半身を失ったよう、時が止まったかのようとか、表現の一つとして聞くことがあるけど、俺は今まさにそれを体感していた。
 今まで必死に前に進もうとしてきた。少しでもピアノの成果を出したくて、僅かでも春歌に近づきたくて、悩んで苦しむことはあっても、動きを止めることはなかった気がする。
 だけどもう、体が言うことを聞かん。全身から力が抜けて、ただ茫然と立ち尽くしてる。真っ白な世界でポツンと一人、残されたみたいや。
 それでも毎日は続いてく。俺の気持ちなんか全部無視して、日は沈んでまた昇るを繰り返す。
 浅い眠りから目覚めて、重い体を引きずるようにして部屋を出る。階段を下りて、リビングのドアを開けると、そこにはやっぱり、いつも変わらん光景が広がっている。
 キッチンで朝食を用意する母さんと、ダイニングの椅子に座って新聞を読む父さん。
 俺に気づいた二人は「おはよう」って言うけど、俺はそれに返すこともせず、ふらふらと席に着く。
 バタートーストとカフェオレ、ハムエッグとプチトマト。おかしいほどに、いつも通りの朝食。だけど喉を通らん。手を伸ばす気すら起きん。

「ちゃんと食べなきゃダメよ」
「そうやで、育ち盛りなんやからな」

 ちゃんと食べなきゃとか、育ち盛りやからとか、全部先を見据えた台詞や。これからも俺に命があると、元気であると信じられるからこその。
 父さんと母さんは、それ以上なにも言わんかった。俺の誕生日の後も、その件に触れることなく、淡々と日常をこなしている。
 まるであいつが、最初っからこの世に存在してなかったみたいに。
 テレビもかかってない、しんとしたリビングの中で、俺はマグカップに手を伸ばすと、ぬるくなったカフェオレを口に含んだ。
 こんな味やったっけ? ぼんやりとして、味覚がボケたみたいや。とても全部飲み込めそうにない。
 口元に当てていたマグカップを離すと、コトと音を立ててダイニングテーブルに置く。
 
「……ごめん、後で食べるわ」

 嘘や。ほんまは食べる気なんかない。
 だけどここで「いらん」とか「捨てて」とか言わんのは、用意してくれた母さんに申し訳ないからか、それとも面倒事を避けたいからか。
 俺の言葉を聞いた母さんが、キッチンから出てきてなにか言おうとしたけど、俺は聞く耳貸さずに席を立った。
 それからリビングを出て、階段を上って自分の部屋に戻る。