そして翌日俺は約束通り三葉と一緒に下校して彼女の部屋に訪れた。いつも通り中には柑橘系の甘く爽やかな香りに満ちていて、綺麗に片付けられている。
「ふぅ、双葉に出会わなくて良かった」
「でも最近は随分仲良くなってるよな」
「……うっさい」
 今まで遠ざけていたから態度を翻せないのだろう。三葉が最近、一緒に買い物に付き合ったという事を話していた。新しい居場所を得て心に余裕が生まれた効果だろう。
「それで何をするんだ?」
「まずは……昨日の続きをしない?」
 昨日はブロック世界を自由に遊べるオープンワールドゲームを一緒にしていた。家を作ったり冒険をしたりと、やれる事が多くて時間が溶けてしまう。だから俺としてもその続きもしたかったし、彼女がそれをしたいと思うのも理解出来る。ただ、少し違和感もあって、昼の時の誘い方も含めて何か別の目的があるような気がした。
「良いぞ」
「じゃあ準備するわ」
 そこから俺達はしばらくの間そのゲームを遊んだ。それは前回と同様に和気あいあいとした雰囲気で、ちょっかいをかけ合ったり、場面によっては真剣に協力し合ったりと。そして最後に目的のレアアイテムを手に入れてゲームの時間を終えた。
 続いて俺は三葉の小説創作の手伝いをする事に。実際に読んでみて感想を伝えたり、アイデア出しをしてみたりと。これもまた、昨日の続きだった。
「そういえばこの主人公、結構俺だよな」
 ずっと思っていたが三葉の書き始めた物語の主人公は、冷静な性格もサッカーが上手いというのも、言動や好みに関してもそのままで。参考程度という話だったが結構そのままだ。
「駄目だった?」
「いや、気恥ずかしさはあるが、悪くはない。ちゃんと活躍してるしな。主人公的過ぎるのは個人的に好きじゃないが」
 他人に親切で頼り甲斐があり、色々な問題を全力で解決していくような。まさしく王道なキャラだった。
「ふふっそれは良かったわ。……実は小説を書き始めたきっかけがあなただったから」
「俺が?」
「ええ。私、昔から英人がサッカーをして活躍している姿を見ているのが好きだったの。キラキラして輝いて見えたわ」
 俺と同じく床に正座している三葉は穏やかな微笑みを浮かべて俺の方を見つめる。
「でもサッカーから離れてそんな英人が見れなくなって、私の中で大切なものが失われたようなそんな気がしたの。そこで、私はその穴を埋めるような主人公を作ろうと思って小説を書き始めたわ」
「そう、だったのか」
 初耳だった。三葉がそこまでサッカーしている俺を大切に思ってくれていたなんて。純の時と同じだ。
「初めの頃は新鮮で色々な物語と主人公を作れた。けれど、作っても作っても納得出来るものは生まれなかったの。それで、スランプになっていた中で英人と話せるようになって」
「今に繋がるわけか」
「やっぱり埋めるには同じ形じゃないと駄目だったみたい。おかげで筆が進むようになって書くのも楽しくなったわ。本当に……感謝しているの」
 今日はやけに素直に自分の心を明かしてくれる。しかし、俺は彼女の感謝をそのまま受け取れそうになかった。ちょっとマッチポンプな気がして。
「そういう事だから……私にはこれからもあなたが必要で……これが完成したとしても、その先も頼りにしたくて……」
「み、三葉?」
 目の前にいる彼女は、スカートの上に乗せた両手をグーパーとにぎにぎとしながら、頬を高潮させている。
「だから……ええと……。ずっと一緒にいるために……私と……私と」
 熱い眼差しを俺に向けながら、その先の言葉を紡ごうと口を開いた。
 その瞬間、ドアがノックされる。
「お姉ちゃんが来たよー! みっちゃん、開けて欲しいなー!」
「……最……悪」
 生温かい空気感が快活な声で吹き飛ばされる。その余波を受け三葉はがくりと項垂れて力なくそう呟く。それからよろよろと立ち上がりドアの鍵を開けた。
「何の用?」
「私も混ぜて欲しくて。お邪魔しまーす!」
「ちょ、ちょっと!」
 不機嫌さ全開の妹を気にする事なく姉は部屋の中へズンズン入っていき、ベッドに腰掛けた。
「ふかふかだー。それに、みっちゃんの良い香りー」
 双葉さんは何度かベッドの柔らかさを確認すると、ゴロンと横に転がった。それだけじゃなくうつ伏せになるとスンスンと匂いを嗅ぎ出す。
「な、何してるの! 今すぐベッドから出て!」
「あはは、引っ張らないでよー。ごめん、ごめん、久しぶりに入れてもらったからさー」
「許可してないのだけど……というか早く降りて!」
「はーい、しょうがないなぁ」
 姉妹のイチャイチャを見せつけられている。俺は一体どうしていればいいのだろう。とりあえず俺はスマホを開いて、適当にネット記事を読む事にする。それは今後のサッカー界についての展望の事が、書かれていた。
「やっとどいた……それで一体何の用なの?」
 三葉はため息をつきながら勉強机にある椅子に座り、双葉さんもベッドにまた腰掛けた。
「みっちゃん達がよからぬ事をしていないか、姉としては気になるじゃない?」
「よ、よからぬ事って……そ、そんなんじゃないって言ってるでしょ! 私達は普通にゲームとか小説を書いたりしていただけ!」
「ふーん? そうなの、英人くん?」
「はい、そういうのでは一切ないので」
 彼女のため強く否定すると、三葉が少し微妙な顔をしだしてしまう。何でだよ。
「にしても、幼なじみだとしても仲良過ぎるっていうかー。異性の部屋に呼んで二人きりで頻繁に遊ぶのって、中々じゃない? というか客観的に見て、逆にその関係で付き合ってない方がおかしくない?」
「……まぁ、外から見たらそうなりますね」
「え、英人!?」
「だよね! そういう事だから二人は付き合うべき!」
 俺の方に指差して、謎理論の結論を高らかに突きつけてきた。
「別に関係性は色々ありますから」
「超冷静だねー。少しくらい照れてくれてもいいのに。じゃあみっちゃんはどうなの? 本当の本当は好きなんじゃない?」
「私は別に……そういうのとかない……し」
 三葉の方が照れてしまっているのか、否定の声が弱々しかった。
「ふーん、そっかー」
 しかし双葉さんはちょっかいを出す事なく引き下がった。
「まぁ、もし恋人関係になったら同好会にも影響しちゃうもんねー。ほら、少数だしそういうのでぎこちなくなる事あるからね」
「大学のサークルとか、そういう話聞きますけど本当にあるんですか?」
「直に見たわけじゃないけど……そういう話は聞いた事あるよ。あるサークル内で人気の女の子が付き合った訳じゃないけど、同じサークルにいる男の子と噂が出て、そこから崩壊寸前までいったんだっ。ヤバイよね」
「何か楽しそうですね」
 中々な話だがニコニコとしている。
「だから、気をつけてね。もし付き合うこともなくそうなって同好会が壊れたら……また可哀想なみっちゃんに戻っちゃうから」
「……可哀想?」
 穏和な空気が、双葉さんの軽く放った言葉を三葉の冷えた声のオウム返しで一変する。
「親にも愛を注がれなくて、幼なじみとも疎遠になって一人。そして関わろうとするのは私だけ。そんなのとっても可哀想」
「か、勝手に決めつけないで。私は自分をそんな風に思った事なんてないから。それに一人でいるから駄目だなんて思い込みよ」
 さっきまで仲良し空間に入れられたと思えば、今度は剣呑な雰囲気に巻き込まれてしまう。今度も目をそらすためスマホで、目の前で喧嘩が起きたらどうするか検索をかける。どうやら見守るのが良いらしい。俺の経験則からの結論と一緒でそうする事にした。
「それに……完全に私は一人じゃなかったわ。不本意だけど、双葉がいたし」
 語気が穏やかになり、また風向きが変わりそうで、俺は顔を上げた。
「鬱陶しいし、ムカつくし、面倒くさかったけど……嫌じゃなかったというか。多少は好きでいてくれて嬉しかった……わ」
 三葉は髪の毛をくるくると弄り、頬を赤らめながらそう本音を伝える。それを受けた双葉さんの表情はにこやかで変わらない。
「そっかぁ。ふふっそれは良かったよっ。私の努力が実ったみたいで」
 良かった。気まずい空気は通り雨のように過ぎ去ったようだ。
「みっちゃん変わったよね、英人くん達と仲良くなってから。やっと居場所を見つけたからかな」
「……どうかしら」
「もっと素直になる必要はありそうだけど……もう私は必要なさそうかなー」
 少しの間、双葉さんの言葉に引っかかり無言の時間が流れた。
「必要ないって……そんな事は」
「だって、もう可哀想じゃなくなったじゃん? だから今までみたく接する必要ないし」
「……は?」
 とんでもない爆弾発言に、三葉は大きなショックを受けたようで絶句している。
「あ、あんた……私が可哀想だから……優しくしていたってわけ……? 愛しているとか嘘だったの……?」
「当然、愛してたよ? 可哀想だったから。嘘じゃないよっ」
 双葉さん恐ろしく変わらない穏やかな微笑みで肯定する。
「そんなの愛じゃ……ないでしょ……。本気で、言ってるの?」
「もちろん。マジだよ?」
「そう…、もう出ていって」
 そう激情を押し殺した声だった。俯いている三葉は唇を噛み締めて、色々な想いを抑え込むように震えている両手を硬く閉ざしている。
「み、三葉……」
「ごめん英人……今日は……もう帰って。ちょっと、一人になりたいから」
「……わかった」
 俺は急いで帰り支度を済ませてから、双葉さんと一緒に部屋を出る。三葉は床を睨み続けていた。
「はぁ……」
 廊下に出て彼女の部屋から離れると自然とため息が出た。重苦しい酸素を吐き出すと、少し楽になる。
「ごめんねー英人くん。姉妹のいざこざに巻き込んじゃって。びっくりしちゃったよね」
 隣を歩く当事者は、何事もなかったような明るい態度でいた。三葉の事を考えると、少し苛立ってしまう。
「何で……あんな事を言ったんですか。傷つけるってわかるでしょ」
「ちょっと怒ってる? やっぱりみっちゃんの事を少なからず想ってくれてるのかな」
「いや、そういうのじゃ……」
「ふふっ。素直になれないのもお似合いだね」
 こんな事になっていても浮ついた話を続けられ、神経がささくれだってくる。
「そんな君にちょっと話があるんですよ。少し時間あるかな?」
「……まぁ」
 了承して俺は家を出てた玄関先で話す事にした。空は藍色に変わっていて夜に片足突っ込んでいる。気温は寒過ぎず暑過ぎる事もなく、過ごしやすそうだ。
 双葉さんは俺の隣に立つと目の前の道路に顔を向けたまま話し出す。
「この世界ってさ、バランスが重要だと思うんだ」
「……何ですか急に?」
 いきなり世界だとかスケールのデカい話をされて面食らってしまう。また、ふざけているのかと思うが、真面目な顔つきでいて。
「例えばさ、体の健康を考えると痩せ過ぎてたり太り過ぎてたりしたら駄目でしょ? 好きな人に伝える愛も同じく、過剰も良くないし不足もいけない。最近の世の中だとワークライフバランスとかも重視されてるし、生物的にも世間的にも大切にされてるよね」
「まぁ、俺もそれは重要だとは思いますけど」
「それと同じなんだ。みっちゃんは、その性格から末っ子なのに親からあまり愛されずその代わりに私が愛された。でもそれって最悪のバランスでしょ? だから私はうざいくらいあの子に愛情を注いだんだ。そうすれば失われた愛を与えられて、それを奪った私を嫌ってくれる。パーフェクトバランス、最高だよね」
 双葉さんはあまり見たことのない、薄い微笑みを浮かべた。まるで別人のように感じられて、背筋がゾクッとする。
「でも最近は、新しい居場所を見つけて幸せそうにして、人から温もりを貰っている。その上、私にも好意を持ち始めちゃった」
「だから、あんな嫌われるような事を?」
「そそ。もう自立出来る年齢だし、家族の愛の重要性も薄れてる。みっちゃんは大切にしてくれる人の愛を受け取って、そして私を嫌いになれば完璧なんだ」
 正直、とてつもなく衝撃を受けている。ここまで関わるのはループしていた中でも今回だけで、こんな裏の顔があるなんてまるで知らなかった。過去に見ていた双葉さんの印象が大きく変わって、恐怖すら感じてくる。彼女の感情が全て偽物のように見えてきて。
「嫌じゃないんですか。妹に嫌われるって」
「もう十分仲良く出来たからいいかな。その役割は英人くんに任せるよ」
「何で俺なんですか。他にもいるでしょう」
「薄々気づいているでしょ? みっちゃんが君に恋してるって」
 からかうように片目ウィンクをしてくる。俺も鈍感ではない、そういう素振りは見せていた。
「でも、その気持ちに応える義務はないですよ」
「そうかもね。けど、みっちゃんは今、姉という依存対象を失っちゃった。それを埋めるには強い愛が必要なんじゃないないかなー。そのくらいの支えなしなら……壊れちゃうかも」
「自分でやっておいてよく言えますね。それに恋人じゃなくても、その居場所であいつらとついでに俺といる事が支えになるんじゃないですか」
 恋愛関係における一人から向けられる想いは心に強く刺さるが、三人に支えられる友人関係だってそれに負けていないと思う。それに、経験則だが恋情より友情の方が長続きする。特に高校生なら尚更だ。
「でも、その居場所が危ういってみっちゃんが話していたよ」
「それは……」
「君に取れる選択肢は二つ。みっちゃんと恋になるか、居場所を元に戻すか。どっちのルートを選ぶ?」
 双葉さんは二本の指を作り、勝手にルート選択を迫って押し付けてくる。
「別に、それを選ぶ必要とかないですよね」
「もちろんそう。だけどバッドエンド直行だよ? やり直しが出来るなら試すのもありだけど、普通の人生は一回きり。何が最適か慎重に選ばないと、だよっ」
 さっきから世界だとか、ルートだとか、バッドエンドだとか、ゲーム的な用語が何度も飛び出してくる。そういうゲームが好きなのか知らないが、性格も相まって女神がチラついてくる。
「俺は俺の意志で選択します。三葉がどうとか関係ない」
「うんっ、それで良いと思うよ。みっちゃんの事よろしくね英人くん」
「……それじゃ帰るんで」
 まるで俺の行動を見透かしたような、微笑を浮かべる。
 俺はそれに背を向けて暗くなりだした、見慣れた道を歩きだす。一歩一歩確実に、これが自分をコントロールしているのだと確かめるように。