鬱病になった私と結婚したいヘタレ泣き虫声優の僕





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 もう、二十五時。なのに首都高は渋滞していた。

「トラック多いな」

 水戸くんが感心するようにそうつぶやいたけど、イライラはしていなそうでホッとした。

「錬ちゃーん」

 ロメくんがやっと起きて狭そうな後部座席で体を伸ばしながら水戸くんのことを呼んだ。というか水戸くんのこと錬ちゃんって、下の名前をあだ名にして呼んでるんだと、驚いた。そういう距離感だって知らなかった。

「んだよ。トイレとか言うなよ?まだ高速入ったばっかなんだから」

「んにゃー。お腹ペコなんよ」

「だからコンビニでなんか買えって言ったろ」

 トラックにはイラつかないのにロメくんにはイライラした口調で水戸くんが言った。

 僕は「よかったら」と真後ろにいるロメくんにブラックサンダーを一個渡すと「あんがと」と言われて受け取ってもらえた。動物園でカワウソにエサを受け取ってもらえたような気分になった。

「早く雪だるまつくりたーい」

「着くの朝の四時ぐらいだぞ?少し寝かしてもらおうぜ。布団はいっぱいあるって言うし」

「千ちゃん、カノジョと上手くいくといいね」

 どうやらロメくんは僕のことは千ちゃんと呼んでくれることになったらしい。

「ロメくん、ありがとう」

「でも、誘拐ってどうやってやんの?」

「ゆ、誘拐?」

「だって、カノジョ持ち帰りたいんでしょ?」

 そりゃ、出来ることなら連れて帰りたいけど、今回はそういうんじゃない。

「ただ会いに行くだけだよ」

「つまんにゃー」

「うーん。ごめんね」

 集まってくれたスーパー人気声優四人に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも、無理矢理ハネちゃんを東京に連れて帰るのは無理だ。そんなこと僕には出来ない。

 『新潟で生きていく』と決めたハネちゃんの決意の強さを、離れていく日々の中で思い知っている。一日、一日、二十四時間ずつ、僕とハネちゃんは離れていく気がするけど、それでも、また僕の傍にいたいと思ってもらえるように、二人で結んだはずの赤い糸が切れかけているのを、結びなおしに行きたいだけだった。

【二日酔い】

 朝、なのだろうか、昼なのだろうか、外が明るい。

 文哉の匂いがする。

 とういうか、誰かに後ろから抱きしめられて眠っていたことに気が付いた。

 振り向くのが一瞬怖かったけど、フミアニかな?と、そっと振り返ると、限りなく黄金比に整った文哉の寝顔があった。

 私は、いつの間にか文哉の胸の中にホールドされるように文哉のベッドで眠っていたのだ。

 何度も、夢ではないかと、横で眠る限りなく文哉の顔を何度も確認して、酔いがさめていない頭でやっと文哉本人と確信した瞬間、私はベッドから転げ落ちた。

 なんで、文哉が?いや、確かにココは文哉の実家で、文哉の部屋だけど、なんで?

 アルコールが抜けきってない脳みそが上手く起動しない。

 でも、私が、床にカエルのようにぺしゃんこになって落ちた音で、文哉は目を覚ました。

「ちょっと、ハネちゃん、大丈夫?」

「待って、多分まだ酔っ払ってる」

「兄ちゃんからきいたよ。机の上の酎ハイ全部一人で飲んじゃったんでしょ?水いる?持ってくるよ」

「うん。ありがとう」

 最近、お酒を飲まない日はなかった。アルコール中毒というには少量しか飲んでないつもりだけど、度数は9%ばかり。

 酔いたいのだ。

 部屋を出て行った文哉がいなくなって、部屋の外の騒がしさに気が付いた。

 男の人の笑い声。いや、爆笑している。高校生?大学生?大人?新潟の男子は雪があるからって、はしゃいだりしない。

 まさか!と思って、フラフラと立ち上がって窓のカーテンを少し開いた。

 フミ家の中庭で男性が四人、どうやら雪合戦をしているみたいだった。

 二階からだから顔はよく見えないけど、昨日の夜運転している姿の声優の水戸錬太が、走り、雪を丸め、よく狙い、残りの三人に投げつけている。

「ハネちゃん」

 ジョッキ一杯に水と氷をなみなみ入れたものを持ち、慎重に部屋のドアが開いて、文哉が戻って来た。

「飲んで。お喋りしよ?」

「おしゃべり……」

 何を何から話したらいいんだろう。

「外うるさくてごめん。でも、水戸くんも日口さんもさっちゃんもロメくんも、今日奇跡的にオフでさ。ほら、元旦に一緒に水戸くんの家でお鍋やった時の集合写真送ったでしょ?あの時に仲が深まって、ハネちゃんのことも真剣に相談に乗ってくれるんだ」

「そっか」

 スズッキーさんがこの場にいたら発狂してそうなメンツだ。特にスズッキーさんはロメくんのファンだ。

 人気声優が五人そろって新潟旅行って、もはやイベント案件だけど、休みがあったから仲良くなったみんなで、友達の家に来て遊ぶって、普通のことなのかな。

 私はジョッキの水を半分まで一気に飲んだ。喉が凄く乾いていたんだなって思った。酎ハイを六缶も飲んだんだから、当然と言えば当然か。

「魔法の杖、届いたよ。ありがとう」

「あ、うん」

 私の横にピッタリと座る文哉に、懐かしさを感じた。

「毎日家で『アクシオ!』って言いながら振り回してる」

「アクシオ?」

「こっちに来て欲しいとか、離れてるものを呼び寄せる魔法の呪文」

「ああ」

「でも、何度やっても上手くいかないから、来ちゃった。本当は俺だけハネちゃんの家に行くはずだったんだけど、こっちに着いたのが朝の四時だったから、下の広間に四人には寝てもらって、自分の部屋に戻ったらビックリした。ハネちゃんがベッドで寝てるんだもん。思わず兄ちゃん起こして事情聴いたよ」

「ちゃんと、フミアニに許可とったよ」

「うん。兄ちゃんと寝てなくてよかったって思ってる」

「そっか」

 フミアニに下着姿にされたことは黙っておこうと思った。

 文哉が突然、私の腕にしがみついて、ちょっとビックリしたけど、冷静に、持っていた水と氷の入ったジョッキをテーブルの上に置いた。

「ハネちゃん、ごめんね。俺、自分のこと普通とか言って」

「え?」

「声優なんて普通じゃないって前にハネちゃんんが言ったこと、俺、そんなことないって思ってた。でもさ、俺たち普通じゃなかったよね。デートにも行かないし、夫婦でもないのに、仕事が忙しいハネちゃんの身の回りのこととか家事全部やってる俺って、めちゃくちゃ優しいって思ってた」

「実際、そのおかげで私も助かってたよ」

「違うと思う」

「違うって?」

「ハネちゃん就職前は俺より全然家事とか料理してくれてたから余計に、就職してから家のこと何もしてないとか、食事とかかも俺に管理されて、自分は何もしてないって追い詰められてたんじゃない?その挙句、俺、仕事辞めて欲しいとか簡単に言って、反省してる」

 私は、文哉に反省、してほしかったんだっけ?

「どうせ辞めてたよ。続けられなかったと思う。そんなことより、文哉が順調に声優として売れていくことの方が怖かった気がする。もしも、私たちが一緒に暮らしてるってスクープされたらどうしようって思ってた。文哉のキャリアに迷惑かけたくなかったの」

 始発終電で休日出勤もして必死に働いても、税金引かれて一カ月十八万しか稼げない私と、アニメで主人公なのに台詞が四つしかなくて、週に二回ラジオの収録して、土日にイベントや舞台挨拶でニコニコして楽しそうにトークして、人を、ファンを、笑顔にしている文哉が、三十七万稼いできた月があったのを、文哉のトートバックから崩れ落ちるように舞い降りた事務所からの給与明細を見て知ってしまった時、どうしようもなく虚しくなって、自分勝手に頑張っていただけだった。

「俺はさ、結局自分のことしか考えてなかったんだ。ハネちゃんが心配することじゃないとか思ってた。何が問題なのかいまいちわかってなかった。でも、水戸くんたちに話きいてもらったら、全部俺が悪いなってやっと気が付けた。俺だって、好きなバンドのメンバーが一般女性と結婚したってニュース知ったら、検索しちゃうかもしれない。知ったところでどうにもならないのに。でも、好きなタレントとか推しとか、応援してた人が、結婚したこと教えてくれないのもなんか嫌だし、誰と結婚したか秘密にされるの嫌だなって思う。だから、結婚、婚姻届けはハネちゃんに渡しておくけど、まだ書かないで欲しい」

「書いてないよ」

「え、書いてよ」

「どっちなの?」

「いや、書いていてほしかっただけ!ごめん!まだ役所にもっていかないでってだけで、書いておいて!」

 文哉の耳が赤い。顔は赤くならないけど恥ずかしいと何故か耳だけ赤くなる。些細なことかもしれないけど、忘れるところだった。文哉の習性、しぐさ、声。ちょっと離れただけなのに、知っていたはずなのに、今、この瞬間まで忘れていた。

 当たり前のことを忘れてたことが怖くなった。

「……書かない」

 書けない。

「え」

「私は、文哉と」

 きっと

「結婚できない」

 そんな覚悟できない。

「ごめん」

 謝っちゃった。謝ったら、文哉は私を諦めてしまう。そういう人だ。

「あ、うん」

 ほら、受け入れようとしてくれた。しがみつかれていた腕がほどけていく。

「ハネちゃんは俺と、結婚、しないんだ」

 文哉は声に出して、なんとか納得しようとしていた。

 でも、とか、やっぱり、とか、言いたくなった。文哉が目の前で苦しんでいるのに、何も言ってあげられない。

 だって、私が傷つけたんだから、そんなこと、どの立場から言えばいいの?

「そろそろお昼ご飯だから、食べよう?母さん気合入れて湯野寿司の日本海丼注文したんだよ。広間で食べよう。水戸くんも日口さんもさっちゃんもロメくんも、起きてからずっと庭で雪遊びしてお腹減ってるだろうし」

 無理だよ。

「私は、帰るよ。外泊しちゃったし」

「……そっか」

 もう、元カノなのにスーパー人気声優たちと食卓を囲むのって、変だもん。

 コンコン。と、ドアがノックされた。

「入ってもいいか?」

 フミアニの声だった。

「いいよ」

 文哉がこたえると、ドアがゆっくり遠慮がちに開いた。

「海鮮丼届いたから降りて来いよ」

「あ、私は帰る」

 そうフミアニに聞こえるように言うと、フミアニは優しい声で「わかった」と言った。

 一階に降りて、縁側に座る文哉の仕事仲間で人気声優の四人に深々とお辞儀をして「遠い所まで来ていただいて、ありがとうございました。皆さんの活躍、本当に楽しみにしています」そう言った。上手く感情を隠して、ただ丁寧にこのセリフが言えた気がした。

「文哉のこと、どうかよろしくお願いします」

「俺たちこそ、急に邪魔してごめんね。でも、俺たち千代くんのこと好きです」

 水戸くんがそう言って、賛同するように四人が立ち上がって、私に握手を求めてきた。

「千代くんを支えてくれてありがとう」

 さっちゃんこと笹田さんが細い目で笑顔になった。

「お会いできて嬉しかったです。また会いましょう」

 日口さんの大人でクールな声と、優しい眼差し。

「また来るねーん」

 ROMEO君に手を握られると、チュっと、ほっぺにキスされて、驚いていたら、思いっきりROMEOくんは水戸くんに頭を殴られていた。

 それを見て、仕方がないなぁと言った感じで、小さく溜息をついた文哉は、ちょっとだけうつむいて、見なかったことにしていた。

「ありがとうごさいます。新潟を楽しんでいってくださいね」

 そう言って、文哉の家を出ると、車のエンジンをかけた状態でフミアニが待っていてくれた。

「もういいのか?」

 フミアニが白い息を吐きながら言った。

「うん。もう、終わった」

 この先、私が文哉に釣り合う女になることは出来ない。そう、思うしか、諦める方法がなかった。

「泣くなら車の中で泣けよ?」

 フミアニが、助手席の扉を開けてくれた。

「ありがとう。でも、泣かないよ。その分きっと、文哉が泣いてくれると思うから」

 雪かきをフミアニがしてくれたおかげ文哉の家からスムーズに車で実家に帰れた。

 終わらせてしまった。文哉は私を好きでいてくれる、私も文哉のことが好き。

 でも、もう無理だった。