社の奥へと続く石畳はほかの参道とは異なり、墨で染められたように黒ずんでいた。両脇には古びた灯籠が並び、火は灯っていないのに、どこか薄明かりが漂っている。
時刻は夕方。大晦日の空は沈みかけた陽に染まり、朱と藍が混ざり合うような色をしていた。
空気は張り詰めていて、風はなくとも肌を刺すような冷気がまとわりつく。吐く息は白く、すぐに空に吸い込まれて消えていく。
社の境内は、まだ静まり返っていた。境内の入口にはすでに提灯が吊るされ、焚き火の準備も整えられている。年越しの参拝に訪れる人々が、やがてこの場所に集まってくるだろう。
笑い声、鈴の音、祈りの言葉――それらがこの静寂を満たすまで、あと数刻。
その賑わいがはじまる前に、清花と明臣は墨殿へ向かっていた。
進むごとに空気は重くなり、言葉を発することすらためらわれるような圧が肌を刺す。墨殿――それは霞京の命字を記すためだけに築かれた、閉ざされた空間だった。
社の最奥、三方を岩壁に囲まれた地下の祠。石畳の先にある階段を下りると、冷気がさらに深くなり、指先の感覚が薄れていく。
夕暮れの光は階段の上からわずかに差し込むだけで、ほとんどが闇に沈んでいた。
墨殿の前に立った瞬間、空間が歪む。〝封〟の命字が幾重にも重なり、蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
「この命字を消さなければ扉は開かないみたいだな」
明臣が扉に手をかけたがビクともしない。
「私が消します」
清花が一歩踏み出すと、空気がわずかに震えた。墨殿の前に漂う命字の結界が、清花の気配に反応するように揺らめく。〝封〟の文字は、まるで生き物のように脈打っていた。
清花は静かに筆を取り出す。墨壺に逆筆の墨を含ませると、墨がわずかに青白く光った。
その光は冷たく、だがたしかな意志を宿していた。
一筆目を記す。
空中に浮かぶ命字の一角に触れた瞬間、墨が震え、音もなくほどけていく。まるで長く張り詰めていた糸が静かに切れるように。
二筆目、三筆目――。
清花の筆は迷いなく動き、命字の結界を一つずつ解いていく。そのたびに空間の歪みが収まり、墨殿の前に漂っていた重苦しい気配が薄れていく。
明臣は隣で息を呑みながら見守っていた。
清花の動きには、もはや迷いも恐れもなかった。
それは力に目覚めた者ではなく、力を選び取った者の所作だった。
最後の命字に逆筆が触れた瞬間、墨殿の扉が低く唸るような音を立てて震えた。
岩壁に刻まれた文様が淡く光り、封印が解かれていく。そして、静かに扉が開いた。
時刻は夕方。大晦日の空は沈みかけた陽に染まり、朱と藍が混ざり合うような色をしていた。
空気は張り詰めていて、風はなくとも肌を刺すような冷気がまとわりつく。吐く息は白く、すぐに空に吸い込まれて消えていく。
社の境内は、まだ静まり返っていた。境内の入口にはすでに提灯が吊るされ、焚き火の準備も整えられている。年越しの参拝に訪れる人々が、やがてこの場所に集まってくるだろう。
笑い声、鈴の音、祈りの言葉――それらがこの静寂を満たすまで、あと数刻。
その賑わいがはじまる前に、清花と明臣は墨殿へ向かっていた。
進むごとに空気は重くなり、言葉を発することすらためらわれるような圧が肌を刺す。墨殿――それは霞京の命字を記すためだけに築かれた、閉ざされた空間だった。
社の最奥、三方を岩壁に囲まれた地下の祠。石畳の先にある階段を下りると、冷気がさらに深くなり、指先の感覚が薄れていく。
夕暮れの光は階段の上からわずかに差し込むだけで、ほとんどが闇に沈んでいた。
墨殿の前に立った瞬間、空間が歪む。〝封〟の命字が幾重にも重なり、蜘蛛の巣のように張り巡らされている。
「この命字を消さなければ扉は開かないみたいだな」
明臣が扉に手をかけたがビクともしない。
「私が消します」
清花が一歩踏み出すと、空気がわずかに震えた。墨殿の前に漂う命字の結界が、清花の気配に反応するように揺らめく。〝封〟の文字は、まるで生き物のように脈打っていた。
清花は静かに筆を取り出す。墨壺に逆筆の墨を含ませると、墨がわずかに青白く光った。
その光は冷たく、だがたしかな意志を宿していた。
一筆目を記す。
空中に浮かぶ命字の一角に触れた瞬間、墨が震え、音もなくほどけていく。まるで長く張り詰めていた糸が静かに切れるように。
二筆目、三筆目――。
清花の筆は迷いなく動き、命字の結界を一つずつ解いていく。そのたびに空間の歪みが収まり、墨殿の前に漂っていた重苦しい気配が薄れていく。
明臣は隣で息を呑みながら見守っていた。
清花の動きには、もはや迷いも恐れもなかった。
それは力に目覚めた者ではなく、力を選び取った者の所作だった。
最後の命字に逆筆が触れた瞬間、墨殿の扉が低く唸るような音を立てて震えた。
岩壁に刻まれた文様が淡く光り、封印が解かれていく。そして、静かに扉が開いた。

