「……『かえで』って、いつも笑ってた」
「これからだって、『かえで』は笑顔に決まってるよ……」

 藤峰(ふじみね)先生と高尾(たかお)先生の、言葉を聞きながら。
 僕には、『その人』の写真を見る資格がないと思った。


「あなたたちに無理をさせたくない理由。わかっていただけたかしら?」
 寺上(てらうえ)つぼみは、そういうと。
 涙をこらえた目で、僕を見る。


「……大変失礼な質問をして、申し訳ありませんでした」


「失礼なわけ、ないよ……」
 藤峰先生と。
「そうだよ、みんなの先輩の話しなんだから……」
 高尾先生が。
 同じように涙をためながら、僕たちを見る。

 続けて、先生たちが。
海原(うなはら)君。寺上かえでも、放送部の部長だったの」
「あの子は、きっと後輩が無茶することを望まないから」
「だから、みんなもね……」
 そこまでいいかけて、それから。

 ……寺上かえで先輩の母で、顧問で。
 悲しみを背負ったまま、校長になったその人が。

「先輩の意志などとは考えず。自分たちで相談して、決めてください」

 そういって、立ち上がって。
 僕たちに、一礼する。

 同時に。
 僕と同じ列で。涙を流したり、必死にこらえているみんなも一斉に立ち上がると。
 校長とふたりの先生。
 そしていまは会えない、元部長に。

 ……心からの敬意を込めて、一礼した。





 ……最終下校まで、会議室を使って構わないと伝えたものの。

 彼らは放送室に戻ると、即答した。


「……寺上先生?」
 一番最後に、会議室を出かけた彼と目があって。

「……海原君、ひとつ聞いていいかしら?」
 わたしは思わず、聞きたくなった。

 いや、ひょっとすると。
 これはわたしではなくて『かえでが』。
 聞きたがったのかもしれない。



「……あなたにとって。放送室の居心地はどうかしら?」



「……不思議な子、よね」
 そういってわたしは。
 静かに涙を流し続ける、佳織(かおり)響子(きょうこ)にほほえみかける。

「つ、つぼみ先生。どうしたの?」
「また海原君、やらかした?」
 もう……あなたたちの生徒でしょうに。
 涙で、聞こえていなかったのね。

「彼が、やっと答えを教えてくれたのよ……」
「……えっ?」
 驚くふたりに、わたしは。

「かえで、放送室が好きだって。いつも話していたわよね?」
「う、うん」
「どこよりも、気に入ってた」

 ……だからわたしは、かえでの写真を。

 放送室のどこかに、密かに飾ったほうがいいのかと。
 長いあいだ、ずっと悩んできた。


 わたしの質問に、あの部長は何のためらいもなく。

「放送室じゃなくても。一緒にいられれば、そこが居心地いいですよね」

 まるで、かえでに答えるかのように。
 そういって、少しだけほほえんだ。

「海原君が、校長に?」
「スマイルしたの? この状況で?」
 だから……あなたたち。
 もう少し、生徒を認めてあげなさいよ……。

「あぁ、きっとつぼみちゃんの背中かなにかに」
「かえでがいて、笑いかけたんじゃない?」
「そうそう! 海原君ってさぁ〜」
「美人の笑顔に、弱すぎだもんね〜」

 あぁ……この子たち。
 ムチャクチャなことを、いっているけれど。
 でもおかげで、ついわたしも。
「ありえなくも、なさそうね……」
 ダメ顧問みたいなことを、いってしまった。



 それはさおておき。
「一緒にいられればいい」
 その答えはを、信じるとすれば……。

「ねぇ。あなたたちも写真、持ち歩いているのよね?」
「もちろん!」
「毎日、見てますよ!」

 ……だったら、わたしは。
 いえ、わたしたちは。

 ずっと、ずっと。
 かえでの望みを。
 かなえてあげていたのよね……?



 それにしてもまさか、高校生に教えられるなんて……。
「しかも海原君だよ? 超がつくほど、鈍感君だよ?」
「えっ?」
「あ、でも彼。たまに驚くほど。心に刺さることをいうからねぇ……」
「あら……」
「よし響子! せっかくの機会だから、『あの子』を囲んで四人でお茶しよう!」
「ちょ、ちょっと」
「オッケー佳織。パン、取りにいくよっ!」
「か、勝手に決めないの!」

 わたしを無視して、ふたりが走り出す。
「こら、教師でしょ! 廊下を走らない!」
 ……あぁ、まったく。
 いつまでたっても、変わらない子たちなんだから……。


「えっ、かえで? こら、走るなー!」
「ちょっとかえで〜、つぼみちゃんに怒られるよ〜!」
 まったくもう……。
 なにふざけてるの? あなたたちは……。

 だが、このとき。
 わたしの右肩に、なにかがそっとと触れた気がして。
 それから、ほんの少しだけ髪の毛に風を感じて。

 それからまさかとは、思いつつ……。
 ほんの一瞬だったものの。
 
 あの子たちの隣に、かえでの姿が。


 ……わたしにも、本当に見えた気がした。





 ……盛大に、廊下でくしゃみをした僕に。

 偶然、隣にいた高嶺(たかね)が。
「うわっ! きたなっ!」
 泣き虫隠しに、無駄に叫ぶ。

「誰かが、噂話とかしてるのかな?」
 涙声の残る都木(とき)先輩は、そういうけれど。
 噂どころか、悪口の気がするのは。僕だけでしょうか……。


 放送室に戻って、扉を開けてみたら。
 あらら……。
 誰が閉め忘れたのか、窓が開いているじゃないか。

三藤(みふじ)先輩。窓が開きっぱなしで……って、どうしました?」
「いま紅葉色(もみじいろ)のなにかが、窓の向こうに飛んでいかなかったかしら……?」
「えっ?」

「……かえで先輩、だったりする?」
 波野(なみの)先輩が。
 ヒソヒソ声で、玲香(れいか)ちゃんに質問する。
「わたし霊感ないから、わかんない……」
 すると、春香(はるか)先輩が。
「ふ〜ん。わたしは、あってみたいけどなぁ……」
 そういうと、窓際に駆け寄って。
「見て見て!」
 大きな声を出して、僕たちを呼んだ。



 ……ふわふわと、空に舞い上がっているそれは。

 『偶然』にも、一枚のかえでの葉で……。


 それを見て、何人かが。
 お決まりのように、叫ぼうとしたけれど。


「かえで先輩は。元々は物静かなかた、だったのよね……」
 三藤先輩の、そのひとことで。


 僕たちは、窓辺でしばらくのあいだ。
 みんなでその一枚に向かって。



 ……小さく、手を振り続けた。