あの日から俺の周囲では微かに存在していた不穏な空気が表に現れだした。まず天堂さんとのサッカー練習はなくなった。活動にも顔を出さなくなり、他の二人はいつも通り来ているのだが同好会のいなくなった天堂さんを気にしてばかりで、もやもやとした空気感で満たされていた。
そしてもう一つは俺のクラスについてだ。元々誕生日以降、まとわりつくような微妙な空気があったが、しばらく過ごす内にその要因の一つを見つけた。それは俺だ。
「……」
昼休みとなり俺は自分の席で食事を取っていた。今まではいたずの近くには人がいなくて、ほとんどが距離を取った位置取りをしている。花が仲良くしている友人達も同様で、一緒に食べている彼女も必然的に離れた場所にいた。変わらないのは三葉だけだろうか。
「……っ」
花と目が合う。何か言いたげだが人間関係があるからか身動きが取れないようだった。
どうやら俺に対して変な噂が流れ出したらしい。俺も否定をしないせいもあるが、それが引き金となり、クラスで浮いた存在になった。それがはっきりわかると、クラスにて花と関わることが激減。同好会でも若干気まずい状況にある。
「英人、一緒に食べない?」
「おう」
サンドイッチを持った三葉は、隣の子の席を使用して隣に座ってくる。
「……」
そんな様子遠巻きで花ともう一人純が見ていた。最近、やけにあいつからの視線を感じるようになって、目が合うと気まずそうにそらされる。
「……随分嫌われたわね」
「不思議だな、何もしてないのに」
「ねぇ、余裕そうにしてるけど本当に大丈夫なの? 変な噂も流れ続けているし」
「俺としては、周囲に人がいなくなって快適に過ごせて良いんだがな」
元々、人との距離を取ろうとしていたから好都合だ。何かされているという訳ではないし、露骨な無視もまだない。
「……そんな軽口が出るなら、まだ問題はなさそうね」
呆れたような、それでいて安堵したようなため息をついた。
「けれど、否定しておいた方がいいと思うわ。あんなの嘘だし」
「俺はその噂とやらを知らないんだが」
関係性が希薄なため、クラス内で共有されている正確な情報は入っていない。
「ええとね……中学時代に暴力事件を起こしたとか言われているわ。そのせいで足を怪我して天才だったのにサッカー界から消えたとか。それにさらに尾ひれがついたようなのもあったわね、軽犯罪を起こしたとか元不良だとか」
「へー。やっぱ周知されたのは少なからず真実が混じってるからなんだな」
真っ赤な嘘だとすぐに存在が無くなるだろうが、本当という基盤の上にそれを乗せれば形となり残り続ける。
そういえば、ループしていた中でもそういう噂で孤立していた奴がいたな。半年も経てば忘れ去られて、そいつも少なからず友人を作って健全な学校生活を送っていた。
「まぁ、黙ってれば時間が解決するだろ」
「でも、突然出てきたし、あんまりな嘘でしょう? 私から見ると悪意があるように感じるわ」
「恨まれるような事は……花か」
「そうね。彼女はあんな感じだけれど、可愛らしいし、クラスでは男女問わず好かれている。そんな子と陰な感じのあなたと仲良くしてる。悪意を持たれてもおかしくない状況ね」
恋愛絡みは結構面倒な事が多い。四回目のループで、一人の女の子をある男子と全力で取り合った事がある。最終的に公園で殴り合いの喧嘩をして、それを女の子に見られどちらも振られ、結果そいつと仲良くなったという経験があった。そのくらい恋愛絡みは面倒だ。
「花もそれを察知してクラスで距離を取ってるのか」
「多分ね。あの子も友達に噂の話になるとやんわり否定していたわ。まぁ、私としては、空気の読めない主人公みたいに噂を否定しようと波風立てるのを期待していたのだけど」
「そんなの期待すんな。平穏が一番だ」
俺としても何か行動するのではないかと警戒をしていたのだが、特に行動は起こしていなかった。
「……もしかして噂を流した張本人だったりして」
「それは! ……ないだろ」
ボソリと三葉のその言葉に脳が痺れて少し声が大きくなってしまい、すぐに抑えた。
「ちょっと言ってみただけよ。けれど、元凶はあなたの過去を知っている。英人は過去を吹聴する趣味はないだろうし、だったら犯人は結構限られてくるわ。もちろん私じゃない、証拠はないけれど」
「必ずしもそうとは限らないだろ。俺の情報は多少ネットに転がってるし、俺の中学にいた奴なら知っている。どこから流れたかなんて確定出来ねぇよ」
「それも……そうね」
「まだまだだな。小説を書くならもっと視野を広く持たないとな、三葉先生」
冗談めかしてそう煽ると軽く小突かれる。しかし、彼女の表情は和らいでいなくて。
「私は……心配なの。それに、英人の事を悪く言われると腹が立つのよ。殴って黙らせたいくらい」
「怖っ」
氷のような冷たく鋭い瞳がこちらに向けられる。それで彼女の強い怒りが伝わってきたと同時に嬉しくもあった。
「でもありがとな、心配してくれて。だが俺は、このままで立ち消えるの待とうと思う」
「……わかったわ。あなたがそう言うならしょうがないわね。それに花も同じ気持ちだろうし」
三葉はちらりと花に目をやる。どうやら三葉の暴走は花が動かなければ起きそうになさそうだ。念の為、同好会の時に花に釘を刺しておこう。
「この拳は開いて小説に活かすわ。ただし、本当に駄目なら頼りなさいよ。その……幼なじみなんだし」
後ろの髪を弄りながらも三葉は優しい言葉をかけてくれる。恥ずかしそうにしていて少し嗜虐心がくすぐられるが抑えた。
「って、あんまり箸進んでないけど大丈夫なの?」
「あ、やべ」
会話に夢中になって弁当がほとんど減っていなかった。
「喉詰まらせないでよ」
「わかってる」
そこに注意しながら中身をかきこんでいく。口の中へでは様々な味覚が踊り刺激してくる。だが、それらの味はほとんど認識出来なく、俺はただ栄養と満腹感だけを摂取した。
※
放課後となり同好会の教室へ行くとすでに花がいて、俺は少し離れた席に着く。天堂さんがいなくなった事で、ここ最近の花はずっと暗く、一番の賑やかしが萎れているため教室は静まり返っている。開いた窓の向こうから色んな部活の音が聞こえて、教室内は互いの出す物音だけで。まるで閉め切って埃だらけになったような居心地の悪さがあった。だが、俺はこの場に居続けていた。何かが蝕まれていると知りながら。
少しすると三葉もやってきて、いつもいた天堂さんの席をチラッと見てから、席に座って小説を書き始めた。もちろん三葉も会話をするタイプではなく、液晶を叩く音が増えただけで雰囲気に変わりはなかった。
「師匠……紗奈ちゃん、もう来てくれないんでしょうか。会いに行っても断られてしまって、連絡も返事はこないですし」
花は悲痛な面持ちで、天堂さんがいるはずの机を見つめる。
「そんなに気にしなくてもいつかは来るだろ。元々強制参加じゃないし、俺だってたまにだが、面倒な時は休んでたしな」
「そう、だといいんですけど……」
今までとは明らかな違う状況を感じ取っているからか浮かない顔をしている。
「何か理由を見つけたら来るって言っていたし。主人公なら仲間を信じなきゃ……だろ?」
「……はい」
主人公を出しとけば元気が出ると思ったが、今回はそう簡単にはいかないみたいだ。
ただ、悩んでいるから、暗い表情なのは当然なのだが、どこかいつもの花とズレを感じていた。
「そんなに不安なのか?」
「もちろん不安です。でも、それだけじゃなくて師匠の事もあって……」
花は次に俺を見上げる。怯えた子供のような弱々しい目だった。主人公を目指していた女の子とはまるで別人だ。
「俺は問題ない。なんなら一人になりやすくて好都合ですらあるからな」
「ごめんなさい力になれなくて。ボク、何も出来ていません」
「いや、そっち方がありがたい。俺としては大事にせず、自然に消えるのを待とうと考えてるからな」
「本当にそれで……ボクは何もしなくて良いんですか?」
「ああ。三葉にも言ったんだが、その必要はない」
俺の知っている花なら諦めずまだ反論してくるはずだった。しかし、彼女は力を抜くような息を吐いただけで。
「分かりました。大人しくしておきます」
「お、おう」
素直に受け入れられると、やはり気持ち悪さがあった。何かムズムズするような違和感も同居してもいて。
「それじゃ、気を取り直して活動を始めちゃいましょう」
「だな」
答えの見えない道の模索は取りやめにして、活動を開始する。
「……」
「……」
そこからは無言のまま、花は最近読み始めた小説に目を落として、俺は特にやる事もないので『メタルマスクグライダー』について語っているまとめサイトを見た。
「……うん?」
少ししてから、スマホに十綺くんからメッセージが送られてきた。そこには、今から話したいからいつもの公園に来て欲しいと書かれている。恐らくだが姉の事だろう。
「……俺、帰るわ」
「もう……ですか?」
「用事が出来たんでな」
今、この場にいる理由は特に無かった。ちょうど良いと思い、リュックを背負い帰り支度を始める。
「それじゃ先に。じゃあな」
「ええ、お疲れ様」
「また……明日です」
花は何か訴えかけるような視線を送ってくるが背を向けて歩きだす。それは教室を出るまで注がれ続けたが、ドアを閉めるため、振り返った時、じっととこちらを見ている三葉と目があって、最後までそれは続いた。
薄暗い廊下に出るもふっと力が抜けて、高校を出て俺は公園に向かった。
「待たせたか?」
「い、いえ……今来たところです」
到着するともう十綺くんはすでにいて、そんな恋人チックなセリフを交わした。彼は黒の半袖シャツと藍色の短パンに帽子を被っている。小学生らしい服装だ。
「あっちのベンチで話すか」
「はい」
俺達は公園の入口付近にあるクリーム色の綺麗なベンチに座る。十綺くんは俺の左隣に人半人分くらいの間隔で座った。すぐに本題とはいかず、十綺くんは何か考えているのかしばらく無言のままで。その間、俺は離れたところにいるボールを蹴り合っている小学生を見ていた。そういう光景は、ついつい昔の事を思い出させてきて郷愁感を浴びせられる。
「そういえば、まだアドバイスをしてなかったな」
「え」
「時々ボールを持ち過ぎている部分があった。上手いからその選択もありだが、味方を信頼してパスを出しリズムを作っていくのも大切だと思う」
「……ちょっと、意識してみます」
急なアドバイスだから最初は困惑気味だったが、最後には俺の言葉を咀嚼して軽く頷いた。
「ま、それに繋げる訳じゃないんだが、遠慮せず俺にパスを出せ」
あまり俺らしくなく、その言葉を言う自分に少し気持ち悪さを感じてしまう。もし花がいたら主人公っぽいと言われるな。
「話したいのは、お姉ちゃんの事で……」
意味があったようでそう切り出してくれて、十綺くんはトツトツと話し始めた。
「あの試合からお姉ちゃん、ずっと暗くて。同好会にも行ってないみたいだし。どうしてなのかなって。もしかして僕が失望させたのかなって」
本当は真逆なのだ。才能があり過ぎたせいで彼女は苦しんでいる。しかし、それをそのまま伝えるのはあまりに残酷で彼も深く苦しめてしまう。
「十綺くんのせいじゃない。あいつは、あいつ自身と戦ってるんだ。色々悩んでいるみたいでな。今は、一人にしておいた方が良いんだ」
「でも僕、このまま何もしないとずっとおんなじままなんじゃないかって思ってて」
「それは……」
否定は出来なかった。
「だから、八鬼選手ならお姉ちゃんを元の通りにしてくれるんじゃないかって。だってお姉ちゃん、八鬼選手が大好きだから」
そして俺の目をまっすぐ見据えて。
「お願いします、お姉ちゃんを助けて八鬼選手」
「わかった。その時が来たら、全力で助ける。まずはあいつ自身の動き次第だけどな」
十綺くんに言われずともそうするつもりだったが、よりやらなくてはならなくなった。
「ありがとうございます! またお姉ちゃんが戻ったらサッカー……やりましょうね」
「おう」
そう約束をする。十綺くんはさながらヒーローを得たように安堵の笑みを浮かべている。やっぱり俺には悪役は似合わないのだろうか。目の前の男の子の見る目がそれを証明しているような気がした。
地面は夕日に照らされて静かな夜へと変わろうとしているが、公園にいる子供達は門限までラストスパートをかけるように、元気な声を響かせていた。
※
「ふぅ……」
十綺くんは家に帰ったが、俺はまだベンチに座ってぼーっとしていた。最近は天堂さん絡みで人の心に踏み込むという、しばらく避けていたものと向き合っていて疲れてしまっていた。
「……」
「随分と頑張るのね」
「み、三葉!?」
意識がぼやっとしていたせいで後ろの方から聞こえていた足音に気づくのに遅れた。
固まっている俺に構わず、三葉は俺の隣に座ってきて、人一人分の距離に詰めてきた。
「どうして」
「あなたの様子が少し違って気になったからついてきたのよ」
「やっぱ、ストーカー……」
「ち、違うからっ! 心配だったというか、とにかく変なあれはないのよ!」
そう軽口を叩いてはいるが、内心、どこまで聞かれていたのかという疑問が渦巻いていた。
「どこから聞いてた?」
「いえ……途中で見失ったから最後の方だけ。弟のために紗奈を助けるんでしょ? ヒーローさん」
「それやめろ」
そうからかってくるが、三葉の表情は真剣なままで。
「ねぇ……弟の頼みとはいえ、どうしてそこまでするのかしら? あなたが優しいのはわかるんだけど……もしかしてそれ以上の何かあるんじゃないの?」
ぐいっとスカートが触れそうなくらいにこっちへ寄ってくる。三葉の鋭い瞳は俺を真っ直ぐ捉えて、離さない。
「それ以上って……」
「英人……あの子の事好きなんでしょ」
「は、はぁ? そういうのじゃない。あいつの弟に頼まれたから仕方なくだな……」
三葉は口をムッとさせて疑わしいと言わんばかの目を向けてくる。
「だとしても、そこまでする? 英人がそういうタイプなのはわかるんだけど。やっぱ好きなんじゃないの?」
「んなわけあるか! というか離れろ」
そう否定しても、離れてはくれたが怪しいと口にしてまるで信じてくれない。こいつ、こんな面倒な奴ではなかったはずだが。
「……ねぇ、明日の放課後時間あるかしら? 家に来て欲しいんだけど」
「あるが……急になんだよ。というか昨日も遊んだだろ」
三葉の家で、いつも通り一緒にゲームをしたり、小説の手伝いをしたりしていた。連日遊びに行くというのはほとんどなかった。
「そんなのはいいでしょ。じゃ、明日は同好会に行かず一緒に帰るからね」
「お、おい三葉」
「そういう事だから」
俺の意思は関係ないと言わんばかりに三葉はさっさと公園から出ていってしまう。その足取りは心なしか弾んでいるようだった。
対して俺はどんよりとしていて、再び空を見ると、気持ちに呼応するように向こうから大量の雲が押し寄せてきていた。
それに対して舌打ちして俺も家へと帰った。
そしてもう一つは俺のクラスについてだ。元々誕生日以降、まとわりつくような微妙な空気があったが、しばらく過ごす内にその要因の一つを見つけた。それは俺だ。
「……」
昼休みとなり俺は自分の席で食事を取っていた。今まではいたずの近くには人がいなくて、ほとんどが距離を取った位置取りをしている。花が仲良くしている友人達も同様で、一緒に食べている彼女も必然的に離れた場所にいた。変わらないのは三葉だけだろうか。
「……っ」
花と目が合う。何か言いたげだが人間関係があるからか身動きが取れないようだった。
どうやら俺に対して変な噂が流れ出したらしい。俺も否定をしないせいもあるが、それが引き金となり、クラスで浮いた存在になった。それがはっきりわかると、クラスにて花と関わることが激減。同好会でも若干気まずい状況にある。
「英人、一緒に食べない?」
「おう」
サンドイッチを持った三葉は、隣の子の席を使用して隣に座ってくる。
「……」
そんな様子遠巻きで花ともう一人純が見ていた。最近、やけにあいつからの視線を感じるようになって、目が合うと気まずそうにそらされる。
「……随分嫌われたわね」
「不思議だな、何もしてないのに」
「ねぇ、余裕そうにしてるけど本当に大丈夫なの? 変な噂も流れ続けているし」
「俺としては、周囲に人がいなくなって快適に過ごせて良いんだがな」
元々、人との距離を取ろうとしていたから好都合だ。何かされているという訳ではないし、露骨な無視もまだない。
「……そんな軽口が出るなら、まだ問題はなさそうね」
呆れたような、それでいて安堵したようなため息をついた。
「けれど、否定しておいた方がいいと思うわ。あんなの嘘だし」
「俺はその噂とやらを知らないんだが」
関係性が希薄なため、クラス内で共有されている正確な情報は入っていない。
「ええとね……中学時代に暴力事件を起こしたとか言われているわ。そのせいで足を怪我して天才だったのにサッカー界から消えたとか。それにさらに尾ひれがついたようなのもあったわね、軽犯罪を起こしたとか元不良だとか」
「へー。やっぱ周知されたのは少なからず真実が混じってるからなんだな」
真っ赤な嘘だとすぐに存在が無くなるだろうが、本当という基盤の上にそれを乗せれば形となり残り続ける。
そういえば、ループしていた中でもそういう噂で孤立していた奴がいたな。半年も経てば忘れ去られて、そいつも少なからず友人を作って健全な学校生活を送っていた。
「まぁ、黙ってれば時間が解決するだろ」
「でも、突然出てきたし、あんまりな嘘でしょう? 私から見ると悪意があるように感じるわ」
「恨まれるような事は……花か」
「そうね。彼女はあんな感じだけれど、可愛らしいし、クラスでは男女問わず好かれている。そんな子と陰な感じのあなたと仲良くしてる。悪意を持たれてもおかしくない状況ね」
恋愛絡みは結構面倒な事が多い。四回目のループで、一人の女の子をある男子と全力で取り合った事がある。最終的に公園で殴り合いの喧嘩をして、それを女の子に見られどちらも振られ、結果そいつと仲良くなったという経験があった。そのくらい恋愛絡みは面倒だ。
「花もそれを察知してクラスで距離を取ってるのか」
「多分ね。あの子も友達に噂の話になるとやんわり否定していたわ。まぁ、私としては、空気の読めない主人公みたいに噂を否定しようと波風立てるのを期待していたのだけど」
「そんなの期待すんな。平穏が一番だ」
俺としても何か行動するのではないかと警戒をしていたのだが、特に行動は起こしていなかった。
「……もしかして噂を流した張本人だったりして」
「それは! ……ないだろ」
ボソリと三葉のその言葉に脳が痺れて少し声が大きくなってしまい、すぐに抑えた。
「ちょっと言ってみただけよ。けれど、元凶はあなたの過去を知っている。英人は過去を吹聴する趣味はないだろうし、だったら犯人は結構限られてくるわ。もちろん私じゃない、証拠はないけれど」
「必ずしもそうとは限らないだろ。俺の情報は多少ネットに転がってるし、俺の中学にいた奴なら知っている。どこから流れたかなんて確定出来ねぇよ」
「それも……そうね」
「まだまだだな。小説を書くならもっと視野を広く持たないとな、三葉先生」
冗談めかしてそう煽ると軽く小突かれる。しかし、彼女の表情は和らいでいなくて。
「私は……心配なの。それに、英人の事を悪く言われると腹が立つのよ。殴って黙らせたいくらい」
「怖っ」
氷のような冷たく鋭い瞳がこちらに向けられる。それで彼女の強い怒りが伝わってきたと同時に嬉しくもあった。
「でもありがとな、心配してくれて。だが俺は、このままで立ち消えるの待とうと思う」
「……わかったわ。あなたがそう言うならしょうがないわね。それに花も同じ気持ちだろうし」
三葉はちらりと花に目をやる。どうやら三葉の暴走は花が動かなければ起きそうになさそうだ。念の為、同好会の時に花に釘を刺しておこう。
「この拳は開いて小説に活かすわ。ただし、本当に駄目なら頼りなさいよ。その……幼なじみなんだし」
後ろの髪を弄りながらも三葉は優しい言葉をかけてくれる。恥ずかしそうにしていて少し嗜虐心がくすぐられるが抑えた。
「って、あんまり箸進んでないけど大丈夫なの?」
「あ、やべ」
会話に夢中になって弁当がほとんど減っていなかった。
「喉詰まらせないでよ」
「わかってる」
そこに注意しながら中身をかきこんでいく。口の中へでは様々な味覚が踊り刺激してくる。だが、それらの味はほとんど認識出来なく、俺はただ栄養と満腹感だけを摂取した。
※
放課後となり同好会の教室へ行くとすでに花がいて、俺は少し離れた席に着く。天堂さんがいなくなった事で、ここ最近の花はずっと暗く、一番の賑やかしが萎れているため教室は静まり返っている。開いた窓の向こうから色んな部活の音が聞こえて、教室内は互いの出す物音だけで。まるで閉め切って埃だらけになったような居心地の悪さがあった。だが、俺はこの場に居続けていた。何かが蝕まれていると知りながら。
少しすると三葉もやってきて、いつもいた天堂さんの席をチラッと見てから、席に座って小説を書き始めた。もちろん三葉も会話をするタイプではなく、液晶を叩く音が増えただけで雰囲気に変わりはなかった。
「師匠……紗奈ちゃん、もう来てくれないんでしょうか。会いに行っても断られてしまって、連絡も返事はこないですし」
花は悲痛な面持ちで、天堂さんがいるはずの机を見つめる。
「そんなに気にしなくてもいつかは来るだろ。元々強制参加じゃないし、俺だってたまにだが、面倒な時は休んでたしな」
「そう、だといいんですけど……」
今までとは明らかな違う状況を感じ取っているからか浮かない顔をしている。
「何か理由を見つけたら来るって言っていたし。主人公なら仲間を信じなきゃ……だろ?」
「……はい」
主人公を出しとけば元気が出ると思ったが、今回はそう簡単にはいかないみたいだ。
ただ、悩んでいるから、暗い表情なのは当然なのだが、どこかいつもの花とズレを感じていた。
「そんなに不安なのか?」
「もちろん不安です。でも、それだけじゃなくて師匠の事もあって……」
花は次に俺を見上げる。怯えた子供のような弱々しい目だった。主人公を目指していた女の子とはまるで別人だ。
「俺は問題ない。なんなら一人になりやすくて好都合ですらあるからな」
「ごめんなさい力になれなくて。ボク、何も出来ていません」
「いや、そっち方がありがたい。俺としては大事にせず、自然に消えるのを待とうと考えてるからな」
「本当にそれで……ボクは何もしなくて良いんですか?」
「ああ。三葉にも言ったんだが、その必要はない」
俺の知っている花なら諦めずまだ反論してくるはずだった。しかし、彼女は力を抜くような息を吐いただけで。
「分かりました。大人しくしておきます」
「お、おう」
素直に受け入れられると、やはり気持ち悪さがあった。何かムズムズするような違和感も同居してもいて。
「それじゃ、気を取り直して活動を始めちゃいましょう」
「だな」
答えの見えない道の模索は取りやめにして、活動を開始する。
「……」
「……」
そこからは無言のまま、花は最近読み始めた小説に目を落として、俺は特にやる事もないので『メタルマスクグライダー』について語っているまとめサイトを見た。
「……うん?」
少ししてから、スマホに十綺くんからメッセージが送られてきた。そこには、今から話したいからいつもの公園に来て欲しいと書かれている。恐らくだが姉の事だろう。
「……俺、帰るわ」
「もう……ですか?」
「用事が出来たんでな」
今、この場にいる理由は特に無かった。ちょうど良いと思い、リュックを背負い帰り支度を始める。
「それじゃ先に。じゃあな」
「ええ、お疲れ様」
「また……明日です」
花は何か訴えかけるような視線を送ってくるが背を向けて歩きだす。それは教室を出るまで注がれ続けたが、ドアを閉めるため、振り返った時、じっととこちらを見ている三葉と目があって、最後までそれは続いた。
薄暗い廊下に出るもふっと力が抜けて、高校を出て俺は公園に向かった。
「待たせたか?」
「い、いえ……今来たところです」
到着するともう十綺くんはすでにいて、そんな恋人チックなセリフを交わした。彼は黒の半袖シャツと藍色の短パンに帽子を被っている。小学生らしい服装だ。
「あっちのベンチで話すか」
「はい」
俺達は公園の入口付近にあるクリーム色の綺麗なベンチに座る。十綺くんは俺の左隣に人半人分くらいの間隔で座った。すぐに本題とはいかず、十綺くんは何か考えているのかしばらく無言のままで。その間、俺は離れたところにいるボールを蹴り合っている小学生を見ていた。そういう光景は、ついつい昔の事を思い出させてきて郷愁感を浴びせられる。
「そういえば、まだアドバイスをしてなかったな」
「え」
「時々ボールを持ち過ぎている部分があった。上手いからその選択もありだが、味方を信頼してパスを出しリズムを作っていくのも大切だと思う」
「……ちょっと、意識してみます」
急なアドバイスだから最初は困惑気味だったが、最後には俺の言葉を咀嚼して軽く頷いた。
「ま、それに繋げる訳じゃないんだが、遠慮せず俺にパスを出せ」
あまり俺らしくなく、その言葉を言う自分に少し気持ち悪さを感じてしまう。もし花がいたら主人公っぽいと言われるな。
「話したいのは、お姉ちゃんの事で……」
意味があったようでそう切り出してくれて、十綺くんはトツトツと話し始めた。
「あの試合からお姉ちゃん、ずっと暗くて。同好会にも行ってないみたいだし。どうしてなのかなって。もしかして僕が失望させたのかなって」
本当は真逆なのだ。才能があり過ぎたせいで彼女は苦しんでいる。しかし、それをそのまま伝えるのはあまりに残酷で彼も深く苦しめてしまう。
「十綺くんのせいじゃない。あいつは、あいつ自身と戦ってるんだ。色々悩んでいるみたいでな。今は、一人にしておいた方が良いんだ」
「でも僕、このまま何もしないとずっとおんなじままなんじゃないかって思ってて」
「それは……」
否定は出来なかった。
「だから、八鬼選手ならお姉ちゃんを元の通りにしてくれるんじゃないかって。だってお姉ちゃん、八鬼選手が大好きだから」
そして俺の目をまっすぐ見据えて。
「お願いします、お姉ちゃんを助けて八鬼選手」
「わかった。その時が来たら、全力で助ける。まずはあいつ自身の動き次第だけどな」
十綺くんに言われずともそうするつもりだったが、よりやらなくてはならなくなった。
「ありがとうございます! またお姉ちゃんが戻ったらサッカー……やりましょうね」
「おう」
そう約束をする。十綺くんはさながらヒーローを得たように安堵の笑みを浮かべている。やっぱり俺には悪役は似合わないのだろうか。目の前の男の子の見る目がそれを証明しているような気がした。
地面は夕日に照らされて静かな夜へと変わろうとしているが、公園にいる子供達は門限までラストスパートをかけるように、元気な声を響かせていた。
※
「ふぅ……」
十綺くんは家に帰ったが、俺はまだベンチに座ってぼーっとしていた。最近は天堂さん絡みで人の心に踏み込むという、しばらく避けていたものと向き合っていて疲れてしまっていた。
「……」
「随分と頑張るのね」
「み、三葉!?」
意識がぼやっとしていたせいで後ろの方から聞こえていた足音に気づくのに遅れた。
固まっている俺に構わず、三葉は俺の隣に座ってきて、人一人分の距離に詰めてきた。
「どうして」
「あなたの様子が少し違って気になったからついてきたのよ」
「やっぱ、ストーカー……」
「ち、違うからっ! 心配だったというか、とにかく変なあれはないのよ!」
そう軽口を叩いてはいるが、内心、どこまで聞かれていたのかという疑問が渦巻いていた。
「どこから聞いてた?」
「いえ……途中で見失ったから最後の方だけ。弟のために紗奈を助けるんでしょ? ヒーローさん」
「それやめろ」
そうからかってくるが、三葉の表情は真剣なままで。
「ねぇ……弟の頼みとはいえ、どうしてそこまでするのかしら? あなたが優しいのはわかるんだけど……もしかしてそれ以上の何かあるんじゃないの?」
ぐいっとスカートが触れそうなくらいにこっちへ寄ってくる。三葉の鋭い瞳は俺を真っ直ぐ捉えて、離さない。
「それ以上って……」
「英人……あの子の事好きなんでしょ」
「は、はぁ? そういうのじゃない。あいつの弟に頼まれたから仕方なくだな……」
三葉は口をムッとさせて疑わしいと言わんばかの目を向けてくる。
「だとしても、そこまでする? 英人がそういうタイプなのはわかるんだけど。やっぱ好きなんじゃないの?」
「んなわけあるか! というか離れろ」
そう否定しても、離れてはくれたが怪しいと口にしてまるで信じてくれない。こいつ、こんな面倒な奴ではなかったはずだが。
「……ねぇ、明日の放課後時間あるかしら? 家に来て欲しいんだけど」
「あるが……急になんだよ。というか昨日も遊んだだろ」
三葉の家で、いつも通り一緒にゲームをしたり、小説の手伝いをしたりしていた。連日遊びに行くというのはほとんどなかった。
「そんなのはいいでしょ。じゃ、明日は同好会に行かず一緒に帰るからね」
「お、おい三葉」
「そういう事だから」
俺の意思は関係ないと言わんばかりに三葉はさっさと公園から出ていってしまう。その足取りは心なしか弾んでいるようだった。
対して俺はどんよりとしていて、再び空を見ると、気持ちに呼応するように向こうから大量の雲が押し寄せてきていた。
それに対して舌打ちして俺も家へと帰った。



