鬱病になった私と結婚したいヘタレ泣き虫声優の僕







 十年付き合っていること。

 家族ぐるみで付き合いがあること。

 一緒に十八歳の時上京してずっと一緒に住んでたこと。

 就職してからカノジョは毎日始発終電で酷い時は週七で働いていたこと。

 二カ月前に別れたいと言われた直後、彼女が過労で倒れたこと。

 本気で将来を考えて入院している彼女に記入済みの婚姻届けを渡したこと。

 でも彼女は何も言わずに新潟に帰ってしまったこと。

 メッセージはかろうじて三日に一度くらいは返ってくること。

 電話に出てくれないこと。

 やっと会えると思って新潟に帰ったら親友と大阪に旅行に行っていて会えなかったこと。

 両親や兄からは『もう少しハネちゃんの歩幅に合わせなさい』と言われたこと。

 どうしたらいいかわからなくて、気がついたら水戸くんの家に来ていたこと。

 全部、ポツポツと話すと、みんなお酒をチビチビのんで、時々頷いてくれた。

「ずっと傍にいたからって、これからも傍にいて欲しいっていうのはわかるけど、なんか意外だな」

「意外って?変ですか?」

 日口さんの言葉に飛びついたけど、帰ってきたのはさっちゃんの言葉だった。

「俺もちょっとそう思った。千代くんって言葉は悪いけど苦労知らずだと思ってた」

 苦労、知らず?

「だって、俺と現場一緒になった時、千代くんって十八歳だったよね?」

 さっちゃんに出会った時って確か僕の初レギュラーのアニメだった。さっちゃんは四年前にはすでに売れっ子でスケジュールがぎっしりのイメージだったけど、実際結婚前で、さっちゃんがそうとう忙しくしていた時期だと思う。

「なんか二年制の……アニメの専門学校生だったじゃない」

「まぁ、そうですね」

「特待生だったんでしょ?」

「はい」

「しかも学生のうちから今の事務所からスカウト来て入ったんでしょ?」

「はい」

「で、初現場が京アニ作品のレギュラーキャラで、確かキャラソンとかも出してるよね?」

「はい」

「その後は主人公とか主人公より人気のキャラばっかり受かってるよね?」

「だって、人気声優になるには人気なキャラ受からないとって思って」

「その、思ってって簡単に言ってくれるけど、普通そんな受からないよ?」

 さっちゃんは空いたグラスに別の清酒をついだ。

 普通、そんなに受からないって、本当にそうなのだろうか。実際、オーディションで僕はあまり落とされたことない。

「俺ちゃんと、原作のある漫画や小説のオーディションの前は必ず全部買って読むし、練習もしてます。そうやって頑張れば受かるし、頑張ってきたから受かれたとおもうんです」

「いや、原作読んだぐらいで受かるのがもう普通じゃないから、俺たちだってオーディションなんて落ちまくりよ?声優界でも千代くんの売れ方普通じゃないって」

 普通ってなんだ?

「無自覚こわー」

 ロメくんが一杯目なのに顔だけじゃなく腕まで真っ赤にしてお酒を水みたいに飲んでそう言った。

「ちょ、大丈夫?お酒弱いの?」

「いにゃー。弱くはにゃーい。体が素直なだけー。でもさぁー、声優の専門学校とか養成所行ったけど声優として売れなかった人ってほとんど舞台いくよねぇ」

「まず、養成所とか行っても声優の仕事もあるかないか微妙な感じで配信者になったりとかする形の未来って結構あるのに、千代くんは何もかも手に入れてきた方なんじゃない?」

 水戸くんの言葉に悪意はないのだろうけど、僕が今を簡単に手に入れてきたわけじゃないことはわかって欲しいと思っていたら、ロメくんがシャブシャブしたパクチーを何枚か口に運んでモグモグした。でもすぐにゴクンと喉を鳴らすように嚥下して、意地悪な笑顔のまま長いベロを出して口に何も入ってないアピールをされた。

 ロメくんは今までかかわったことのないタイプの人間だと思った。でも、いい意味で裏表はなさそうだし、仲良く出来そうだ。そう認識したせいか、なんかロメくんには敵が存在しないような気がした。

「つーか、千代ちゃんさぁ超絶ブラックな会社で働いてたカノジョの世話してる自分のこと結構好きだったんじゃなーい?」

 そんなロメくんの言葉に僕は堂々と言い返した。

「だって、家事は時間に余裕がある方がやった方がよくない?始発終電で仕事してる彼女に、家事しろなんて言いたくないし、休みだってあったりなかったりの生活で、俺も基本的に土日もイベントとかアフレコあるし、せめて家で一緒にいられる時間くらいは二人でなるべく過ごしたいなって思ってただけですよ?」

 日口さんもさっちゃんもロメくんも水戸くんも、僕がそう言い切った瞬間、なにか凄く納得した表情になって「それかも」「それだね」「それだぁー」「そういうとこだよ」と一斉に言った。

「え、ちょ、え、なんですか?」

 僕の言葉に正解があったのだろうけど、僕自身は全然わからなかった。

「食事はどうしてたの?」

「朝、俺も頑張って起きて彼女にオジヤとかフレンチトーストとか作ってました。じゃないと彼女、朝食抜いちゃうんで」

「洗濯は?」

「もちろんちゃんとやってましたよ!日当たり悪いし、ベランダ出ると身バレするかもって彼女の助言しっかりきいて、前は部屋干ししてたんですけど、今はドラム式の洗濯機買ったんでフカフカな状態で畳んで、彼女のクローゼットにしまってました」

「その洗濯機って千代くんが買ったの?」

「はい。喜んでくれると思ってクリスマスプレゼントだよって俺が買いました」

「ゴミ捨ては?」

「彼女家にほとんどいないんですよ?もちろん俺がやってましたよ」

「風呂掃除は?」

「俺です!」

「食材の買い出しは?」

「俺です!」

「お金は?」

「家賃、光熱費、食費、折半でした。俺が多く払うと怒るんで家計簿も俺がつけてて」

 ハネちゃんに家のことで負担をかけないようにしてきた。

 それなのに。

「それだと思う」「それだね」「それそれー」「それな!」と、全員が溜息交じりにそう言った。僕はソレがなんなのか全くわからなかった。

「重すぎるっちゃ」

 ロメくんがそう言いながら両足を広げ、片足を僕の膝の上に置いた。酔っ払いの脚は片方でも重かった。でも、これがロメくんの距離感なんだなって思った。

「重い?俺が?」

 納得のいかない僕に、鍋の具材を取り分けて、水戸くんが渡してきたので受け取ると、困ったように水戸くんはみんなに説明しだした。

「カノジョさん真面目なタイプなんですよ。多分だけど、職場で絶対その真面目さに付け込まれて膨大な仕事やらされてるタイプです」

「そんなの俺だってわかってるよ!だから辞めて欲しいって何度も言ったし……」

「千代くんさ、辞めて欲しいって酷くない?」

「え」

「言っていいギリギリのラインは多分『辞めた方がいいよ』までだよ。たかがカレシの分際で何言っちゃってるの?」

 たかがカレシ。水戸くんの言葉に、さっちゃんは苦笑いしてたけど、日口さんとロメくんは冷めた目で僕を見ていた。

「仕事が辛そうなカノジョを支えるために家のこと完璧にしてたのは偉いよ?でも、内心追い詰められてたと思うよ『私はカレシに何もしてあげられない』って、絶対思ってたと思う」

 追い詰めてた?僕が?

「最後にデート行ったのっていつ?」

 鍋の上で膨らんだはんぺんを箸で取り皿に移しながら日口さんの問いに、僕は答えがすぐに出せなかった。

「その……上京して、まだハネちゃんが専門学生の時に、浅草とスカイツリーに行ったくらいで、あとはお家デートでした。俺、声優の仕事っていっても雑誌とか顔出しの仕事ばっかりだったんで、一緒に出掛けるのやめようってハネちゃんに言われて、その方がいいのかなって思って」

「彼女さんの方が危機管理できてるぅ!」

 ロメくんがハネちゃんを称えるようにそう言って、僕は自分の甘さみたいなものにやっと気が付いた。

「確かに、ハネちゃんの気遣いがなかったら、同棲してるのだってすぐにバレてたかもしれない。専門学生の時のハネちゃんは俺より変装上手で、髪型も服装もメイクも毎日バラバラだったし、俺のスキャンダルになりたくないが口癖だったけど、私生活で彼女を支えたいって思って何が悪いんですか!」

 ハネちゃんは僕を頼りにしたくなかったってことか?だけど、僕にとってハネちゃんは一緒にいてくれるだけでよかった。二人の時間が大好きだった。それじゃ駄目だったのか?

 またパクチーを飲み込んだロメくんが何気なく、僕のお皿にもパクチーを入れてきながらポツっと言った。

「一人になりたかったのかもよーん」

 え。と、声も出なかった。

「ロメの言うとおりだな。カノジョさん、家がゴミ屋敷になっても、洗濯物に埋もれても、冷蔵庫が空っぽでも、自分のペースで生きてみたかったのかもよ?」

 日口さんがそう言いながら僕にお酒を注いでくれた。

「真面目な人ほど人に頼らないところあんじゃん?全部千代くん任せの生活が申し訳ないとかそういう理由で追い詰めちゃったのかもよ?」

 さっちゃんに肩をポンと叩かれて首がグラグラした。

 僕は両親と兄に言われた『もう少しハネちゃんの歩幅に合わせなさい』の意味が分かった気がした。