……『あの子』は、中学生までは。
 とっても、物静かな子だったのですけどね。
 この『丘の上』に入学して。しばらくすると……。


「あなたと……あと藤峰(ふじみね)佳織(かおり)さんと、高尾(たかお)響子(きょうこ)さん、ね?」
「つぼみ先生! パンが好きな子と、すっごいおしゃれな子で覚えて!」
「そ、そうね……」
「わたしたち。『三人で』放送部に入ります。よろしくお願いします!」

 わたしは『あの学年』を、担当しないことになっていたので……。
 まさか『あの子』以外のふたりが。
 最初はあんなに、猫を被っていたなんて……ちっともわからなかったわよ。

 でもね、入部してすぐに。
「誰ですか! 『また』机にジャムをこぼしたのは!」
「ファッション誌とか、山積みしたままにしないで片付けなさいっ!」
 日に日に、その本性を現してきたのよ……。


 その三人はね、おもしろいほど。
 互いの好きなことと、苦手なことがバラバラで。
「じゃぁさ、三人混ぜたら無敵じゃない?」
「そうかも。やってみない?」
 そうやって、得手と不得手を助け合ったり、交換しているうちにね。
 どんどん仲よくなっていって。
 おとなしかったはずの、『あの子』も。
 ほかのふたりのおかげで、よく笑うようになって。

 あとは、そうね……。
 ふたりに負けず劣らず、かわいくなった。


 加えて、『あの子』は。
 本を読んだり、お話しを書くのが大好きでね。
 いつのまにか、あとのふたりと。
 ラジオドラマを作るのにはまってしまって。

「いただきま〜す!」
 週末ごとに、わたしの家でご飯を食べては泊っていって。
「『フリ』でもいいんで、引率お願いします!」
 連休や長期休暇のたびに。『神社』で、合宿だといってはずっと一緒にいて。
 そうこうしているうちに、本当に。
「ヤッタァ!」
 いつくかの賞まで、とってしまったわ。


 それから、二年生になって。
 体育祭と運動会が、秋に移動することが決まりましてね。
 なんだか、誰か生徒のまとめ役が必要だという話しになって。
 あの子たちに、お鉢が回ってきたのよ。

「……それで。あなたが、委員長なの?」
 驚くわたしに、『あの子』は。
「つぼみ先生の、スカートの色あてゲームだから。絶対勝てると思ったのに!」
 朝見たものと違う色に、わたしが履き替えたせいだと。
 笑いながら文句をいっていたわ。


 実際の委員会の活動は、三人が大活躍をしてくれて。
 秋への移行は、つつがなく済んだわ。
 明るくて、にぎやかで。
 それでいて、仕事をきっちりこなす三人は。
 校内でも無敵だと、評判になって……。

「三年の先輩たちが、このまま生徒会とか作っちゃいなよって盛りあがってね!」
 そういわれて、わたしも深く考えず。
 顧問として応援すると、いってしまった。



 ……スタートは、順調だったのよ。

 だって、三年生が味方でしょ?
 そう、あの頃はいまよりずっと。
 上級生のいうことには、力があった。

 とはいえ、そこは人間だから。
 おてんばな三人に対して、少なからぬ嫌味とか、反発もあったのだけれど。
 それでも、生徒のみんなが協力してくれると信じていた三人は。
 夢中になって、生徒会発足の総会を開くために。
 精一杯準備を続けていたわ。



「あとは、総会だけだね!」
「卒業後だから、投票できないけれど。楽しみにしておくね!」
 強力にあと押ししてくれていた、三年生たちが卒業して。
 年度が変わったばかりの、四月のある日。

 そう、まさかのあの日……。


 ……総会に参加した生徒は、半分にも満たなかった。



「『前の』部長とか先輩に、いわれただけだから……だって」
「応援はするけど。でも総会にいく時間あったら、正直遊びたいなって……」
「勝手に騒いでるだけで、興味ないって。はっきりいわれちゃった……」

 盛りあげてくれていた、上級生が卒業してしまって。
 残った二年生たちは、実際のところ……。
「だって、もう決まったと思ってたから。いかなくても平気かなって」
 自分たちのことだとは……あまり考えていなかったのよね。


 未熟なわたしも。
 ただ応援するだけではなくて、もっと関わるべきだった。
 あの子たちと、卒業した生徒たちを。
 両方失望させてしまった。
 そう思って、後悔したわ。

 でもね、あの三人は。
 わたしなんかよりもずっと、強くって……。
「準備不足だったね!」
「先輩たちに頼りすぎたね!」
「うん、もう一度やればいいよね!」

 そういって、決して下を向かなくて。
 再度、総会を開催するために。
 もう一度、走りだしたの。



「……だって『委員長』だから、一番頑張る!」
 そう決めた、『あの子』が。
 再開催を認めてもらうための、署名活動をはじめて。
 実は少しだけ、嫌な予感がしたのだけれど。
 でもそのひたむきな姿に、諦めなさいとは。

 ……どうしても、いえなかった。


 三人は校門へ続く並木道で、生徒たちに署名を頼んでいて。
 加えて『あの子』は、毎朝早起きすると。一枚一枚、机に向かって。
 一心になにかを書いていたわ。

 佳織と響子は、少し遠いところからかよっていたから。
 ひとり、街中に住んでいた『あの子』は。
 毎晩家に帰ると、自転車に乗って。
「このままだと、まだみんなに伝わらないから!」
 そういってあちこちに。
 お願いの手紙を配って回ったり。
 署名を直接、お願いしたりしていてね……。



「……ねぇ。今夜は雨が強いわよ。明日にしたらどう?」
「この雨だからこそだよ! 普段部活で遅い子たちが、家にいるんだよ!」
「でも……」
「お願い! 署名の数、瀬戸際なの!」
 あんな必死な顔で、いわれたら……。

 大粒の、雨の中で『あの子』は。
 その日もまた、自転車に乗って。


 ……『わたしたちの家』を、飛び出した。



 希望を持って、はじめたけれど。
 瀬戸際まで、追い込まれたから。


 無理を、したの。
 そしてわたしは。
 無茶を、させてしまったの……。





「……総会は再開催、できなかったんですね」
 ……僕は、もうそこまででいいと。
 そう、伝えたつもりだった。

 でも、寺上(てらうえ)つぼみは。
 最後まで、きちんと伝えるのが。


 ……『その子』のためにもなると、思ったのだろう。



「……再開催は、かなわかったわ」
 寺上校長が、そう口にすると。

 藤峰先生が校長の手に、そっと自分の両手を重ねてから。
「賛同数が足りていたかどうかさえ、わからないの……」
 悔しそうな声を、しぼりだす。

「……数えることさえできたら、というのも仮定の話し」
 高尾先生が、ふたりの背中をさすりながら。
 涙をこらえて、それから……。



 ……雨と泥と、赤い色の液体が混じってドロドロになった、分厚い紙の束は。


 残された三人が、どれだけ必死になっても……。


 ……読むことが、かなわなかったと。


 校長が僕たちに、教えてくれた。



「……『娘』はね、ここにいるのよ」


 手元のファイルを、もう一度開くと。


 寺上つぼみは、しばらくそのまま。その中身を。



 ……ひとり静かに、見つめていた。