八月末、夏休みが終わる頃、神戸でコンクールが開かれた。
 場所は五百人ほど集客可能な、中型のホール。それほど華やかさはないけど、そこそこ有名なピアニストもリサイタルなどをやっている。
 出場者は大阪や神戸、明石や京都とか、関西出身、もしくは在住の人間だけに絞った、地元密着型のコンクールや。
 五名ほどいる審査員は、音楽関係者から市の職員もいるらしい。
 彼らの前にある舞台の上、中央に堂々と置かれた漆黒のグランドピアノ。そこで出場者たちが順番に演奏していく。
 どんなコンクールの前でも、俺はいつも緊張していた。いや、コンクールじゃなくても、学校の音楽会の時やって、誰かの前で演奏する時は、いつも緊張感を持っていた。
 それやのに、今はただぼうっとしているだけで、まだ夢の中におるみたいや。
 良い結果が出せる期待、押し潰されそうな不安にも勝る、なにかに突き動かされるような高揚感。そんなワクワクとドキドキは、すっかりなりを潜めている。
 控え室の椅子に座った俺の周りには、他の出場者たちがせっせと楽譜を見たり、目を閉じて指を動かしたり、イヤホンで音楽を聴いたりしている。みんな自分の出番が来るまで、各自のやり方で集中してるんやろう。
 こんな時は決まって、自分より周りにいる奴らがものすごくピアノが上手く見えたもんや。
 それで、どうか俺より上手くありませんようにって、なんなら失敗してくれとか、心のどこかで思ったりした。
 けど……今は、そんな後ろ暗い感情すら懐かしく感じる。
 エントリー番号を呼ばれて立ち上がる。コンクールの時にお決まりのブラックスーツ。その上着を整えるのも忘れて、俺は楽譜を片手に控え室を出た。