・【08 未来の風景】


 朝目覚めて、私はすぐに長岡の空襲を読み始めた。
 体験記のほうは飛ばして、長岡空襲後の未来の部分、つまり復興の部分を読み始めた。
 頭に入れつつも、ちゃんと原本もバッグに入れて、登校した。
 教室に着くと、凛々子がいて、
「今日は何をすればいいのかな」
「私、その長岡空襲前夜の時代で仲良くしてくれている子がいるんだけども、未来を知りたいって言っていて」
「未来というと、今の、令和のこの世の中?」
「ううん、多分復興していく時のことだと思う」
「そっか、必要な情報とかあるもんね」
「多少本で勉強してきたから、その話をしていい? 何か抜けがあったら指摘してくれればいいから」
「分かった!」
 そうサムアップした凛々子。
 凛々子の明るさには本当に助かっている。
「まず八月三日に警察署で炊き出しがあるって」
「結構早いね、八月一日に空襲じゃなかったっけ?」
「多分軍部は本当の情報を既に掴んでいたんじゃないかなぁ」
「それはありえるかもね」
 そう深く頷いた凛々子。
 私は続ける。
「物資の配給は主に学校で行なわれる、と」
「学校ってどこの学校?」
「長岡女子高等学校というところかな、その子とはそこで縫製の仕事もしたし」
 凛々子は感嘆の息を漏らしながら、
「そうなんだ、すごっ。というか本とかで調べた情報通りのことを本当にしているんだっ」
「凛々子が借りた本にも書いてあった?」
「うん、本とかあと自分で調べたりしたし」
「私のためにありがとう……」
「ううん、自分が理解したいから。あとはまあ梨絵が何しているか気になるじゃん、アタシのいないところでさ!」
 と身を乗り出して私の肩を優しく叩いてきた凛々子。
 そうやって元気づけようとしてくれることが本当に有難くて。
 そんな感じで、私は凛々子に復興の話をした。
 昼休みは普通に食事をして、放課後になったらまたすぐにプールで泳ぎの練習。練習はやって損することは無いので。
 凛々子は献身的に私のことを考えて行動してくれる。
 凛々子の親友で本当に良かったと心の底から思えた。
 夕暮れになり、バイバイして自分の家へ戻ってくると、母親が私にこう言った。
「最近帰ってくるの遅いけど、どうしたの?」
 正直面倒という気持ちが一瞬顔を出したけども、もし長岡空襲で私は死んでしまったら、きっともう会話できなくなるかも、と思ったら、急に胸が詰まってきて、まずは事実として、
「凛々子とプール行ってた」
「スイミングスクール辞めたのに?」
「親友と好きで泳ぐのは楽しいよ」
「そりゃそうか」
 と言って会話が止まった。いやいつもなら別にいいし、何なら話し過ぎたくらいだけども、何だかちょっとだけ心が沈んだ。
 でも何を今さらというところもある。ずっと両親との会話を避けてきたのに、いざこうなったら急に私の気持ちが乾いてしまって。
 包帯とか気にならないのかな、聞かれなくて良かったと数日前は思っていたのに、今は急激に寂しい。
 なんとか会話の糸口が無いかと思って、
「包帯、もっと良いの無い?」
 なんて意味の分からないことを口走っていた。あの救急箱に入っていた包帯しか普通に考えてないはずなのに。
「もっと良いのって何?」
 とぶっきらぼうにそう言った母親。
 いや別に、
「いや別に」
 としか声が出なかった。
 母親は「あっ」という感じに、
「色付きとかそういうこと?」
「あぁ、そう、茶色とか肌色とか、目立たない色のヤツ」
「確か売ってるよね、そういうの」
「じゃあ買ってこようかな」
 と私が言うと、母親は溜息をついてから、
「何か分かんないけどケガしている子に買いに行かせる親はいないよ、ちゃんと色の指定してくれたら、買ってくるから」
「私もついていく」
 なんてちょっと前までの私では考えられない言葉をいつの間にか発していた。
 怪訝そうな表情をする母親に私は慌てて、
「色! 自分で決めたいし! 車で行くでしょ!」
「……車だけども。でもいいの、お母さんと一緒で行くの」
「お母さんと一緒でいい!」
 何か久しぶりにお母さんと呼んだ気がした。脳内ではいつも母親だったし。まあお母さんがお母さんと言っていたから、やや呼び水クサいけども。
「じゃあまあ行こうかね」
 そう言ってお母さんは車の鍵と財布を持って、一緒に外へ出ることになった。
 正直家着で外出されるのも何かハズいけども、そんなことは些細なことだった。
 お母さんが運転する車の助手席に乗ると、お母さんが、
「その手のひらのケガ、そもそも何?」
「転んだら擦りむいちゃって」
 さすがに本当のことは嘘っぽ過ぎるので言えなかった。
「そんなドジじゃないでしょ」
 と言われた時に、あぁやっぱり本当のこと言ったほうがいいのかなと思った。
 でもこれはさすがに、言ったってしょうがないというか。もっと深く心配されてしまう。脳のほうを。
 ドラッグストアに着き、二人で並んで中に入ると、同級生が彼氏と思われる男子と一緒に買い物していて、つい隠れてしまった。
 お母さんはずんずんと包帯のほうに進んでいき、私は遠回りして、包帯売り場まで来た。
「やっぱり恥ずかしいんじゃないの」
 と小声で言ったお母さんに私も小声で、
「恥ずかしいとかじゃないけども……」
「いいよ、わたしもそのくらいの時は恥ずかしかったよ、なんせ母親が家着で外に出るんだもん」
「いやじゃあ今お母さん……」
 と私が呆れるように言ったんだけども、お母さんは一つも悪びれる様子も無く、
「わたしはもう恥ずかしくないし」
「でもその発想があれば……」
「伝承していけばいいのよ、この恥ずかしさが」
「いらん伝統」
 とツッコむように言った時、お母さんは吹き出して笑った。
 何か久しぶりに、本当に久しぶりにお母さんと”会話”したような気がした。
 私がいいと思ったヤツよりも、お母さんがより良い色のヤツを選んでくれて、お母さんはレジに並んで、私は先にサッカー台のほうに回って待っていた。
 買い終えたお母さんから、
「店の外で待つんじゃないんだ」
「暑いじゃん、それ」
 なんてどうでもいい会話をしながら、また車に乗って家へ戻った。
 するとお母さんが、
「ちゃんと消毒液とか付けてる? わたしがやってあげようか?」
 一瞬悩んでしまい躊躇していると、
「どんなもんかケガの状況だけ見せなさい」
 と言うので、私は包帯を外して、お母さんに見せることにした。
 お母さんはフフッと笑ってから、
「いつの間にか従順になったものね」
「そんな主従関係みたいに言わないで、キモイ」
「あら、親子はいつだって対等よ」
 とお母さんがキッパリ言ったので、私は少し驚きながら、
「対等なんだっ」
「そ、だから尊重して梨絵が会話したくなさそうだったらしないんだよ」
 言うかどうか迷ったけども、言うことにした。
「お母さんは、会話したいの?」
「そりゃしたいわよ、親子の醍醐味は会話でしょ、何のために子を育てるのか、会話するためじゃない」
「それはお母さんの持論?」
「そう、わたしオンリーの持論だから外で喋っちゃダメだよ」
「そんなヤバイ持論じゃないから、外で喋っても大丈夫でしょ」
 私の手のひらを見たお母さんは溜息交じりに、
「結構深いというか、擦りむいたあと、掻いたでしょ」
「えっと、まあ、そう」
 本当はバケツリレーとかでより深く傷ついただけだけども。
 お母さんはたしなめるように、
「消毒液のあとはかゆみ止めも塗らないとダメね、こういうのは始めが肝心なのに」
「ご、ゴメンなさい……」
「まあ過ぎたことをどうとかこうとか言ってもしょうがないからね、全ては未来にどうするかが重要だからね」
「未来にどうするかが重要……」
 となんとなく反芻してしまうとお母さんが、
「梨絵が自伝を書く時、この台詞を載っけていいから」
「別に自伝を書くような偉人にはならないよ」
「未来は不確定だからね」
「そっか、そうだよね」
 そんな話をしながら、手当をしてくれた。
 お母さんは急に「あっ」と声を出すと、
「風呂あがり前にやってもすぐあれだね、またやってあげるわ」
「いやでもその時はお父さんがいることもあるし、お父さんに見られたら」
「いいのよ、お父さんはわたしがしっかり調教できているから、余計なこと言わせないわ」
「めっちゃ主従関係だ」
「そういうこと!」
 と言って私の背中を少し強めに叩いた。
「優しくしてよっ」
 と私が咄嗟に言うと、
「わたしの台詞でもある!」
 と声高らかにお母さんが言ったので、
「対等過ぎる」
 と私は吐き捨ててから、自分の部屋へ戻った。
 何だ、別に普通に会話できるじゃないか。
 こんなんで良かったのに、何で今まで恥ずかしくて、嫌でできなかったんだろうか。
 人は死の間際に後悔を残したくないらしい。
 勿論死ぬことが確定したわけじゃないけども、戦地に赴くわけだから、それはもうほぼ同義だ。
 私の後悔の中に、お母さんとの会話があって良かったと何だか安心してしまった。
 また長岡の空襲を読んだり、長岡市のホームページをキーワード検索したりして、時間を過ごしていった。
 『物資の配給 戦争』で検索すると『昭和20年』というページがあったので、見てみると、
『『『2月 大雪、この年の長岡市の最深積雪2.95m
3月31日 県立長岡盲学校廃止
5月16日 長岡市国民義勇隊結成
7月20日 B29初めて来襲、左近に模擬原子爆弾投下
7月 建物疎開始まる
8月1日 全市が大空襲を受ける、鶴田市長殉職
8月3日 市役所仮事務所を北越製紙本社内に設置
8月4日 緊急市会開催
8月7日 罹災救護所を長岡国民学校などに設置
8月15日 終戦
8月21日 県知事を委員長とする長岡市復興対策委員会設置
8月23日 第1回長岡市復興対策委員会開催
9月1日 長岡復興建設事務所設置
9月11日 長岡市立互尊文庫、焼け残った第二書庫を仮図書館として開館
9月29日 第8代市長に田村文吉就任
10月6日 市内が洪水に見舞われ、約1,000戸が浸水
10月20日 栄凉寺で県下戦災殉難者追悼法会挙行
10月 長岡文化協会発足
11月 長岡女子商業学校、高等家政学校と改称』』』
『『『長岡市ホームページ(昭和20年”s20.html”)より引用《2025年7月16日閲覧》』』』
 というように分かりやすく、その年のトッピクスが書き連ねられているページを発見した。
 これなら本当に、ヨネコが知りたい情報が詰まっているかもしれない。
 そのまま、隣の『市政のあゆみ』をタップすると、令和六年の最新の情報まで事細かく掲載されていた。
 まずは昭和二十年の八月以降の話をヨネコにするつもりだけども、もっと知りたいと言えば、ここから情報をどんどん引用することができそうだ。
 このページにはこのページのキーワード検索部分があるし、知りたい情報へすぐにアクセスできるかもしれない。お気に入りに登録しておこう。
 さて、そろそろ寝るわけだけども、普通に次の日になっていればいいなぁ、とベッドに眠りについた。
 目を開けると、隣にヨネコが座っていて、木々が生い茂った、まるで秘密基地みたいな場所だった。
 ヨネコが私へ優しく、
「ここ、木の根っこが多くてカボチャ畑になっていないんだよ。わたしの好きな場所」
「ヨネコ、いつから私ってここにいる?」
「分かんない。いつの間にかリエが隣に座っていたよ、それよりもさ、未来の話を教えてよ」
「そう言えば、今日は何日?」
「そうそう、もう来ないと思ったよ」
 と少し寂しそうに言ったヨネコに対して、私は頭上に疑問符を浮かべながら、
「もう来ないって昨日ぶりじゃないの?」
「うん、今日は二十五日だよ」
「ちょっと時間経過している……」
「リエ言っていたじゃない、八月一日に空襲があるって。だからその日の前にリエが来なくなるといいなって。まあ結局今来ちゃっているけども」
 私は肯定も否定もできなかった。いや来ないほうがいいんだけども、ヨネコと別れることも何だかつらくて。
 私の表情にそんな機微が出たんだろう、あえて満面の笑みをしたヨネコが、
「というわけで未来の話を教えてよ!」
「うん、まず八月一日の午後十時半から約一時間四十分、空襲があるという話をしたよね」
「そこ以降だねっ」
「八月三日には警察署で炊き出しがあるから、家が燃やされた場合は警察署の近くにいるといいよ。助けてもくれるだろうし」
「警察署、これはしっかり覚えておかなきゃ」
「で、主に学校で物資の配給があるんだけども、まあヨネコなら長岡高等女学校かな」
「なるほど、長岡高等女学校は燃えないんだね」
「確かに、そうかもしれないけども、誰かが燃やさず頑張ったおかげかもしれないし、そこに逃げればいいという話じゃないかも」
「そうだよね、わたしがそこへ行くことにより、未来が変わるかもしれないもんね」
 そうか、私が介入することにより、未来が変わる可能性もあるということ?
 それっていいことなのかな、本当はダメなのかな、でも勝手に介入させられているわけだから、別に私が行動する分にはもう別にいいよね。
 私は心の中のモヤを振ってから、
「川で潜ったほうがいいと言ったけども、柿川は水位が低くて川幅も狭いから行っちゃダメだよ、行くなら栖吉川に行こう」
「分かった、それは絶対だね」
「そう、それと平潟神社と神明さまの境内は計画避難場所だけども行っちゃダメなんだよ」
 するとヨネコが小首を傾げながら、
「計画避難場所自体もアメリカ軍に漏れているということなのかな」
「どうなんだろう、結果的にそうなったのかもしれないし、バレていたのかもしれないし」
「前にリエは言ったけども、日本は負けるんだよね?」
 でもヨネコの表情に不安があるようには見えなかった。
 だから私はハッキリと、
「そうだよ、でもアメリカ軍は空襲以外で庶民を殺さないし、この通り日本語という文化は残るよ。そもそもこの日本語ってすごくてね、質感を表す言葉が多いということを理由にヨーロッパの化粧品会社とかが、わざわざ日本人を選んで化粧品を試しに使ってもらうんだって。そうやってどんな感じか調査するらしいよ」
 するとヨネコは微笑みながら、
「そうなんだっ、じゃあ未来はわたしなんかもお化粧できるの?」
 そうか、そうだ、見ていれば分かる、この時代は庶民の化粧なんて夢のまた夢だ。
「未来になるとみんなお化粧できるよ、私のような高校生から早ければ小学生でもお化粧できるし、日焼け止めという日焼けをしないためのお化粧もあるし、何なら男子もお化粧するよ」
 ヨネコは手を叩いて喜ぶように、
「すごい! みんなお化粧できるんだ! いいなぁ! 未来!」
 いやちょっと話が逸れてしまった。
 本題に戻ろう。でも心なしか、こういう話のほうがヨネコが楽しそうに見える。
 でも大切なのはまずどんな災害が起きるか、そして次は復興の話だよね。
「あと不発弾とか落ちているけども、突いたり叩いたりしちゃダメだよ。すぐに報告すること」
「それはそうだよねぇ」
「でもコイツのせいで! みたいな怒りに任せて叩いて爆発してケガする人もいるらしいよ」
「じゃあわたしは知り合いみんなに言っておくよ」
「八月九日にまたビラが撒かれて、日本国がポツダム宣言を受諾すると書いてあるんだけども、それは本当で八月十五日に終戦するんだ」
「空襲から結構早いんだね」
「そう、新潟というか長岡じゃないけども、他の地域に酷い爆弾が投下されて終わるんだ」
「そうなんだ……」
 と少し恐怖で震えるような顔をしたヨネコ。
 そうだ、これだけは言っておかなければ。
「十月五日から六日にかけて水害が発生して、柿川が逆流して浸水するんだ。九日から十日にかけてもそうで、また浸水するから川に近付いちゃダメだよ」
「それは有益な情報だね」
「次からが復興のところで、えっと」
 と言いながら、思い出そうとしたその時だった。
「でもリエ、わたしの言っていた未来のことってそういうことじゃないんだよ」
「えっ?」
 と生返事してしまった私に対して、ヨネコがこう言った。
「私はもっと未来、それこそリエが今生きている令和とやらの話をしてほしかったんだ。勿論、栖吉川が良いとか、水害の情報は本当に有難いけども」
 凛々子が一瞬言ったことだ。
「でもなんで?」
 と私が問うと、
「こんな幸せな未来が待っているんだと知れたほうが楽しいじゃない、そんな細かい復興の話はいいよ、きっと為せば成るし、流されるままそう成るんだと思う」
「そっか、令和の話が良かったのか」
 そんなところで大きな鐘が鳴った。
 するとヨネコが立ち上がり、
「うん、じゃあそろそろ畑の手伝いだから行かないといけない。不意の爆弾とかないよね?」
「多分無いと思う。大丈夫」
 と言って私も立ち上がると、ヨネコが私の肩を下方向に押して、
「リエはここでずっと隠れていて。リエが大変な思いをする必要無いんだから」
「でも」
「いいの、この世界はこの世界を生きている人間の責任なんだから。じゃあもし次会えたら、今度はリエが生きている時代の話をわたしにしてねっ」
 と言ったところで私は目が醒めていた。
 今までで一番悲しくない、つらくないはずなのに、いつの間にか瞳は涙で濡れていた。
 ヨネコ、大丈夫だよね、きっと生きててくれているよね。