鬱病になった私と結婚したいヘタレ泣き虫声優の僕





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 フミアニが帰った後、三本目の酎ハイに手を伸ばそうとしてやめた。

 母さんがリビングのテーブルに置きっぱなしの美顔ローラーをお風呂の脱衣所に置いてあるボディーオイルを持って、お酒で浮腫んだ顔と二の腕と脚にオイルでマッサージして、美顔ローラーで優しく体中をゴリゴリした。

 眉毛だけ整えたけど、すね毛も。腕の毛も、全然剃ってないけど、ココは新潟。そして今は冬。長袖長ズボンで乗り切って見せる。

 久しぶりに目覚ましをかけて眠った。起きたら半身浴してシャワーを浴びて、パックをして、化粧をして、フミアニのカフェでいつものを頼もう。出来たら米田アイコの前で「いつもの」と余裕たっぷりに言うんだ。

 格の差を見せつけてやりたい。

 けど、ベッドに入った途端、寝ようとしても眠れなかった。

 私は初めて、精神科か心療内科を検索していた。

 睡眠薬ときくと、一生起きれないような気がして怖かったけど、普通に考えて永眠させてくれる薬が処方されるわけがない。

 もし睡眠薬とか精神安定剤依存症になってしまったとしても、それが今の私なんだ。

 文哉のこと、本当は、好きだ。幸せになって欲しい。私と一緒にいることが幸せだって思ってくれていたら本当に嬉しい。

 だけど、自己診断でもわかる精神疾患の私が、文哉の隣を歩いて一生歩いていくには、今の私じゃ駄目だ。

 お相手の一般女性が、精神疾患もちなんて文哉のファンは誰も納得してくれない。

 たかが鬱病と鼻で笑えるほどの余裕はない。

 もう、私なんかどうだっていい。そう思うのに、米田アイコだけは野放しにしてほしくないって本気で思っていた。

 助けてくれる人は周りにたくさんいるのに、頼るのが申し訳ない。

 一人になりたくない。でも、一人になってしまいたい。どうしたらいいかわからない。誰か、正解を教えてと願ってはネットで楽な死に方を検索しまくる日々。そんなの、もう嫌だった。

 自力で私が今できることはベッドに入って寝ることだけだった。でも、やっぱり寝られなくて、普段は飲まないお父さんのビールを冷蔵庫から漁り、四本飲んだら、やっと眠れた。

 こんなんじゃ駄目だ。でも、誰かに許してほしい。助けて欲しい。けど、一人でなんとかしないとって、焦りながらも、明日も今日と一緒な気がしていた。何も変われない気がして、虚しくなるだけだった。

【プロだから】

 ハネちゃんが電話に出てくれて嬉しかった。けど、兄ちゃんとあんな夜遅くまで一緒にいるなんて、一度も想像したことがなかった。

 しょっちゅう宅飲みをしているんだろうか。男女の仲なんだろうか。考えるだけ不安は募る。

 だけど、声優の仕事は信じられないくらい順調に進んでいた。自分でも調子の良さを感じていた。

「千代くんさ、調子良さそうに見えるけど、なんかあった?」

 ラジオの収録後、水戸くんにそう言われて、少し考えた。

 ハネちゃんが電話に出てくれただけで正直会話の内容関係なしに嬉しかった。

 兄ちゃんの店に米田アイコが行ったことで、ネットでは僕と米田アイコが正式に付き合っているような記事がいっぱい出てたけど、そんなことより、ハネちゃんの声を電話越しにでも聞けた嬉しいが勝っていた。

 米田アイコなんてどうでもよかった。

 兄ちゃんには、ちょっと挑戦的なことを言われたけど、それが僕に火に油だった。絶対奪われたくないから、声優として、千代文哉に惚れなおしてもらいたい。そんな気持ちでアフレコやラジオ収録、舞台あいさつにイベント、今までどこか緊張してやってきたけど、緊張より、どこかでハネちゃんが見てくれていると信じて、ヘタレと言われても僕らしく、場の空気間を変えられるように、成長をしようと最近は空回りだけはしないように、笑顔だけは絶やさないで。初心にかえっている気分だった。

「惚れなおしてほしくて、初心にかえってる」

「なるほどねぇ。いいじゃん。初心、フレッシュで」

「諦められなかったんだ」

「ん?」

 僕は、水戸くんの肩に手を置いた。

「やっぱりハネちゃんがいいんだ。今どんなに拒絶されても、一生結婚できなくても、結婚って形にしないで、とにかく結婚したいくらいに俺のこと好きでいてほしいって、そう思ったんだ。だから、水戸くんは諦めろって何度も忠告してくれたけど、やっぱり諦められない。他にハネちゃんが好きな男が出来たとしても、別にハネちゃんのこと嫌いにならなきゃいけないってことじゃないと思うし、ずっと好きでいようと思うんだ」

「そっか。かっこいいじゃん」

「ありがとう」

 水戸くんだから、全部相談できた。水戸くんには何も隠し事をしていない。仕事の相性もいいし、車の運転も上手だし、仲間だけど、ちゃんと友達だと僕は思っている。

 鍋パーティーも、新潟日帰り旅行も。水戸くんがいなきゃ、なにも現実になっていなかった。ずっと、ハネちゃんに会えなくて、メッセージもスタンプしか返ってこなくても、僕一人がハネちゃんのことを繋ぎとめていたわけじゃないと思った。

 心の底から、水戸錬太に感謝していた。

「また時間が出来たら、行こうな。新潟」

「うん。ありがとう。でも、しばらくはいいや」

 水戸くんは意外そうな顔で、僕の顔を覗き込んで来た。

「ハネちゃんとは中学生から付き合ってるけど、俺以外の、他の男を知りたいっていうなら、止める権利なんて、今の俺にはないもん」

「何?カノジョさんに男の影あんの?」

「うん。俺の兄ちゃん」

「うわ……それは、きついな」

「ほんと。キツイ。兄ちゃんもハネちゃんが中学生の時からなんだかんだ一緒にいるし、俺と違ってヘタレじゃないし、包容力じゃ敵わないもん」

「下手したら千代くんは旦那じゃなくて義弟になるのか」

 想像するだけで、最悪だった。

「そうならないように、声優としてもっと上に行きたい」

「とはいっても、千代くん今まで、声優アワードの新人賞、歌唱賞、助演男優賞もとってるんだよな。それ以上ってなに?」

「もうすぐ『プロヴォイスプロジェクト』のオーディジョンあるじゃない?」

「ああ。俺も受けるよ」

 アニメ、プロヴォイスプロジェクトは田舎から声優を目指して東京に上京し、声優になる物語で、ハネちゃんも僕も原作マンガの大ファンだった。

「主人公のアポロ役で受かりたいと思ってる」

「俺はその親友のケンちゃん狙い。よかったぁ被らなくて」

「男って馬鹿だからさ、テストで100点取ったらゲーム買ってもらえるとか、ホームラン打ったらキスしてもらえるとか、そういうところあるじゃない?」

「わかる」

「それと一緒。ほかの役もみんな大切だけど、このオーディションで主役取れて、アニメが今年のランキング一位になって、二度目の声優アワードで主演男優賞とれたら、またハネちゃんに会いう行こうと思う」

 理由的には幼稚な目標かもしれない。でも掲げた目標は物凄くデカい。簡単じゃない。駄目だったらって、何度も思った。それでも、絶対、誰にも譲りたくない。

 僕の役だ。

「頑張ろうぜ。プロヴォイスプロジェクトに合格出来たら、未来十年間はなにかしら仕事につながるからな。まだ連載中の漫画だし、二期、三期ってあるだろうし、映画化とかもあるかもしれないし、ラジオ、イベント、雑誌の取材……やべぇ狙ってる人は多いだろうけど、なんか千代くんが主役になるんだったら、ケンちゃん役はきっと俺になる気がする」

「なんで?」

「なんでかな。千代くんと俺って夫婦っぽくない?ノーコンピッチャーの千代くんと、どんなボールも拾える水戸錬太。いいコンビだと俺は思ってるから」

 唇が、ふにゃふにゃと動いてしまうほど嬉しさを堪えるのに必死になった。

「ノーコンが減るように頑張ります」

 僕はそう答えて、ハネちゃんと住んでいた高田馬場の家に帰った。