***
干された薬草が風に揺れる午後、明臣は診療所の裏庭に立った。
誰の姿もない。虫の音も途切れがちで、薄い雲が陽光をぼんやりと遮っている。
診療所は、築年数を感じさせる木造の平屋だ。外壁は白く塗られているが、ところどころ塗料が剥がれ、木の地肌が覗いている。玄関脇には古びた看板が掛けられており、墨で書かれた診療所の文字は、風雨に晒されてかすれていた。
窓枠は細く、ガラスは少し波打っていて、外から見ると中の様子が曖昧にしか見えない。軒下には乾燥させた薬草が束ねられて吊るされており、風が吹くたびにカサカサと音を立てる。よく見ると、ヨモギやドクダミ、センブリなどが混ざっているようだった。
裏庭には小さな畑があり、季節外れの枯れた茄子の茎が、土の上で静かに佇んでいる。診療所の建物と庭の境界には、苔むした石が並べられていて、誰かが丁寧に手入れしていた痕跡が残っていた。
木の椅子に腰掛けた明臣は、閉じた手帳に指を添えたまま、静かに目を伏せた。
宗近は、あの夜から変わらず目を覚まさない。
彼を見舞った明臣は、そこで妙なものを見た。宗近の左腕に、命字が彫り込まれていたのだ。
命字は和紙や石碑に記すものであって、体に彫り込むものではない。それなのに、宗近はなぜそのような真似をしたのか。どういう意図が込められた文字なのか。
あの巻物といい、わからないことだらけだ。
かつて明臣は信じていた。霞京は墨魂に守られている、と。そしてその墨魂は筆聖である自分の命でもあると。
だが今、その想いは揺らいでいる。墨魂を支えるはずの父が、穢れとされた清花の存在をあえて排除しようとする姿勢は、もはや守りではなく抹消だ。
火元が清花の部屋であったことも、偶然とは思えない。あの夜の炎の向きが、誰かの意思を語っている気がしてならなかった。
(……なにかが動きはじめている?)
そんな迷いと疑念を抱えながら、明臣は庭に吹く風をただ受け止めていた。傍らには誰もいないはずだったが、敷石の上で足音が止まる。
「ここにいたのか」
低い声。正史郎が立っていた。
干された薬草が風に揺れる午後、明臣は診療所の裏庭に立った。
誰の姿もない。虫の音も途切れがちで、薄い雲が陽光をぼんやりと遮っている。
診療所は、築年数を感じさせる木造の平屋だ。外壁は白く塗られているが、ところどころ塗料が剥がれ、木の地肌が覗いている。玄関脇には古びた看板が掛けられており、墨で書かれた診療所の文字は、風雨に晒されてかすれていた。
窓枠は細く、ガラスは少し波打っていて、外から見ると中の様子が曖昧にしか見えない。軒下には乾燥させた薬草が束ねられて吊るされており、風が吹くたびにカサカサと音を立てる。よく見ると、ヨモギやドクダミ、センブリなどが混ざっているようだった。
裏庭には小さな畑があり、季節外れの枯れた茄子の茎が、土の上で静かに佇んでいる。診療所の建物と庭の境界には、苔むした石が並べられていて、誰かが丁寧に手入れしていた痕跡が残っていた。
木の椅子に腰掛けた明臣は、閉じた手帳に指を添えたまま、静かに目を伏せた。
宗近は、あの夜から変わらず目を覚まさない。
彼を見舞った明臣は、そこで妙なものを見た。宗近の左腕に、命字が彫り込まれていたのだ。
命字は和紙や石碑に記すものであって、体に彫り込むものではない。それなのに、宗近はなぜそのような真似をしたのか。どういう意図が込められた文字なのか。
あの巻物といい、わからないことだらけだ。
かつて明臣は信じていた。霞京は墨魂に守られている、と。そしてその墨魂は筆聖である自分の命でもあると。
だが今、その想いは揺らいでいる。墨魂を支えるはずの父が、穢れとされた清花の存在をあえて排除しようとする姿勢は、もはや守りではなく抹消だ。
火元が清花の部屋であったことも、偶然とは思えない。あの夜の炎の向きが、誰かの意思を語っている気がしてならなかった。
(……なにかが動きはじめている?)
そんな迷いと疑念を抱えながら、明臣は庭に吹く風をただ受け止めていた。傍らには誰もいないはずだったが、敷石の上で足音が止まる。
「ここにいたのか」
低い声。正史郎が立っていた。

