無言のままだ。

「……だって、ふたりだけで並木道とか。歩いてみたかったの」

 心で思ったことを、もし素直にいえたなら。
 もっとわたしたちの関係は、進むのだろうか?


 ……でもそれって、ほんとうかな?
 わたしの気持ちだけが、進んでいって。
 結局アイツは、とまったままかもしれない。

 いや、少し違う。
 わたしが無理に、動いていって。
 アイツの心が……違うベクトルに進んでしまうのが。
 わたしは、怖いのかもしれない。


 ……実は、今朝。

 わたしは『恋』という言葉を、少しだけ意識した。


 そのきっかけは。月子(つきこ)ちゃんでも、玲香(れいか)ちゃんでも、姫妃(きき)ちゃんでも。
 あと、美也(みや)ちゃんでもなくて。
 あとう〜ん、陽子ちゃんはよくわかないけれど。
 とにかく、放送部のみんなじゃなくて。

 ……鶴岡(つるおか)夏緑(なつみ)と、出会ったからだ。



「……誰?」
 今朝もアイツが、調べもののために放送部に直行したそうだったので。
「いいよ、先いきな。出しといてあげる」
 代わりにアイツの分も一緒に、提出物を持って教室にいったとき。

 ……見たことのないかわいい子が、アイツの机に座っていた。

「……ご、ごめんなさい」
「いいけど……転入生?」
「ううん、保健室通学生」
「あぁ……」
 そんな子がいるのは、知っている。
 でもほかの子から聞いていた噂とは違う、容姿だったから。
 やっぱり他人の話しなんて。
 ちっとも当てにならないんだって、そんなことを考えた。


「そうなんだ。でも、その机はさ……」
「知ってるよ。海原(うなはら)(すばる)君のだよね?」
「えっ?」
「あぁ、ごめん! わたしはね……」
 そういってその子は、フルネームを名乗ってから。

「わたしの希望で、ずっと机を置いてなかったんだけどね」
 伏し目がちに、そう口にすると。
「そろそろ、教室に戻ろうかと思って。見にきちゃった」
 まるで誰かさんに、背中を押されたんだと。
 そんな表情がすべてを、物語っていた。

「高嶺由衣さん、またね」
 名乗ってもないのに、わたしの名前を呼んだその子は。
 わたしの、同級生だ。

 ……わたしとアイツの、同級生だ。


 アイツと知り合ったいきさつについては、まだわからない。
 あの子の性格や中身も、なにも知らない。
 おまけに単なる容姿だったら、脅威は部内にいくらでもある。

 あと、想いの深さとか、そんなものも関係なくて。
 ただの『同級生』。それだけなのに。

 なぜか、今朝。

 ……『恋』という言葉を、意識した。



 渋るアイツを、無理やり並木道まで引きずり出してから。
「寒っ……」
 思わず、わたしがそういうと。
「だからいっただろう……」
 アイツがあきれたような顔で、わたしを見る。

「だいたい、暑いのも寒いのも苦手とか。せっかく四季のある国に……」
「ちょっと! そこまで!」
 わたしは、右手の手のひらを大きく広げて。
 それ以上はいうなと、釘をさす。

 ……いや。
 海原が、もしその指先とかに少しでも触れてくれたら。
 ひょっとしたら。
 なにかがはじまるのかも、しれないけれど。

 でも、その先に。
 終わりがあるかもしれないと思うと……。


「まだ、早いね……」
「へ?」
「あ、限定ホカホカなんとかの発売日のこと!」

 並木道に、ふたりだけで出た。
 たった、それだけのことだけど。
 きょうはもう、それだけで十分だ。

「帰ろっか?」
「ええっ! せっかく出たのに?」
「なによ? いきたくないんでしょ?」
「いや。靴履いたから」
「から、なに?」
「た、たまには……」


 ……えっ?

 続きを、聞いてもいいの?
 せっかくだし、たまには……なら。その続きはなに?
 少し、怖くもあったけれど。
 わたしは……。

「たまには、『わたしと』なによ?」
 勇気を出して、聞いたのに……。


「コンビニ、見てみたい……」
「は?」
「いやほら。こないだみたいに、スイーツ買いにいかされないと……」
「いかされないと、なに?」
「ほら、自分じゃいかないから。つい物珍しくて……」


 ……あぁ、期待したわたしがバカだった。
 そうだ、コイツは。
 中学の頃から、コンビニとか寄らないやつだった。


「最低! 鈍感! なんかおごれ!」
「えっ、どうして……?」
「それがわかんないから、おごりなよ!」

 ……それから結局、あたたかいスイーツを。
 渋々アイツは、『わたしだけ』に買ってくれた。


「ねぇ海原。半分、あげよっか?」
「えっ? いいのか……」
「いいよ〜。でもね」
 わたしは、ちょっとわざとらしく。
「あ、ごめん! もう口つけちゃったから、ダメー」
「え、ええっ!」

 ……ほらね。
 まだまだコイツとは、なにも起こらない。

 いや、少し違う。

 ……なにも起こさないほうが、よさそうだ。





 ……あれ? ウナ君と……高嶺由衣さん?

 保健室の窓から、並んで歩くふたりの姿を。
 偶然わたしは、見つけてしまった。

「……いつもと違う、笑顔?」
「ん? 夏緑ちゃん、なにかいった?」
「いえいえ、先生にじゃないです」
「あぁ、そっか。じゃ、そろそろお茶にする?」


「……なんか、楽しそう」
 先生に、聞かれないように。
 わたしは心の中でだけ、つぶやいた。

 誰にでも見せる、笑顔じゃなくて。
 誰かにだけ、見せる笑顔がある。
 どうしてそんなことをするのか、わからないけれど。


「わたしも、してみたい……」


 絶対誰にも、聞かれないようにしてから。


 ……心の中で、つぶやいた。