冠城ツバサという人間は、演じることを自身の生きる糧にしていた。
将来は俳優になって、ドラマや舞台など休む間もなく動くのが夢だった。
 その夢を持ったきっかけは、学芸会での出来事だった。冠城の通う小学校では、学年毎の発表が、音楽、演劇と分かれており、自身の学年は演劇だった。
 渡された台詞はたった一つだけ。
けれど、元々真面目だった彼は、その一つを精一杯練習して、本番に臨んだ。その頃の冠城は普通の子どもだった。緊張もするし、手は震えている。
失敗しないだろうか、台詞や流れを間違えないだろうか。色々な杞憂が纏わりついた。
 けれど、いざ演台へ立てばそんなものは全て消え去った。リハーサルとは違う、ぴかぴか輝いた世界が、そこにはあった。
たった、数秒
たった、一つの動き。
たった、一言。
それらがするりと出てきたとき、とても、とても気持ちよかった。
生まれてきて良かったとさえ思えた。
 大団円という形で演劇を終えて、休憩時間に入ると、低学年の子どもたちが自分の元へやってきた。もちろん知らない子ばかりで、冠城は困惑した。だが、次の言葉彼の夢は確立する。

「お兄ちゃんかっこよかったー!」
「ぼくもあの宝石見つけられる?」
「わたしもほしいー!」

 宝石、というのは、冠城の台詞のなかにあった言葉だ。
たった、本当にたった一つの、その一言を、知らない子どもたちが口にしている。自分をかっこいいと言ってくれている。
冠城の心は決まった。

(絶対、絶対俳優さんになる!) 

 その後、冠城は、演劇部のある中学へ進学した。
コンクールで何度も金賞を取り、全国大会進出を果たしている強豪校だ。中学生ながらにして、生徒も本気だし、顧問も厳しかった。練習も訓練も苦しかったけれど、全てが整って完成したときの嬉しさといったらたまらなかった。
 入りたては黒子やちょっとした役だったが、やがてコンクールで賞をもらったりと頭角を現した冠城は、二年にしてメイン級を任されるようになった。文化祭で行われるものや、外部での活動でも人気が高く、とにかく嬉しかった。
──井の中の蛙。
 それが彼の中での座右の銘となったのは、とある演劇コンクールでの出来事だった。
 コンクールは小さなものから大きなものまで頻繁に行われる。その時参加していたメンバーも、冠城も絶好調だった。全員、今回も金賞だと信じてやまなかった。
 結果は、惨敗。
 金賞ではあった。だが、所謂ダメ金と呼ばれるもので、これを獲得しても次の戦いへは進出出来ない。
その時主役を任されていた冠城はショックを受けていた。それはダメ金を取ったことではなく、他校の生徒に圧倒されてしまったからだ。
 彼もまた、良く耳にする強豪校に身を置いていて、主役をやっていた。その演技は、自分とは遥かにかけ離れたものだった。舞台上で誰よりも輝いて、人を惹きつける。勉強のために色んな映画やドラマを観てきたけれど、こんな素晴らしい演技をする人を、冠城は始めて見た。
 天才だ、と思った。
 息をする間もなく、気が付けば彼らの演目は終わっていた。少し間があってから、拍手が起きる。きっと、会場全員を魅了していたためラグが発生したのだろう。
 天才のいる学校は進出を決めていた。残念だったが、皆、気丈に振る舞っていた。冠城は個人賞を得たし、各々褒め合ったり、改善点などを話し合いながら学校へ戻ろうとしていた。その時、忘れ物に気がついた冠城は、仲間にその旨を伝えて席へと戻った。
 その時だった。
先程、素晴らしい演技をした“天才”が現れた。近くで見ると相当整った顔立ちで、モデルのようだった。冠城は少し緊張しながらも呼び止めて感想を伝えた。
すると、その“彼”は冷たく冠城に言った。

「誰ですか?観客の人?」

 気付けば、学校の、演劇部が使用する教室にいた。ミーティングをやっているらしかった。顧問から、次はこうしよう、でもここはとても良かった、などと講評を貰っているようだ。少し啜り泣く声も聞こえる。その中でも、より一層大きな声で泣き始めた人物に、皆の目が集まる。
 冠城だった。どんな結果でも人並みに喜んだり泣いたりはしてきた。それを皆も見てきている。けれど、今回は何か違う、と感じた仲間たちは急いで近くへ集まってきた。いつも厳しい顧問でさえ、眉をハの字にして少し焦っている。背中を撫ぜたり声をかけたりしても冠城の涙は止まらなかった。
 ようやく泣き止んだ頃、冠城は小さく呟いた。

「俺、もう演技やらない」

──それから、冠城は表舞台に立たなくなった。
 元々、裏方にも興味があった彼は、初心に帰って諸々を勉強した。まさに縁の下の力持ち。裏方あってこその演劇であると改めて感謝した。
 顧問やそのツテで脚本についてのノウハウも学んだ。その中で、一番興味を引いたのが脚本だった。演じはしないが、一番関連性がある、ように思えた。
 結局、完全には離れられなかった。
 最初は原稿用紙一枚、台詞だけのもの、何かしらを少しずつ書いて皆に見せた。講評を貰いながらそれを続け、だんだんと数10分くらいの物語を書けるようになってきた。
 とある時、顧問から「次は冠城の脚本で演らないか?」と言われ、ドキドキしながらも承諾した。自分でキャストを決めて伝えるのも勇気がいったが、皆も喜んで参加してくれた。それは、放課後にお楽しみ会のような形式で行われた。
 正直、客はまばら、アンケートでの評判も良くなかった。頑張ってくれた皆に申し訳なさもあったけれど、それでも冠城は嬉しかった。
 素人の脚本を本気で演じてくれた皆は、最高にかっこよく、輝いていた。
 もっともっと、演じる人間を輝かせたい。きっと、自分が本来進む道はこちらだったのだ。冠城は強くそう感じた。
 そう、思い込むことにした。
──事実、成長した冠城が起ち上げた劇団は外部にも影響を与え、今日に至る。

(……なんてドキュメンタリーでも書くか?)

 と、次の作品を思案していたときに、この思い出が蘇ってきたのだった。
 バカバカしい!と叫んで机の周りを3周してから、再び原稿を打ち込んでいたパソコンへ向かう。
ただいま、次の公演へ向けた作品を練っている最中である。だが、なかなか固まらない。そこまで切羽詰まっているわけでもないし、既存の題材を借りることも出来るが、そろそろかぶらぎ座オリジナルのものが欲しい。

(……かっこいい、か)

 観客たちの拍手、様々な表情、聞こえてくる感想や批評。汗だくになって泣き笑いする団員たち。それらを好ましく思い、愛し、生きる糧にしてきたから、現在の冠城は存在する。その気持ちは本当だ。
 そう、ただ、生きる糧が変わっただけだろう?と自身に問いかける。
 元々、素質なんて無かったのに、勝手に喜んで頑張って、上手く行かなかったから今度はこっちへ、と、どうにかこうにかしがみついているだけだ。だけれど、もしこの足場さえも崩れてしまったら、と考えるとやはり筆を走らせる他無い。とにかく思いついたワードを打ち込んでいく。今はただ、そこから枝が伸びないかと願うばかりだ。
 あの時の、学芸会の子供たちの笑顔がまた過った。

(……ごめんね。あのまま、かっこよくはなれなかったよ)

 ぎり、と歯を食いしばる。 
諦めろ。
お前にはもう、書き続けることしか出来ないのだから。

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