ふっと意識が戻り目を開ける。さっきまでの事が夢じゃないかと思えるが、すぐに現実なのだと誰もいない教室を見回して認識する。
 時計を確認するととても長くウトウトしていた気がするが、二十分くらいしか経っておらず、まだ外も明るかった。
「……本当にどうするかな」
 俺達の関係は複雑に絡まり壊れつつある。それをどうにかするには、一つ一つ丁寧にほどいていく必要があるが、正直それは面倒だ。糸じゃなく人と人の繋がりだ、相当な精神的労力を求められる。それに俺には、関係を修復する理由はほとんどなく、逆にこのまま自然消滅させる方が確かな理由があった。
「ループすれば、無かった事になる」
 何とかしようが、このまま終わらせようが結果は同じ。俺以外が真っさらになりまたやり直しだ。それならば、失ってダメージが少なくなるよう何もせずフェードアウトするのが得策となる。
 そう考えるともう他に選ぶべき選択肢は見当たらなかった。だが、それ以外を探している自分がいて。
「……ここで一人なのも久しぶりだな」
 元々ここを使っていたのは、他人と関わらないようにするためだった。それが花のせいでいつの間にか、彼女達に会うための場所に変化。静かに過ごせる今の状況に違和感を持ってしまうほどだ。俺の中には、この教室に彼女達の思い出がはっきりと生きている。
 俺はスマホを取り出して一つの動画ファイルを開いた。それは天堂さんから貰った俺を中心に撮った日常だ。音楽付きで流れていて、それによって映像で様々な感情を見せている俺達がよりキラキラとしていて。思わず笑み溢れてしまって目が離せなくなる。
「……くそっ」
 ふざけたプレゼントだと思った。だが、これに気付かされてしまう。あのおかしな日々が俺にとって、どれだけかけがえのないものだったか。そしてどれだけ救いになっていたか。それを知覚した瞬間に視界が潤んで歪んでいく。
「もう、戻りたくない」
 だましだましループした世界を生きていたが、もう限界だった。社会に出なくてすむだとか、サッカーをしなくてすむだとか、色々言い聞かせて来たが、繰り返される光景を会話を人間を見せられて、冷静を装っても確実に心は擦り減っていた。
「だから戻したい」
 そんな中で花に出会い光が差した。それに連れて行かれると三葉と天堂さんとも関わるようになって、俺はいつの間にか陽の当たる居場所にいて、そこで生き甲斐を貰っていた。そんな温かさを知って、また全ての人間が機械のように見えてくる凍えた世界を生きるなんて無理だ。手放したくない。
「でも、そうすれば」
 またサッカーと向き合わなくてはならない。何度もループしてまで逃げたそれに。今を守る選択をすれば、今までの努力は水の泡で、女神に負けた事になる。才能に縛られ自由を失ってしまう。
「……っ」
 動画の中には俺だけじゃなく、三人の笑顔があった。そうだ、これは自分だけの問題じゃない。彼女達は、一度しかない人生を生きている人間だ。ゲームのキャラクターでもなければ、機械でもない。皆、ばらばらで悲しい表情を多く見せるようになった。このまま何もせずこの関係を消滅させたら、傷跡を残し苦しませてしまう。
 こんな俺に生きる光をくれた彼女達のために、終わらせるわけにはいかない。
「はぁ……花がこれを知ったら主人公みたいって言いそうだな」
 シークバーが最後に辿り着いて俺はスマホの画面を消した。そして荷物を背負い教室の戸締まりを済ませ、照明をオフにしてドアまで。それから一度振り返り。
「さようなら」
 一人でいた締め切られた教室に別れを告げて、その中から外へと一歩踏み出す。遠くの方から、五時を合図するチャイムが鳴り響いた。



 告白を受けてから三日後。俺はその間に心の準備を含めて様々な事をし、とうとう今日動く事にした。授業はほとんど聞いてなく、それにより体感ではすぐに放課後が訪れた。クラスの孤立も、天堂さんと花ともあまり関われていない事も、三葉とも若干気まずく距離が出来ているのも変化はない。だが、これから俺がそれを動かす。
「ねぇ英人」
 俺は帰り支度を終わらせて三葉の方を見てまだいる事を確認していると、純が近づいてきた。
「何だ?」
「今の状況は、僕にも責任がある。だから、何か罪滅ぼしをしたい」
「必要ないな」
「……ごめん」
 純は苦痛そうに顔を歪める。やはり相当な責任を感じているのだろう。俺を怪我させたあの時と同じように。
「お前が何かをする必要はないんだ。俺がどうにかするからな。オブザーバー、なんだろ?」
「……本当に出来るのかい? 噂も同好会の事も」
「前者はどうでもいいから無視だ。後者の方を何とかする。そうすれば、何もかも片付く……それにサッカーの事もな」
 最後にそう言葉を付け足すと、純は珍しく大きく目を見開いた。それから、今度は安心したように顔がほぐれた。
「わかった……僕は待っているよ。頑張ってね英人」
「ああ」
 幼なじみはそう応援の言葉をかけると、自分の席に戻っていった。
「今がチャンスか」
 もう一人の幼なじみの方は、何か用があったのか教室にいなくなっていた。俺はリュックと大きめの紙袋を持ち、その隙にまだ二人の友達といる花の方に歩みを進める。途中で、近づいている事に花が気づき、それから二人も察知して、花を守るように立ち上がった。宮藤さんと一之瀬さんだ。
 それにただならぬ空気が漂った事で再びクラスの注目の的になる。狙い通りだ。
「し、師匠……」
「今日の五時に同好会の教室に来てくれ、話がある」
「はぁ? あんたみたいなのと話すわけないでしょ。ねぇ花」
「ボ、ボク……は……」
「花ちゃんに近づかないで!」
 姉のような二人は花を守るように立ちふさがる。確かに危うさもあるし気持ちはわかる。
「花が来たくないならそれでいい。来るか来ないかは花の自由だからな。……だが俺は待ってる」
「わかり……ました」
 俺はそれだけ言い残してこの場を後にした。これで花との問題で俺のターンは終わりだ。後は彼女次第となる。
 今度は天堂さんだ。すでに話がしたいから同好会の教室へ来るようメッセージを送っていた。五階に来ると、もう来ているみたいで教室から明かりが漏れている。
「待たせたか?」
「い、いえ。今来たところです」
「……ふっ」
「何で笑うんですか」
 天堂さんはすでにいつもの席に座っていて、俺もまたいつもの席に荷物を置いてから、二人で教卓の辺りで向かい合う。
「いや、十綺くんともそんな恋人的なやり取りをしたなと思ってな」
「と、とうくんと……な、何だか凄い負けた気がします」
 少し悔しそうにしている。そんなところで弟と張り合わないで欲しいのだが。
「それで……話っていうのは」
「告白の返事だ」
「……!」
 途端に天堂さんの顔つきが固くなる。全身に力が入っていて、それはこれから来る衝撃に備えるようで。
 俺はもう一度深呼吸を挟み、この選択肢が、このルートが正しいのだと言い聞かせる。そして唾を飲み込んで喉を潤して口を開けた。もう止められない。
「気持ちは嬉しかった……でも悪いが今はその気持ちには応えられない」
「……っ!」
 答えを聞いて天堂さんは悲しみを帯びた瞳を大きく見開いて、小さく空気を吐いた。
「です……よね。ごめんなさい、変な事言っちゃって。……じゃあ、あたしはもう消えますね」
「待ってくれ」
 俺の横を通って逃げようとした天堂さんの腕を掴む。涙を滲ませた瞳が俺を射抜き、胸が痛んだ。
「……な、んで」
「俺はこのまま終わらせたくない。同好会もお前とも」
「ふ、振ってからそんな事を言わないで……」
「俺は今と言ったんだ。まだ話したい事がある、だから聞いてくれ」
 少しの間膠着状態になるが、ふっと天堂さんの推進力が失われ俺は掴む手を離す。彼女は聞いてくれるようで後ろに下がって、さっきの位置に戻った。
「ありがとう。俺が話したいのは、天堂さんの事だ」
「あ、あたしの……?」
「そうだ。……なぁ、天堂さん。本当は俺と付き合いたくないんじゃないか?」
 瞬間、静まり返る。爆弾的発言に天堂さんは硬直したまま口を開けていた。
 しかしすぐに我に返ると、しどろもどろに言葉を紡いでいく。
「あ、あたしは本当に好きで……。だって、ずっと憧れてて、それに一緒にいて楽しかったし……だから」
 ショックで泣くわけでも怒るわけでもなく、言い訳をするように理由を羅列する。それが答えな気がした。
「お前が好きに思ってくれてるのは伝わってる。だが、その付き合いっていうのは妥協案だ。お前が持つ、俺になりたいという想いを誤魔化すための。俺はそれを知りながら付き合う事は出来ない、お前のためにならないからだ」
「そ、それは……」
 告白ではその気持ちが満たされると言っていたが、そう自分に言い聞かせていただけだろう。自分を騙して続けた先に、幸せはない。
「そんな事を言ったって……ど、どうしようもないじゃないですか! あたしは女で先輩は男で、神童八鬼みたいにはなれないんです!」
「……」
「それが現実なんですよ。だから、折れて妥協する他ないんです……」
 感情を爆発させて涙を引き起こす。床を睨み付けて言葉を跳弾させて俺にぶつけてきた。
 天堂さんの言葉はもっともだ。俺になるというのは夢物語でリアルじゃない。
 だが――
「現実がそうだからって想いを捨てるのか? お前の憧れはその程度なのか?」
「は……意味分かんない……です。だって、無理なものは無理で」
「叶う叶わないの話じゃない。想いを持つか持たないかの話だ。想いを持つ事は、他人だろうが現実だろうが否定出来ない。それが出来るとすれば自分自身くらいだろうな」
 天堂さんは、涙が落ちることもいとわず俺を見上げ続ける。
「無茶苦茶。出来ないってわかってて……そんなの無理」
「不可能って思ってる時点で捨ててるだろ。自分なら出来るって思い込むんだ」
「馬鹿になれって事ですか……知った上で知らないフリをするなんて……簡単じゃない」
「お前なら可能だ。だって、今までそうしてきただろ。現実を知ったのに、俺になろうとしていた」
 壁にぶつかっても、諦める事なく俺に接触して、想いを叶えるよう行動していた。その中に盗撮的なのがあったのは、どうかと思うがそれほど熱があったという証だろう。
「それは……」
「サッカーやりたいんだろ? そのために必要なのが俺になりたいという想いなら、お前の意思次第で再び手に入れられる。だから諦めるな。それに……お前の憧れでいられるよう……俺も頑張る」
「頑張るって……もしかして」
 その言葉に天堂さんの大きな瞳はぱちくりと何度も瞬きをする。驚いたせいか涙は止まっていた。
「ああ。サッカーに復帰する事に決めたんだ」
「じゃあ……またあの八鬼先輩のカッコいいプレーが見られる……」
「すぐにとはいかないがな。少し待たせる」
 多少ボールに触っていたとはいえブランクがある。それを告げるも天堂さんは目を赤くしながらも嬉しそうにしていて。
「でも……楽しみです」
「だから、一緒に頑張らないか? このままだときっと後悔する」
 俺は手を差し出す。彼女はその手と俺の顔を交互に見る。
「あたし……まだ昔みたいに憧れを持ち続けられるほど自分に自信がなくて」
「大丈夫だ。お前には才能があるし、努力出来る能力もある」
「本当……ですか?」
「ああ。一緒に練習した時にも感じたし、一昨日にお前の家に行って昔のプレーを見せてもらったんだ。そこで確信した。俺が保証する」
 何より女神の娘である事が確かな根拠になっていた。
「あ、あはは……憧れの人に褒められて励まされて……こんなに幸せな事、あるんですね」
 また涙が溢れ出すが、それには喜びが含まれていて頬を伝った先には笑顔があった。
「あたし……もう一度なろうと思います、八鬼先輩に」
「ああ。憧れで居続けられるよう頑張るよ。てん――紗奈」
「はい! 英人……師匠!」
 涙を拭った紗奈は俺の手を取る。少しひんやりとしたその手は強く握ってきた。そこには確かな強さと覚悟が込められている。
「なぁ、せっかくだし撮らないか?」
「急にどうしたんです? いつもは嫌がってたのに」
「お前こそいつも喜んでやってただろ。それに、思い出を残すっていうのも良いなと思ってな」
 そう言うと紗奈は手を離して、ポケットからスマホを取り出してカメラを向けた。
「じゃあ、今のあたしの顔は残したくないので、英人師匠だけ映しまーす。ほら、動画ですよー笑顔笑顔」
「お、おう」
「プッ……下手過ぎです」
 吹き出されてしまう。さっきまで真剣だったから表情筋がカチカチだ。
「うるせぇ。もうしない」
「ふふっ、ごめんなさい」
 自分から言っておいてあれだが、普通に恥ずかしい。やっぱりこれは駄目だ。
「そういえばあたし、まだ諦めてませんから」
「え」
「いつか英人師匠を振り向かせるくらいになります。覚悟しててくださいね」
 カメラを回しながらそう宣戦布告してくる。スマホの向こうの紗奈の顔は自信に満ち溢れていた。
「やれるもんならやってみな」
 俺は不敵に笑って紗奈に受けて立つと告げる。それはどこか悪役じみていて我ながら誇らしかった。



 紗奈と和解して一息つくが、まだ問題は片付いていない。
「そろそろだな」
 時計を確認すると三葉と約束した時間を針が指し示していた。紗奈の件が終わってからまだ十分しか経っていないが、すでに意識は切り替え終わっている。俺は教卓に体重を預けて三葉を待った。
「英人……来わよ」
「おう」
 少し緊張を漂わせて三葉が入ってくる。内容については書いていなかったが、察しているのだろう。荷物を近くの机に置いてから、俺の方に怖ず怖ずといった感じで歩み寄ってきた。
「……話って何?」
「告白の返事……ってやつだな」
「……そう」
 それを聞くなり、三葉は自分の体を守るように右腕を左腕の方に回し、二の腕辺りを強く掴んだ。
 何度も人の告白を断るのは抵抗感や罪悪感が伴い逃げたくなるが、その気持ちをぐっとこらえて言葉として出力する。
「単刀直入に言う。今の状態でお前と付き合う事はできない」
「……っ!」
「悪い……でもお前の気持ちは嬉しいんだ」
 そう補足しても与える傷は変わらないのだろう。だがそうするしかなかった。
 それを受けた三葉がどういう反応するか注視するも、下を向いたまま動かなくて。ただ彼女が握る手の力がさらに入り、腕に爪を食い込ませていた。
「嫌……嫌よ」
 それは風が吹けば飛んでしまいそうな儚い声だった。
「三葉――」
「あなたがいなくなったら、私どうすればいいの……? もう私にはあなたしか……いないのに」
 泣くことも気持ちを叫ぶこともせず、迷子になって少女のようにか細く悲しみを呟く。
「一人になりたくない……」
 小さな叫びに心に突き刺さる。その想いは俺と同じで、一人で大丈夫だとうそぶいても奥にいる本当の自分は苦しんでいるんだ。だから、そうならないように今ここに立って三葉と向き合っている。
「一人にするなんて……一言も言ってないだろ」
「英……人。でも、振られた後に今まで通りなんて……」
「確かに振った。だがそれは、お前を好きになれないからとか、他に好きな人がいるからじゃない。言っただろ、今の状態だからだと。俺は、このまま付き合うのはお前のためにならないと判断したんだ」
「私の……ため?」
 ようやく彼女の顔が上がる。彼女のいつもの鋭い瞳は鳴りを潜めて、捨てられた子犬のように弱々しかった。こんな姿は初めて見る。これが三葉の本質なのだろう。
「ああ。今の三葉は、視野が狭くなり俺に依存的で危うい状態だ。もしこのまま受け入れてしまえば、お前はたった一つの場所に拘り限られた世界しか見ようとしなくなる」
「別に……私はそれで良いのよ」
 子供のようにどこか投げやりにそう答えて、それが本心ではすぐわかる。
「言っただろ、小説を書くなら視野は広く持てと。そんなんじゃ良い物語も主人公も書けないぞ」
「私にとっての主人公は英人なの。あなたさえいれば、書きたい理想は書けるわ」
「それはどうかな? 三つ葉のクローバーの魅力を知るには四つ葉のクローバーの魅力を知らなきゃだろ」
「……!」
 このタイミングだと思い、俺はポケットからある物を取り出した。
「それって……」
「お前の真似をしてみてな。意外と集めるの楽しかった。やるよ」
「え……」
 手渡したのはビニール袋に入った三つ葉のクローバー十一本だった。三葉は受け取るため、左腕を掴んでいた右手を離し、両手のひらにそれを乗せる。
「三葉は、色々ショックな事が起きて居場所は一つしかないって思い込んでしまっているみたいだが、世界は広い。大きく辺りを見回せば、例え群れを嫌っていても居場所は見つかる」
「そんなあるわけ……」
「少なくとも一つあるだろ。俺と花と紗奈と三葉の同好会が」
 彼女は不安そうに三つ葉のクローバーを見つめている。手のひらを広げて壊さないよう大切にしながら。
「それに、あいつら一人一人も居場所になる。俺も含めれば合計四つだ。そこまでくれば五つも六つも簡単に増えそうじゃないか?」
「……」
「仮に、色々見た上で最終的に俺だけしかないって結論だったら、それでもいいと思う。広い世界でそこだけが居場所っていうのは素敵だしな。それを認識していれば、依存せずにより大切に出来る。もちろん魅力的な主人公を書くのも同じだ」
 俺は三葉の肩に両手を軽く乗せて、体を少し屈んで目線を合わせる。一瞬ピクリと体を震わせるが、目は離さないで真っ直ぐに俺の瞳を映していた。
「三葉、一緒に四つ葉のクローバーを探そう。そうすれば新たな魅力に出会えて、より三つ葉のクローバーが好きになる。……お前に悲劇のヒロインは似合わない」
「わ、私……は」
 三葉の瞳がキラリと光って、そこから輝きを含んだ水玉がぽつりぽつりと溢れだした。
「一緒に……探す。探すから……その間はずっと……傍にいてね?」
「ああ。もちろん」
 三つ葉のクローバー達をぎゅっと優しく抱きしめながら、俺の胸に頭をコツンと当ててそのまま静かに涙と感情を出していく。
「もし……それでもあなたが一番の居場所だったら……また、聞いてくれる?」
「ああ、もちろんだ」
 それから彼女が気持ちを出し切るまで俺は受け止め続ける。その想いの熱は俺の心へと確かな力を持って伝わっていた。



「もう大丈夫か?」
「え、ええ。落ち着いたわ」
 八分ぐらいだろうか、ようやく流しきったようで俺から離れ、手で涙を拭う。当然、目元は赤くなっていて、連続で女子のそんな顔を見ると、何だか悪い事をしている気分になってくる。まぁ悪役的でいいのだが。
「ええと……その」
「どうした?」
「色々とありがと……気持ちが楽になったわ」
 三葉は両手を後ろに回して、そう素直に言葉にして少し照れくさそうに微笑んだ。ポケットには三つ葉のクローバー袋が顔を覗かせている。
「それに……私の事を凄く考えてくれてて嬉しかった」
「そ、そうか」
 また一勝負が終わり、どんどん冷静になってくるとさっきまでの自分が恥ずかしくなってくる。その上、あの後にどういう日常会話をすべきか距離感もわからなくなっていた。
「私、気がつかない内にあの同好会に救われていたわ。凄く温かくて幸せで……だからまた前みたいに戻りたい。そのためにも、花に謝らないといけないし、紗奈の事も何とかしなきゃね」
「紗奈についてはもう解決した。あいつは大丈夫だ」
「こ、告白をされたのよね。……どう返事したの?」
 恐る恐るといった感じで訪ねてくる。だが俺はすぐにそれに答えず、後方の掃除用具入れを指差した。すると、ひとりでにガタガタと音を立て始めて。
「断られましたよ、英人師匠に」
「さ、紗奈!? ど、どうしてそこに……ってまさか全部聞いて……」
 中から飛び出してきたのは紗奈だった。するとイタズラっぽく笑いながらすぐさま三葉に詰め寄る
「はい、まるっと全て。英人師匠に聞きましたよ、あたしの告白盗み聞きしてたって。だからお返しです」
「あ、あれは偶然というか……事故的なもので……」
「だとしても聞かれたのには変わりません。ハプニングでも駄目です」
 グイグイと迫られて、三葉はタジタジだ。紗奈はそんな彼女のリアクションを楽しんでいるようだった。
「それは……そうね。ごめんなさい……ってあなたもやり返しているのだから、ここまで責められる謂れはないわ」
「あはは……ですよね。ごめんなさい、三葉先輩」
 カラッと笑ってから、紗奈はペコリと頭を下げて謝る。これでこの件も終着した。
「ねぇ英人、これってあなたが仕組んだのよね?」
「まぁそうだな。でもその方がお互い様で終わるし、色々と説明も省けるから効率的なんだよ」
 三葉が来る前に、聞かれていた事を話して遺恨を残さないためにここに隠れていようと提案。紗奈もそれにはとても乗り気でいた。
「その時短のせいで、とても恥ずかしい目に遭っているのだけど」
「悪いとは思ってるが、俺だってそうだ。皆ダメージを受けている、おあいこで終わらせよう」
「……そうね、これ以上蒸し返すのは止めるわ。お互いのために」
 きっと忘れようとしても全員夜寝る時に思い出してしまって、悶えてしまうのだろう。
「いやーそれにしても三葉先輩があんなに想っていたなんてすっごく可愛かったです。それに英人師匠も一生懸命向き合ってて、何か名言っぽい事も言っててカッコよ――」
「おい、もう止めようって言ったよな。それ以上言ったら……わかるだろ?」
「そうよ紗奈。命が惜しければ口を慎む事ね」
 俺は紗奈の右肩を三葉は左肩にポンと手を置いて、耳元でそう命知らずの後輩に教える。
「は、はいぃ……もう言いません。すみません」
「偉いな、それで良いんだ」
「ふふっ賢い後輩は嫌いじゃないわ」
 物分りの良い後輩だったため、俺達は彼女の頭を軽く撫でる。だがすぐに弾かれてしまう。
「あ、あたしは子供じゃないんです」
「その言い方、子供っぽいわよ?」
「な、なぁ! 違いますし、三葉先輩ちょっとイジワルになりましたね」
「あはは、そうかもね」
 互いの恥ずかしい部分を見たからか、少し二人の距離が縮んだ気がする。作戦が功を奏したようだ。それに、仲良くしている二人を眺めていると、関係が戻りつつあると実感してきて、この決断は間違っていなかったと安堵が込み上げてくる。
 だがまだ終わったわけじゃない。
「後は花だけだな……」
「大丈夫なの? 私のせいでより距離が離れちゃったけれど」
「今、やれる事はもうやった。残りは花を信じるだけだ」
 彼女がここに来ることを待つしか方法はなかった。俺のコントロール出来ない部分だから、やはり不安ではある。
「大丈夫ですよ。姉弟子は元に戻りたいって思ってるはずなんで」
「何をするかは知らないけれど、私もそう思うわ」
「だよな」
 確かな根拠はない、だが二人の言葉が大丈夫なのだと支えてくれる。不安はもう掻き消えていた。
「そろそろ五時になりそうだな……」
「それじゃ、あたしはそろそろ行きますね。また同好会で楽しく過ごせるって信じてますから」
「私も、やれる事をしに行ってくるわ。彼女まだ教室にいたし。後は頼んだわよ英人」
「おう、任せろ」
 二人は帰り際にそう言葉をかけてくれる。どちらも前を向いて、憑き物が落ちたスッキリとした顔つきでいた。そして一緒に教室の外へと踏み出して行った