クマゼミの大合唱の中、なだらかな坂を下ってゆく。いつも最寄駅に向かう道、通学路の途中に今日の目的地がある。歩いて数分やのに、あっという間に汗が滲み出て、シャツのシミや匂いが気になる。昔の夏はもっと涼しかったって、親世代が言う気温を体感してみたい。
春歌が電車で来るから、自転車はやめにした。二人乗りには憧れるけど、春歌がしてくれるとは限らんし、そもそもルール上禁止やし。となれば、移動手段は徒歩しかなかった。
緩やかな傾斜の横に見える、ドーム状の平たい土台に、灯台のようなシンボル。その頭になる部分には、円形の巨大な時計がついている。子午線の街、明石を代表する観光スポット、天文科学館。俺はここを、春歌との待ち合わせ場所に選んだ。
チラチラ気にする腕時計の針は、九時二十分を指している。開館時間は九時半。あんまり早く行けば、やたら張り切ってるって引かれそう。そう思って遅めに出たつもりやのに、結局余裕を持って着いてもうた。
考えてみれば、春歌とまともな待ち合わせをした記憶がない。俺が春歌の家に誘いに行くんが定番やったから。
春歌は何時くらいに来るんやろうか。そもそもほんまに来る気があるんか。冗談でしたよってすっぽかしても、特に不思議がないキャラなだけに怖い。
急に不安になりながら、レンガ色の地面を曲がれば、入り口に続く坂道がある。そこを上ろうと足を踏み出すと同時に、なんとなく顔を上げた。すると広がる敷地内の景色に、思わず動きを止める。
天文科学館と書かれた建物の下、石の壁を背に立つすらりとした影。まだそこに到達するには距離があるのに、なんでこんなにすぐに見つけられるんやろう。夏休みのおかげか、開館前でも賑わった出入り口で、そこだけキラキラ輝いて見える。
白い麦わら帽子に、ピンク系のワンピースを着た春歌は、サンダルを履いた足をきっちり揃えて、体の前でハンドバッグを持っている。視線は下の方にあるらしく、まだ俺の存在に気づいてへん。
いくらでも待つ覚悟でおったから、面食らってドギマギする。来てくれただけでも十分やのに、まさか俺より早く着いてるなんて。嬉しい裏切りに目を擦って、何度も前方を確認した。
あんなに綺麗な子が俺を待ってくれている。そう思うと、早く声をかけたいような、まだしばらく眺めていたいような、複雑な気持ちになった。だけど、そんな悠長なことを言うとれん事態が起きる。
どこからともなく現れた男が、春歌に近づき声をかける。茶髪の長身、年齢は大学生くらいか、だらしない顔つきで笑っている。話の内容まではわからんけど、どう見てもナンパや。
カッと頭に血が上るのがわかる。俺を待つ春歌の姿に浸る間もなく、大股開きで坂道を進む。
俺の彼女になんか用か――いや、彼女やないからそれはアカンな、俺の友達――は、自分で言って傷つきそうやし、俺の連れですけど――よし、これで行こ。
急いで考えを巡らせ、第一声を決めながら坂道を上りきる。そうして春歌のすぐ近くまで来て、息を吸い込んだ時やった。
「私、心臓が悪くてセックスできないけど、それでもいい?」
俺の思案を吹き飛ばす春歌の台詞に、鼻の下を伸ばしていた男が凍りつく。俺もいろんな意味で凍りつく。たまたま近くを歩いていた人たちも、目を瞬かせ春歌を見ていた。
春歌が電車で来るから、自転車はやめにした。二人乗りには憧れるけど、春歌がしてくれるとは限らんし、そもそもルール上禁止やし。となれば、移動手段は徒歩しかなかった。
緩やかな傾斜の横に見える、ドーム状の平たい土台に、灯台のようなシンボル。その頭になる部分には、円形の巨大な時計がついている。子午線の街、明石を代表する観光スポット、天文科学館。俺はここを、春歌との待ち合わせ場所に選んだ。
チラチラ気にする腕時計の針は、九時二十分を指している。開館時間は九時半。あんまり早く行けば、やたら張り切ってるって引かれそう。そう思って遅めに出たつもりやのに、結局余裕を持って着いてもうた。
考えてみれば、春歌とまともな待ち合わせをした記憶がない。俺が春歌の家に誘いに行くんが定番やったから。
春歌は何時くらいに来るんやろうか。そもそもほんまに来る気があるんか。冗談でしたよってすっぽかしても、特に不思議がないキャラなだけに怖い。
急に不安になりながら、レンガ色の地面を曲がれば、入り口に続く坂道がある。そこを上ろうと足を踏み出すと同時に、なんとなく顔を上げた。すると広がる敷地内の景色に、思わず動きを止める。
天文科学館と書かれた建物の下、石の壁を背に立つすらりとした影。まだそこに到達するには距離があるのに、なんでこんなにすぐに見つけられるんやろう。夏休みのおかげか、開館前でも賑わった出入り口で、そこだけキラキラ輝いて見える。
白い麦わら帽子に、ピンク系のワンピースを着た春歌は、サンダルを履いた足をきっちり揃えて、体の前でハンドバッグを持っている。視線は下の方にあるらしく、まだ俺の存在に気づいてへん。
いくらでも待つ覚悟でおったから、面食らってドギマギする。来てくれただけでも十分やのに、まさか俺より早く着いてるなんて。嬉しい裏切りに目を擦って、何度も前方を確認した。
あんなに綺麗な子が俺を待ってくれている。そう思うと、早く声をかけたいような、まだしばらく眺めていたいような、複雑な気持ちになった。だけど、そんな悠長なことを言うとれん事態が起きる。
どこからともなく現れた男が、春歌に近づき声をかける。茶髪の長身、年齢は大学生くらいか、だらしない顔つきで笑っている。話の内容まではわからんけど、どう見てもナンパや。
カッと頭に血が上るのがわかる。俺を待つ春歌の姿に浸る間もなく、大股開きで坂道を進む。
俺の彼女になんか用か――いや、彼女やないからそれはアカンな、俺の友達――は、自分で言って傷つきそうやし、俺の連れですけど――よし、これで行こ。
急いで考えを巡らせ、第一声を決めながら坂道を上りきる。そうして春歌のすぐ近くまで来て、息を吸い込んだ時やった。
「私、心臓が悪くてセックスできないけど、それでもいい?」
俺の思案を吹き飛ばす春歌の台詞に、鼻の下を伸ばしていた男が凍りつく。俺もいろんな意味で凍りつく。たまたま近くを歩いていた人たちも、目を瞬かせ春歌を見ていた。
