演奏中に一番不要なんは邪念や。必要なんは、余計なことを考えずに、集中すること。曲の世界に入り込むこと。俺には、それが――。

「……俺のピアノ、どうやった?」

 沈黙を破ったんは、俺自身の声やった。聞かんでもよかったかもしれん。だけど、聞かずにはおれんかった。
 スマホから手を離した春歌は、まだこちらを見てへん。
 
「激甘、激辛、どっちがいい?」

 コメントのレベルを選べってことか。激しく甘いか辛いか、極端な二択なんて春歌らしい。さすがにここで「激甘」なんて選んだら、男やないやろう。

「……激辛で」

 ほんまはもっと、自信満々に言えるはずやったのに。口の中が乾いたせいで、声が少し上ずった。
 それを知ってか知らずか、春歌はパッと顔だけをこちらに向けた。艶やかなロングヘアーを靡かせながら。

「つまんない、以上」

 率直な感想に撃ち抜かれる。お世辞という御託に彩られたら、少しはこの傷もマシやったやろうか。だけど、それやと他の奴らと変わらん。歯に衣着せぬ春歌やからこそ、言葉に力がある。意味を持つ。受け止める価値がある。どれだけ鋭利で痛くても。

「じゃあ、私帰るね」

 ようやく我に返った頃には、春歌はすでにドアの前に立っていた。俺が茫然自失しているうちに、帰る準備を始めてもうたらしい。その腕には汚れたセーラー服が抱えられていた。
 ひどいショックを受けたにも関わらず、体が勝手に動く。春歌が帰ってまう。後ろ姿を見た瞬間、そう認識して椅子から飛び降りた。