逆筆の代償についてもっと知りたい。そう願う清花だが、あれから三日、宗近とは話をできない日が続いている。姿は見かけるものの、うまくふたりきりの状況になれないのだ。
監視の目が多く、明臣の書斎や清花の自室にいるとき以外は、どこかで誰かしらの視線を感じる。
広い庭に面した廊下の拭き掃除をしていると、梅が庭を掃いているのが見えた。
清花は沓脱石に置いてある草履に履き替え、彼女のもとへ向かう。
「梅さん、ちょっとよろしいでしょうか」
「今、忙しいんだけどね。まぁちょっとくらいなら手を動かしながら聞いてやるよ」
梅の声はいつもの毒舌の中にも、どこか温度のある響きを帯びていた。
髪を後ろできつく束ね、墨で染められた庭砂が舞わぬよう力の加減を心得ている。年季の入った動作には無駄がなく、清花が近づいても手をいっさい止めない。
清花は小さく息を整えながら、声を潜めて切りだす。
「宗近さんって、この家に来て長いんですか?」
梅は賀茂家に仕えてもっとも長い使用人と聞いている。となれば宗近がここへ来たのは、梅よりあとだ。
彼はなぜ、筆聖の明臣でさえ知らない逆筆の代償について知っているのか。伝説でしかなかった逆筆について、どこで聞いたのか。
賀茂家に来る以前の経歴に、なにかヒントがあるのではないかと清花は考えたのだ。そして梅なら、それを知っているかもしれないと。
清花の問いに、梅は一度箒を止めた。庭の竹の葉が風に揺れ、墨魂で光る石灯籠がぴたりと静止するようにあたりは息をひそめた。
「宗近ねぇ……」
言いながら梅は眉をひそめた。思い出そうとするように首を少し傾け、落ち葉を見つめながら指先で箒の柄をゆっくり撫でる。
「……変だね。ちゃんといつ来たって覚えてないんだよ。気づいたときにはいた。ごく自然に、そこにいたって感じでさ」
梅は顎を指先で撫でながら空を仰ぐ。墨で染まったような雲が薄く流れていた。
「一応、私のほうが長く仕えてるはずなんだけど……」
そう言いながら眉を寄せる。考え込むような表情だったが、どこかその曖昧さに自分でも戸惑っているように見える。
「十年前くらいにはなるはずなんだけどね。あれ、宗近の部屋って、昔は誰が使ってたんだったか……」
言いかけて、ふと言葉が止まる。
「変だねぇ……こんなふうにぽっかり抜ける記憶なんて、あまりないんだけど」
落ち葉を束ねながら、梅が苦笑する。だがその笑いは、ほんの僅かに不安を含んでいた。
清花は黙って頷いた。梅の記憶の曖昧さ、それは単なる年齢や時間のせいではないような気がしてならない。
梅は再び箒を動かしながら、ぼそりと呟いた。
「もしあんたが宗近のことを探るつもりなら、書庫の奥、燻んだ巻物を覗いてみるといい。宗近が大事そうにしていたからね。なにかわかることがあるかもしれないよ」
墨香の中、落ち葉がさらりと流れ、ふたりの間にほんの少しの静けさが戻った。
監視の目が多く、明臣の書斎や清花の自室にいるとき以外は、どこかで誰かしらの視線を感じる。
広い庭に面した廊下の拭き掃除をしていると、梅が庭を掃いているのが見えた。
清花は沓脱石に置いてある草履に履き替え、彼女のもとへ向かう。
「梅さん、ちょっとよろしいでしょうか」
「今、忙しいんだけどね。まぁちょっとくらいなら手を動かしながら聞いてやるよ」
梅の声はいつもの毒舌の中にも、どこか温度のある響きを帯びていた。
髪を後ろできつく束ね、墨で染められた庭砂が舞わぬよう力の加減を心得ている。年季の入った動作には無駄がなく、清花が近づいても手をいっさい止めない。
清花は小さく息を整えながら、声を潜めて切りだす。
「宗近さんって、この家に来て長いんですか?」
梅は賀茂家に仕えてもっとも長い使用人と聞いている。となれば宗近がここへ来たのは、梅よりあとだ。
彼はなぜ、筆聖の明臣でさえ知らない逆筆の代償について知っているのか。伝説でしかなかった逆筆について、どこで聞いたのか。
賀茂家に来る以前の経歴に、なにかヒントがあるのではないかと清花は考えたのだ。そして梅なら、それを知っているかもしれないと。
清花の問いに、梅は一度箒を止めた。庭の竹の葉が風に揺れ、墨魂で光る石灯籠がぴたりと静止するようにあたりは息をひそめた。
「宗近ねぇ……」
言いながら梅は眉をひそめた。思い出そうとするように首を少し傾け、落ち葉を見つめながら指先で箒の柄をゆっくり撫でる。
「……変だね。ちゃんといつ来たって覚えてないんだよ。気づいたときにはいた。ごく自然に、そこにいたって感じでさ」
梅は顎を指先で撫でながら空を仰ぐ。墨で染まったような雲が薄く流れていた。
「一応、私のほうが長く仕えてるはずなんだけど……」
そう言いながら眉を寄せる。考え込むような表情だったが、どこかその曖昧さに自分でも戸惑っているように見える。
「十年前くらいにはなるはずなんだけどね。あれ、宗近の部屋って、昔は誰が使ってたんだったか……」
言いかけて、ふと言葉が止まる。
「変だねぇ……こんなふうにぽっかり抜ける記憶なんて、あまりないんだけど」
落ち葉を束ねながら、梅が苦笑する。だがその笑いは、ほんの僅かに不安を含んでいた。
清花は黙って頷いた。梅の記憶の曖昧さ、それは単なる年齢や時間のせいではないような気がしてならない。
梅は再び箒を動かしながら、ぼそりと呟いた。
「もしあんたが宗近のことを探るつもりなら、書庫の奥、燻んだ巻物を覗いてみるといい。宗近が大事そうにしていたからね。なにかわかることがあるかもしれないよ」
墨香の中、落ち葉がさらりと流れ、ふたりの間にほんの少しの静けさが戻った。

