20
【いりまち】
フミアニが朝早く、私を迎えに来た。
今日も、本当に米田アイコはフミアニの店に来るのだろうか。
「作戦とかあんのか?」
フミアニは除雪車が通ったであろうキャタピラの跡がついた道路をゆっくり走行しながら運転していた。
「作戦?」
「そう。どれぐらいの力加減で叩き潰すんだ?」
「そうだなぁ……」
私が文哉のカノジョだというには、最近彼女らしいことはしてないし、カノジョマウントを取るのはおかしい気がする。だけど、文哉にこれ以上、女の影として生かしておくわけにはいかない。
「そうだ。今日フミアニのお店で働かせてよ。ウエイトレスしたい」
「別にいいけど、働いてたら、その米田だっけ?話す時間なくない?それに新潟に帰って働いてる姿見せたら、文哉のカノジョに見えないんじゃない?」
「一見そうかもしれないけど、そこはフミアニの腕の見せ所だよ」
「え、何?俺何すればいいの?」
作戦はこうだ。
「大したことないよ」
私はフミアニに、考えていることを全部伝えた。
「おー。女って怖いな」
「女同士の戦いなんて、こんなもんよ」
フミアニの店に着き、私はフルーツを切ったりタピオカを茹でたりした。
九時にお店を開けると、常連のおじさんと、いかにもお喋りしに来ましたって感じのおばさんたちと、コンセントのある席を確保し、パソコンで仕事をしている若い男性が入ってきた。
それぞれ注文をとり、フミアニに伝えると、フミアニは感心したように「やっぱりココで働けば?」と言ってきたけど、私はゆっくり首を振った。
前にフミアニは出られるときだけバイトをしないかと言ってくれたけど、私には向いていないと思った。何故そう思ったかはわからないけど、多分「今日は調子悪いから休む」と、連絡を入れるのが嫌だなって想像してしまってたからだと思う。
カランカランと、店の入り口のドアが開く音がした。
勘で、米田アイコだと思って振り返り「いらっしゃいませぇー!」と言った瞬間、米田アイコと目が合った。モズグリーンのスカートに緑色のコートを着て、今日東京に帰るのか、ピンク色のキャディーケースを引きずっていた。
「大きい荷物なのでお預かりしましょうか?」
私は笑顔でそう言うと、米田アイコは「ああ、じゃあ、お願い」と言ったので、私はレジカウンターの後ろに受け取ったキャディーケースを隠すように置いた。
案の定、席に案内するよりも先に、米田アイコは厨房に立つフミアニの真ん前のカウンター席に座った。
さぁ。戦いは始まった。
私は、サービズドリンクの紅茶と蒸しタオルを「失礼します」と言って、米田アイコの席に置いた。
米田アイコは私に余裕たっぷりな口調で「ありがとう」と言った。
「えーっと、注文いいですか?ベリーづくしのパンケーキと……」
「ハネ!」
米田アイコの声をさえぎるように、フミアニがスマホを私に渡してきた。もちろんそんな電話は繋がっていない。
「全く困った奴だよ。アフレコの収録前にはハネの声聞かないと駄目なんだってさ。あ、すみません。注文は俺に言ってください」
フミアニは申し訳なさそうな笑顔で、米田アイコから注文を取った。
「もしもし?大丈夫?もっと自信もって。私が言うんだから、大丈夫。ね?じゃあ、また何かあったらいつでも電話して。うん。わかってる。愛してる」
あえて、私は文哉と言わず、フミアニもわざと弟と言った。コレはうっかり文哉のことだと証拠を残さないための作戦だった。
でも、米田アイコは私が、フミアニにスマホを返すところを不機嫌そうに見ていた。
証拠は残さない。そもそも文哉から電話なんかかかってきていない。けど、文哉には私がいる。そう思わせたかったのだ。
けど、罪悪感がないわけじゃない。だって文哉に結婚できないと言った手前、私も米田アイコも今は同じステージにいると言っても過言ではない。
それでも、米田アイコにだけは今まで、特に高校生にされてきた時の恨みは、はらしておきたかったのだ。
フミアニが米田アイコのパンケーキを作っている約十五分の間、私は、調理場の死角に入った。
これは米田アイコが、私がココで働いていることを動画にとったりして拡散出来ないようにしたのだ。文哉が自分のモノにならないからって『千代文哉のカノジョが働いてるカフェ』と拡散されたら困るからだ。
まぁ、そこまでやるかはわからないけど、今までやられてきたことを考えると、何をされるかわからない。
それがどんな風に文哉に影響してしまうかわからない。
「あのぉ。大島羽根さんって、ココで働いてるんですね」
「ん?違うよ」
フミアニは、すっとぼけた。
「え?」
「今日だけ特別」
「……今日だけ?」
「俺にとって文哉の代わりはハネしかいないんだよ」
「それって、フミくんもココで働いたりするってことですか?」
「いやぁ、千代家のことはハネしかわからないことだらけなんだよ。紅茶おかわりする?」
私は紅茶の入ったティーポットを持って、カウンターから出た。
「おつぎします」
座っている米田アイコの横に立つと「い、いらないわよ!」と、少し怒鳴られた。
「そう?でも、フミアニのパンケーキは紅茶ないと食べるのきついよ?生クリーム盛りまくってるから、口直し欲しくなったら呼んでね。米田さん」
頭の中ではどうやり返されるかばかり考えていたけど、米田アイコは「新潟にいたんだね。あたしは武蔵境に住んでるの。アイドルのレッスンに出やすいところがいいなぁって思って」と、まだ勝負はついていないのに勝ち誇ったように言った。
「そうなんだ。私の住民票もまだ東京都なんだよね。文哉が帰ってきてって煩くて」
「は?」
直訳で、文哉の声優の学校があったのが新宿だから近くに住んでて住民票はまだそこにある。と言ったつもりだったし、うまく伝わったようだ。
「米田さんって、文哉と仲いいの?」
トドメの一言のつもりだった。
「…………」
文哉と高校が同じだけだっただけで、文哉から何一つ相手にされていないこの女が、何を言い返せるだろう。
ただ、米田アイコは、不機嫌そうに、空のティーカップに口をつけた。
「やっぱり紅茶、入れましょうか?」
私は、真顔でそう言った。
「ちょーだい」
苛立っている米田アイコの紅茶をカップの八文目まで注ぐと、フミアニが、カウンターから「ベリーづくしのパンケーキでーす」といって、米田アイコの目の前に置いた。
今すぐにでも退店したそうな雰囲気だったけど、米田アイコはパンケーキの写真を撮り、すぐにSNSにアップしていた。
スマホの画面を作戦どうりに、私にフミアニが見せてきた。そして小声で「まだやるんだね」と私に言いつつ、米田アイコにも聞こえる声で言った。
『兄ぃ様のパンケーキ。二日続けて食すなう!東京帰ってレッスンで痩せなければ!#新潟#パンケーキ』と、書いてあったけど少し笑ってしまった。
「美味しそうに映ってるじゃないですか。おにー様」と、小声で言った。もう、米田アイコなんてどうでもよかった。
米田アイコはスマホ片手にパンケーキを食べ終わると、伝票を持って会計カウンターに来たので、私は預かっていたキャディーケースを返した。
米田アイコは最後に私を睨んだ。
「大島さんはよくできたプロカノジョだと思うよ。でも、あたしはあんたが大っ嫌い!」
「気が合うね」
言った瞬間、頬を強くビンタされた。
頭の中が、空っぽになった。けど、出てきた言葉は、たった一つ。
「表出ろ、底辺アイドル」
そう私が言うと「言われなくても出るわ」と言い返してきた。
トレーナとジーンズとエプロンの私。
コートと手袋をつけている米田アイコ。
店の前に広がる広い駐車場に、積もった雪。
私は、五メートル米田アイコから離れて、手早く素手で雪玉を作って、顔に向かって投げつけた。
すると、米田アイコもキャリーケースから手を放して、雪玉を作って、私に投げつけてきた。でも、ノーコンなのか、雪玉は私をかすめもしなかった。
指先が痛いのに、手の感覚がなくなるほど、雪玉を作っては米田アイコに全部ぶつけた。
米田アイコも雪玉を作って投げてくるけど、避けなくても当たらないし、握りが甘いのか雪玉は脆く、投げるとボロボロになって私にまで届かなかった。
雪合戦の公式のルールは知らないけど、私たちの場合、当たろうと当たらなかろうと、もうやめると言った方が負けだ。
指先が凍傷になってなくなったってかまわない。
コイツだけは、許さない。
「文哉に迷惑かけて何が楽しいの!」
泣きそうな声で、叫んでいた。米田アイコの顔面に、雪玉がクリーンヒットした。
顔についた雪をコートの肘で、米田アイコは拭き取って、叫び返してきた。
「フミくんは優しいから怒ったりしない!」
呆れた。
私は、雪玉を投げつけずに、手から滑り落とした。
「ごめん。米田さんって、もしかして馬鹿なの?」
「は?」
「文哉が優しいからって怒らないなんて、なんでそんな考えになるの?」
「だって、あたしに優しくしてくれたもん!ちょっと悪戯しても怒られたこと一度もないし!好きになっちゃんだから仕方ないじゃん!アンタこそ、そもそもフミくんの何なの!」
カノジョ。だった。今は、違う。でも、私は知っている。
「私は、文哉の一番大切な人だよ」
それ程の愛情を注がれてきた自信があった。
「じゃあ、なんで付き合ってるって認めないの!」
初めて米田アイコの投げた雪玉が私の首に当たった。
「プロだから」
「はぁ?何言ってんの?」
「私、プロカノジョだから。文哉のファンを大切に想ってるから、文哉を大切に想ってくれる人が不安になるようなこと絶対しない。いつか私がカノジョだってバレても、結婚するって発表する時が来ても、自慢なんかしない。文哉が私のことを自慢げに話すことはあっても、私は文哉のキャリアに傷がつかないように一生家の外から出られなくなったってかまわない。アンタみたいに文哉が勝ち取って来た努力を攻撃してでも、手に入れようなんて思わない」
プロカノジョになんてなれないって文哉には言ったけど、私だって本当は文哉の隣にいられるように、たくさんのことを犠牲にして、ここまで来た。
文哉の一番大切な人であり続けたいと、今、確信した。
誰にも文哉を取られたくない。私の一番だってずっと文哉なんだ。
「文哉はアンタを怒らなかったかもしれない。でも、気が付きなよ。文哉はあなたに興味がない」
首に当てられた雪が解けて、冷たい水が襟元に染み込んで、やっと寒いと思った。
「文哉は私しかみてない」
米田アイコは涙目になっていた。でも決して涙を零さずに、静かに私を見て言った。
「そごまで言っててずっと日陰にいる恋愛で満足なんて、よく耐えきれるね。あたしは無理。だからあたし自身もスポットライト浴びなきゃって、それがあたしの努力だった。でも、あんたは表に出てこないんだね。それでいいの?そんなんでいいの?」
やっと答えが出せた。
「当たり前でしょ。私は文哉の特別だから。目に黒いモザイクだって入れながら文哉の隣でこっそり生きていく。文哉のファンのために一生隠れて生きるの」
覚悟も出来た。
「……つまんな」
米田アイコは私を軽蔑する表情で、そう言った。
「つまらなくなんかない。文哉が私を笑顔にしてくれるから」
目の前にいる地下アイドルは、鬼のような顔をしていた。でも、怖くなかった。
「二人が付き合ってるってバラしてやるから!」
米田アイコはキャディーケースを手に取って、その言葉だけ吐き捨てて駐車場から出て行って通りに出て姿を消した。
もう。好きにしろよ。そう思った。
私は、文哉の、お相手の一般女性になりたい。
まだ間に合うかな。
店に戻るとフミアニが蒸しタオルを渡してくれた。
「勝ったって顔してるな」
フミアニはそう言ったけど、私は心ここにあらずって感じで、しばらくボーっとしていた。
「……帰らなきゃ」
けど、気がついたら、そうつぶやいていた。
「ん?」
フミアニには聞こえてしまったらしい。
「あ、いや、なんでもない」
「……帰ってもいいんじゃない?」
「え?」
「今回はハエ叩き上手くいったけど、傍にいないとまた変な虫湧くかもしれないし」
フミアニは米田アイコをハエと例えた。でも、私は?文哉のファンからしたら害虫じゃないだろうか。
「私は、ハエじゃすまないもん。害虫にもほどがある」
素直に思っていることをフミアニに言ったら、フミアニは小さくクククククと、笑った。
「ゴキブリでいいじゃんか。それに、大体の虫は気持ち悪い」
「カブトムシとかクワガタはカッコいいし、蝶は綺麗じゃん?」
「ハネ、本気でそう思ってんの?カブトもクワガタもひっくり返すとゴキブリと見た目変わんないし、蝶々だってほぼ蛾じゃん。でも、生きてるんだよ。あんなに小さいのに、たまにしか見かけないのに、生きてる間にメスとオスは出会うんだ。お前もゴキブリになれ生命力凄いし、大抵の女子は見ただけで逃げる。ゴキブリは自分が飛べるって知らないで生きてる。でもハネは、ちゃんと飛び方を知ってるタイプだ。四年も同棲してたのに週刊誌にバレなかったのだってすげぇよ。鬱病でもアルコール中毒でもいいじゃねーか」
やっぱり。
「やっぱりまだそう見える?」
「まぁな。元気には見えないし、精神病むってこんな感じかって思ってたよ」
「ゴキブリが、文哉に釣り合うのかな?」
「釣り合うよ。普通の人間じゃ、もう人気声優の妻は務まらない」
「私、帰る。東京でまた歯科技工士になる」
「おう。どうせ続かねぇよ。どこに就職したって、お前にその仕事は向いてない」
「ひどぉ」
「ハネは真面目過ぎんだよ」
その日、私は一日中、フミアニのカフェを手伝った。
家に送ってもらってスマホを見たら文哉から十一件着信があって、四つメッセージが来ていた。
『米田アイコのことマジでなんでもないから!』
『本当に連絡とったこともない!』
『浮気とかも一切してないから!』
『なんかごめん』
メッセージに、久しぶりに文字を打った。
『もう今年は雪かきしない』
『どういうこと?』
二秒で返事は来たけれど、返事はしないで、私もキャディーケースに歯科技工で使うものと、服や下着をパッキングした。
東京行きの新幹線のチケットと、高田馬場にある心療内科の予約もした。
文哉のところに帰ると言ったら、両親は「大丈夫なの?」と、少し心配そうだったけど、私は大丈夫と無責任なことは言わなかった。
「わからないけど、文哉の傍にいたいって思った。支え合っていきたいって思った。人気声優の恋人として、今度こそ頑張りたい。方向性を変えて」
「方向性?」
「私、世間で言うプロカノジョだから、プロらしく誇りをもって生きていこうと思う」
「プロの恋人なんてなんか怪しい言い回しよね。でも、覚悟できたのね」
「うん」
「じゃあ、今朝のネットニュース読んだのね?」
「ん?」
私は嫌な予感がして、すぐにスマホを開いた。
千代文哉と検索しようとしたら、一番上の検索候補に『千代文哉 一般女性と恋愛宣言 ノノノンカの米田アイコとは元々会話などもなく、高校卒業後も喋ったことも会ったことも、連絡を取ってこともないとをあかす』
「えええええええ……知らなかった」
「本当に、今帰って大丈夫なの?」
ヤバいかもしれない。思考は完全に固まっていた。
