桜が散るころ君と世界の儚さを分かち合う

彼女との出会いは偶然ではなく必然であったと確信している。あの春、あの桜の木の下で出会ったときのことは一生忘れることはないだろう。桜のように暖かく美しい彼女は僕に人生を豊かに生きるための哲学を教えてくれた。たったこれだけのことが僕にとって壮大で嘘のことのように思えてくる。遥人はあの日出会った桜の木の下で過去の心情を思い出していた。未だにこの桜の前に立つとあの日のことを鮮明に思い出す。風によって散り落ちてくる桜の花びらをつかみ遥人は匂いを嗅ぐ。単なる桜の匂いではなく新緑の青々しさや甘い和菓子のような春の匂いが肺へと染みわたった。
「おーい、遥人」
聞き覚えのある声に耳を傾けた。振り返りそれに応えようとしたとき、

目が覚めた、僕はベッドにいた。見ていたはずの夢はどこか現実的で新鮮に覚えていた。現実的な体験が遥人の感情を大きく揺さぶった。眠たい目をこすりながら時計を見ると時計は六時五十九分を指していた。遥人がそれを自覚したと同時にアラームが部屋に鳴り響いた。アラームの音がいつもより滑らかにメロウに聞こえ、その音は僕を夢見心地にさせるような感覚だった。遥人はアラームを止めた。寝起きのためかアラーム音の謎に触れる気力もなく遥人はベッドから身を起こしカーテンを開けた。明るい日差しが遥人の目をくすぐり強制的に目を覚まさせる。リビングへと歩を進め机にあるメモに目を向ける。母からのメモは日常茶飯事で朝からの早番の日はいつも僕が起きる前にメモが残され、朝ごはんも用意してくれる。メモには決まって戸締りをすること、しっかり食べていくこと、学校に行って学び楽しんでくるようにとこの三点が書かれている。僕の母は父親とは数年前離婚をしシングルマザーとなった。母は現役で広告の会社に勤めている。かなりの大手で役職も上の方ではあるので父がいなくても僕を養っていけるようだ。僕は朝食を食べ新しい制服に袖を通した。今日は高校の入学式、皆何かを期待して胸を高鳴らせるこの行事は僕にとってつまらないものだった。新しい制服、新しい環境、新しい交友関係、新しい恋、中学に進学するのとはわけが違って何か起きるのではないかという無限の可能性を秘めている。時にそれらの新しいものは不安定でどこか滑稽ににも見える。それが青春というものなのではないかと僕は思う。そんなことを考えている間に準備を終わらせ外へ出た。扉を開けた瞬間日光が強く顔にあたりまるでライトを顔に照らされているようだった。閑静な住宅街を歩く。四月の新鮮な春の生暖かい空気が制服を通して肌に伝わる。この春の感触が僕が春を好きな理由だ。駅に着き電車が来るまで少し時間があったので椅子に座り辺りを見渡した。錆びれた柱に劣化している扉、線路は一つしかなく線路の奥は草原となっている。これこそ無人駅と言わんばかりの姿だ。少数同じ高校の学生が電車を待機しており恰好からなんとなく僕と同じ新入生であるのかなと考え声をかけようとしていたが女子であったため拒否されては立ち直れそうにないため声はかけないことにした。電車が到着し乗り込むと僕と同じ新入生と思わしき学生が大勢乗っていた。僕は新入生なんかより列車から見える外の景色にいつの間にか目を奪われてしまっていた。のどかな田園風景に地元では大きな川、そんな日常であるはずの景色がいつも以上に淡く儚く見えその景色を僕は視覚でとらえ過去の逡巡に同調させていた。この淡く儚いこの瞬間が僕を感傷的にさせ人生のフィルターをぼやかしているのだと思った。ふと気が付いた時には高校の最寄り駅についており大勢の学生が列車を降車していった。駅を出るとそこには桜が満開に咲いており今日が入学式であることを再認識させられる。満開かつトンネルのように咲き誇ることはこの町では珍しいようで、その完璧な美しさに僕は何とも言えない漠然とした不安を覚えた。その不安はどこから来るものかはわからなかったが桜の見事な咲きようにこれから悪いことが起きるという考えが僕にはいつまにか身についていたらしい。思わず立ち止まり見上げた桜は、一つ一つの花びらが太陽に照らされ僕の目に焼き付くように鮮明に映った。僕の曇り模様のようなぼんやりとした輪郭のない人生を嘲笑うかのように花びらの人生は輝いていた。今までこんなに桜に魅せられることはなかったはずだ。桜の完璧な咲きように僕の人生が置き去りにされているような感覚があった。今日が入学式だという事実が遠い遠い次元の出来事のように感じた。遥人はしばらくその桜の木の下で花びらを見て、桜と自身との人生ギャップに劣等感を感じていた。ふと横から視線を感じた。顔を向けると桜の木の下でこちらを見つめている少女がいた。僕の目と少女の目が重なり合った瞬間、時が止まった。いや正確には止まっているように感じるだけなのかいま置かれている状況が呑み込めなかった。なぜだ?なぜ時が止まっている?僕はあの少女と目があっているだけ、たったこれだけのことなのに。彼女が美しいからだろうか。いやそれとはまた違ったように感じる。頭の中では秒速で疑問が生じては消え思考は猛スピードで巡っていた。僕は少女の外見に注目した。まるで満開の桜のようであった。透き通る白い肌、黒く長い艶やかな髪は桜の花びらとのコントラストが美しい。細く長い手足は風に揺れる枝のように脆い。少女は全身が桜を模したような姿だった。なんといっても少女の目が特徴的であり万物をも見通すような切れ長の鋭い目であり、もしかしたらこの目が僕の中の時を止めている要因なのではないかと思うくらいの迫力だ。
ーーー儚い。
その言葉が誰かに囁かれたかのように、僕の頭に浮かんだ。気が付くと僕の身体は動けるようになっていた。周りの生徒の会話などの喧騒が徐々に耳に入ってきて先程まで高速回転していた思考も電源プラグを抜かれたかのようにストップしていた。ぼやけた人生を送ってきた僕にとってあの少女はあまりにも鮮明だった。花風に吹かれ揺れている花びらも、落ちてゆく花びらも霞んでしまい嫉妬されてしまうほど儚く美しかった。少女はいつの間にかいなくなっていた。こんなにも胸を締め付けられることはあるのだろうか?一目ぼれの他に複数の感情が混ざり合い今までにない心象体験となった。この恋にも似たようなこの感情の正体を探りたかったが、今僕にそんなことを考える余裕はない。遥人はまだうまく処理できない感情から逃げるように重い歩を進めた。

 高校の入学式は真新しい制服に身を包んだ生徒でごった返していた。高校の入学式と言えば、校長先生による未来への期待を語る&独自の哲学を含ませた学校論を話し、新入生代表が意味を納得できないままそれに応えるのがお決まりの茶番となっている。僕にとってはそれがただの作業に見える。これがあくまでも形式的なものであることを教師は理解しているのだろうか。この入学式を含めた学校の式典は必要最低限の工程のみでいいのではないかと思う。そんなことを考えているといつの間にか入学式は終了していた。僕は教室に戻りこれからの高校生活に対する憂いを込め重い重い教室の戸を開いた。教室ではもうすでに何組ものグループができており会話を楽しんでいた。雰囲気はまだたどたどしくみんな会話に置いて行かれないように必死に反応したりしているようだ。そのようだとはいえすでにグループをなしていることが恐ろしいと感じた。僕は黒板に貼ってある席表を見た。どうやらこの高校は最初の席順は、名簿順ではないらしい。僕の苗字は一ノ瀬なので席は廊下側の方であるはずが、窓側の一番後ろになっていた。窓側二列の右側だった。せめて左側なら心おきなく外を眺められるのにと思った。遥人は辺りを見渡しながら席を探していた。

「えーと、あそこだな」

遥人は確認するようにぼそっとつぶやいた。席を確認した後隣の席の人にとりあえず挨拶をしようと考えた。

「名前的に女子かな」

またも確認をし意識的に隣の席を見る。その瞬間、心臓の鼓動が激しく脈を打った。あの少女だ、、、少女は外を見ながら頬杖をついていた。その事実を頭で処理した瞬間時が止まった。いや正確には時が止まっているような感覚なのだろう。周囲の喧騒が引いてゆき、身体は微動だにしないのに思考のみ高速回転するようなあの感覚。遥人は経験したはずの事象に対しまだ冷静を保つことはできなかった。思考に遅れて目を覚まさせるような生暖かい春風が僕の身体に張り付き通過してゆく。とにかく今は少女を凝視することしかできなかった。それに気が付いたのか少女はこちらを向き目を合わせていた。その全てを透通すような白い肌は、孤独ながらにも高貴に、力強く咲き誇る一輪の白牡丹を連想させる。座っていてもすぐに手足が人形のように異様に長いことが見て取れる。それを証明するように座っている少女脚は机によくあたっている。注目すべきは何といってもその顔と髪だ。髪は隅々まで手入れが行き届いており遠くからでも艶やかであることがわかる。顔はV字型で鋭くも小さい輪郭は美人であることを強調させる。目は切れ長であり瞳には光が入っていなかった。顔も身体もすべてが完璧に構成されており普通であれば学校のアイドル的存在になるのは間違いない人ではあったがどうやらそうでもないようだ。少女の雰囲気にあるようで外見の透明性に加え雰囲気は、、、えぐみがあり儚いというしかできないほどに洗礼されていた。それに生きているのか死んでいるのかわからないほどなにを考えているのかがわからない。生物と無生物の間の存在と言えるようなそんな表現が合っているように感じられた。少女の存在を形容するならば、『真透明な半人間』とでも表現できるだろう。そんなことを考えていると少女は立ち上がり遥人の元へと近づいてきた。身長は遥人よりも高く堂々としており遥人はいつになく緊張していた。立ち尽くす遥人を横目に通り過ぎどこかへと行ってしまった。後ろ姿も堂々としておりどの姿も完璧であり外で気品よく咲いている桜をも脇役にするようなものであった。風を切り歩き彼女は周りを自分色に染め上げていった。少女を見送り席に着くと先程の生徒の喧騒が聞こえてきた。再び聞こえてきた喧騒に僕は安堵した。遥人は少女の名前を確認しにいき黒板を見た。『卯月桜子』。どうやら少女の名前は卯月桜子というようだ。三月を感じさせる良い名前だ。僕は席に着き一度深呼吸をし目を瞑った。桜子が隣という逃れようのない不安に駆られ極度の緊張状態に陥っていた。決意をし目を開けると机に手を添えてしゃがみこちらを覗く桜子がいた。

「うわぁ!」

僕は急な出来事に声を出し驚いてしまった。

「私になんか用?」

桜子は遥人の反応を見ていないかのように淡々と話した。

「いや、用というかなんというか」

遥人は上手く言葉を捻出できなかった。

「私は君に用があるんだよ」

桜子は優しい笑みを浮かべた。僕はまたも驚かされた。桜子がこんなに優しい笑みを浮かべるなんて。緊張が一気に解けた。その笑みはまるで春を象徴する桜のように美しく暖かった。

「僕に用?そうなの?人違いではなく?」

「人違いなんかじゃないよ、君じゃなきゃダメなんだ」

遥人は混乱と嬉しさに感情を支配されていた。

「用って言うのはどういう?」

遥人は顔尾を赤らめて言った。

「あっ先生来たみたい、またあとで言うね。」

そう言い桜子は席についてしまった。桜子が席に着き遥人は再び安堵した。遥人は呆然と外を眺めていた。僕は彼女と話した。それは紛れもない事実ではある。桜子という完璧美少女と話をした感じがしない。事実だけが残って触覚や視覚など五感だけが桜子と話していた空間によって置き去りになっている。まるで好きな人に恋人がいることを知った時のようでありこのような経験に無常に吹く風、風で枝垂れる桜が共感してくれているようにさえ見える。先生の話が始まると先程の喧騒が嘘のように静まっていた。ホームルームが終了し放課となった。あれから休み時間にも桜子とたわいもない話はしたけれど本題の用とやらはまだ聞いていない。放課になり一緒に帰ろうという言葉は出てくるはずもなく、遥人は帰路につく準備をしていた。いざ帰ろうとすると隣から言葉が聞こえてきた。

「一緒に帰ろうよ。」

桜子はまたも優しい笑みを浮かべながら言う。嬉しかった。正直これを期待していたまである。

「いいの?僕なんかと」

「いいよ、それにそんなに自分を卑下しないでよ。君にはほかの人にはない独特な魅力があると思うんだ。」

「独特な魅力?僕はいたって普通の男子高校生だよ。僕のどのあたりが独特なの?」

遥人は素直な疑問を桜子にぶつけた。

「その話は帰り道でするから。とりあえず帰ろっ」

桜子は気分が高揚しているようだった。

「とりあえず帰ろっか」

それに応えるように遥人は笑顔を桜子に向けた。教室を出て下駄箱に着くまで桜子は終始無言であった。遥人は桜子の凛とした横顔を見るしかできなかった。桜子は下駄箱に着くなり言った。

「私はさ友達は一人いるけど彼氏なんか出来たことはなくてさ、君はどう?」

「僕もないですよ、出会いとかないし面倒な側面も多いので、それにタイプの女性にいままで出会ってきませんでしたから。」

「そうなんだ」

桜子はなにか含みのある穏やかな笑みを見せた。この笑みについて遥人は桜子に意味を尋ねようとしたが用とやらが気になり意味を尋ねると長引いてしまうと考えやめることにした。靴を履き外に出ると一気に春の風が舞い込んできた。本日はオリエンテーションのみのカリキュラムであったため、13時放課となっていた。桜のトンネルをくぐる。桜というフィルターを通しているからなのか春の優しくも肌に張り付くような日差しは感じない。ただ桜のトンネルを通っている分例年以上に桜の匂いを感じ吐き出す息に混じって肺の奥まで染みわたっていた。そんな春の味を遥人は嗜んでいた。

「あっちょっと待って」

桜子が突然立ち止まった。何を思ったのか桜子はスカート大きく折りミニスカートにした。遥人は突然の桜子の行動にかおを赤らめてしまった。

「ど、どうしたの急に」

桜子の長くも芯のある脚が露わになった。

「あぁ、これはもうすぐわかることだから」

なんのことかわからず呆然と立ち尽くす。

「それにしても制服がよく似合うね」

「ありがと」

桜子は遥人のたじたじとしている様子をみて笑みをこぼした。僕は今のミニスカート状態の桜子の姿は桜をも嫉妬させ背景を完全に引き立て役の脇役にしてしまっていると思った。そのくらい美しく背景との調和が取れていると感じた。そんなことを考えていると後ろから快活な声が聞こえる。

「桜子ー!先に帰るなんて聞いてないよー」

「ごめん、言うの忘れてた。今日用事があってさ」

桜子の友達だろうか、いかにもギャルのような風貌の女子が親しげに話している。

「あれっ、この子は?あっ、なるほどね。またね桜子」

そのギャルは何かを察したように去ってしまった。

「また明日ねー」

桜子は声を張り手を振った。それに応えるようにギャルも笑顔で手を振り返した。

「あのギャルは友達?」

「うん、ただのギャルではないんだけどね」

と言い桜子はスカートを元の長さに戻す。

「で、スカートを短くしないとありまに怒られるから」

「あのギャルはありまっていう子なんだね。確かにそのありまさん?スカートすごく短かったもんね」

いま振り返ると確かに少し独特な感じがしたというかあまり姿は見てなかったけれど普通のギャルではなかった気がする。しばらく会話が無くなり歩いているとふと思い出し話す。

「そういえば、僕に用があるんだっけ?」

「うんそう、君はさ・・・」

「遥人だよ」

「遥人はさ儚さっていう概念についてどう思う?」

桜が儚さという単語を聞いたとき待っていたといわんばかりに大きく揺れ動いていた。

「儚さ?うーんそれは桜子のことだと思うな。」

「私?」

「うん。外見とか雰囲気とか見てね」

桜子の顔はいつのまにか笑顔でも真顔でもない何か含みのある穏やかな顔になっていた。それは春の木漏れ日によってより焦点が鮮明になっており、遥人を驚かせるものになった。

「桜子は儚さについてどう思うの?」

「私は儚さはこの世界に色を付けてくれる概念だと思うんだ。退屈な日々でも儚さは常に美しさで景色だったり人を彩っていると思うんだ。でも消失とか脆さとか基本的に世間一般で言うマイナスな意味合いを持つことが多いんだ。」

僕は桜子の話を聞き顔を見るなりやはり儚いのは桜子自身だと再確認することができた。

「確かにマイナスな意味を持つことが多いかも、でもそれが美しさとなっているんだね」

「そう。儚さは有限なんだよ。だからこそ哀愁の美しさがあるんだ。桜が散っていく様子をよく儚いというけれど、儚いのは桜だけではないんだよ。日常のすべてだと思うんだ。」

「日常?」

「例えば今はなしているこの状況とかあそこの建物とかあの青空だってすべてが有限であって無限ではない。いつか終わりを迎えるという事実に儚さを感じるんだ。それが分かりやすく人の目に映るのが桜だったり夕日だったりするんだ。」

「すごいね、でもそれなんかわかる気がする。僕は自分の人生に特に有限性を感じるな」

「やっぱり遥人なら理解してくれると思ってた。一目見たときからそうなんじゃないかって思ってた。」

「僕の外見だけで?見ただけでよく僕がこの話を理解できるとわかったね。」

「何となく?」

桜子は木漏れ日に似た優しい笑顔を見せた。
儚さという話題から桜子と遥人の距離感は縮まっていた。その後も儚さについて語りいつのまにか僕は楽しいひと時を過ごしていた。ここまで安らぎを感じたのはいつぶりだろうか、思っていた以上に良い友達になれそうな気がする。春の心地よい風が二人の会話に拍車をかける。不鮮明だった遥人の人生は儚さというフィルターを通し桜子によって彩られていた。桜も空も春の魔力として遥人に輪郭をつけ、気が付けば心臓の鼓動を抑えることはできなくなっていた。

目が覚めると昨日とは違った感覚が遥人を支配していた。昨日あったことが嘘のことのように思えてくるこの感覚、まさにこれも『儚さ』なのかもしれない。桜子と出会い僕に用があることはもちろんのこと、連絡先まで手に入れてしまった。昨日は儚さに関する話を帰り道ずっとしていて、桜子は僕とだからできると言っていたけどなぜだろう、桜子に対する疑問が多く浮かび上がってくる。考え事をしていたせいなのかアラームが鳴っていることに気が付かず母が部屋に入ってきた。

「遥人、アラームなってるよー。遅刻しちゃうよー」

母は冗談交じりに言った。

「母さんおはよう、ちょっと考え事しててアラームに気づかなかった」

「そう、学校の準備しちゃいなよ」

母はそう言って部屋を出た。僕も部屋を出てリビングへ向かい朝食を食べる。母が僕に聞く。

「学校はどう?楽しい?」

「いやその質問は一週間ぐらいたってから聞くやつだよ」
僕は笑いながら答えた。
「楽しいよ、心配しなくても大丈夫だよ」

「そう、ならよかった」

母も笑いながら答える。朝食を食べ終わり登校の準備をした。今日から授業が始まるのはとても憂鬱だなと思いながら準備をし外へと出た。昨日とは違い穏やかな日差しが当たる。昨日までは青空としか認識できていなかったが、今日はその青さから見上げると今日から高校生活が始まるのだなとなんとなく連想させた。歩を進めるごとにいつもよりも町が変わって見えるようになっていた。錆びれた空き家も電柱も様々な儚さが僕に語り掛けてきており、これが昨日桜子と話した有限のある儚さなのだろうか。桜子との会話が僕の心の儚さ辞典の強度を増している。今までになかった『儚さのフィルター』が視覚化され遥人の心は安らぎを覚えた。
 教室では新しいクラスのざわめきが昨日よりも鮮明に聞こえた。僕はただ机に座り、隣に座る彼女の登校を待っていた。やがて教室の戸が開く。その瞬間僕の視界は映画のスローモーションのように遅く彼女の動きを捉えた。光を浴び輝く桜子はクラスの視線を独占していた。僕にとって桜子は単なるクラスメイトではなくこの世界の解像度を決定づける基準点となっていた。桜子は僕に気が付くと笑顔で挨拶をした。その表情にまだ慣れてないせいか僕はまだ言葉に詰まりながら挨拶をしてしまう。この感情はなんなのだろうか。


ホームルームが終わり、教室は一気に喧騒に包まれた。

「一緒に帰ろうよ」

桜子のその言葉に、僕の心臓は激しく高鳴った。昨日と何も変わらない、ごく普通の帰り道。しかし、僕の見る世界は、もはや昨日までのそれとは全く違っていた。桜のトンネルをくぐる。桜の花びらは、風もないのに、雨のように僕らの頭上に降り注いでいた。

「すごい……まるで、桜が泣いているみたいだ」

桜子の言葉に、僕は思わず顔を上げた。彼女の言う通り、花びらは涙のように、静かに、しかし大量に地面に吸い込まれていく。その光景は、あまりに美しく、あまりに切なかった。

「これも、儚さ?」

「うん、そうだよ」

桜子は、僕の言葉に優しく微笑んだ。

「儚さには、二つの側面がある。一つは、美しさ。そしてもう一つは、寂しさ。この桜が持つ儚さは、美しさと寂しさの両方を合わせ持っている」

桜子が、そっと僕の手に触れた。その瞬間、僕の心臓が激しく脈打つ。まるで、心臓の鼓動が、世界に影響を与えているかのようだった。僕らが歩いている場所だけ、花びらがさらに激しく舞い散り、まるで嵐のように僕らを包み込んだ。

「ねえ、遥人」

桜子の声が、遠くから聞こえる。

「君といると、私、なんだか、すごく寂しい気持ちになるんだ」

「え、どうして?」

「分からない。ただ、君といると、私の儚さが、どんどん膨らんでいくみたいで……」

彼女の言葉は、まるで謎かけのようだった。しかし、僕の心は、それが桜子の秘密と深く結びついていることを直感的に理解した。

このままでは、桜子との**「儚さ」を巡る旅が、僕自身の「恋」**の始まりになる。

そして、その恋が、桜子の**「儚さ」**を加速させ、世界の異変を引き起こすのではないか。

僕は、これから僕と桜子の間に、何が起ころうとしているのか、漠然とした不安を感じ始めていた。