賀茂家の別邸を出ると、冬の風が頬を撫でた。清花はマフラーをきゅっと巻きなおし、明臣の隣を歩く。
街は年の瀬の空気に包まれていた。商店街にはしめ縄や鏡餅が並び、子どもたちの笑い声が響く。清花は目を丸くして、色とりどりの飾りに見入った。
「これ、清花の部屋に飾ろうか」
明臣が手に取ったのは、小さな干支の置物だった。来年の干支、辰の形をした陶器の人形だ。清花は戸惑いながらも頷いた。
「……ありがとうございます」
その言葉に明臣が微笑む。いつになくやわらかい笑顔だった。
途中、甘酒の屋台に立ち寄る。湯気の立つ紙コップを受け取った清花は、口に運ぶ前にふと明臣を見た。
「こういうの……初めてです」
「そうか。じゃあ、もっといろいろ見よう」
彼の言葉は、まるで新しい世界の扉を開くようだった。
商店街を抜けると、少し静かな通りに出た。風に揺れる竹飾りが軒先に吊るされ、どこか懐かしい香りが漂ってくる。
清花は甘酒の湯気に頬を染めながら、明臣の歩幅に合わせて歩いた。彼の横顔は穏やかで、時折通り過ぎる人々に軽く会釈をしている。
「……明臣様はこういう場所、よく来るんですか?」
ふと漏れた問いに、彼は少し考えるように目を細めた。
「昔はね。母に連れられて、よくこの辺りを歩いた。年末になると決まって甘酒を飲んで、干支の置物を買って帰るんだ」
その声には、懐かしさと少しの寂しさが混じっていた。
清花は紙コップを両手で包みながら、彼の言葉を胸の奥で反芻する。
誰かと過ごす時間。記憶に残る風景。そういうものが、自分にもできるのだろうか――。
そんな思いが、ふと心に浮かぶ。
「……では来年も、また一緒に来られるでしょうか」
自分でも驚くほど自然に出た言葉に、清花はすぐに視線を落とした。
しかし明臣は驚くこともなく、ただ静かに微笑んだ。
「そうだな。来年も、その次も」
その言葉は約束のようで、祈りのようでもあった。
ふたりの間に風が通り抜ける。冷たいはずの冬の風が、なぜか少しだけあたたかく感じられた。
そうしてさらに歩き、明臣は商店街の喧騒を抜けた先、路地裏にひっそりと佇む古道具屋の前で足を止めた。
木の看板は色褪せ、軒先には干支の置物や硝子の器が並んでいる。店内に足を踏み入れると、ほのかに古木と線香の香りが漂った。
清花は少し緊張した面持ちで、棚に並ぶ品々を見渡す。明臣は清花の少し前を歩き、時折目を細めて品物を眺めた。
「これ、見て」
明臣が声をかけたのは、壁際の小さなガラスケースの前だった。
中には繊細な細工の髪飾りが並んでいる。銀糸で編まれた梅の花、淡い水色の翡翠があしらわれたもの、そして、ひとつだけ黒漆に金の桜が描かれた簪があった。
「この桜の簪、清花に似合うと思うんだ」
清花は戸惑いながらも視線を簪に向けた。黒と金の対比が、どこか自分の内面を映しているようだ。
「少し前にこの店に来たときに見かけてね」
「えっ……。もしかして私を連れてきたかった場所って、ここですか?」
清花の問いに、明臣は一瞬言葉を探すように視線を簪から逸らした。店先のやわらかな灯りが、彼の横顔に淡い影を落とす。
「……ああ」
その返事はいつもの彼の調子より少しだけ低く、どこか照れくさそうだった。
清花は、その表情に驚いた。
明臣が照れる。それは滅多に見られないものだったからだ。だが、そのわずかな揺れが、彼の言葉の真剣さを物語っているようで胸の奥があたたかくなる。
「……私には、少し華やかすぎないでしょうか」
そう言いながら声が揺れる。明臣は微笑みながら、店主に声をかけて簪を手に取った。
「華やかさは外に出すものじゃなくて、内に秘めたものを映すんだと思うよ」
その言葉はまるで静かな水面に石を落とされたように、清花の心に波紋を広げた。
目立たないように、騒がれないようにするのが自分の生きていく道だと思っていた。けれど明臣の言葉は、そんな清花の在り方を否定するのではなく、そっと包み込んでくる。華やかさは外に飾るものではなく、内を映すもの。
ならばこの簪が映すのは、自分の中にあるなにか。まだ自分でも知らない、光のようなものなのかもしれない。
清花は簪を見つめながら、胸の奥に小さな灯がともるのを感じた。それは誰かに見つけてもらえたことへの驚きと、少しの喜び。そして自分の中に〝映すもの〟があるかもしれないという淡い希望だった。
「……私にも映るものがあるでしょうか」
問いかけるような声に、明臣が静かに頷く。その仕草は、なによりもたしかな答えに思えた。
明臣にそっと差し出された簪を受け取り、手のひらに乗せてじっと見つめる。
「綺麗ですね」
その言葉は誰かに向けたものではなく、自分の中に初めて芽生えた感情への気づきだった。
店主がそっと簪を桐箱に収めて差し出すと、明臣はそれを受け取り、清花のほうへ向きなおった。
「挿してみようか」
その声はいつもより少しだけやわらかく、問いかけるようだった。
清花は驚きながらも、小さく頷く。心臓の鼓動が静かな店内に響いてしまいそうで、息を整えるのに少し時間がかかった。
明臣は清花の背後に回ると、そっと彼女の髪に触れた。指先が髪をすくい上げる感触に、清花は思わず目を閉じる。その手は冷たくもなく、熱すぎることもなく、ただたしかに彼の温度を持っていた。
「少しだけ、顔を右に」
言われるままに首を傾けると、彼の指が髪を整え、簪がゆっくりと挿されていく。黒漆に金の桜が、清花の髪にそっと咲いた。
「……やっぱり似合う」
明臣が満足そうに言う。
清花はそっと鏡に目を向けた。そこに映る自分は、見慣れた姿とは少し違っていた。華やかすぎると思っていた簪が、なぜか自然に馴染んでいる。
それは明臣が挿してくれたからかもしれない。そう思った瞬間、胸が熱くなった。
「ありがとうございます」
清花が見上げると、明臣は一瞬だけ目を逸らして頷いた。
街は年の瀬の空気に包まれていた。商店街にはしめ縄や鏡餅が並び、子どもたちの笑い声が響く。清花は目を丸くして、色とりどりの飾りに見入った。
「これ、清花の部屋に飾ろうか」
明臣が手に取ったのは、小さな干支の置物だった。来年の干支、辰の形をした陶器の人形だ。清花は戸惑いながらも頷いた。
「……ありがとうございます」
その言葉に明臣が微笑む。いつになくやわらかい笑顔だった。
途中、甘酒の屋台に立ち寄る。湯気の立つ紙コップを受け取った清花は、口に運ぶ前にふと明臣を見た。
「こういうの……初めてです」
「そうか。じゃあ、もっといろいろ見よう」
彼の言葉は、まるで新しい世界の扉を開くようだった。
商店街を抜けると、少し静かな通りに出た。風に揺れる竹飾りが軒先に吊るされ、どこか懐かしい香りが漂ってくる。
清花は甘酒の湯気に頬を染めながら、明臣の歩幅に合わせて歩いた。彼の横顔は穏やかで、時折通り過ぎる人々に軽く会釈をしている。
「……明臣様はこういう場所、よく来るんですか?」
ふと漏れた問いに、彼は少し考えるように目を細めた。
「昔はね。母に連れられて、よくこの辺りを歩いた。年末になると決まって甘酒を飲んで、干支の置物を買って帰るんだ」
その声には、懐かしさと少しの寂しさが混じっていた。
清花は紙コップを両手で包みながら、彼の言葉を胸の奥で反芻する。
誰かと過ごす時間。記憶に残る風景。そういうものが、自分にもできるのだろうか――。
そんな思いが、ふと心に浮かぶ。
「……では来年も、また一緒に来られるでしょうか」
自分でも驚くほど自然に出た言葉に、清花はすぐに視線を落とした。
しかし明臣は驚くこともなく、ただ静かに微笑んだ。
「そうだな。来年も、その次も」
その言葉は約束のようで、祈りのようでもあった。
ふたりの間に風が通り抜ける。冷たいはずの冬の風が、なぜか少しだけあたたかく感じられた。
そうしてさらに歩き、明臣は商店街の喧騒を抜けた先、路地裏にひっそりと佇む古道具屋の前で足を止めた。
木の看板は色褪せ、軒先には干支の置物や硝子の器が並んでいる。店内に足を踏み入れると、ほのかに古木と線香の香りが漂った。
清花は少し緊張した面持ちで、棚に並ぶ品々を見渡す。明臣は清花の少し前を歩き、時折目を細めて品物を眺めた。
「これ、見て」
明臣が声をかけたのは、壁際の小さなガラスケースの前だった。
中には繊細な細工の髪飾りが並んでいる。銀糸で編まれた梅の花、淡い水色の翡翠があしらわれたもの、そして、ひとつだけ黒漆に金の桜が描かれた簪があった。
「この桜の簪、清花に似合うと思うんだ」
清花は戸惑いながらも視線を簪に向けた。黒と金の対比が、どこか自分の内面を映しているようだ。
「少し前にこの店に来たときに見かけてね」
「えっ……。もしかして私を連れてきたかった場所って、ここですか?」
清花の問いに、明臣は一瞬言葉を探すように視線を簪から逸らした。店先のやわらかな灯りが、彼の横顔に淡い影を落とす。
「……ああ」
その返事はいつもの彼の調子より少しだけ低く、どこか照れくさそうだった。
清花は、その表情に驚いた。
明臣が照れる。それは滅多に見られないものだったからだ。だが、そのわずかな揺れが、彼の言葉の真剣さを物語っているようで胸の奥があたたかくなる。
「……私には、少し華やかすぎないでしょうか」
そう言いながら声が揺れる。明臣は微笑みながら、店主に声をかけて簪を手に取った。
「華やかさは外に出すものじゃなくて、内に秘めたものを映すんだと思うよ」
その言葉はまるで静かな水面に石を落とされたように、清花の心に波紋を広げた。
目立たないように、騒がれないようにするのが自分の生きていく道だと思っていた。けれど明臣の言葉は、そんな清花の在り方を否定するのではなく、そっと包み込んでくる。華やかさは外に飾るものではなく、内を映すもの。
ならばこの簪が映すのは、自分の中にあるなにか。まだ自分でも知らない、光のようなものなのかもしれない。
清花は簪を見つめながら、胸の奥に小さな灯がともるのを感じた。それは誰かに見つけてもらえたことへの驚きと、少しの喜び。そして自分の中に〝映すもの〟があるかもしれないという淡い希望だった。
「……私にも映るものがあるでしょうか」
問いかけるような声に、明臣が静かに頷く。その仕草は、なによりもたしかな答えに思えた。
明臣にそっと差し出された簪を受け取り、手のひらに乗せてじっと見つめる。
「綺麗ですね」
その言葉は誰かに向けたものではなく、自分の中に初めて芽生えた感情への気づきだった。
店主がそっと簪を桐箱に収めて差し出すと、明臣はそれを受け取り、清花のほうへ向きなおった。
「挿してみようか」
その声はいつもより少しだけやわらかく、問いかけるようだった。
清花は驚きながらも、小さく頷く。心臓の鼓動が静かな店内に響いてしまいそうで、息を整えるのに少し時間がかかった。
明臣は清花の背後に回ると、そっと彼女の髪に触れた。指先が髪をすくい上げる感触に、清花は思わず目を閉じる。その手は冷たくもなく、熱すぎることもなく、ただたしかに彼の温度を持っていた。
「少しだけ、顔を右に」
言われるままに首を傾けると、彼の指が髪を整え、簪がゆっくりと挿されていく。黒漆に金の桜が、清花の髪にそっと咲いた。
「……やっぱり似合う」
明臣が満足そうに言う。
清花はそっと鏡に目を向けた。そこに映る自分は、見慣れた姿とは少し違っていた。華やかすぎると思っていた簪が、なぜか自然に馴染んでいる。
それは明臣が挿してくれたからかもしれない。そう思った瞬間、胸が熱くなった。
「ありがとうございます」
清花が見上げると、明臣は一瞬だけ目を逸らして頷いた。

