話を逸らすなよ。最近、俺の頭は腐ってきてる気がする。変な方向にばっかり働いて……こんなんじゃとてもピアノなんか弾けるはずがない。
 今コンクールなんかに出たら、きっと赤っ恥かいて――。
 そう思った瞬間、俺の鈍い思考の中で、ふとあることが閃いた。

「……出る」
「え?」
「参加する、予定通り」

 予想外の台詞やったんやろう。母さんは丸くした目で俺を見た。
 それから、ええ、でも、ほんとに? って、少し焦ったように聞き返してくる。
 こんな状態で出たら、最悪の結果になることは目に見えてるのに、なんでって思ってるんやろう。だけど、いや、だからこそ、出る必要があるのに。
 それ以降、なにも答えなくなった俺に、母さんはなにを言っても無駄やと思ったのか、声を出すのをやめて、静かに頷いた。
 母さんが踵を返して部屋の前を去ると、俺はそっとドアを閉めた。
 朝から閉じたままの水色のカーテン。その隙間から差し込む茜色の光が、アップライトピアノを微かに照らす。
 小さい頃からずっと、あんなに毎日練習してたのに、今は嘘のようにピアノが遠く感じる。
 俺はピアノの椅子に座ると、鍵盤の蓋に指先で触れた。
 あいつの顔が浮かぶ。俺の部屋で、俺のピアノを弾くあいつの姿。いや……途中からちゃんと見れてなかった。あいつの演奏に引き込まれて、形容は音に攫われる。
 なあ、俺が、コンクールで下手こいたら、恥かいたら、お前はあの世で笑ってくれるか。
 バカじゃないって、私の方がマシだわって、細めたシャープな瞳に俺を映してくれるやろうか。
 くだらん、自傷行為に似た無意味な行い。
 だけど、今の俺には、こうするしかなかった。