・【07 防空壕】


 気付いたら私はヨネコの隣に立っていた。
 場所は家の庭っぽい、もしかしたらヨネコの家なのかもしれない。
 木製の塀と木の建物に囲まれている場所。塀が木製なのは勿論金属類の回収があったからだろう。
 ヨネコが元気ハツラツで、
「じゃあ今日は防空壕を作らないと! 一家に一ヵ所は防空壕作らないといけないお達しだからね!」
 ふと私は、
「あの、昨日のこと覚えている……?」
「覚えているよ、リエは未来から来たんでしょ? だから立派な防空壕の作り方知ってるんでしょ! 教えてよ!」
「ゴメン、防空壕の作り方は多分本にも載っていない……でもその前に、今は私、ヨネコの隣に立っているけども、この世界に意識が飛んできたのは数秒前なんだ、それまでの私ってどうだった?」
 するとポカンと口を開けてしまったヨネコ。徐々に深刻そうな顔になり、
「確かに……なんか……覚えていないかも……突然リエが私の隣に出現したような……でもいることが当たり前という気持ちになっていて……」
「記憶が改ざんされている、ということ?」
「記憶が改ざん?」
「勝手に記憶が書き換えられているというか、そんな感じ?」
 ヨネコは深呼吸をしてから、
「もしかしたらそうかもしれない……気付いたらわたしはリエと一緒に防空壕を作るんだと思っていて……どういうこと?」
「それは私も分からないよ、でも多分何か、いびつなことが起きているんだと思う。だって私が令和から昭和に来るなんてありえないことだから」
「何かゴメンなさい……」
「何でヨネコが謝るの?」
「もしかしたらわたしのせいかもしれない……だって平和で生きていきたいとずっと願っていたから、未来から来た人に手伝ってもらうことになってしまったのかも……」
「そんな、ヨネコのせいじゃないって、そんなそもそも平和で生きていきたいだなんて誰でも思うことじゃない。私は少なくても今は大丈夫だから、一緒に防空壕を作ろっ」
「ありがとう、リエ、あなたってば本当に優しいね」
 そう言って頭をさげたヨネコ。
 別に全部自分のためだけども。
 そう、自分のため。
 凛々子は私のために動いてくれて、それにヨネコだって私のためにいろんなことを教えてくれるじゃないか。
 じゃあ私は今の世界にいる時はヨネコのために頑張ればいいだけだ。
 ヨネコから受け取ったスコップは当たり前のように木製で、掘るというより小さく削ることしかできないといったスコップだった。
 土と木じゃ、当然ながら土のほうが強いので、穴を造るにはちょっとずつ土を引っ掻いていくしかない。
 そうするとまた手のひらの皮が剥けて、痛みが走るもので。でもそんなこと言ってられない。
 長岡市のホームページでも防空壕に逃げ込んだとか書いてあるし、防空壕はマストで掘らないといけない。
 とはいえ、
「ヨネコ、正解の防空壕ってどういう形なの?」
「それはわたしも分からないよ、今後リエに調べてきてほしいんだ」
「正解の防空壕を知らずに掘っているの? というか掘れという命令があるの?」
「うん、そう……ちょっとだけおかしいよね」
 と小声で言ったヨネコ。周りに声が聞こえないようにといった感じだ。
 ”おかしいね”と言うだけでおかしくなってしまう世界らしい。
 そんな窮屈過ぎるし、そもそもせめて防空壕の作り方は庶民に配るべきだ。生死の関わる話なのだから。
 結局私とヨネコはただ穴というか溝を縁の下に薄く掘っただけで終わった。
 一応一人分くらいは体を畳み込めば入るかもしれないけども、別に蓋というか天井になる鉄板が無い。
 縁の下に楕円形の穴ができたっぽく見えるだけ、建物が燃えたら意味が無く、一体これが何になるんだろうか。
「ヨネコ、これで合ってる、というか、みんなこういう感じ?」
「うん、どこの家庭も大体こんな感じだよ。だってこうするしかないじゃない」
「こうするしか、ないよねぇ……」
 いざという時になったら、使える防空壕とはとても思えない。
 こんなものを庶民に作らせて、本当に労力の無駄というかなんというか。
 もっと他にやるべきことってあるんじゃないか? だからって他に何をやればいいのかは分からない。
 というかもうやることはとうの昔に尽きていたんだと思う。だから神風特攻隊のようなモノが生まれたんだと思う。
 さすがに神風特攻隊は授業で習ったので知っている。戦闘機ごと突っ込んでそのまま自滅するヤツ。
 そんなことしている国が勝てるはずない。誰がどんな勝算でやっているんだ? 本当に。
 相も変わらず手のひらの皮は剥けていき、包帯は自分で黒く塗って付けてきたほうがいいかも、と思った。
 するとヨネコが私の手のひらを見て、
「そっか、竹槍とか握り慣れていないから、手のひらの皮が薄いんだ……言ってくれれば防空壕造りなんて見ているだけで良かったのに……というかそうか……包帯を持っているってそういうことだったんだ……ゴメン……全然気付かなかった……わたし、自分のことで必死で……」
 と申し訳無さそうに言ったんだけども、
「いいよ、ヨネコ一人で防空壕を掘っていたらもっと時間が掛かったでしょう。私はヨネコと一緒に生きたいんだ、だってヨネコは訳の分からない私を毛嫌いせずに、いろいろ説明してくれたじゃない。そんな優しいヨネコに生きてほしいんだよ」
「でも私、何も知らずに失礼なこといっぱい言ったよ」
「ううん、そんなことないよ、ヨネコはヨネコの常識で動いていただけ。それに加えて教えてくれた」
「そんな……リエが上組村大字左近のこと教えてくれなかったら今頃わたしは……」
「じゃあおあいこね、これからも一緒に頑張っていこう」
「ありがとう……リエ……何かリエと会うようになってから、わたし、ちょっとだけ楽しいかもしれない、普通に会話する相手もいなかったから」
 そう涙ぐみながら言ったヨネコ。
 その声が何だか凛々子に似ていて、と思った時、私は凛々子がしてくれたようにヨネコのことを優しく抱き締めた。
「あたたかい……こんな炎天下なのに、あたたかいことが嬉しいよ……」
 そう呟いたヨネコ。
「いつかもっとあたたかい世界になるように、私ももっと未来でも頑張るから」
「ありがとう、リエが新しい世界を作っていってね」
 そんな会話をしたところで、気付いたら私は目を醒ましていた。
 部屋はクーラーをつけているので涼しいけども、心の中はじんわり優しく心地良かった。
 私は起きて、すぐに長岡の空襲を読むことにした。
 すると私は驚愕の記述を発見した。それは五十二ページだった。
『『『どこの家庭でも、防空壕が必要なことは理解できたが、いざつくるとなると、屋外では積雪時には使用できないし、屋内では縁の下か押し入れの下くらいしか考えられなかった。なにしろ、空襲がどんなものかもわからないのだから仕方のないことであったが、実際には、ほとんど役に立たないものがつくられた。』』』
『『『”長岡の空襲”から引用』』』
 ほとんど役に立たない……えっ、防空壕に入って助かったんじゃないの? ちょっと今までの記述を改めて見直す。
『『『Q1 空襲に備えて、どんな準備をしていたのですか。 A 市民は各自いつも防空頭巾・救急袋を用意していました。空襲警報のサイレンが鳴ると身につけて、縁の下や空き地に作られた防空壕に避難しました。また、各家の前に防火用水や火たたきが用意されていました。各町内では神社や広い空き地に大きな防空壕が造られていました。』』』
『『『長岡市ホームページ(長岡戦災資料館 長岡戦災資料館 長岡戦災資料館”leaflet-01.pdf”)より引用《2025年7月14日閲覧》』』』
 そうだ、この文章はどんな準備をしていたか問われているだけで、助かったとは書いていない。
 AIに聞いた時や体験談で出てきた”川の中に入る”がきっと正解なんだ。というかもう前段よりも体験記のほうを読んだほうがいいかもしれない。
 ページは百七十九ページから四百十八ページまで、いつ私が八月一日に飛ぶのか分からないので、まずは早く体験記のほうを読みこむことにした。
 朝の時間はずっと読み進めて、本は若干重いけども、ヨネコの命からしたらずっと軽いので、その長岡の空襲を持って、登校した。
 教室に行くともう凛々子がいて即座にこう言った。
「焼夷弾って爆弾じゃないよ!」
 確かに戦災資料館でも爆弾ではないみたいだということは分かったけども、いわゆる元々用語を知らないと知りたい情報が分からない状態で、焼夷弾は結局爆弾じゃないのかどうか分からなかったけども、やっぱり爆弾ではないっぽい。
 凛々子が語りつぐ長岡空襲のページを開きながら、
「焼夷弾って爆発というよりも、家を焼くほうに舵を切っていて、火を噴き出したりするんだって。あとそれとは別にゼリー状のガソリンを上空から撒いて、より燃えやすくしているとか、そういうことらしい」
「確かガソリンって気化しやすいんだよね、そんなモノを撒いて完全に焼け野原にしようとしていたということなんだ」
「そう、だから体に火が移ったら服を急いで切って、服ごと火を捨てないとダメらしい」
 と凛々子が言ったところで私は思いついたので、
「ということはなんというか、モトクロスバイクのレースみたいにゴーグルを何度も捨てられるようにしていたほうがいいということだね」
「えっ、それってどういうこと?」
 凛々子がそう聞いてきたので、私もあくまでテレビで一瞬見て知った情報だけども、
「モトクロスバイクのレースって泥が顔に付きやすいんだけども、走っている時に拭くことってできないじゃない? だからゴーグルがシート状になっていて、何枚も何枚も重ねられていて、めくると綺麗になるみたいな構造になっているらしいよ」
「じゃあそういう防災頭巾があったらいいかもね! めくると火を投げられる防災頭巾!」
「でもそういうものはあの世界になさそうだけども」
「そっかぁ……」
 と肩を落とした凛々子。
 でも、
「そんな真面目に調べてくれて有難う、凛々子。それカラーの本だからさ、ある種グロテスクな写真とかもあるでしょ?」
「そんな傷が丸出しになっている写真は無いし、梨絵のために何かできないかと考えることなんて当然じゃん。梨絵に何かあったらアタシ、もう生きられないよ」
「ありがとう、凛々子、そう言ってくれて嬉しいよ」
「そんな、全然普通だよっ」
 そう言って笑った凛々子だけども、どこか顔は引きつっていた。
 そうなるほど私のことを想ってくれていて、本当に心が温まった。
 そこから正しい防空壕の造り方とかも調べたけども、少なくても木製のスコップで造れる防空壕なんてものは存在しなかった。
 大体、ざっくりだけども全貌が見えてきた。
 まず防空壕は役に立たず、川に入ることが最適解。
 その川も油脂が浮いて火が走っているので、それをかわしつつ、潜っては息継ぎをして、を、繰り返さないといけない。
 自分がいる場所にもよるが、川へ向かってとにかく走るということ。
 服装は長袖長ズボンは必須で、できれば厚着をしたり、布団を水に湿らせてそれをかぶったほうがいい。
 後は、
「運、だね」
 と凛々子が恐怖におののきながら、そう言った。
「直撃したら終わりということだよね」
 と私が同調するように言うと、凛々子が寂しそうな瞳で、
「そんなこと言わないで」
「でもそういうことじゃん」
「梨絵、今日から一緒にプールへ行かない? 潜っては息継ぎの練習したほうがいいよ」
「確かにそうしたほうがいいかもね、でもそれなら私一人で」
 と言った時点で凛々子は割って入ってきた。
「アタシも行くよ! 二人でやったほうが絶対良いと思う!」
「有難う、凛々子」
 好きだよと言いかけてやめる。
 勿論この好きは友達としての好きだけども、何だか言ったら変なフラグが立ってしまいそうだったので、つぐんだ。
 私は八月一日・二日を越えても、一緒に凛々子と生きていきたい。
 令和の世は、そんな思いは贅沢じゃない世界になった。
 でも私はひょんなことからあの世界に身を投じることになった。
 何でそんなことになったかは分からないけども、なってしまったことはしょうがない。
 死力を尽くす、やるべきことは全てやる。
 潜っては息継ぎが上手くいけば、それをヨネコに教えることだってできるかもしれないし。
 放課後から早速プールに行き、貸し出しの水着を着て、プールに入った。
 前は貸し出しの水着なんて何か嫌だなと思っていたけども、そんなことは言ってられない世界を知った。
 こんなこともしてもらえる、こんな施設もある、こんなに優しい親友もいる、そのありがたみを感じながら、私は自分のやるべきことをやり続けた。
 自分の家へ戻ってきた頃にはヘトヘトだった。
 水泳は得意なつもりだったけども、ただ立ち泳ぎして潜っては出てを繰り返す作業がいかに大変かってこと。
 夕ご飯とお風呂をそこそこに、私はすぐに眠りについた。
 今日ばかりは早くあの世界へ行って、ヨネコに防空壕は無意味ということを知らせたかったから。
 気付いた時にはヨネコの隣に立っていて、私は既に木製のスコップを持っていた。
「リエ、今日はお隣さんの防空壕を作ることを手伝うんだ、一緒に行こう。お隣さんはお母さんしかいないからね、隣人愛を示せってね!」
 私は即座にヨネコへ言うことにした。
「防空壕なんて意味無いよ、助かるには川に入って潜っては息継ぎをしての一択だよ」
 ヨネコは柔和な顔で、
「それが未来の答えなんだね」
「ヨネコ、泳げる?」
「人並みには」
「私、立ち泳ぎのコツ、教えることができるから、一緒に泳ぎに行こう」
「そうだね、それが正解なんだろうね、でもね、リエ」
 悲観している顔でもなく、真っ直ぐとした瞳で、
「防空壕を造りにいかないとダメなんだ、ここはそういう世界なんだ」
「そんな……防空壕なんて意味無いんだよ、みんなそこで蒸されて死んじゃうだってさ」
「わたしはリエのこと、全面的に信じるけども、きっと他の人たちは信じないと思う。とりあえず今は防空壕を造らないといけないんだ。手伝ってくれないかな? 勿論、手のひらが痛いなら手伝っているフリでいいよ」
「無意味なのに……」
「知ってるよ、だってリエが教えてくれたから。それに全部無意味だよ、知ってるよ、こんなことしたって、竹槍も多分意味無い、だって金属類を回収しているんだから、使う武器はきっと金属だ、竹槍で何ができるんだって話」
 ヨネコは多分、この時代の人の中では達観している子なんだと思う。
 ある程度覚悟しているというか、もう無理なんだということに気付いているというか。
 するとヨネコが満面の笑みで、
「でもありがとう! リエ! 防空壕造り終えたら一緒に川へ行こう! 立ち泳ぎのコツ! 教えてよ!」
「勿論!」
「じゃあ早く防空壕を完成させなきゃ!」
「そうだね!」
 私とヨネコは元気ハツラツを作り出して、一緒にお隣さんの家の縁の下に防空壕を造った。
 勿論溝みたいな穴、私はギリギリお隣さんが入らないくらいのサイズで「大丈夫! 大丈夫!」と言って、終わらせた。
 これでこのお隣さんが防空壕を使わなければいいなぁ、って。
 その後、私とヨネコは川に行って、泳ぎの練習をし始めた。
 毎日の炎天下により、川の水は少なくなっていて、溺れる心配は無いけども、ちゃんと潜れるか微妙だ。
 身長の高い男子だったら足がつきそうだ。これならしっかり立ち泳ぎをしなくてもいいのかもしれない。
 いや全ての川がそうだとは限らないので、まずは基本の立ち泳ぎからだ。
 私は水泳を得意と自負しているが、スイミングスクール自体はそんなに好きじゃなかった。
 でもまさかこれがこんな形で生かされるなんて、そこは両親に感謝した。
 できるだけ橋の真下で行ない、遊んでいると思われないようにしないといけない。
 それがちょうど潜る練習になり、通行人がいなくなったところで顔をあげると、何だかおかしくて二人で笑ってしまった。
 ヨネコとは生きている世界の軸が本来違う。
 だからヨネコと一緒に生きていくことはできないんだけども、何だか私はヨネコとも一緒に生きたいと思った。
 勿論八月二日が過ぎたあとも、ずっとこの世界にワープしていったら、滅入るとは思うけども、でもヨネコが幸せかどうかは見届けたかった。
 いいや、きっとヨネコと一緒に生き延びて、ヨネコも幸せな生活を送るに違いない。だってヨネコはこんなにも良い子なんだから。
 二時間くらい励まし合いながら練習しただろうか、空襲の時間は一時間四十分なので、二時間くらい潜っては息継ぎを、ができる自信があれば大丈夫だ。
 川からあがった私とヨネコは日差しのもとへ行き、服を乾かし始めた。私の白いパジャマはもう土にしっかり染められているのか、薄くなることは無かった。
 ふと、ヨネコが、
「今度、未来の話を聞かせてよ。きっと終戦するんでしょ」
「うん、終戦するよ、八月十五日に」
「でもその前に長岡に空襲が落ちるんでしょ」
「そう、八月一日の午後十時半からだよ」
「左近地内の爆弾を予言したから、きっとそうなんだね」
「うん」
 ヨネコは遠くの空を見ながら、
「こんなに空は美しいのに、何で空は高いんだろうか」
 私は小首を傾げながら、
「どういうこと?」
「高くなければ飛行機なんて飛ばないじゃない、飛行機が飛ばなきゃ空襲も無いじゃない」
「でもね、ヨネコ、いつか飛行機は人を運ぶための、旅客機ばかりになるんだよ」
「本当に? わたしもどこか遠くへ行くことができるかな?」
「きっとできると思うよ」
「楽しみだなぁ」
 明日がまるで楽しみのようにそう言ったヨネコ。
 その前に八月一日があるのに。
 このまま時間が止まったっていいのに。
 未来ってそんなに明るいかなって、ちょっと思ってしまった。
 いや、この時代よりはずっと輝かしいものなんだろうな、って、分かった。
 炎天下でも川の水は冷たくて、手のひらも水温により麻痺していたので、私は隣に座ったヨネコの手を握った。
 痛さなんて感じない。素直になれる柔らかさだけだ。
 ヨネコがこっちを向いて微笑んだ。
 私も微笑み返したと思う。
 だって人って鏡だから。