・【06 凛々子と私】


 朝起きたら即座に行動へ移す。
 早めに支度や朝ご飯を済まして登校、そのまま学校の図書館に直行し、長岡空襲の本を探そうと思ったんだけども、まだ開いてなかった。
 こんな早く図書館に来たこと無かったから分からなかったけども、どうやら朝は開いていないらしい。ここも調べておかないといけなかったんだ。
 支度の時に巻いてきた包帯を軽くイジって、ぼんやりしてしまう。
 手のひらの皮はそんな簡単に修復はされず、いつ治るんだろうと思っていたら、まさか凛々子との仲にヒビが入ってしまうとは。
 何だかどっちも治りそうにない。本当に私はこれからどうなってしまうのだろうか。
 やっぱりあの時、凛々子を追いかけたほうが良かったのだろうか、でもそんな暇は一切無くて、とか考えているのに、完全に時間が空いてしまった。
 開いてないのに、空いちゃって、なんてつまらないことを考えてしまう。
 教室に戻って検索していようっと。
 そうだ、長岡空襲の本のタイトルとか知っておいたほうがいいから、本のタイトルを検索しておこう。
 『長岡空襲 本』で検索だ……! 本だ……本が売られている……。
『『『長岡戦災資料館では、長岡空襲の惨禍を後世に語り伝えるため、書籍を販売しています。』』』
 長岡戦災資料館という場所へ行けば本が売っているということか! これは重要な情報だ! まず本のタイトルをリストアップしておこう!
 今のうちに本の中身もちょっと知りたいけども、試し読みみたいなコーナーは無いかな? 本のタイトルで検索かけてみよう。
 『語りつぐ長岡空襲』で検索してみよう、これがフルカラーで一番良い感じがする。
 このページなら試し読みみたいなことがあるかも。
『『『平成15年に開館した長岡戦災資料館は、長岡空襲を語り継ぎ、平和の尊さを後世へ伝えていく施設として、これまで大勢の皆様から訪れていただき、令和5年7月に20
周年を迎えました。このたび、二十周年記念誌を発行します。これは、平成25年に発刊した『語りつぐ長岡空襲―長岡戦災資料館十周年記念誌―』を改訂し、これまでの活動の歩みを残すとともに、恒久平和への想いを長岡から全国に発信するものです。また、これを記念し、「所蔵資料展」を開催します。
 (1)主な改訂 ・新たに語り部として活動をされている方(5人)の体験談を掲載
 ・平成25年以降に収集した遺影70人分を掲載
 ・平成25年から令和5年までの長岡戦災資料館の歩みを掲載
 ・長年、平和学習に取り組んでいる代表校の活動内容を掲載』』』
 主な改訂ということはこの前段階の本があって、その改訂版ということか。でもどうやら試し読みというか、さわりだけ読めるページは無いかもしれない。
 そもそもあれば、あの売っている本のタイトルを出しているページに貼ってあるものかぁ。
 でも長岡戦災資料館に行けば買えるということかな? 問題は二千円という値段、いやいいや、別にお小遣いはあるし……いや!
『『『(8)無償頒布先(470部)市内小・中学校、市内・県内図書館、県内市町村、全国平和・戦災関係施設、遺影提供者ほか関係者 』』』
『『『以上、長岡市ホームページ(長岡戦災資料館開館20年記念事業『語りつぐ長岡空襲-長岡戦災資料館二十周年記念誌-』を発行”20240123-2-1.pdf”)より引用《2025年7月15日閲覧》』』』
 図書館に行けばあるということだ! やった! 無料で読める! これはデカいぞ! 早く図書館開かないかなぁ!
 ウキウキというわけでは別に無いのだけれども、早く昼休みにならないかなと思いながら、時間を過ごしていた。
 ちょっと時間が空いたので、教室をぐるりと見渡すと、凛々子はまだ教室にいなかった。いつもは早めに来るはずなのに。私のせいなのかな、やっぱり。急に鬱ってしまった。
 朝のホームルームのチャイムと同時くらいに、気だるそうに凛々子が登校してきて、無言でそのまま席に着いた。
 ホームルームそこそこに軽い休み時間を経て授業が始まった。今日の三限目の体育は手のひらが痛いので見学した。
 更衣室で着替えていても凛々子が話し掛けてくることはない。そう言えばいっつも凛々子が話し掛けてくるパターンだったな。私から行くことはあまりない。
 だからって急に話し掛けるのも何かなぁと思ってしまう、どうせ結局私は長岡空襲を調べないといけないわけだから。
 今は友達よりも自分の生死が大切だ、そればっかりは仕方ない。そういう状況なんだから。
 凛々子の視線を感じることはある。主に手のひらの包帯を見ているようだ。だからって特に何も無いし、それ以上気にしてもしょうがない。
 四限目も終わり、昼休みになったところで私は即座に立ち上がり、図書館に向かおうとすると、通せんぼされてしまった。凛々子に。
「梨絵! 本当に変! どうしたの! 戦災資料館に行く気っ?」
「別に。図書館だよ。というか戦災資料館なんてよく知ってるね」
「だって調べに行くんでしょ!」
「今は行かないよ、図書館で本を読むの」
「長岡空襲のっ?」
「そう」
 私は通り過ぎようとするんだけども、凛々子が肩を入れてくる。
「一体何?」
 と私が少し苛立つように言うと、凛々子は、
「こっちの台詞だよ!」
 と声を荒らげながら、私の手首を掴んで、上にあげながら、
「何この包帯! 厨二病は流行らないよ!」
「あんまデカい声で言わないでよ、これはヤケドだし」
「両手がヤケドするはずないじゃん! 言ってよ! 本当の理由を言ってよ! 言いづらいなら場所変えるから!」
「本当にヤケドだから」
 すると凛々子が俯いたと思ったら、
「アタシってそんなもんなの……ゴメン、メンヘラみたいだよね……でも本当のことも言えない仲とはアタシ、思ってもいなかったから……」
 と涙ぐみ始めて、正直何が正解か分からなくなった。
 でもそうか、私は凛々子が泣くことは嫌かもしれない、自分が電波と思われるよりずっとずっとずっと。
「分かったよ、凛々子、空き教室に行って一旦話そう」
 凛々子が顔をあげた時、口角はあがっていたけども、涙をボロボロ流していた。
「ハンカチ」
 と言って渡すと、
「ありがとう」
 と受け取って拭いた凛々子。
 私と凛々子は一緒に空き教室へ行くことにした。
 着いたところで私は即座に包帯を外した。これの説得力に賭けるしかないから。
「凛々子、真面目に聞いてほしいんだけども、私の手のひらは今こうなっている」
 私の手のひらをまじまじと見た凛々子。
 皮が擦り剥けているということはパッと見では分かりづらいけども、ちゃんと分かったみたいだ。
「皮が剥けている……こんな! 何したのっ?」
「竹槍持って振るったり、バケツリレーでさらに剥かれちゃって」
「何で竹槍……? そんな竹槍教室なんてあるの? でも隠す必要無いじゃん! 新しい習い事を始めたなら!」
「これは」
 と私は少しためらう。こんなことを言って果たして信じてもらえるか。自信が全然出なくて、この声の一歩が出ない。
 すると凛々子が真剣な瞳で、
「普通だったら手を握りたいけども、手のひらが痛々しいからしないよ。でも、でも、アタシは梨絵のこと、一番に想っているから……!」
 応えよう、ただそれだけの気持ちだった。
「私、寝ると夢の中で長岡空襲が起きる前の世界に飛んでしまうようになって、そこでの傷が現実世界にも少し残るようになってしまったんだ。だから竹槍やバケツリレーは向こうでの皮剥けで、きっと私は長岡空襲が起きる八月一日にもその世界に行くと思う。そこで死んでしまったら、きっと本当に死ぬと思っている。だから生き残るためにいろいろ調べないといけないんだ」
 凛々子は絶句しているようだった。
 さて、このあとなんて言われるだろうか、心臓の動悸が止まらない。
 このまま本当に絶交する可能性だって全然あるだろうし、そもそもその可能性は高いと思っている。
 凛々子が深呼吸したタイミングで私は呼吸が止まってしまった。
 これから凛々子が言うんだ、凛々子が何か言うんだと思ったら、このまま窒息しそうだ。
 水泳が得意という自負はあるけども、息継ぎが一切できない。
 そんなことを考えたところで、凛々子が、
「信じるよ、というかそうじゃないとおかしいもん、そのケガに最近の梨絵の思考回路というか行動が。分かった、私も逃げない、長岡空襲から逃げないで一緒に調べる。枯れ木も山の賑わいだけども脳は二つあったほうが効率いいでしょ」
「し、信じてくれるの……?」
 私は脳内に空気が足りていないのか、震えた声が出てしまった。
 凛々子はうんと頷き、
「当たり前だよ、だってそうじゃないと逆におかしいじゃん、梨絵の行動が。そのケガが」
「ありがとう、ありがとう、凛々子……」
 と私が軽く俯いてしまうと、凛々子がハンカチを返しながら、
「使っていいよ」
「いやそれは元々私の」
 と反射で言うと、凛々子が私の肩を掴んできて、
「そう、そうやってちゃんと会話して、対話しながら一緒にやっていこう。だって梨絵の命はアタシの命と同義だからさっ」
「何でそんなに信じてくれるの……?」
「だってずっとそうやってきたじゃん、アタシは梨絵を信じて、梨絵もアタシを信じてくれていたんでしょ? じゃあその通りに生きていくだけだよっ」
「本当にありがとう」
 と言ったところで、何だか優しくて暖かい何かに包まれたような気がした。
 否、凛々子が抱き締めてくれていた。
「手が握れない分、こうやってもいいでしょ? 嫌じゃないでしょ?」
「うん、嫌じゃない……」
 ちょっと経ってから私と凛々子は時計を見てから、長岡戦災資料館のほうへ行くことにした。
 図書館に行けば、語りつぐ長岡空襲が置いてあるかもしれないけど、まずはちゃんと全体像を知るという意味で。
 私と凛々子は駆け足で校門から出て行った。
 長岡学園高校と長岡戦災資料館は目と鼻の先だ。
 家からも近かったけども、今まで行ったことは無かった場所。
 きっとそれはずっと無関心だったからだ、長岡空襲に。
 知らなくても生きてこれた、きっとそれは幸せなことなんだと思う。
 でも私はもう知らないといけなくなった。それが自発的だったらしっかり者かもしれないけども、こういう事態になってしまって。
 しかしながら凛々子は違う。
 凛々子は私のためにやってくれている。
 これはきっと当たり前じゃない。
 現に凛々子は長岡空襲の話を気持ち悪いと言って毛嫌っている節がある。
 ただそれこそ、本当に、真っ直ぐな、何の偽りも無い感情だとも思っている。
 戦争って気持ち悪いのだ。
 戦争を起こすという発想も、戦争を続けるという発想も。それでいてケガした箇所はグロテスクだし。
 そう思っているにも関わらず、私に寄り添ってくれている。
 だからといって凛々子に無理をさせることは違うので、本当に気分を害したら凛々子を一番に守りたいと思う。
 その時に思った。
 自分の生死も大切だけども、凛々子の命だってもっと大切だって。
 この大切なことを忘れかけていた。自分可愛さに。
 ずっとずっと凛々子が一緒にいてくれた。そんな凛々子のことを捨ててしまうところだった。
 やっぱり凛々子がいてくれた、凛々子が凛々子だからこそ、私はまだ大丈夫なんだ。
 凛々子への感謝の気持ちを忘れずに、私は一緒に走っていった。
 戦災資料館に着くと、その語りつぐ長岡空襲も受付のところで売っていた。
 でもまずは資料館内を見ていくことにした。
 この資料館は写真撮影禁止らしい。ちゃんと見たり、メモしていかなきゃ。
 私は「あっ」と声を出してしまうと、凛々子が、
「どうしたの?」
「これ、私もやった」
「この千人針というヤツ?」
『『『夫や息子に召集令状が来ると、女性たちは街角に立ち、千人の女性から晒し木綿に、ひと針ずつ赤い糸を縫い、縫い玉を作ってもらい、お守りの千人針を作りました。』』』
『『『戦災資料館にて(2021年9月訪問)』』』
 さらにはその縫い玉で虎柄が作られて、長久武運と書かれた大きな横断幕のような千人針もあった。
 凛々子がふと、
「願いを込めたんだね、生きて帰ってきてほしいって」
 と言った時に分かった。
 そうだ、別に女性たちは戦争に勝ってきてほしいと願ったわけではないんだ。
 いやそう願っていた人もいただろうけども、それよりもまず、生きて帰ってきてほしかったんだ。
 やっぱり一人で考えるだけじゃ、本当の答えを出すことはできなかった。
 勿論そのことは長岡空襲の日にいる自分には意味の無いことかもしれないけども、そういう心に触れてからまた向こうの世界に行くことは何かが違うんじゃないかな。
 その他、戦災資料館には像や実際に使われた焼夷弾の模型などが置いてあった。
 こんな竹刀のようなモノが上空から落ちてきたら、と思うとゾッとする。
 見終えたところで凛々子が、
「二人で一冊買おうか、本。勿論その八月一日まではずっと梨絵が持っていていいからさ」
「いいよ、私が自分のお金で買うよ」
「いいの、いいの」
 と受付のあたりで会話していると、私と凛々子の制服を見た受付の女性が、
「長岡学園の子?」
 凛々子がハキハキと、
「はい!」
 と答えると、
「図書室にもあるはずですよ、語りつぐ長岡空襲は。それに長岡の空襲もあるかも」
「長岡の空襲?」
 とオウム返ししてまった私に受付の女性は、
「既に戦災資料館では販売していませんが、当時のことが当時の筆致で書かれている本です。全部で五百八十ページくらいあって、長岡空襲のことを全て知るなら、図書室でその本を借りるといいと思いますよ」
 なんとも有益な情報をゲットできた。私と凛々子は急いで高校に戻ると、もう五限目開始のチャイムで急いで教室へ走った。
 授業も終わり、放課後すぐに図書館へ行って、長岡の空襲という本を手に取った。
 なんとも分厚い本で、多分昔は真っ白いカバーだったんだろうけども、もうあの世界のようにくすんだ色になっていた。
 奥付を見ると、昭和六十二年の八月一日に発行となっていた。
 令和五年に刊行となった語りつぐ長岡空襲も気になるけども、あえて言い方なども変わっているだろう新しいほうよりも、よりあの頃の想いが強そうなこの昔の本を読み込むことにした。
 一冊しかないので、凛々子には語りつぐ長岡空襲のほうを読んでもらうことにして、それぞれ一冊ずつ借りて、図書館から出た。
 まずは本を読みこまないといけないので、今日はバイバイして、私は自分の部屋でこの長岡の空襲という本を熟読することにした。
 文字は小さくて、読み応えというか、読まないといけない文章が多い。
 前半が八月一日までの日々で、後半が八月一日と二日の体験記となっている。市民の声が何百ページにも掲載されている。
 私は一ページ目から順番に読んでいくわけだけども、初めて知るようなことばかりで、こんなに凄惨だったんだということがよく分かった。
 例えば疎開してきた子供たちの手紙は全て先生が検閲をするらしい。来るのも送るのも。ネガティブなことが書いてあったらダメという話で、手紙でこそ弱音を吐きたいだろうにそんなことをすることさえも許されなかったのだ。
 今の時代、SNSに病み垢とかもあるけども、病むことさえもできなかった時代があるということだ。元気ハツラツということにしなければならなかった時代。
 そしてヨネコが言っていた通り、空き地は全てカボチャ畑になっているって。理科の授業で先生が言っていたこと覚えているけども、やっぱりカボチャって強い植物で育てやすかったんだろうなぁ。自分の庭のゴミ捨て場に適当に捨てたカボチャが次の年に芽吹いて、実が成ったとか愚痴をこぼしていたことあったし。
 金属類から工芸品まで回収するという話も書かれている。意味のある銅像までも国にとられたなんて、それじゃあ文化がついえてしまうじゃないか。
 モノを手に入れるには全部点数制になって、点数が無くなってしまうと、もう物々交換だけになってしまうなんて話も書かれている。
 服さえも点数で手に入れて、そして元から持っている点数がとにかく少ない。そんなんで生活できるはずがない。
 飛行場の工事などもあったらしい。ダンプカーの荷台に雑に乗せられているから、木々の枝が首に引っ掛かって……みたいなこともあって。
 それでいて体験者の話だと、結局その飛行場が使われたところを見たことも、使ったという話すら無かったって、本当に行き当たりばったりで政府が動いていたんだ。
 こんなことで勝てるはずがない。いや戦争はもはや勝ち負けじゃないけども、そもそもしちゃいけないことだけども。
 早く降伏すれば空襲だって無かっただろうに。そりゃ結果論だけども私は今も日本語を喋っている。アメリカに負けたところで大打撃にはなっていない。
 ちゃんと日本は日本らしく生活できていると思う。何がそんなに負けたくなかったのか、そもそも勝ち目があったと本当に思っているのか疑問だ。意地だけでやっていたのなら本当に意味が無い。勿論戦争をやる時点で意味は無いんだけども。
 五十ページ読んだところで、気力がさすがに薄くなってきて、夜も更けてきたし寝ることにした。
 一応大体の八月一日までの道のりは分かった。
 さて、ここからどうしていくか、だ。