・
・【11 当日の】
・
「お母さん、おはよう」
と普通に挨拶したつもりだけども、お母さんは、
「今日別に休んでいいからね、体力が大切でしょ」
「お父さんから聞いたんだ」
「まさかそんなことになる家系だなんてね、知っていたらお父さんと結婚しなかったよ」
「でもお父さんと結婚していないと私、生まれていないよ。あと何かお父さんも付き合っている時に話したことあるって」
「そうだね、それはホラ話だと思っていたから。お父さんはずっとふざけた人だから」
私の大切な部分が飛びそうだったので、あえて粒立てるように、
「生まれてないヤツも」
「そう、それはそう」
と俯いたお母さん。
私はお母さんの隣に座って、
「大丈夫だから、やるべきことはやったし、私、学校へ行って凛々子に会いたいよ」
「凛々子ちゃんも一緒に休めばいいのよ」
「そんな強権な、戦時中じゃないんだから」
「凛々子ちゃんに今から電話する」
「いやだから学校行くよ、凛々子の予定だってあるし」
「そう」
と言って深く下を向いたお母さん。
私は、ふと思い出したから言うことにした。
「そう言えば私、未来の夢もちょっと見ていたんだ。確かおばあちゃんのお父さんは未来の夢を見ていたって。私が未来の夢を見るということは私には未来があるという証明にならない?」
「そんなの、分かんないよ、パラドックスだってあるし」
「そんなSF用語で悲観しないでよ」
「お母さん心配なの!」
ヒステリックにそう声を荒らげたお母さん。
私はお母さんの肩を優しく叩きながら、
「信じて、私のことを信じてって」
「分かったわよ、もう……」
とお母さんが泣き出してしまったので、私はいたたまれなくなって、一旦自分の部屋へ戻ることにした。
でも分かる。外に出たらケガしてしまう可能性もあるから、仮に足をケガしたらその時点で空襲からは逃れられなくなる。
足を骨折していた人が生き残っている体験記録なんてない、というか、あれ、この長岡の空襲の体験記録に……私はゾッとしてしまった。
何故ならヨネコという名前の女性が体験記録に残っていないことに気付いたからだ。
えっ、じゃあ空襲でそのまま命を落としたということ……? 助かっていないの? ヨネコって……そんな、あんなに未来に対して夢を見ていたのに……こんな無慈悲なことがあるのか。
生きていたらきっと体験記録書くよね、じゃあ防災頭巾も実は意味が無かったり? いやいや空襲は生き抜いたけども、そのあと病気でとかは全然ありえる。
せめて空襲の日だけは一緒に生き抜いて、と思っているのに、手足が震えちゃってダメだ、ヨネコは、いやいや生きる! きっと生きる!
何か体験記録みたいなのが好まなかっただけ! きっとそう! あとそうだ! 凛々子が借りた本のほうには新たなに追加された体験記録もあるって話だ!
凛々子にLINEしてあの本を持ってきてもらおう! じゃあ学校へ行かなきゃ! まずご飯を食べなきゃ!
一階へ降りると、もう泣いていなかったお母さんが無言で朝ご飯を出してくれて、食べ切ったのち、
「せめて送り迎えを車でさせて」
とお母さんが小声でそう言ったので、私は甘えることにした。
お母さんの車で学校に着いたわけだけども、涙ぐみながら運転するので、かえってヒヤヒヤしてしまった。視界大丈夫かな。
教室に着くと凛々子がいて、すぐに凛々子が持ってきてくれた本の体験記録を読み始めた。
でもやっぱりどこにもヨネコさんという名前の女性はいなくて。
私が親友の子の名前が無かったというと、凛々子は静かに私からその本を受け取って、
「でもきっと空襲は大丈夫だと思うよ、やるべきこと全部やったんだから。でもそれでも体験記録に名前が無いということは空襲を生き抜いた上で病死したんだよ、それは仕方の無いことだよ」
まるで私からその親友の子の名前、つまりヨネコを早く忘れさせるように、その本を素早く閉じた。
そうだよね、そんなこともあるよね、でも令和の世界でも会いたかったな。
いやいやそもそも、長岡空襲から八十年後の世の中、あの時に十五歳くらいだったから生きていても九十五歳、もう寿命でお亡くなりになっているだろうし。
女性は寿命が長いと言ってもさすがにここまででもないし、諦められて逆に良かったのかもしれない、と思うしかなかった。いいはずないけども。
センチメンタルな気分で溜息をついてしまうと、凛々子が元気づけるように拳を握りながら、
「そうそう! ひいおばあちゃんが言っていたんだけどもさ! アタシと梨絵に、長岡空襲の課題頑張ってねって伝えてだってさ! 自分が思う道を邁進すれば大丈夫って言ってた!」
私はふと、
「ひいおばあちゃんって何歳?」
「いやぁ、アタシは音楽で言うところのメロディ派、人で言うところの存在派だから、家族の年齢は把握していないよっ」
「前者の注釈いらないし、年齢把握していないんだ」
「というか梨絵はお父さんとかお母さんの年齢分かる?」
「そこは分かるでしょ、お父さんもお母さんも三十八歳だよ」
「あー、それは同い年だからだよ」
「何覚える数字が一個だけで覚えやすいからなぁ、じゃぁないんだよ」
凛々子はまあまあといった感じに薄く笑った。
いや両親の年齢は覚えているだろ、ひいおばあちゃんは分かんないとしてもさ。いやでも長岡空襲を生き抜いたと言っていたし、九十歳近くかな。
朝のホームルーム前はそんな感じで、昼休みもいつも通り喋って、放課後はもう備えるしかないかな、と思っていると、凛々子が、
「今日は梨絵のおうちに遊びに行っていい? 夕方には帰るから!」
「別にいいけども、別にもうやることないよ、本当に」
「別にって言い過ぎ!」
「二回なら許容範囲でしょ」
「とにかくついていっていいっ?」
「ちなみに今日はお母さんの送り迎えだから」
「そうなんだっ、もしかするとお母さんにもそのこと話したの?」
「直接じゃないけども、お父さんがそれとなく。まあ信じてくれているらしい」
凛々子は咀嚼するように頷きながら、
「みんなに信じてもらえていいね!」
「まあそうなのかなぁ」
凛々子と一緒に校門へ行くと、お母さんがもう車を横づけしていたので、二人で乗り込んだ。
お母さんは少し無愛想に、
「凛々子ちゃん、久しぶり」
と言うと凛々子が快活に、
「はい! お久しぶりです!」
と声をあげた。
本来お母さんだって通常時は元気なほうだ。でもお母さんはだいぶメンタルがやられてしまっているらしい。
黙って運転して、私と凛々子もなんとなくそれに合わせて静かに乗っていた。
家に無事着き、私と凛々子はそのまま自分の部屋へ行った。
いつものお母さんならお盆にジュースを持ってくるついでに、凛々子と軽く会話していくのに、一切顔を出さない。こりゃ重症だ。
凛々子はいつも通りといった感じで明るく喋っている。
私はいつ気絶するように眠るのか分からないので、もう服に着替えて、防災頭巾をしている。
凛々子が楽しく話し掛けてくれていることは有難いけども、どこかやっぱり心ここにあらずで。
ヨネコが病死してしまうなんて、いや体験記録のアンチの可能性も無いこと無いけども、それはやっぱり長岡市民としては無いと思う。
というか空襲を生き延びる可能性も百パーセントじゃないわけで。でも防災頭巾に不備があるなんて考えたくないし、もしかしたら焼夷弾が足に直撃するとか?
いやいや、考えない考えない、とにかく空襲は生き延びるし、もしかしたら生きてるかもしれないし、いや病死、病死なんだろうな、きっと。
全然良い方向じゃないのに、それが最善の方向だと脳が認識している。病死の何がいいんだ、本当に。
ふと、凛々子が柔和な笑顔で、
「本当は一緒に添い寝したいよ、手を繋いでさ」
「でもそれで凛々子も一緒に急に行くことになったら大変でしょ」
「そっか、防災頭巾は二個しかないもんね、その親友の子の分だもんね」
「そう。二個かぶれるか分からないから、もう一個は先に渡しているんだ」
「それがいいと思う。さすが梨絵」
改めてといった感じに私は、
「というか本当に防災頭巾を作ってくれてありがとう。そのひいおばあちゃんもビックリするくらいに良い防災頭巾だったという話じゃない」
「そうそう、よろけてあわやだったよ」
「よろけてあわやを良い思い出みたいに言わないで」
とツッコんだところで凛々子と笑った。
そんな時だった。玄関のチャイムが鳴り、お父さんの水の入ったパウチのヤツだと思った。
玄関へ行くと、お母さんが宅配業者さんから荷物を受け取っていて、お父さんの名義だったので、その場で開けた。
お母さんが一瞬「変なのだったら」と言ったけども、これは水の入ったパウチだと知っているので、躊躇なく。
言われた通り、水の入ったパウチでお母さんがそれを見て、呟くように、
「こういうのわたしも何か用意してあげれば良かったのね」
と寂しそうに言ったので、私は即座に、
「お母さんは話を聞いてからすぐだから。大丈夫。送り迎えしてくれただけで嬉しいよ」
「本当梨絵……」
とまた泣き出しそうになったので、つい私は逃げるようにパウチを持って凛々子が待つ私の部屋へ戻った。
凛々子は言った通り、夕方になったら帰るみたいで、
「じゃあね、梨絵。また明日!」
とめっちゃデカい声でそう言ったので吹き出してしまった。
でも凛々子は本気で! って感じで、
「梨絵も言って! また明日! 絶対また明日だから!」
「うん、分かったよ、凛々子。また明日ね」
「そう!」
そう言って握手を無理やりしてきて、ブンブン手を振るった。
私は玄関まで凛々子を送って戻ってくると、お母さんが廊下に立っていて、
「食事はどうする?」
「普通に食べるよ」
と答えて、一旦二階に戻って、軽く体験記録を読んで、夕ご飯をお母さんと一緒に食べて、お風呂に入って自分の部屋へ戻った。
お母さんはまるで喋ったらまた泣いてしまいそうという顔で、ずっといた。
大丈夫、絶対大丈夫、と思いながら、少し早めに眠りにつくことにした。
気が付くと、私はヨネコといつもの木々の傍で座っていた。夕方五時くらいだ。
即座にヨネコが私へ、
「ほら! 防災頭巾! ちゃんと死守したよ!」
「盗られそうになったんだ」
「そうそう! でも大丈夫だった! このアゴを結ぶ紐のおかげ!」
「……ヨネコ、今日の日付は?」
「八月一日で多分午後五時かそれくらいだよ」
「じゃあさ、ヨネコ、今日はもう一緒に栖吉川に行かない?」
ヨネコはハッとした表情をしてから、
「そっか、そうすればいいんだっ」
「勿論私の言うことを全面的に信じてもらうことになるけども」
「そりゃ勿論、リエのことは信じているよ」
「じゃあ行こう」
「うん、行く」
私とヨネコは栖吉川へ向かって歩き出した。
八月一日の夕方はまだまだ明るくて、長岡市は七時くらいまでは明るいはずなので、絶対着くと思う。
あとはそこにいるだけで、きっと回避可能だ。これなら絶対安全に空襲はパスすることができる。
その後のヨネコの病死は分からないけども、空襲が安全ならヨネコもなんといっても私も余裕だ。
ふと、ヨネコがこう言った。
「実は私はずっと浮いていたんだ、日本国をそこまで強く信じることができなくて」
「浮いていたかどうかは分からなかったけども、それはこっちも察していたよ」
「きっと日本国は負けるんだろうなぁって」
「うん」
ヨネコはゆっくりと、でも確実に、
「そんな中、リエが来てくれて本当に励みになったし、楽しかったよ。わたしもなんとなく分かるよ、きっとこれがリエと会話する最後の日だって。そしてそれはリエにとっても幸運なこと」
「かもね」
ちょっとした沈黙が流れたその時だった。
警察官っぽい男性がこう言ってきた。
「そろそろ夜になる! 家に戻りなさい!」
私は突然のことであわあわしているとヨネコが毅然とした態度で、
「友達と歩いているだけです。ちょっとした散歩です。気にしないでください」
でも警察官も負けじと、
「いいや! いつ空襲があるかどうか分からない! 家にいれば、家に作った防空壕もあるだろう! 家が一番安全だ! あと避難するなら平潟神社のほうだ! 覚えておきなさい!」
まさかこんなことがあるなんて、じゃあヨネコはこの空襲で死んでしまうのでは……というかそれだと私も危ないというか、と思ったその時だった。
「リエ! リエは先に行っていて!」
そう言ってヨネコは警察官の身体をがっつり掴んで、身動きできなくした、のは束の間ですぐにヨネコは投げ飛ばされて、警察官は私を捕まえ、
「何を言っているんだ! 早く戻りなさい! 親御さんも心配しているだろう!」
地面に倒れっ放しのヨネコに私は正直背筋がゾッとしてきた。
もしかしたらこれで死……私は青ざめて震えていたんだろう、警察官が、
「分かった、本官が家まで送って行ってやる。さあ家はどこだ」
と言ったところでヨネコが立ち上がって、ホッと一息したんだけども、ヨネコはどこか苦痛に顔を歪ませていて、
「ヨネコ、足とか大丈夫?」
「リエ……大丈夫……」
と掠れた声で言って、足をケガしてしまっているということを悟った。
そんな、こんな完璧にやってきたのに、警察官に投げ飛ばされて足をケガするなんて……致命的だ……。
警察官のほうを見ると、どこかあらぶっているようで、また何をしでかすか分からないので、
「ヨネコ、家に戻ろう」
と言うと、ヨネコはこくんと頷いて、歩き出したわけだけども、どう見ても足を引きずっていた。
警察官はそれを見て見ぬフリして、歩いている。
ヨネコの家に着き、私は姉妹みたいな顔してヨネコの家へ入っていった。
そう言えば、と思って、
「ヨネコって家族いるの?」
「いないよ、みんな戦死や病気で死んじゃったんだ」
「そうだったんだ……」
少しの沈黙のあとに、ヨネコは口を開き、
「リエ、警察官がいなくなるだろう夜になったら、一緒に歩いて栖吉川へ行こう」
「というか足、本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ、午後八時になれば暗くなるし、午後十時半までには栖吉川に着くよ」
でもそのあと果たして立ち泳ぎして、潜っては息継ぎを、が、できるか心配だった。
いやそこの心配をしていても、もう仕方ない。
息継ぎが上手くいかなければ、私が隣で引っ張りあげればいいだけだ。
私は泳ぎの練習をいっぱいしたし、凛々子と一緒にしたことにより、その引っ張りあげる動作の練習も実はしていたし。本当に凛々子、様様だ。
午後八時、警戒警報が鳴り響くなか、私とヨネコは外に出ることにした。
その瞬間だった。
「どこかに行こうとするな!」
なんとあの警察官がずっとヨネコの家の前で座っていたのだ!
その警察官は続ける。
「やっぱり本官の勘は鋭い! こういう怪しい輩が出てくる! それを止めるのが警察官の仕事だ!」
なんて情弱、という言葉が浮かんでしまったんだけども、そりゃ仕方ないことなのか。それともコイツがあまりにもしつこいのか。
この警察官は理由をつけてサボっているような気もしてきた。
私とヨネコはすごすごと家の中へ戻って行った。
ヨネコが小声でこう言った。
「リエは健康だから、未来の人だから、私の足を気にしないで急いで栖吉川に走って」
「そんな!」
と初手でデカい声を出してしまった私は、ヨネコと同じ声の小ささにして、
「私はヨネコのこと置いていけないよ、何なら背負っていくよ」
「ダメだよ、そんなの」
「ううん、背負うよ、私結構力あるんだよ、それにヨネコは私よりもずっと痩せている。だから軽い、大丈夫」
「絶対ダメだって……」
「ダメじゃない、じゃあさ、私の頭に火が飛び移ったら、一枚布を引き抜いてよ、私が背負うんだから連携しよう」
「リエ……貴方は未来の子なんでしょ……未来の子は命の子なの……」
そう涙をボロボロ流しながら言ったヨネコ。
いいや、
「命はみんないつだって等しく平等だよ」
「何だかリエって強情だね……」
「確かに。結構そう思われているかも」
多分ヨネコを見捨てて逃げることが最適解だということは分かっている。
でもここまでずっと一緒だった子を見捨てることなんてできないし、そもそもここで見捨てたあとの人生、私は胸張って生きられる?
逃げない、いいや逃がさない、ヨネコは一緒に未来へ来てもらう、これは絶対だ。
「ゴメンね、リエ……」
「いいんだよ、ヨネコ」
何時頃になっただろうか、夜も深くなり、静かになった時間帯。
私は忍び足で、外を見に行くと、あの警察官はもういなくなっていた。
干支の話のウシのように、ちょっと早く出掛ければ、と思い、
「ヨネコ、行こう」
「もう大丈夫?」
「うん、大丈夫」
私はヨネコを背負って、家から飛び出したその時だった。
今までの警戒警報とは違う、けたたましいサイレンの音が鳴り出し、ヨネコが叫んだ。
「空襲警報だ!」
するとその音をさらに越えてくるような、まるで大雨のような音が耳をつんざく。
体験記録で読んだことあるかも、この大雨のような音は戦闘機の飛行音だ!
「来る! ヨネコ!」
「リエ! やっぱりおろして!」
「しっかりしがみついていて! ヨネコが暴れたら私転んじゃう!」
「リエのバカ……」
急に空がまるで夕暮れのように明るくなった。これも体験記録で読んだ、空襲のために一帯を明るくするヤツだ。
その刹那から、急にいたるところから火花が舞い始めた。焼夷弾を落とし始めたんだ。
さっきまで夜、そして夕暮れから、矢継ぎ早に真昼間の明度になった。
走りやすいけども、そんな悠長なことを思っていられない。
とにかく栖吉川へ向かって走り出した。
他の長岡市民もどこかへ向かって走り出している。全員に「栖吉川がいいですよ!」と言って回ることはできない。
私は無我夢中でヨネコを背負って走り続ける。突然目の前に焼夷弾がゴトォッと落ちてきた。火花は放射しない。
不発弾だと思い込んで、その脇を一気に走り抜けたところで、また別の脇に焼夷弾が落ちて火を噴いたと思ったら、急に頭が熱くなった。
「リエ! 一枚引き抜く!」
そう言って頭の上に何か通った気がしたら、その熱は消えていった。どうやらヨネコが防災頭巾についた火を一枚分投げ捨ててくれたらしい。
「ヨネコも自分の頭! 気を付けてね!」
「分かってる! それは自分でできる!」
声掛けをしながら、猛然と栖吉川が向かって長岡市街を走り抜けた。
一瞬襟足が熱くなった時があった。
でもそれもすぐに無くなった。
多分ヨネコのほうの頭に火が移ったんだ。でもヨネコは私に心配というかいらんことを考えさせないように、無言で対処したんだと思う。
市街。
中には焼夷弾が直撃したらしく「アツイ……」と言いながらその場で倒れ込んでいる男性がいた。
助けられない、助けられない、私一人じゃ無力だ、どこもかしこも「アチチ」という声がする。何もできない。やっぱり無理なのかな、こんなこと。ヨネコも助からず私も死んでしまって、火に囲まれてそのまま死んでしまうのかな、もう終わりなのかな、せっかく一生懸命やってきたのに、凛々子と一緒に夏休みを堪能したかったな、女子高生になって最初の夏休みだから、可愛い制服を着てリバーサイド千秋を遊びつくしたかった、お母さんの笑顔、結局見ることできなかったな、しょうもない反抗期が疎ましい、お父さんと最後に会話らしい会話ができたことは幸せだったのかもしれない、あったかもしれない未来も、もう無いのかな、何か知らんけども、もっと頑張れば良かった、もっと何かやっておけば、何かが変わったかもしれないのに、あぁ、終わりなんだ、終わりなんだ……。
「リエ! 栖吉川だ!」
えっ。
ヨネコが叫ぶ。
「飛び込もう!」
「着いたぁっ?」
「着いたよ! 入ろう! 一時間半くらいやっていれば空襲終わるんでしょっ?」
「終わる!」
私とヨネコは栖吉川に飛び込んで、そこから一心不乱で潜っては息継ぎを繰り返した。
時折ヨネコが足の影響で、泳ぎが不安定な時もあったけども、それは私は引っ張りあげたりして助けた。
栖吉川にもゼリー状のガソリンが浮き、そこに火花が当たって、水面が燃えるような現象も起きたけども、それはしっかりかわして、上手く潜り続けた。
相変わらず空襲警報は鳴っているけども、戦闘機の音は聞こえなくなった。
私とヨネコは川から出てきて、抱き合った。
あぁ、ヨネコも一緒に生きている、これでいいじゃないか、私は最善を尽くした。ただそれだけだ。
ふと、何だか私は浄化されるように眠くなってきて、
「ヨネコ、お別れかもしれない」
ヨネコは生唾を飲み込んでから、
「それは、帰るということ?」
「そう、帰るということ。ヨネコのおかげで私、もっと頑張るという気持ち、掴めたよ」
「そんな! リエは本当に命の恩人で!」
「またいつか、ヨネコ」
「リエ!」
きっとヨネコにはもう会えない。ヨネコはどこかで病死するから。
そんなこと伝えたってしょうがないから黙っていた。うん、それは当然。
でも、でも、もうヨネコに会えないなんて、やっぱり寂しいんだ、どうしようもないんだ、でもあの世界はやっぱり居心地悪くて、表裏一体。
ヨネコが令和の時代に転生していたら嬉しいな……。
・【11 当日の】
・
「お母さん、おはよう」
と普通に挨拶したつもりだけども、お母さんは、
「今日別に休んでいいからね、体力が大切でしょ」
「お父さんから聞いたんだ」
「まさかそんなことになる家系だなんてね、知っていたらお父さんと結婚しなかったよ」
「でもお父さんと結婚していないと私、生まれていないよ。あと何かお父さんも付き合っている時に話したことあるって」
「そうだね、それはホラ話だと思っていたから。お父さんはずっとふざけた人だから」
私の大切な部分が飛びそうだったので、あえて粒立てるように、
「生まれてないヤツも」
「そう、それはそう」
と俯いたお母さん。
私はお母さんの隣に座って、
「大丈夫だから、やるべきことはやったし、私、学校へ行って凛々子に会いたいよ」
「凛々子ちゃんも一緒に休めばいいのよ」
「そんな強権な、戦時中じゃないんだから」
「凛々子ちゃんに今から電話する」
「いやだから学校行くよ、凛々子の予定だってあるし」
「そう」
と言って深く下を向いたお母さん。
私は、ふと思い出したから言うことにした。
「そう言えば私、未来の夢もちょっと見ていたんだ。確かおばあちゃんのお父さんは未来の夢を見ていたって。私が未来の夢を見るということは私には未来があるという証明にならない?」
「そんなの、分かんないよ、パラドックスだってあるし」
「そんなSF用語で悲観しないでよ」
「お母さん心配なの!」
ヒステリックにそう声を荒らげたお母さん。
私はお母さんの肩を優しく叩きながら、
「信じて、私のことを信じてって」
「分かったわよ、もう……」
とお母さんが泣き出してしまったので、私はいたたまれなくなって、一旦自分の部屋へ戻ることにした。
でも分かる。外に出たらケガしてしまう可能性もあるから、仮に足をケガしたらその時点で空襲からは逃れられなくなる。
足を骨折していた人が生き残っている体験記録なんてない、というか、あれ、この長岡の空襲の体験記録に……私はゾッとしてしまった。
何故ならヨネコという名前の女性が体験記録に残っていないことに気付いたからだ。
えっ、じゃあ空襲でそのまま命を落としたということ……? 助かっていないの? ヨネコって……そんな、あんなに未来に対して夢を見ていたのに……こんな無慈悲なことがあるのか。
生きていたらきっと体験記録書くよね、じゃあ防災頭巾も実は意味が無かったり? いやいや空襲は生き抜いたけども、そのあと病気でとかは全然ありえる。
せめて空襲の日だけは一緒に生き抜いて、と思っているのに、手足が震えちゃってダメだ、ヨネコは、いやいや生きる! きっと生きる!
何か体験記録みたいなのが好まなかっただけ! きっとそう! あとそうだ! 凛々子が借りた本のほうには新たなに追加された体験記録もあるって話だ!
凛々子にLINEしてあの本を持ってきてもらおう! じゃあ学校へ行かなきゃ! まずご飯を食べなきゃ!
一階へ降りると、もう泣いていなかったお母さんが無言で朝ご飯を出してくれて、食べ切ったのち、
「せめて送り迎えを車でさせて」
とお母さんが小声でそう言ったので、私は甘えることにした。
お母さんの車で学校に着いたわけだけども、涙ぐみながら運転するので、かえってヒヤヒヤしてしまった。視界大丈夫かな。
教室に着くと凛々子がいて、すぐに凛々子が持ってきてくれた本の体験記録を読み始めた。
でもやっぱりどこにもヨネコさんという名前の女性はいなくて。
私が親友の子の名前が無かったというと、凛々子は静かに私からその本を受け取って、
「でもきっと空襲は大丈夫だと思うよ、やるべきこと全部やったんだから。でもそれでも体験記録に名前が無いということは空襲を生き抜いた上で病死したんだよ、それは仕方の無いことだよ」
まるで私からその親友の子の名前、つまりヨネコを早く忘れさせるように、その本を素早く閉じた。
そうだよね、そんなこともあるよね、でも令和の世界でも会いたかったな。
いやいやそもそも、長岡空襲から八十年後の世の中、あの時に十五歳くらいだったから生きていても九十五歳、もう寿命でお亡くなりになっているだろうし。
女性は寿命が長いと言ってもさすがにここまででもないし、諦められて逆に良かったのかもしれない、と思うしかなかった。いいはずないけども。
センチメンタルな気分で溜息をついてしまうと、凛々子が元気づけるように拳を握りながら、
「そうそう! ひいおばあちゃんが言っていたんだけどもさ! アタシと梨絵に、長岡空襲の課題頑張ってねって伝えてだってさ! 自分が思う道を邁進すれば大丈夫って言ってた!」
私はふと、
「ひいおばあちゃんって何歳?」
「いやぁ、アタシは音楽で言うところのメロディ派、人で言うところの存在派だから、家族の年齢は把握していないよっ」
「前者の注釈いらないし、年齢把握していないんだ」
「というか梨絵はお父さんとかお母さんの年齢分かる?」
「そこは分かるでしょ、お父さんもお母さんも三十八歳だよ」
「あー、それは同い年だからだよ」
「何覚える数字が一個だけで覚えやすいからなぁ、じゃぁないんだよ」
凛々子はまあまあといった感じに薄く笑った。
いや両親の年齢は覚えているだろ、ひいおばあちゃんは分かんないとしてもさ。いやでも長岡空襲を生き抜いたと言っていたし、九十歳近くかな。
朝のホームルーム前はそんな感じで、昼休みもいつも通り喋って、放課後はもう備えるしかないかな、と思っていると、凛々子が、
「今日は梨絵のおうちに遊びに行っていい? 夕方には帰るから!」
「別にいいけども、別にもうやることないよ、本当に」
「別にって言い過ぎ!」
「二回なら許容範囲でしょ」
「とにかくついていっていいっ?」
「ちなみに今日はお母さんの送り迎えだから」
「そうなんだっ、もしかするとお母さんにもそのこと話したの?」
「直接じゃないけども、お父さんがそれとなく。まあ信じてくれているらしい」
凛々子は咀嚼するように頷きながら、
「みんなに信じてもらえていいね!」
「まあそうなのかなぁ」
凛々子と一緒に校門へ行くと、お母さんがもう車を横づけしていたので、二人で乗り込んだ。
お母さんは少し無愛想に、
「凛々子ちゃん、久しぶり」
と言うと凛々子が快活に、
「はい! お久しぶりです!」
と声をあげた。
本来お母さんだって通常時は元気なほうだ。でもお母さんはだいぶメンタルがやられてしまっているらしい。
黙って運転して、私と凛々子もなんとなくそれに合わせて静かに乗っていた。
家に無事着き、私と凛々子はそのまま自分の部屋へ行った。
いつものお母さんならお盆にジュースを持ってくるついでに、凛々子と軽く会話していくのに、一切顔を出さない。こりゃ重症だ。
凛々子はいつも通りといった感じで明るく喋っている。
私はいつ気絶するように眠るのか分からないので、もう服に着替えて、防災頭巾をしている。
凛々子が楽しく話し掛けてくれていることは有難いけども、どこかやっぱり心ここにあらずで。
ヨネコが病死してしまうなんて、いや体験記録のアンチの可能性も無いこと無いけども、それはやっぱり長岡市民としては無いと思う。
というか空襲を生き延びる可能性も百パーセントじゃないわけで。でも防災頭巾に不備があるなんて考えたくないし、もしかしたら焼夷弾が足に直撃するとか?
いやいや、考えない考えない、とにかく空襲は生き延びるし、もしかしたら生きてるかもしれないし、いや病死、病死なんだろうな、きっと。
全然良い方向じゃないのに、それが最善の方向だと脳が認識している。病死の何がいいんだ、本当に。
ふと、凛々子が柔和な笑顔で、
「本当は一緒に添い寝したいよ、手を繋いでさ」
「でもそれで凛々子も一緒に急に行くことになったら大変でしょ」
「そっか、防災頭巾は二個しかないもんね、その親友の子の分だもんね」
「そう。二個かぶれるか分からないから、もう一個は先に渡しているんだ」
「それがいいと思う。さすが梨絵」
改めてといった感じに私は、
「というか本当に防災頭巾を作ってくれてありがとう。そのひいおばあちゃんもビックリするくらいに良い防災頭巾だったという話じゃない」
「そうそう、よろけてあわやだったよ」
「よろけてあわやを良い思い出みたいに言わないで」
とツッコんだところで凛々子と笑った。
そんな時だった。玄関のチャイムが鳴り、お父さんの水の入ったパウチのヤツだと思った。
玄関へ行くと、お母さんが宅配業者さんから荷物を受け取っていて、お父さんの名義だったので、その場で開けた。
お母さんが一瞬「変なのだったら」と言ったけども、これは水の入ったパウチだと知っているので、躊躇なく。
言われた通り、水の入ったパウチでお母さんがそれを見て、呟くように、
「こういうのわたしも何か用意してあげれば良かったのね」
と寂しそうに言ったので、私は即座に、
「お母さんは話を聞いてからすぐだから。大丈夫。送り迎えしてくれただけで嬉しいよ」
「本当梨絵……」
とまた泣き出しそうになったので、つい私は逃げるようにパウチを持って凛々子が待つ私の部屋へ戻った。
凛々子は言った通り、夕方になったら帰るみたいで、
「じゃあね、梨絵。また明日!」
とめっちゃデカい声でそう言ったので吹き出してしまった。
でも凛々子は本気で! って感じで、
「梨絵も言って! また明日! 絶対また明日だから!」
「うん、分かったよ、凛々子。また明日ね」
「そう!」
そう言って握手を無理やりしてきて、ブンブン手を振るった。
私は玄関まで凛々子を送って戻ってくると、お母さんが廊下に立っていて、
「食事はどうする?」
「普通に食べるよ」
と答えて、一旦二階に戻って、軽く体験記録を読んで、夕ご飯をお母さんと一緒に食べて、お風呂に入って自分の部屋へ戻った。
お母さんはまるで喋ったらまた泣いてしまいそうという顔で、ずっといた。
大丈夫、絶対大丈夫、と思いながら、少し早めに眠りにつくことにした。
気が付くと、私はヨネコといつもの木々の傍で座っていた。夕方五時くらいだ。
即座にヨネコが私へ、
「ほら! 防災頭巾! ちゃんと死守したよ!」
「盗られそうになったんだ」
「そうそう! でも大丈夫だった! このアゴを結ぶ紐のおかげ!」
「……ヨネコ、今日の日付は?」
「八月一日で多分午後五時かそれくらいだよ」
「じゃあさ、ヨネコ、今日はもう一緒に栖吉川に行かない?」
ヨネコはハッとした表情をしてから、
「そっか、そうすればいいんだっ」
「勿論私の言うことを全面的に信じてもらうことになるけども」
「そりゃ勿論、リエのことは信じているよ」
「じゃあ行こう」
「うん、行く」
私とヨネコは栖吉川へ向かって歩き出した。
八月一日の夕方はまだまだ明るくて、長岡市は七時くらいまでは明るいはずなので、絶対着くと思う。
あとはそこにいるだけで、きっと回避可能だ。これなら絶対安全に空襲はパスすることができる。
その後のヨネコの病死は分からないけども、空襲が安全ならヨネコもなんといっても私も余裕だ。
ふと、ヨネコがこう言った。
「実は私はずっと浮いていたんだ、日本国をそこまで強く信じることができなくて」
「浮いていたかどうかは分からなかったけども、それはこっちも察していたよ」
「きっと日本国は負けるんだろうなぁって」
「うん」
ヨネコはゆっくりと、でも確実に、
「そんな中、リエが来てくれて本当に励みになったし、楽しかったよ。わたしもなんとなく分かるよ、きっとこれがリエと会話する最後の日だって。そしてそれはリエにとっても幸運なこと」
「かもね」
ちょっとした沈黙が流れたその時だった。
警察官っぽい男性がこう言ってきた。
「そろそろ夜になる! 家に戻りなさい!」
私は突然のことであわあわしているとヨネコが毅然とした態度で、
「友達と歩いているだけです。ちょっとした散歩です。気にしないでください」
でも警察官も負けじと、
「いいや! いつ空襲があるかどうか分からない! 家にいれば、家に作った防空壕もあるだろう! 家が一番安全だ! あと避難するなら平潟神社のほうだ! 覚えておきなさい!」
まさかこんなことがあるなんて、じゃあヨネコはこの空襲で死んでしまうのでは……というかそれだと私も危ないというか、と思ったその時だった。
「リエ! リエは先に行っていて!」
そう言ってヨネコは警察官の身体をがっつり掴んで、身動きできなくした、のは束の間ですぐにヨネコは投げ飛ばされて、警察官は私を捕まえ、
「何を言っているんだ! 早く戻りなさい! 親御さんも心配しているだろう!」
地面に倒れっ放しのヨネコに私は正直背筋がゾッとしてきた。
もしかしたらこれで死……私は青ざめて震えていたんだろう、警察官が、
「分かった、本官が家まで送って行ってやる。さあ家はどこだ」
と言ったところでヨネコが立ち上がって、ホッと一息したんだけども、ヨネコはどこか苦痛に顔を歪ませていて、
「ヨネコ、足とか大丈夫?」
「リエ……大丈夫……」
と掠れた声で言って、足をケガしてしまっているということを悟った。
そんな、こんな完璧にやってきたのに、警察官に投げ飛ばされて足をケガするなんて……致命的だ……。
警察官のほうを見ると、どこかあらぶっているようで、また何をしでかすか分からないので、
「ヨネコ、家に戻ろう」
と言うと、ヨネコはこくんと頷いて、歩き出したわけだけども、どう見ても足を引きずっていた。
警察官はそれを見て見ぬフリして、歩いている。
ヨネコの家に着き、私は姉妹みたいな顔してヨネコの家へ入っていった。
そう言えば、と思って、
「ヨネコって家族いるの?」
「いないよ、みんな戦死や病気で死んじゃったんだ」
「そうだったんだ……」
少しの沈黙のあとに、ヨネコは口を開き、
「リエ、警察官がいなくなるだろう夜になったら、一緒に歩いて栖吉川へ行こう」
「というか足、本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ、午後八時になれば暗くなるし、午後十時半までには栖吉川に着くよ」
でもそのあと果たして立ち泳ぎして、潜っては息継ぎを、が、できるか心配だった。
いやそこの心配をしていても、もう仕方ない。
息継ぎが上手くいかなければ、私が隣で引っ張りあげればいいだけだ。
私は泳ぎの練習をいっぱいしたし、凛々子と一緒にしたことにより、その引っ張りあげる動作の練習も実はしていたし。本当に凛々子、様様だ。
午後八時、警戒警報が鳴り響くなか、私とヨネコは外に出ることにした。
その瞬間だった。
「どこかに行こうとするな!」
なんとあの警察官がずっとヨネコの家の前で座っていたのだ!
その警察官は続ける。
「やっぱり本官の勘は鋭い! こういう怪しい輩が出てくる! それを止めるのが警察官の仕事だ!」
なんて情弱、という言葉が浮かんでしまったんだけども、そりゃ仕方ないことなのか。それともコイツがあまりにもしつこいのか。
この警察官は理由をつけてサボっているような気もしてきた。
私とヨネコはすごすごと家の中へ戻って行った。
ヨネコが小声でこう言った。
「リエは健康だから、未来の人だから、私の足を気にしないで急いで栖吉川に走って」
「そんな!」
と初手でデカい声を出してしまった私は、ヨネコと同じ声の小ささにして、
「私はヨネコのこと置いていけないよ、何なら背負っていくよ」
「ダメだよ、そんなの」
「ううん、背負うよ、私結構力あるんだよ、それにヨネコは私よりもずっと痩せている。だから軽い、大丈夫」
「絶対ダメだって……」
「ダメじゃない、じゃあさ、私の頭に火が飛び移ったら、一枚布を引き抜いてよ、私が背負うんだから連携しよう」
「リエ……貴方は未来の子なんでしょ……未来の子は命の子なの……」
そう涙をボロボロ流しながら言ったヨネコ。
いいや、
「命はみんないつだって等しく平等だよ」
「何だかリエって強情だね……」
「確かに。結構そう思われているかも」
多分ヨネコを見捨てて逃げることが最適解だということは分かっている。
でもここまでずっと一緒だった子を見捨てることなんてできないし、そもそもここで見捨てたあとの人生、私は胸張って生きられる?
逃げない、いいや逃がさない、ヨネコは一緒に未来へ来てもらう、これは絶対だ。
「ゴメンね、リエ……」
「いいんだよ、ヨネコ」
何時頃になっただろうか、夜も深くなり、静かになった時間帯。
私は忍び足で、外を見に行くと、あの警察官はもういなくなっていた。
干支の話のウシのように、ちょっと早く出掛ければ、と思い、
「ヨネコ、行こう」
「もう大丈夫?」
「うん、大丈夫」
私はヨネコを背負って、家から飛び出したその時だった。
今までの警戒警報とは違う、けたたましいサイレンの音が鳴り出し、ヨネコが叫んだ。
「空襲警報だ!」
するとその音をさらに越えてくるような、まるで大雨のような音が耳をつんざく。
体験記録で読んだことあるかも、この大雨のような音は戦闘機の飛行音だ!
「来る! ヨネコ!」
「リエ! やっぱりおろして!」
「しっかりしがみついていて! ヨネコが暴れたら私転んじゃう!」
「リエのバカ……」
急に空がまるで夕暮れのように明るくなった。これも体験記録で読んだ、空襲のために一帯を明るくするヤツだ。
その刹那から、急にいたるところから火花が舞い始めた。焼夷弾を落とし始めたんだ。
さっきまで夜、そして夕暮れから、矢継ぎ早に真昼間の明度になった。
走りやすいけども、そんな悠長なことを思っていられない。
とにかく栖吉川へ向かって走り出した。
他の長岡市民もどこかへ向かって走り出している。全員に「栖吉川がいいですよ!」と言って回ることはできない。
私は無我夢中でヨネコを背負って走り続ける。突然目の前に焼夷弾がゴトォッと落ちてきた。火花は放射しない。
不発弾だと思い込んで、その脇を一気に走り抜けたところで、また別の脇に焼夷弾が落ちて火を噴いたと思ったら、急に頭が熱くなった。
「リエ! 一枚引き抜く!」
そう言って頭の上に何か通った気がしたら、その熱は消えていった。どうやらヨネコが防災頭巾についた火を一枚分投げ捨ててくれたらしい。
「ヨネコも自分の頭! 気を付けてね!」
「分かってる! それは自分でできる!」
声掛けをしながら、猛然と栖吉川が向かって長岡市街を走り抜けた。
一瞬襟足が熱くなった時があった。
でもそれもすぐに無くなった。
多分ヨネコのほうの頭に火が移ったんだ。でもヨネコは私に心配というかいらんことを考えさせないように、無言で対処したんだと思う。
市街。
中には焼夷弾が直撃したらしく「アツイ……」と言いながらその場で倒れ込んでいる男性がいた。
助けられない、助けられない、私一人じゃ無力だ、どこもかしこも「アチチ」という声がする。何もできない。やっぱり無理なのかな、こんなこと。ヨネコも助からず私も死んでしまって、火に囲まれてそのまま死んでしまうのかな、もう終わりなのかな、せっかく一生懸命やってきたのに、凛々子と一緒に夏休みを堪能したかったな、女子高生になって最初の夏休みだから、可愛い制服を着てリバーサイド千秋を遊びつくしたかった、お母さんの笑顔、結局見ることできなかったな、しょうもない反抗期が疎ましい、お父さんと最後に会話らしい会話ができたことは幸せだったのかもしれない、あったかもしれない未来も、もう無いのかな、何か知らんけども、もっと頑張れば良かった、もっと何かやっておけば、何かが変わったかもしれないのに、あぁ、終わりなんだ、終わりなんだ……。
「リエ! 栖吉川だ!」
えっ。
ヨネコが叫ぶ。
「飛び込もう!」
「着いたぁっ?」
「着いたよ! 入ろう! 一時間半くらいやっていれば空襲終わるんでしょっ?」
「終わる!」
私とヨネコは栖吉川に飛び込んで、そこから一心不乱で潜っては息継ぎを繰り返した。
時折ヨネコが足の影響で、泳ぎが不安定な時もあったけども、それは私は引っ張りあげたりして助けた。
栖吉川にもゼリー状のガソリンが浮き、そこに火花が当たって、水面が燃えるような現象も起きたけども、それはしっかりかわして、上手く潜り続けた。
相変わらず空襲警報は鳴っているけども、戦闘機の音は聞こえなくなった。
私とヨネコは川から出てきて、抱き合った。
あぁ、ヨネコも一緒に生きている、これでいいじゃないか、私は最善を尽くした。ただそれだけだ。
ふと、何だか私は浄化されるように眠くなってきて、
「ヨネコ、お別れかもしれない」
ヨネコは生唾を飲み込んでから、
「それは、帰るということ?」
「そう、帰るということ。ヨネコのおかげで私、もっと頑張るという気持ち、掴めたよ」
「そんな! リエは本当に命の恩人で!」
「またいつか、ヨネコ」
「リエ!」
きっとヨネコにはもう会えない。ヨネコはどこかで病死するから。
そんなこと伝えたってしょうがないから黙っていた。うん、それは当然。
でも、でも、もうヨネコに会えないなんて、やっぱり寂しいんだ、どうしようもないんだ、でもあの世界はやっぱり居心地悪くて、表裏一体。
ヨネコが令和の時代に転生していたら嬉しいな……。



