「おいっちにーさんしー!」
雲一つない晴天のもと、元気な声が河原に響く。
一列になった軍団が走っていた。かぶらぎ座である。
演技というものは、声がいいだけ、台詞の読み方が上手いだけ、では成り立たない。最初こそ上手くいくだろうが、だんだんと粗が目立ってくる。それを安定させるために日々のトレーニングは欠かせない。
基本的な発声・滑舌練習、筋力トレーニング等々。そして、今行われているのがランニングだ。有酸素運動を介して、肺や心臓の働きを高め、持久力を高める。
これで長い公演にも耐えうる強い体を作り上げるのが目標だ
前からしょぼしょぼと返事が戻ってきた。それに対して、最後尾から100デシベルが飛んでくる。100デシベル……目安にして、電車の通るガード下程度だ。
「声出てないぞ!うちのもんにそんな声小さい奴いたか!?にいっにいっさんっしぃ!」
120デシベルにレベルアップしたものをぶん投げると、中くらいの叫び声が聞こえた。
「ヨシ!」と頷いたかぶらぎはふと隣を見てため息をつく。後ろに倒れそうになりながら斜めになっていた。なんとか走っている状態だ。
「おい東雲ぇ!俺たちは今一蓮托生なんだぞしっかりしろ!」
「いや……これ……もう……二人三脚……」
「もう俺だけの体じゃないんだ!しっかりしろ!ほら、おいっちにーさんしー!」
「へぁっちにゃあ、しゃん、はい……っいったぁ!」
「おい!誰が上海まで行けと言った!お前は!ここで!最強の役者になるんだ!……まあ、そのうち海外進出もアリだな、うん」
「もうかえりたい……ざちょーあつくるしいんだもん……ぎゃあ!」
ぐにゃぐにゃとしていた東雲の背中を、冠城はフルパワーで叩いた。咳き込む東雲の脇腹を抱えると大きく息を吸って、声を張り上げた。
「減らず口叩く暇があったら走れってんだうおおおおおおおおお!」
「うわああああああああ!」
足首が結ばれている以上走らざるを得なくなった東雲は同じく叫びながら、一番前を走る集団を全力で追い抜いたのだった。
「──はあっ、はあっ、死ぬかと思った……」
「ふっ……爽やかな風だな……」
「熱風だよぅ……ぐぇ、体、砂漠……」
河辺に座って休憩するかぶらぎ座の面々。寝転がったり談笑したり、各々好きに過ごしている。時間は決めておらず、皆の疲れが取れるまでと定めている。
そんななか、女性陣がこちらを見ているのに気が付いたのは冠城だ。目線を追っていってみると、その先は東雲だ。
タオルで額の汗を拭っている。いつもは前髪で隠れている彼の顔がハッキリ見えた。
「……?」
視線を感じたのか東雲が女性陣の方へ顔を向けると、黄色い声が上がる。
ぽかんとしていた東雲だったが、何かに気付いたのか急いで顔をタオルで隠した。
(ふうん……?)
黄色い声は「イケメン!」を連呼している。確かにちら、と見えたその顔は整っていた。“なぜか”隠すその理由は問わずに、かぶらぎは声をかけた。
「東雲」
「うぅ、は、はい」
「前から思ってたんだが、お前、髪切ってこい」
「……」
「じゃなきゃ、木にするぞ物理的に」
「……え?」
「前に嘘つき小僧東雲が言ってたろ?木の役やってましたって。だから、ご要望にお答えして植樹して差し上げようじゃないか。前髪から始まり足まで装飾を施してキャンパス内の一番目立つところにお前を置いてやる。生徒共はさぞかし怖がるだろうな。けど慣れた頃には近付いてくる輩が出てくるのが予想できるからなそこにフライヤーを置いておけばこのかぶらぎ座の宣伝にもなってお前の株も右肩上がり一直線で」
「はぁい!週末切ってきまぁす!」
タオルを被ったまま「ひーん」と鳴き声を上げる姿を見て冠城は腕を組んだ。
(……やっぱり、俺の見当違いか?“これ”が“あれ”になる、と)
とにかく、現物を見ないことには仕方ない。現状では推理の材料が足りない。冠城はそのまま水辺に近付くと自分が映る。
(……鏡よ鏡、世界で一番──)
問いかけは返ってくるはずもない。御伽噺だから、そんな簡単な理由ではない。たぶんこれは、誰に聞いても良い答えは返ってこない。遮るように石で水切りをした。上手く行かず石はぼちゃんと沈んでいった。
歯ぎしりが始まる前に冠城は、水切りの得意な団員はいるかと声を掛ける。腕に自信のありそうな団員たちがこぞって集まってくる。楽しそうに遊ぶ彼らに混じりながら、ふと空を見上げた。
髪と頬をすり抜けていく風が心地良い。
(……なんて、文末に付けたら程よくまとまりそうな色の空だ。……そういや梅雨持ってきてるとか言われたな。はは、その通りだ。その通りだよ、全く、笑えない)
俯いた冠城は、叩きつけるように自分の顔へ石を投げる。「下手か!?俺は!?」なんて、いつもの調子で言えば、笑いが起きる。
喧しくてトンチキで、他人にパワハラ紛いの無理強いをする、悪名高い“冠城ツバサ”。
(かっこよくなれないなら、かっこ悪く生きるしかないさ)
冠城は空を仰ぐ。この大きな空から、自分にスポットが当たることはない。
――――――――――――
週明けが来た。
冠城は早朝から校門で待ち伏せをしていた。またなんかやってるよ、との声をいくつも聞き流しながら冠城は待った。すると、明らかに挙動不審の人物がいた。帽子を深く被って、オドオドキョロキョロ動いている。
冠城がいるせいか、他の生徒達の目は挙動不審人間を見ることはなく、逆に目立っていないのが面白い。
冠城はその人間へと即座に近付いていった。声音を変えて声を掛ける。その人物は一気に顔を背けたが道に迷っていることを伝えると、ロボットのようにぎぎ、とこちらを向いた。しめしめ、と冠城はスマートフォンの画面を見せた。
「ここに行きたいんですけどー」
「は、はいぃ……。……?えっ、なにこれ新樹九のワクド……?」
「おはよー東雲くんっ♡」
「ウワーッ!?座長!?ングぇぅ!?」
「……お前……さすがに弱すぎないか?嗚呼、あはれあはれ……」
「うっ、ぐっ、くそう……!」
あっという間に冠城に羽交い締めにされた人物……先輩と口にしたため、たぶんに東雲だろう。東雲は、そのまま植木の方に連れて行かれ、木に背中を押しつけられた。格闘家かい!とのツッコミを無視して、帽子を取った──。
「あ〜!しつこい!貴様ら早く散れ!誰が王子様だコイツには一億年早い言葉だ!まだまだぴよぴよぴーのひよこだぞ!かわいい!キュート!愛らしいなどと言ってやれ!……いや待てよ?可愛い路線もありか?」
先程から150回は連呼されたはずの王子様!との叫びに冠城はしっしっと集団を手であしらう。それと同じくらいに東雲の「すみません!」が聞こえてくる。
──よっぽど物理的な木になりたくなかったのか、東雲はちゃんと美容院へ行った。結果、現在こうしてもみくちゃにされている。顔を隠しながら歩く東雲の手を引っ張って進む。冠城だけなら素早く捌けていくくせに、“この”東雲がいるせいで全く前に進めない。
冠城は叫ぶ。
「どこのどいつだこいつに髪切らせたのは!迷惑極まりない!」
「いやそれ座長案でしょーが!」
「知らん!ほら、記憶の混同だ。皆、見たことがあるはずなのに実際には存在しなかったCMだとかアニメのエンディングだとかそういう類のアレだ!アレ!」
「僕の勇気をアレで済ますなーっ!すみません通してください通してください講義に遅れちゃうので……っ!」
東雲がそう振り絞ると、大群はサッと退いた。謝りながら、でもなんとなく後ろ髪引かれているような感じで生徒たちは去っていく。東雲はホッとした様子を見せたが、腕時計を見てすぐ慌て始めた。
「うわうわほんとに時間やば……!座長のせいですからね!」
「……王子様、ね」
ぽつりと冠城は呟く。予想が当たってしまった。「座長のせい!」「座長の馬鹿!」「聞いてます!?」などとピーピーとひよこが泣き喚く。
今は考える時間はなさそうだ。早く教室へ送り出してやろう。冠城はひよこへニコリと笑いかける。
「……さて、これで看板役者の準備が整ってきたね東雲君っ!」
「はあ!?っていやいやいやいやなんで付いてくるの!?」
「言っただろ?一蓮托生だって。一生一緒にいようね♡ほら朝練代わりだピンポーン♪目的地まであと42.195kmです♪」
「ぎゃーっ!そんなカーナビ嫌だー!」
「トライアスロンの方が良いなら先にそう言え目的地変更します♪ピロンっ♪」
「そういうことじゃないってのー!」
こうして、朝から鬼に襲われ、講義を受け、王子様を探す目から逃げられたと思ったら冠城に捕まりそのまま練習へ。
帰宅する頃にはヘトヘトで、風呂に入ろうと脱いだズボンから、上手く足が抜けずに床へすっ転んだ。いてて、とぼやきながら服を洗濯機に放り込んで風呂場に入る。
洗髪やらを済ませて、やっと湯船に浸かれたとき、オーディションから今まで過ごしてきた日々の、情けない姿を思うとじわりと涙が出てきた。
「やめてやるぅ……明日こそ辞めてやるぅ……!」
湯で顔を拭いながら、涙をごまかした。
次の日、東雲は退部届を持って凛々しく部室へ向かった。朝から今の今まで全く自分に構ってこないのが少し怖かったが、そろそろ下剋上の時間だ。
「たっ!たのもー!……あれ?」
部屋の中には誰もいない。少し待ってみたが来もしない。仕方なく、冠城のデスクに置いておくことにした。後で破かれていても構わない。残り99枚あるのだから。
デスクに近付いたとき、右足が何かを踏んだ。
「? っうぇーーーっ!?」
瞬間、東雲の体は浮き、宙吊り状態になった。足首が何かで括られていて、取ろうとしてもくるくると回るばかりだ。
ジタバタもがいているとひょこ、と誰か部屋に入ってきた。助けて!と頑張って入り口側に体を捻ったが、残念ながら相手は冠城だった。部室の鍵を指で弄びながら、眉を顰めている。
「何だか雰囲気が悪いな……」
「え?」
「淀んでいるというか……誰かいるのか?」
「え、あ、あの」
「妙だな……なんだこれは……退部届?誰のだ?」
「ちょっ、座長……?」
裏紙にするか、と冠城はぶら下がっている東雲を無視して、荷物をデスクに置く。すぐにキーボードのタイプ音が聞こえてきて執筆を始めたらしい事が分かる。
そのうちパラパラと人が集まってきて、ミーティングが始まった。その間も東雲は「助けて!」「下ろして!」と叫んでいるが誰も目を合わせてくれない。
東雲のちょうど横にホワイトボードを持ってきてから、冠城が驚いてみせた。
「わー東雲ーそんなところにいたのかー誰にやられたー」
「アンタじゃい!早く下ろしてくださいよぉ!」
「ちっ!皆の衆!お手をお借りしたい次第!」
「こっち!舌打ちしたいのこっち!」
そうして、無事下ろされた東雲は床に倒れ込んだ。頭に血が上ってくらくらする。介抱してくれる皆にお礼を言いながら、東雲は言う。
「ざちょー、100枚……」
「は?」
「それ合わせて、100枚……届けを、持っています……」
「……」
「ふ、ふふふ、負けませんよ……!僕は100日間これをずっと出し続けて」
「ミーティング再開するぞ。今後の日程としては」
「最後まで聞いてよお!」
「おお、いい発声だ。成長したな」
「えっ……そう、ですかね、えへへぇ……。じゃなくて!早く退部させて!」
「秋の公演に向けてだが」
「じゃあ200枚にする!」
「だーっ!昨日からピーピーピーピーうるさい!黙れひよこ!いいやお前はまだこの世に産まれてない卵状態だ!……なあ皆、泣く卵って怖くないか……?」
「もうっ!帰るーっ!」
ミーティングが終わるまで、仰向けの東雲は駄々をこね続けたが、これまた結局しっかり練習を終えて帰宅したのだった。
――――――――――――
(明陽台付属……20XX年の……これだ)
モニターの光が、暗い部屋を照らす。
冠城はパソコンで、とあるコンクールの映像を観ていた。舞台全体が見えるよう、少し遠目に録画されている。
自分が捻り潰された日、あの日の映像だ。
少し審査の静寂があってから、次の学校の演技が始まる。中間辺りであの“天才”が現れた。
何年経とうが関係ない。今でも吸い込まれるように惹きつけられる。
(ああ、すごい、やっぱり天才だ)
冠城は、ほう、と感嘆のため息をつく。
役者というのは、キャラクターに命を吹き込むのが仕事だ。そうやって観客に没入感を与えて喜怒哀楽を楽しんでもらうのが最高の幸せだ。だから、人気ドラマやアニメーション、映画に出演している俳優たちは選ばれし者である。努力が開花したり、元々素質があったりと多様だと思う。
ただ、“天才”の彼は命を吹き込むどころの話ではない。そのままその時代に生きているように過ごしている。物語だって人物だって架空なのに、その場で生活をしているのだ。
最後にカーテンコールが行われている画面がズームアップされた。出てくる役者の胸元にテロップで名前が表示される。
最後に現れたのは主役の天才……名前は“雨宮カエデ”。カメラへ向かって優雅に礼をしている。
冠城はそこで停止ボタンを押して、顔の辺りを少し拡大してみた。当時の録画環境のためか、解像度が低いのが難点だ。これでは、冠城の知りたい部分が曖昧になる。
(雨宮カエデ、ね……)
その画面のまま、冠城は椅子の背もたれをぎい、と鳴らす。
卒業アルバムを見たり、同じ高校だった人間に話を聞くなどしなければ確証が持てないままだ。冠城も、変な理由をこじつけてまで特定したいわけじゃなかった。
雨宮カエデで検索をかけてみるが、芸能人の枠でヒットはしない。したのはやはり、この明陽台のホームページのみだ。だとしたら、芸能界へ進んだ、と仮説を立てても、芸名で活動しているかまだ候補生かのどちらかだろう。
また出会えたなら、一ファンとして思いを述べたい。どうせまた、冷たい顔であしらわれてしまうだろう。けど、この気持ちは止められない。
(雨宮、くん。俺はずっと……ずっと、君の演技に恋をしてる。君みたいになりたかったんだ。なりたいよ、今だって)
いてもたってもいられなくなって、執筆アプリを立ち上げた。タイピングしている間に、何かが込み上げてきて、あふれた。それは止まることをしらず、画面がだんだんと歪んでくる。頬を滑り落ちていくそれを袖で拭いながら、冠城は無理やり指を動かすのだった。
――――――――――――
「──そうなんですか?」
先輩たちにうん、と頷かれ東雲は驚いた。
寮住まいだと聞いていたが、どうやら冠城は帰らず、部室に寝泊まりしているそうだ。
理由を尋ねてみると曰く“狭い”らしい。確かに、行き詰まっているように見える時の冠城は、部室をぐるぐると歩き回っている。
一人の先輩が片隅を指さした。そこには【冠城のすみか】と呼ばれていて、寝袋やら缶詰やらが纏められている。朝番で来た時芋虫状態で跳ねているのを見て卒倒しかけた、と笑う先輩もいた。
(手作りじゃないけど、食べないよりマシだよね。近くにコンビニあって良かった)
という話を聞いた東雲は、練習後色々買い漁って、夜の部室へと向かった。
そーっと小窓から中を覗くと、床に寝そべってパソコンと向き合っている冠城がいた。詰まっているらしく舌打ちをしている。
(うわぁ、あれ全部エナドリ?すごい量飲んでるけど大丈夫なのかな……)
人気エナジードリンクに囲まれている冠城が少し心配になってきた。うんうんと唸っている。そのうち立ち上がるといつも通りぐるぐると部屋の中を歩き回る。7周したあたりでピタリと止まり、マーモットの如く叫んだ。
「……東雲ぇ!缶コーヒー買ってこい!」
「はいぃ!」
「なんだ、いたのか。ただの発声練習だったのに」
「ズコーッ!」
置いて帰るだけのはずが、反射的に返事をしてしまい、出ていかざるを得なくなる。部室に入ると、なんだかいつもと雰囲気が違う気がした。冠城は大の字で倒れ込んでいる。その姿を見て、少しそわそわする。
(……般若状態が多いけど、けど、たまーにこういう顔見るかも。なんか、さみしいような)
何を話したらいいかとソワソワしていると、天井から目を離さずに冠城が言う。
「遅くまで何してる、帰れ」
「差し入れです。座長が帰らないって聞いたので」
「誰だバラしたやつは……。せっかくの華金、今週末は休息日だ。こんなことしてないでゆっくりしろ」
「……ありがとうございます。そのう……座長も休んでくださいね」
「どうも」
「おやすみなさい!」と部室を出ていく東雲の背中を見送ったあと、起き上がって置いていかれた袋を見る。おにぎりや栄養ゼリー、ジュースや缶詰、など色んなものが入っていた。
「まさか敵に塩を贈る人間がこの現代にいるとは。全く、お人好しにもほどがあるぞ、東雲」
後日支払いをしなくてはいけない。レシートは入っていないかと袋をまさぐった。
すると、ジュースに紙が張り付いているのを見つけた。だが明らかに大きさが違う。剥がしてみると、それは手書きのメッセージだった。
《冠城先輩へ。無理は禁物!先輩の口癖、そのままそっくり返します!また熱いご指導お願いします。……やっぱりほどほどがいいです!ほどほどに!東雲より》
冠城は目を丸くした。そのうち笑い出したくなって、大声で笑い転げた。おさまってきた頃、小さく呟いた。
「ばーか。ご指導賜りたいのは、こっちの方だよ」
手のひらの中で、メッセージがくしゃりと歪んだ。

