13
「泣いた」
「は?」
「泣き出した」
「文哉が?」
「うん『これ以上好きになっていい?』って、言った」
「アイツ何基準でこれ以上って言ったんだよ」
「わかんない。わかんなかったけど、私『いいよ』って言ったの」
そう言ったら、文哉はやっと私を本当に抱いた。あれは優しさから出た言葉ではない。懇願だった。私たちはちゃんとお互いのことが好きだった。でも、その先があることを知った。だけど、今はどうなんだろう。文哉だけが私を好きなのだろうか。私は文哉にまた『これ以上すきになってもいい?』と言われたら『いいよ』って言えるんだろうか。
「ハネはさ。充分にプロカノジョになれると思うぜ」
「カノジョにプロとかアマチュアがあるのがおかしいと思うけど、本当にそう思う?声優ってさ国家資格でもないしなれちゃったもん勝ちじゃん?」
「そうかな?俺は一回テスト受かったら一生使える国家資格より、仕事をもらうために何度もオーディションで受かり続けなきゃいけない一生受験生みたいな文哉の方が本当は大変だと思うよ。でもさ、アイツは今一生懸命キャリアアップして、ハネのこと迎えに来たいって思ってるし、実際そろそろ来ると思うぜ?」
「迎えになんて来てくれるかな。私、逃げてばっかりなのに」
「待っててやれよ。待てないって言うなら今から俺としようぜ?」
フミアニと、する?エッチを?
「ふふふふふ」
「なんだよ。俺だって本気だぜ?プロカノジョやってるのが嫌なら俺にしとけって」
「文哉に嫌われるよ?」
「それで済めばいいけど、殺されるかもな」
「そんなこと文哉はしないよ」
「するよ。それくらいの覚悟でハネは文哉に愛されてるよ」
そうかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。
「どうする?俺と今やることやって、このまま新潟で生きていく?それとも文哉のところに帰る?」
「やらないけどさ」
「やらないんか」
フミアニは私から一番初めに剥ぎとったパーカーを投げつけてきた。本当は順番に服を着たかったけど、とりあえず体を起こしパーカーを着た。下着姿なんて水着姿とあんまりかわらないなってこの時、危機感なく思ったのは、多分フミアニが相手だからだろう。
「文哉のところ帰っていいのかな」
「当たり前だろ。ここはハネが帰ってくる場所で居場所の一つってだけであって、本来いるべき場所は文哉の隣なんじゃないの?」
私のいるべき場所。
「ハネが自分で決めていいんだから、ゆっくり考えな」
フミアニは私の頭を大きな手で強めにポンポンすると文哉の部屋を出て行ってしまった。
一人になった瞬間、ああ、一人で考えなきゃって思った。答えを出していいのは私だけなんだと思った。誰かが決めてくれることじゃない。文哉が私と結婚したいとか傍にいて欲しいって要求に、私はどう応えればいいのだろう。
そもそも、どうなりたいんだろう。
やめとけばいいのに、床に落ちていたスマホを拾って『千代文哉』と打ち込んだ。文哉が世間にどう思われているのか改めて知っておきたかった。どんな風に文哉は声優として評価され、どんな人物と認識されているのか、そこに私が食い込める隙が本当に存在するのか。そんなことが知りたかった。
でも、検索キーワードの中の候補の四番目を見た瞬間、背中の産毛が逆立つのを感じた。
千代文哉 米田アイコ
何故、お前の名前が並んでいるのだ。怒りのような裏切られたような、嫌な気持ち。
でも、もし、米田アイコではなく大島羽根だったら?私が今思ったようなことを、文哉のファンたちが受け入れるしかないと割り切ってもらうしか出来ないのだとしたら、私は罪人のような扱いになるのだろうか、それとも千代文哉に選ばれた唯一の嫁の座に収まった、たった一人の女として称賛されるのだろうか。
千代文哉 米田アイコ をタップして一番上に出てきた記事を選んだ。
『人気声優 千代文哉の恋人として噂されている米田アイコさんはアイドルグループ ノノノンカ に所属しており、担当カラーはミントグリーンで、千代さんの高校の同級生。千代さんの推しカラーの緑と同じであることなど共通点は多く、新潟から上京するタイミングや同じ新宿にある大学と専門学校に進学するなど、親密な関係であるとファンから認定されている。高校の卒業アルバムの寄せ書きに千代さんのことをフミくんと書くなど、学生の時からお付き合いしていたのではないかと予測されている。まだ若い二人だが数年のうちに結婚の可能性もあるのではないかと言われている』
米田アイコのSNSのスクショの写真が記事には載っていた。胸まで伸びた黒髪に淡い緑色のリボンが編み込まれていて、白とゴールドをベースにしたミニスカートのドレスみたいな衣装に淡い緑色が組み込まれている自撮りの写真だった。
だけど、思うところもあった。果たして米田アイコは千代文哉に釣り合う程、人気なのだろうか。逆に、千代文哉と付き合ってると思われているならアイドルとして人気なんか出ないんじゃないだろうか。米田アイコは文哉と付き合っている匂わせを今までたくさんしてきたけど、デメリットにしかならないような気がする。それでもいいのだろうか。けれど、匂わせといっても、どれも決定的なものではない。
だって、文哉にとって米田アイコは、一方的に好かれているのか?くらいの存在で、文哉からのアプローチは一つもないのだ。
「おいハネ」
ノックもせず、フミアニが戻ってきてドアを開けた。廊下の冷気が容赦なく入ってきた。
「もしもさ、もう歯科技工士やらないならさ、俺の店手伝ってくれたりする?」
「バイトってこと?」
「うん。でも、バイトだけど、ちゃんとボーナスだすし、自由出勤でいいよ。まぁ、ランチの時間が一番混むから出てくれたらありがたいけど、いつ休んでもいいし、いつ辞めてもいい。あとマカナつき。今のお前はさ、ちゃんとしない方がいいよ。だから、ちょっと考えておいて」
「わかった」
ちゃんとしないほうがいい。
実は、その言葉が欲しかった。
早く新しく仕事をしないといけないと、焦っている。
眠れない。起きられない。何故か太陽の光が不快で、お酒がやめられない。朝から飲んでしまう日もある。家にいたい、部屋にいたい、ベッドの中にいたい。誰とも会いたくない。喋りたくない。なのに、ある時、突然、急に元気になる。世界を征服したように気分がよくて、部屋の片づけや、家中の掃除、雪かき、食欲もその日だけは異常で、朝からカップ麺を四個食べたり、フミアニの店に行って『いつもの』と生クリームをほおばる。
けど、家に帰ると充電が切れたみたいに死にたくなる。
どうかしている。コレが鬱病なのだろうかと、心配になって、何度もスマホで自分がおかしいと思ったことを検索する。
最近はそのせいで確信を、している。
私は、鬱病一歩手前ではない。もう、鬱病だ。
フミアニのお店なら働けるだろうか。選択肢がまた一つ増えた。米田アイコのせいでモヤモヤも一つ増えた。
握っていたスマホが震え、通知を開くと、今撮った写真なのか文哉から水戸錬太が夜道のなか車を運転している横顔が送られてきた。
なんて返せばいいのかわからなくて、既読スルーしてしまった。
服を順番に着て、文哉のベッドにもぐりこんで眠った。
